ありったけの勇気
「お疲れ様です!」
ミオナはボクを笑顔で捉えると溌溂とした声で挨拶してきた。
ショートカットに切れ長の目が印象的なキリっとした顔つきのミオナ。
クールビューティーという言葉がふさわしい彼女だが、八重歯が覗く笑い顔からは幼さと生来の明るさが見てとれる。
きっと彼女は会議室でボクが事務部長から昇進の内示、もしくは極秘任務をもらったと思っていて、その喜びを供に分かち合おうと思っているのだろう。だが、事実は残酷なのだよミオナ。
「お疲れ様・・・。」
ボクの沈んだ声でボクの今の気持ちを察してくれるよなミオナ。
「お疲れ様!」
さっきのキツいトーンとは打って変わって明るいトーンの事務部長の挨拶が背中越しに聞こえる。
「部長! 区の交通課の山岸さんからお電話が来まして・・・、先日区役所を訪問した時の・・・。」
ミオナと事務部長が面倒くさそうな話を始めようとしていた。ミオナはボクよりも十歳も若いのに、仕事は時間を切り売りするものという割り切った考え方ができず、給料以上の仕事を進んでやるところがある。
そんなところが就職氷河期世代の事務部長に気に入られているのか事務所で一緒に仕事をするにあきたらず外にしょっちゅう一緒に出かけている。
仕事にかこつけて外で遊んでいるのではないかと思う事もあるが、ボクより十歳も年上の事務部長にミオナがなびくはずはない。事務部長は金とポジションを使ってミオナにアプローチしているかもしれないが、ミオナは小悪魔的なところがあるから、いいように事務部長から金を巻き上げているだろう。
ボクにはミオナへの尽きぬ愛はあるが、残念ながら金とポジションはない。
(うーーーん。困ったなぁ・・・。)
ボクは事務室を出た廊下の窓から空を見上げながら考えた。来月から苦行の運転業務というのもあるが、皆に嫌われまくっている事を知ってしまった以上、運行管理室に戻りたくない・・・。
事務部長は運行管理部長は甘いからボクに対しての各所からのクレームをやんわりボクに伝えていたと言っていたが、本当に甘いんなら各所からのクレームを上手く処理して部下が働きやすい環境をつくるべきではないのか? ヤツの甘さはボクへの態度ではなくヤツの仕事への甘さだ。
会社を辞める・・・。
という選択肢もあるが、それも踏ん切りがつかない。今の職場(正確には一時間前までの今の職場)のような快適な環境の職場はそうそうない。ボクは前職でホームセンターでバイトとして働いていたが、ホームセンターは立ち仕事だ。仕事も品出しやら掃除やらやたらあるし、客の目もあるから勤務中にスマホで携帯小説を読んだりする事なんてできない。
そうだ! 思い出した!
今の会社よりも遥かにマジメに働いていた関わらず前職のホームセンターはリーマンショックの煽りで就職できなかったボクに「五年勤めらたら正社員にしてあげるよ」と言って、通常業務だけではあきたらず、散々面倒くさい社内研修に何度も参加させたあげく、五年経ったら「会社の経営状態が悪いので、悪いけどズッとバイトで」とかいってきた。
コンビニでさえ人手不足で辞められたら困るからバイトを正社員にしようとしているご時世に全国チェーンのホームセンターがなんて杜撰な経営をしているんだと思い、仕事を探し辞めてやった。
そのホームセンター、ボクが辞めて一年後に東証一部に上場していたが先は長くない会社だ。
「川本さん・・・?」
全身がビクッとした!
後ろからミオナに声をかけられたのだ。ボクが振り返ると、ミオナと事務部長が怪訝そうな顔をしてボクをみていた。二人はカバンをもっているから出かけるようだ。
「なんか、ブツブツ言ってましたけど・・・大丈夫ですか?」
「あ、えー、あ、大丈夫、大丈夫!」
ミオナに心配されてしまった。ミオナにはまだボクの前職での過酷な体験の話はしてはいない。
ちなみに、この会社の入社面接の時に事務部長と運行管理部長にこの話をしたら、
「大変だったねえ。」
「ひどい話だねえ。」
と、ひどく同情された。あの二人でさえ、あんなに同情してくれたのだがら、ミオナに話したら
「よく耐えましたね。ノリヒロさんは立派ですね。」
とボクをぎゅっと抱きしめて優しく微笑んでくれるだろう。
(ん? まてよ・・・。)
そうだ、ボクが先ほどの実質クビ宣告にやっぱり不服があるということを、ミオナがいるこの場で事務部長に言ったらどうだろう。
それを聞いたミオナは事務部長に異議を唱えてくれるはずだ。
事務部長がミオナに邪な思いを抱いているのならミオナのお願い事をきいてくれるかもしれない。
でも、ボクとミオナの関係を知ってしまって事務部長が頑なになってしまったら?
いや、だとしたらミオナはノリヒロさんにそんな仕打ちをするクソ会社なんて、ノリヒロさんと一緒に辞めてやるというだろう。彼女はそういう女性だ。
ミオナと事務部長は歩き出していた。
(あとはボクの勇気次第か・・・。)
ボクの一言でもしかしたらミオナの人生がガラリと変わってしまう事になるかもしれない・・・。
ボクの中に一抹の不安が生じた。
ミオナの性格ならここを辞めても直ぐに仕事を見つけられるだろう。だがボクはどうだろう。
ここに入社した時、平均年齢が50歳オーバーのタクシー会社で27歳のボクは、
「若い」
というのが決め手になって今後の伸びしろに期待するよと言われ採用された。
だが、今は32歳。座り仕事ということと、もとより体を動かす習慣もないので、お腹も服の上からハッキリ分かるくらいでてしまっている。
体を使う仕事は難しいだろう・・・。
パソコンは業務で使っているが事務職が使うように使えるわけではないし、事務職となると時間を切り売りするというよりも、業務量をこなすことが求められる。「最低限」のハードルが高い。
他人と話すことを生業とする営業職なんて以ての外だし・・・。
そんな事をゴチャゴチャ考えているとミオナと事務部長はどんどん進んで一階へと続く階段に差し掛かろうとしていた。
階段を下りた先の脇は運転手が営業車のカギの受け渡しや点呼を行う運行管理室のカウンターがある。
さすがに衆人環視のもとで、この話はできない!
ボクはありったけの勇気を振り絞った。
足が思うように動かないぎこちなさを感じながら、何か月ぶりにしただろうかの速足をしつつ、
「事務部長ー! お話がぁ。」
と事務部長に声をかけた。
「うん? どうした?」
事務部長は振り返ったが、ミオナは事務部長の横顔に向かって、
「先に行って車、入口前にもってきときますね。」
と呟いた。事務部長は無言で頷く。
(え!? ミオナ!?)
気が利く女だよー、お前は本当に!
ミオナは自分が聞いてはならないような高度な話をボクと事務部長がすると思い、その場を去ろうというのだろう。お前のボクへの過大評価は本当に嬉しい! だが今日は違うんだミオナ!
ミオナが事務部長から階段へと向きなおろうとした瞬間だった。ボクの足はもつれ、ボクは派手に転びそうになる!
事務部長とミオナは「あっ!」という表情を浮かべる。
そして、ボクの両方の手の平とワガママに成長を続けている腹が同時に地面を叩きつけようとした瞬間、ボクの腹の下敷きになる床から光が溢れ出てきて一気に床一面を覆いつくすように広がるのと同時に光の柱をあげ、ボク達はその光の洪水に呑まれた。
「キャー!」
「なんだこれはー!」
「!?」
ボクは猛烈な光により目を開けていることができなかった。
痛みはまったくなかった。
一秒程で光が消えたのがわかったが、とんでもない光を浴びたので暫く目を開けることができなかった。
ゆっくりと目を開けようとすると、
「おお、今回は三人も!」
という聞いたことがない人の声が聞こえてきた。




