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向上主任は怖くて無理

 莉世さん以降も何人かお客さんはやってきたけど、その全員が「ユタさんですよね?」と聞いてきて、「私は売り子で本人は今日いません」と答えてがっかりされるのを繰り返していた。


「うう……今日はいつもの売り子さんと違うから本人かと思ったんですけど……」

「な……なんだかすみません……しゅ、ユタさんにはちゃんと伝えておくので」

「いえ全然! まあユタさんの存在はもうジャンル七不思議って言っても過言じゃないですから!」

「えっ」


 やって来てくれた人曰く、ツブッターにおける主任は黙々と推しカプの妄想や漫画を投稿し続け、なんとなくずっと気になる存在ではあるのにまったく姿を現さない謎の人という立ち位置らしい。


「だから無闇に触れると世界の深淵に触れるみたいなものなので……」

「そんな妖怪みたいな扱われ方を……」


 しかし確かに、主任のツブッターってプライベート一切明かさない妄想botみたいなもんだしな。実在してる場面が見えないと、ちゃんと生活してる生身の人間なのか怪しく思う気持ちは分かる。


「まあ、楽しそうに活動されてるのが分かっただけで満足なので! この本ください!」

「はっ、はい! 200円です!」


 印刷部数聞いた時、頒布数こんなに少ないんですかって主任に聞いたら「いっつもこれの半分しかなくならない」って言ってたけど……本当にそうだ。

 結構時間経ったのに、半分やっとはけたくらい。ま、マイナーカプだし、主任も積極的に宣伝したりしてないし、こんなもんか。

 主任から届いた『人並みに押されて帰ってこれない(´;ω;`)』という情けないRINEを既読無視して、お茶を飲む。

 一般参加も楽しかったけど、サークル参加も楽しいな……。

 スペースに来てくれる人は少なくとも与四鈴が好きだったり興味あったりする人って分かってるし、与四鈴の人見つけてフォローしたり出来るし。

 私自身、交流したいタイプのオタクではないけど、莉世さんの言葉を借りるなら「同志とは全員繋がりたい」しね。


 そんなことを考えていると、「すいません」と低い声が落ちて来た。


「はっ、は……い……」

「これ読んでもいいですか」


 顔を上げると、男の人と目が合う。

 だいぶ横幅が広く、着ているTシャツの柄がすごい伸びている。曇った眼鏡越しにじっとりと同人誌を見つめるその人にこくこくと頷くと、「ども」と同人誌を開き始めた。


 これ……これ、もしかしなくても。


「ふん……ん……」


 腐男子だ!!


 間違いない。

 だって鼻息荒めにR18の同人誌読んでるし、特に出会い厨っぽくはないし、ゲイ……かどうかは分からないけど、とにかく腐男子ではあると思う。だってわざわざこんなマイナーカプのスペースに足運んでくれてるわけだし。

 主任に後でRINEしとかないと。というか、この人のSNS聞いとかないと。


 男の人は本を最後まで読んでしまうと、私の方に目を向けた。


「ちょっといいですか?」

「はい」


 ユタさんご本人ですかって聞かれるんだろうと思って、次の言葉を喉の奥に準備する、と。


「絵はエロいのに内容がスカスカで、全然エロくなかった。正直騙された気分なんだけど」

「……へ?」

「なんていうのかな、リアリティがないっていうかね? どうせおたくもBL本だけで男の体の仕組み分かったようになってるクチでしょ」


 ……ん? なんか、思ってたのと、違うな?


「こういうの表紙詐欺って言うんだよ? 良くないことしてる自覚あるのかなあ?」

「えっと、これ、実は」

「ああ、大丈夫大丈夫、怒ってるわけじゃないから」


 男の人の腕がにゅ、とスペースの中にいる私の腕を掴んだ。


「僕がリアリティのある作品の作り方を教えるから、この後メシとかどう?」


 ひゅっと喉が鳴る。

 人生でこんな経験なかったから、どう対応したらいいか分からない。困ります、とか細い声で言っても、聞こえなかったらしくて「はぁ?」と大きな声で聞き返された。


「ほら、撤収準備して! どうせ売れないんでしょその同人誌! 早くしないと僕も忙しいんだから!」

「えっ、と、あのっ……!」


 振り払おうとしても出来なくて、余計に強く腕を掴まれた。痛い、何これ、どうしたら……!


「うちの売り子に何か用ですか」


 聞き覚えのある声がした。


「っは……ぇ?」


 男の人と私がほぼ同時に声の方を向くと、主任が立っていた。


 なぜか眼鏡を外していて、よく見えないのか眉間に皺を寄せて男の人を睨みつけている。そのせいで男の人は「オッ」と情けない声を出して私から手を離した。


「いっ、いや、僕はちょっとアドバイスを……って、売り子?」

「アドバイスとかいりません。うちの売り子が怖がってるので、さっさとどっか行ってもらえませんか」


 男の人は私と主任を交互に見て、私を睨んだ後、逃げるようにその場を走り去った。

 ……な、何だったんだあれ……ナンパ? イベントで?

 呆然としていると。


「美澄大丈夫だった!?」


 主任がでっかい声でそう言ってきた。なんであんたが半泣きなんだよ。


「やだマジ怖い何あの人……腕掴まれてたよな!? 怪我してない!?」

「してないですけど、うるさいんで早くスペースに戻ってもらっていいですか?」

「辛辣!!」


 主任は行く時より随分重そうになったリュックを前に抱えて、スペースの中に戻って来た。


「っていうかメガネどうしたんですか。なくしたんですか?」

「いや、くっきり見えちゃうと怖くて相手出来ないから外してから声かけた」

「クレ●んにそんな先生いましたね……」


 主任はメガネを掛け直して、「あっ、本がだいぶ減ってる!」と言った。


「本当に大丈夫だったか? 怖かったろ。ごめん、あんな人来るって思ってなくて」

「怖くないですよ、あれくらい。ただ、初めてなので困っただけで」


 そう、困っただけ。怖いなんて思ってない。私がこんな見た目だから今まで遭わなかっただけで、きっとよくあることなはずだ。


「私が慣れてないだけで、別によくあることだと思いますし」


 だから、怖くない。

 今日は同じカプを推してる人と繋がれたし、初めてサークル参加出来たし、いい日だった。楽しかった。それだけでもういい。

 項垂れると、主任が戸惑うように私を見た。


「……慣れなくていいだろ。怖いは怖いじゃん、あんなの」

「こんなんでいちいち心乱されたくないです……」

「はぁ!? 感受性が死んだらオタクは死ですよ!?」

「主任が感受性高すぎなんですよ……なんですかメガネ外さないと怖くて助けらんないって」

「仕方ないだろ……怖かったもん」

「もんじゃないんですよ……」


 男の人の大きい声とか、ああいう圧みたいなのって、私は結構平気な方だと思ってた。だって、主任めちゃくちゃうるさいのにこんなに一緒にいれるし……。

 でも、もしかしたら、それは男の人がどうとかじゃなくて主任だから……。


「あっ、そういえば与四鈴はなかったけどオールキャラ本は結構あったから買って来た! で、これとかこれは別ジャンルだけど美澄に絶対勧めようと思って買ったやつ!」

「ま〜たゴリゴリのR18本ばっか買って来ましたね……」

「帰りにカラオケ行って一旦全部読む会しよ!」

「欲望抑えきれてないじゃないですか。のぞむところですけど」


 あっ、そっか。

 私、主任のこと男と思ってないんじゃないか。


 いらない気付きを得る頃には、体の震えはおさまっていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


向上優鷹:映画はユメ●ーワールドが好き

美澄希空:映画はヘン●ーランドが好き

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