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向上主任は隠れたい

「じゃあ美澄、もう一回確認するけど……軽食と飲み物は」

「エネルギーバーとお茶持ってきてます」

「代金受け取る前に」

「年齢確認ちゃんとします」

「『ユタさん本人はいらっしゃってるんですか?』って聞かれたら」

「今日は来てませんって答えるんですよね。……そんな何回も確認しなくても分かってますって」


 スペースの設営もご近所のサークルさんへの挨拶も終えて、あとは開会の時間を待つだけ。

 サークル参加は初めての私がここまで落ち着いていられるのは、やはり。


「始まっちゃう……始まる……今回こそうっかり未成年に売っちゃって訴えられて職場バレどころか世間バレとかそういうことになるんだ俺なんていう奴は……」


 何度もイベントを経験しているはずの主任が隣で真っ青な顔で震えていることが大きい。


「既刊も4冊あるし、サークル参加なんて何回も経験してるから任せろって言ってたのに……」

「そう……何回も経験して毎回こんな感じなんだよ俺は……」

「オタ活で精神削ってるんですか?」

「違う……オタ活で魂を研磨してるんだ……」

「ちょっと何言ってるか分かんないです」


 いつも主任は情緒不安定だし情けなく見えるけど、今日はいつもより可哀想に見えるのは擬態をまったくしてないからだろう。

 セットしてないぼさぼさの黒髪、野暮ったい黒縁眼鏡。改めて見るとよく初見でこれが向上主任と気付いたな、と自分に感心する。


「こうやって一人でも多くの与四鈴の同志達に形となった妄想を届けることで徳を積んでるんだ……」

「なんでオタクって徳積みたがるんでしょうね」


 そうこう話してると、開催を知らせる放送が聞こえてきた。主任が急に背筋を伸ばして、ぱちぱちと拍手を始める。


「えっ」

「開会の時には拍手するんだよ。サークル参加しないと知らないよな」


 確かに、両隣のサークルさんも拍手してる。私も主任に倣って手を叩くと、主任がふ、と笑った。


「……なんですか」

「いや、美澄が緊張してるの見たらなんかこっちが緊張してんのアホらしくなった」


 あんたがそれ言うか。


「そりゃ緊張しますよ。初めてなんですから」

「この際慣れちゃって、美澄も同人誌出したらいいよ。与四鈴の人口増やすぞ!」

「私画伯なんですけど大丈夫ですか……?」

「供給があるなら何だって嬉しい!」


 ……まあ、主任が楽しそうだから、いいか。



 開場して、1時間。一般参加の人が増えてきた、のだが。


「案外、売れないんですね。やっぱマイナーか……」

「シッ! 違います! 俺の同人誌が未熟なだけで与四鈴は実質メジャー! 実質メジャーです!」

「現実見てくださいよ……与四鈴、ピクシヴの投稿件数が二桁なの忘れたんですか……」


 主任が『ドルスト』で出してる既刊は全部買ったけど、はじめに見た時はびっくりした。


 なんてったって絵が上手すぎる。プロかと見紛うくらい上手い。ちょっと引く。


 現に、さっきからちらちらとこっちを窺う人や内容を確認だけして去っていく人もいる。みんな絵に釣られて、内容確認して、「なんでこのカプ?」ってなって買わないんだろう。予想でしかないけど。


「まあ俺のイベントっていつもこんなもんだから。どっちかって言うとメインは買う方だし」


 主任はもうのんびりとパンフレットを眺めている。まあこれって趣味だし、売れりゃいいってわけでもないのかも。


「もしお目当てのサークルもう決まってるなら、買ってきていいですよ」

「マジで!?」

「その代わり与四鈴本とドルストオールキャラ本があったら片っ端から買ってきてください」

「任せろ!」


 主任はリュックを背負うと慌ただしくスペースを後にした。

 水分補給、年齢確認、ご本人はいません私は売り子ですって返答。うん、大丈夫大丈夫。最初こそ結構緊張したけど今は落ち着いてる。

 この過疎具合だし、主任が戻って来なくても一人で売り子出来そうだ。


「あっ、あの!」

「はいっ!?」


 とか思ってたら話しかけられて肩がびくっと跳ねた。

 顔を上げると、まだ大学生くらいの女の子が顔を真っ赤にして立っている。目があった途端にその子はばっと紙袋を差し出してきた。


「ゆ、ユタさんですよねっ! いつもツブッターとピクシヴ見てますっ! 無言フォロー失礼しましたっ! これ差し入れです!」

「えっ、あの」

「自分、以前から与四鈴が気になってて! でも供給が本当に少ないカプなので日々飢えてて、そんな時にユタさんの作品に会ったんです! ほんと救いでした!」

「いや、えっと」

「前のオンリーイベントには来れなかったんですけど、今回は死に物狂いで来ようと思って、それで、それで」

「あ、あの、落ち着いてください! 私売り子で本人じゃないです!」


 私がそう言うとその子ははっと目を見開いた後に、ぶわっと汗をかき出した。


「あっ……す、すみません! 興奮して……っ! あの、今日はユタさんは……」

「欠席です……」

「そう……ですか……」


 女の子があからさまにしょげてしまった。

 こ……こんなに熱烈な人がいるのにあの男は男ってことが気になるってだけで嘘をつくのか! この人絶対会いたがってるよ、ユタさんご本人すなわち主任に!

 教えてやりたい……本当は来てます、今買い物行ってるから後で来たら会えますって、教えてあげたい。

 でも……。


「す……すみません、さっき言ってたことは、ちゃんと私から伝えておくので……」


 私は主任を隠すことを選んだ。

 主任の世界一いらない授業のことが脳裏に浮かんだからだ。出会い厨とかゲイとか誤解されるのも、それをいちいち解く手間も、私が勝手に決めていいことじゃない。


「はい……お願いします……あと、この2冊ください……」

「あっ、900円になります。年齢確認できるものは……」

「免許証あります。どうぞ……」


 しょんぼりした顔のまま私から本を受け取って、女の子は踵を返そうとする。

 なんとも居た堪れなくなって、「あの」とその背中を止めてしまった。


「あの、与四鈴推しの人って私滅多に会えなくて……その」


 ああ、めっちゃ訝しげな顔してる。でも、なんかあの背中を一人にしておくのはちょっと、でも、いやもう腹を括れ美澄希空。


「よかったらツブッター聞いてもいいですか……?」

「えっ……売り子さんも与四鈴推しなんですか……?」


 女の子は目を丸くした。


「じゃなきゃ売り子なんかしてませんよ。創作活動とかは特にしてないんですけど、それでもよければ」

「全然構いません! 与四鈴の同志とは全員繋がりたいのでっ!」


 その気持ちめちゃくちゃ分かる〜〜〜!!

 マイナーカプに出会うと語る場を何としてでも確保したくなるもんね……。

 スマホを取り出して、ツブッターのQRコードを出すと女の子が読み込んで、私とその子……莉世(りぜ)さんは相互フォローとなった。


「えっ……莉世さん小説書かれてるんですか!?」

「は、はいっ! でもほんと下手なのであんまり読まないでください!!」

「いや全部読みますよ。本出てないんですか」

「あ……あの、冬コミで与四鈴アンソロ企画してたり……」

「絶対読みます!! 買います!!」


 一通り盛り上がって、莉世さんが満足そうな笑顔で同人誌を抱えて去る後ろ姿を見てようやくほっとした。


 今が初対面だけど、莉世さんなら主任が男って知っても大丈夫な気がする。だってあんなに会いたがってたし。

 ……まあ、それを決めるのは私じゃなくて、本人だ。


 恐らく売り子らしき主任に『莉世さんって方から差し入れ届いてます』とRINEを送る。


『エッ、いつもツブッターで与四鈴妄想連投してる限界腐女子の人じゃん』

『その言葉そのまんま主任に返しますからね』

ここまで読んで頂きありがとうございます!


向上優鷹:HNはユタ

美澄希空:HNはみのむし

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