向上優鷹はもう大丈夫
売り子を頼んでた姉が他の併せと被ったとかで急に来れないとか言い出した。
ものは試しで仙太郎に頼んでみたりしたけど、案の定断られた。
もうサークルチケットも新刊も準備してしまった中で、不参加なんて勿体無い。
もし誰かに何か聞かれたら、「自分は代理でユタは今日来てない」「何の本かよく知らない」というていを貫こう。
そう意気込んだのに、スペースに来たのは直属の部下の美澄だった。
美澄希空……正直目立たないしあんまり話したことない。データ整理とかの事務仕事がめちゃくちゃ早いのとプレゼン用のスライド作るのがすごい上手いことだけ知ってる。あとスマホカバーが『ドルスト』のやつだから十中八九オタク。
でもこんなところで会う!?
「すみません」
必死に下を向いて誤魔化してたのに、そうやって声をかけられたらもう顔を上げざるを得ない。
「あの、この本……」
いや、意外と大丈夫かも!
そうだよな〜! 擬態してる時の格好とは似ても似つかないし、こんなキモオタ丸出しだったら誰も「氷の向上」とか言われてる奴と同一人物と思わないって! うんうん、絶対そう!
「……向上主任?」
だめでした。
バレとる! 反射的に顔を逸らしたけどもう遅い。だってめちゃくちゃガン見してきてるもん!!
頭の中に色んなトラウマが蘇る。BL本の所持がバレて誤解だけが一人歩きしていた時のこと、単に新刊くださいって言っただけなのに腐男子珍しいとか言って写真付きで呟かれかけたこと、フォロワーさんが『腐男子って正直出会い厨としか思えない』みたいな話をしていたこと……脳の芯が冷えるような感覚に耐えながら、どうにか言い訳をしようと美澄をアフターに誘った。
「……わかりました。イベント終わった後に会場前で待ってればいいですか」
その後焼肉屋では動揺しすぎて情けない姿を晒しまくったと思う。
あの時の美澄はひどく冷静に見えたけど、今思うとだいぶテンパってたんだろうな。
でも、美澄はすんなりと俺の趣味を受け入れた。
最初はそれだけだった。誤解とか決めつけなんかしないで、ただ好きなカプを語れる女友達。俺に男らしくしろとか、男のくせに情けないとか、男なんだからとか言わないでただ一緒に遊んでくれる、大事な友達。
一緒にいると楽しくて、普段は自分はいつでも冷静ですみたいな顔してるくせにふとした時に泣きそうだったり恥ずかしがってたりするのがどうしようもなく可愛くて、気付いたらいつもいつも美澄のことを考えるようになっていった。
何度も踏みとどまろうと思った。
たしかに美澄はモテる方じゃない。でもそれは表面しか知らない奴が勝手に言ってるだけで、知れば知るほど美澄は可愛いし優しいし一生懸命でいいところばっかりだ。
俺なんか釣り合わない。
もっといい人が他にいる。俺みたいに情けない奴じゃなくて、俺みたいに変な趣味もしてなくて、俺みたいにうるさくなくて、もっと美澄に相応しい奴がきっといつか現れて、俺はそれを祝ってやればいいと思ってた。
美澄はいっぱいいいところがあるから、大丈夫。そう思ってたのに。
「一人で帰ります。もういいです。さっさとどっか行ってください……」
あの、仙太郎が美澄に振られた夜。派手に転んだのに手も借りようとしないで、美澄は下を向いたまま泣いていた。
美澄は可愛い。高い声出してすごいって言えなくても、目きらっきらさせながら「最高じゃないですか」って言ってくれるの、すごい嬉しい。お洒落じゃないとか思ったことない。いつも可愛くしてるよ、ほんとに。仕事だって今は愛想笑いが下手で契約取れてないけど、事務仕事早いし商談の時の説明だって分かりやすいし丁寧だからすぐに出来るようになる。性格は……意地っ張りだしすぐ暴力に訴えるし興味ないことはとことん興味ない。なのにそういうところが、めちゃくちゃ可愛くて仕方ない。
「……ごめん、美澄。もう誤魔化したり、嘘ついたりしない。だから、ちゃんと聞いて」
そういう感情をすべてひっくるめて、なんて言うか分かってた。
♢
「向上さん、もう定時過ぎてるけど大丈夫ですか? お子さんのお迎えとか……」
新人の浅井くんからそう言われて、パソコンから目を離さずに「大丈夫」と返す。
「今日旦那に任せてるから」
「えっ、向上課長に!? うわ、やっぱ噂通りの嫁コンなんですね!?」
「うるさいな」
しかしそのおかげで心置きなく残業が出来るわけだ。
「ほら、口じゃなくて手動かしな。浅井くんが消したデータの復元してるんですよ今」
「ほんとすいません……」
主任と付き合ってからというものの、あの馬鹿正直な愛情を一心に注がれて、私なんかとか言う暇もなく、当然の流れのように結婚して、もうずいぶん経つ。
32歳になった私は、結婚を機に異動したマーケティング部で新人教育を任されるような立場になっていた。24歳の頃の……優鷹くんと付き合い始めた頃の私が聞いたら荷が重過ぎて卒倒しそうな話だ。
「えー、これ誰に聞いてもよく分かんないって言うんで直接聞くんすけど、向上課長と何きっかけで付き合ったんすか」
「ひょんなことから」
「いや漫画のあらすじか。もっと真面目にお願いします」
「……共通の趣味があったから?」
「ああ、向上課長もガチオタなんでしたっけ」
優鷹くんは自分の趣味を会社であまり隠さなくなった。
さすがに腐ってることやら同人誌描いてたことはあまり公にしてないけど、アニメが好きなのも漫画が好きなのも、社内の全員が知っている。それに伴って……というより、化けの皮が剥がれて、「氷の向上」なんて呼ばれなくなって久しい。
江間さん……もう旧姓だけど、呼び慣れてるから江間さん。江間さん曰く、冷たくなくなったせいでハードルが下がったからきっと苦労するよって言われたが、今のところあまり苦労はしていない。
たまに何課の誰が優鷹くんに猛アタックしたとかって話を聞くけど、それ以上に。
「でもすごいっすよね〜。あんなにモテるのに付き合ってる頃からずっっと向上さん一筋なんでしょ? あの人飲み会で嫁と子供の話しかしねえって同期に聞きました」
「アニメの話もするでしょうが」
「あ、そうか」
優鷹くんが私以外を選ぶところが想像も出来ないので、私はあまり不安に思うこともなくここまで来た。
消えたデータの復元を終えて、席を立つ。
「さ、帰るよ。急がないとやばい」
「え? お迎え任せてるんじゃないですか」
「料理は私がしないとやばい。あの人ゆで卵とホットケーキしか作れないから」
「やば……」
まあこれは言い過ぎか。簡単なものなら作れる。ただ未だにカレー作らせると野菜が生煮えなだけで。
席を立って、帰りの準備をする。オフィスの窓ガラスに反射する自分の姿がちらりと見えた。
未だにこんな私のどこにあそこまで好き好き言える要素があるのかわからない。でも、優鷹くんも前に同じようなことを言っていて、私たちはずっと同じようなことで悩んでいたのだと知った。
結婚を機に引っ越したマンションは駅から少し歩くものの、そのおかげで健康診断の結果がいいのだと自分に言い聞かせ続けている。それに歩いて5分で本屋があるし、結構いい立地なのだ。
「ただいま……」
「だから前がとんがってるのは試作機なの! 100番台はちがうの!」
「待って待って待って分からん! 描いて説明して!?」
「描けんからパパにかいてもらってんじゃん!」
帰ったらオタクがオタクに虐められていた。
もう一度少し声を大きくして「ただいま」と言うと、白熱した議論から目を覚ましたように二人してぱっと目を輝かせる。
「ママ〜!! パパがなんも描いてくれん!」
「いやメカ系はほんと専門外だから! もっとロリキュアとかガチレンジャーとか言って!?」
「仙ちゃんはたのんだらかいてくれたもん!」
「仙太郎はトレスだったじゃん! そらでは無理だって!!」
「分かったから落ち着いて」
駆け寄ってきた葵を抱えると、なんだか昨日より重くなった気がする。葵は私にしがみついて、優鷹くんの方に舌を出した。
「パパが好きなもん描いてあげるっていうからおふろはいったのにさ〜!」
「それは頑張らないと。何描いてるの」
「電車……」
「でんしゃじゃなくてでんききかんしゃ!!」
「わっからんてぇ……」
恐らく資料としてタブレットに表示している画像やら鉄道の本やらを眺めながら、優鷹くんが深いため息をついた。
「じゃあまだ葵先生のご指導でもう少し頑張ってもらって、私はご飯準備するんで」
「今日ごはんなに?」
「オムライス」
「やった!!」
献立で機嫌をなおしたらしい葵は、やれやれとわざとらしくため息をつきながら優鷹くんの隣に座る。
「しゃーないから教えるね? ちゃんとかけんといかんよ、パパ」
「こんな上から目線のリク初めて」
最近鉄道にご執心の我が子からいじめられながら、優鷹くんがせっせと画用紙に絵を描いていく。
前に葵のあの強引に布教するところは誰に似たのかと優鷹くんは愚痴っていて、どう考えてもあんたの遺伝だろと返した。びっくりした顔されたけど自覚なかったのか。
「どうがみたらパパも100番台好きんなるから見て!」
「ええ?」
「一回! 一回でいいから!」
ほら、私も優鷹くんから同じようなこと言われたことある。一人で思い出し笑いしてると、葵から見つかって「ママ笑ってる」と嬉しそうに言われた。そんなに珍しいもんかね。
葵が寝静まったのを見届けて、日課であるツブッターの監視をする。
最近ハマった推しカプはまたしてもマイナーで、検索せども検索せども昨日と同じアカウントしか引っ掛からなかった。
その中には。
「推しカプ、俺以外のアカウントまったく増えてないんだけど……」
隣に座る夫の二次創作アカウント、現在はただの妄想呟きbotと化してるアカウントもしっかりあった。
また推しカプが被っとる。ここまで来るともう面白さすら感じてくる。前世は兄弟か何かだったのか?
「マイナーなんでしょ」
「マイナーじゃないもん……世界が追いついてないだけだもん……」
「もんじゃないわ。リク受け付けてないんですかこのアカウント」
「あ〜……今度保育園のお泊まり会があるんでイラスト一枚くらいなら描ける気します」
そんなこと言って結局葵のこと心配で見に行ったりするでしょ、と返すとしませんと食い気味に答えられた。絶対するな、こいつ。
「あ……そういえば会社の人に腐ってるのバレた」
「へえ……へ!?」
「あっ、しーっ! しーっ! 葵起きるから!」
思わず口を塞いで、優鷹くんの言葉を脳内で反芻する。
「……マジ?」
「マジ……昔ドラマ化した商業BLあったじゃん? あれの話になってうっかり『原作からだいぶ改変入ってたよな』みたいなこと言っちゃって……」
「ば……馬鹿……」
そういう迂闊さで高校の頃もバレたんじゃないのか! しかし後悔したところでもう遅い。
「……で、どうなった?」
「……別に、めちゃくちゃ普通に、『そうだったんですね』って」
「え」
あっけない返答に、素っ頓狂な声が出た。
「もっとびっくりされるかと思ったんだけど……なんかそうでもなかったな。あっちはあっちでびっくりしてたみたいだけど、俺が結構普通に言ったから、それで……」
「普通に、言えたんだ……」
「……なんかさあ、もう大丈夫かなって」
指先が触れる。
「誰にどういう誤解されても、少なくとも希空は俺のこと知ってるから。ずっと」
へにゃ、と柔らかく微笑まれて、こっちまでつられて笑った。
「そうね……知ってるよ。最後におねしょした年齢もお姉さんに聞いたから知ってる」
「もうアレと連絡とるのやめてくれない……?」
「やだよ、今ジャンル被ってるし今度ナカとお姉さんとイベント一緒行くし」
「えっ、なんでそれ俺誘われてないの」
ごちゃごちゃ話してると、葵の方から「ううん」と唸るような声が聞こえてくる。やばい、起こしたか。葵を見てみると、薄く目を開いた葵と視線がぶつかった。
「パパ……ママ……」
葵が今にも寝そうな弱々しい声を出す。
「な……なに……?」
「ガチレンジャーのレッドとイエローって……ほんとにただのともだち……?」
……いや、あんた、それは。
「我々に聞くと長くなるからもう寝な!」
声が揃った。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
あと番外編三つ、ドドドっと更新してこのお話は終わりになります。
色々ごちゃごちゃ書きましたが、これはどこか自分に自信のない大人達が「もう大丈夫」って言えるようになるまでのお話です。
何のコンプレックスも世間体も恥も見栄もなく、「自分はこれが好きなんだ」って言うことが出来たらいいのにねって気持ちで書きました。
かつて色々気にして言いたいことを飲み込んだ紳士淑女の皆さんに刺さってくれれば幸いです。
向上優鷹(36):結婚するタイミングで昇進しました。もうちょっと昇進しそうだけど子供が大きくなるまで何が何でも定時で帰りたいので逃げ回っている。
向上希空(32):結婚するタイミングで異動しました。元々データ分析とかの方が得意分野なのでこっちの方が性に合ってた。
向上葵(5):凝り性で元気いっぱいな5歳児。最近は鉄オタ。将来は電車の運転士さんになろうか仙ちゃんになろうかガチレンジャーになろうか悩んでいる。




