向上主任はハードル低い
私はお酒でやらかしても、記憶に残らないタイプらしい。
それのせいで苦労したことも多かったから、記憶がちゃんと保持されてる人を羨ましいとすら思っていた。
しかし。
『マジですいませんでした……』
社員旅行2日目の主任とのRINEのやりとりを見ながら、記憶が保たれてるのもいいことばっかりじゃないんだなと思い直す。
主任はしっかり記憶が保持されるタイプだったらしく、酔いが覚めた翌朝には長文の謝罪RINEが送られてきていた。
『私もお酒でやらかして迷惑かけたことあるので大丈夫ですよ
でも次やったら殺します』
『肝に銘じます……』
ちら、と自分のデスクで仕事の準備をする主任の方に目を向ける。
社員旅行後初めての出社でどことなく浮かれてる社員が多い中、主任はいつもの通り無表情。まったくもってこんな情けない謝罪RINE送るように見えないし、ましてやあんなべたべた甘えてくるようには見えない。
……だめだ、あの酔っ払ってる主任のことを思い出すと変になる。もう考えないようにしよう。
そう思いながら自分の仕事にとりかかろうとすると、「さみーさみー」と元気な声が聞こえてきた。この騒がしい声は須賀さんか、と顔を上げると、案の定。
「おはよーございまーす!」
須賀さんが声高に挨拶しながら入ってきた。軽く会釈して、自分のことに戻ろうとする……が、妙に視線を感じる。須賀さんが何故か私を見てるのだ。なんだ?
須賀さんはそのまま視線を向上主任の方にうつし、そして。
「向上の彼女って美澄ちゃん?」
爆弾を投下した。
「……は?」
さすがの主任も青ざめている。須賀さんはそれを見て「いやさぁ」と続ける。
「社員旅行でお前と美澄ちゃんがくっついてるの見て」
「それは部屋に送ってったから……」
「妙に距離近かったから写真撮ったんだけど」
「なんで撮る……!」
「これ、お前と美澄ちゃん、キ……」
須賀さんが主任の方に向けようとしたスマホの画面を、主任ががっと手のひらで掴むように覆い隠した。
「別に、美澄がそうでも須賀に関係ないだろ……!」
一拍、沈黙を置いてから。
「えええええ〜〜〜〜〜〜!!?」
オフィスが、どっと騒がしくなった。
「待って、待って!? 嘘でしょ!?」
「仲良いとは思ってたけど、それはないって思ってたっていうか……!」
「っていうか美澄さんも言ってよ〜!!」
一気にデスクのまわりに人が集まってくる。
だからあんなとこでいちゃつくのとか嫌だったのに!!
しかし起こってしまったことはもう引っ込められない。苦笑いと愛想笑いの間みたいな微妙な笑顔をして誤魔化すしか出来ない私を見て、皆がさらにざわめいた。
「でも意外だよな、向上ってあんな感じの子が好みなんだな」
須賀さんが、皆思ってたけど言わなかったであろうことを遠慮なく口にする。
「見た目より性格重視、的な? まあ結婚考えるならそうなるよな〜!」
ひどいとかそんなことないとか小さな声で聞こえてくるけど、その声の中に笑い声が混じってるのを聞き逃さなかった。
まあ、そうだよな。あの向上主任の彼女が私なんかじゃがっかりするよな。分かってはいたけど、実際にその反応を受けるときゅっと喉が詰まるような感覚がする。
でもたったそれだけだ。全然平気。平気なのに。
「美澄は……優しいし、可愛い、だろ……」
童貞が耳まで真っ赤にして反論しやがった。
「氷の向上」と呼ばれる主任らしからぬ顔に、その場の全員が静まり返る。
「うそ……」
「ガチ惚れじゃん」
「えっ、美澄さん何したの!?」
「向上主任のあんな顔初めて見た!!」
主任は一回深く呼吸すると、すん、といつもの無表情に戻って席に座り直す。そして何でもないように「始業時間」と時計を指差した。あと5分あるんですけど。
しかし向上主任がそれ以上は何も言わなくなったので、ざわつきはありつつもみんな仕事の準備にとりかかる。
「おはよう……あれ? 皆どうかしたの?」
何も知らずに入ってきた課長が敏感にオフィスの違和感を嗅ぎ取ったはいいものの、誰も何とも答えられずにいるのが気まずくて仕方なかった。
♢
完ッッッッ全にやらかした……!!
社員旅行で酔っ払って美澄にべたべたした時点でだいぶやらかしたと思ったのに、それよりによって須賀に見られる!? っていうか写真まで撮るなよ!! なんであの人昔からあんな無神経なの!?
後悔しても仕方ない。とりあえず昼休憩入ったら美澄と直接話して謝罪と弁解を……。
「美澄さんランチ行きましょ!」
「お話聞かせてくださ〜い!」
と思ったら、なんかキラキラした女の人に美澄が囲まれとる!! 営業だけじゃなくて経理とかマーケの人までいる……。
あの中に乗り込んでいく勇気がなく、まあ定時後に美澄の部屋行けばいいし、と内心で言い訳をしながら口をつぐんだ。
「向上、飯食いに行こうぜ! 色々聞きたいことあるし!」
諸悪の根源である須賀がへらへら笑いながらそう声をかけてくる。
「いや、もうパン買ってるから、別に」
「あたしも、久しぶりに向上くんとご飯食べたいなぁ」
かつかつとヒールの音が響いて、オフィス内の男性社員が一気に黙った。あのうるさい須賀も呆気にとられたような顔をしている。
その視線の先にいるのは。
「江間……」
「KNDコーポレーションのことで聞きたいことあって。ランチミーティングしよ、向上くん♡」
髪を切ったことで大天使感が増した江間だった。
前に告白的なことをされた時以来、江間とは事務会話以外していない。それがなんで今更、と思うが、有無を言わせない笑顔を前に頷くことしか出来なかった。
江間は俺と須賀を会社近くの中華料理屋に連れ込むと、こっちの話を何も聞かずに「チャーシューメン、ニンニク抜き油少なめ麺固め三つ!」とテキパキと注文を済ませてしまった。
なんか江間って前にも増して強引になったなあ……。
「えっ、江間さんなんでオレも誘ってくれたの? あの、もしかしてオレのこと……」
「その場にいたから一緒に誘っただけで特に須賀さんに用事はないよ♡」
にやつきながら江間に話しかけた命知らずもとい須賀を一刀両断すると、江間は頬杖をついて俺を睨んだ。
「マーケの後輩の子から聞いちゃった。向上くん、美澄さんと付き合い始めたんだ。おめでと〜♡」
「あ……アリガトウゴザイマス……」
「向上くん。あたし前に言ったよねえ? 美澄さんが大事ならちゃんと距離保ってあげないとって」
怖!! おっしゃる通りなんだけど目ぇ怖!!
しかし実際、前にも江間にそう言われてるし、俺と美澄が付き合ってるって話が出ただけであんな騒ぎになると思ってなかった。
「やっぱり、職場内っていい顔されない……」
「向上くん、この期に及んでまだそんなこと言ってるの?」
「ひ」
江間の低い声が怖くて喉がひゅっと鳴った。
「向上くんってモテるんだよ。皆ハイエナみたいな顔して狙ってるんだけど、本当に自覚ない?」
「ちょ、ちょっと江間さん、それは大丈夫なんじゃねえかな」
須賀が見かねて話の輪に入ってくる。
「だってこいつ朝から美澄ちゃんのこと可愛い優しいってノロけてきたし、ラブラブなの伝わってきたし!」
「そんなの奪っちゃえばいいじゃん」
ずばっとした江間の物言いに須賀が撃沈した。
奪っちゃえば……って彼女いるのに!?
いや、NTRのBLとかアホみたいにたくさん見てきたわ……。あんな奴より俺にしとけよってやつか……。
いや、でもそれは恋人が最低な奴だった場合で、美澄は……。
「分かんないわけじゃないよね? 美澄さん、モテるタイプじゃないよ」
なんとなく触れたくなくて触れなかった部分に、江間が堂々と殴りかかってきた。
美澄は可愛い……けど、それは俺にとって、で、他から見たらどう映るかも、なんとなく分かる。大学の頃江間といた時には言われていた「付き合ってるの」とか「お似合いだよね」みたいなのを、美澄といる時には誰からも言われなかったのも、自覚してなかったわけじゃない。
「私が向上くんを好きならこう思うな。あれが彼女なら奪えるわって」
「お……女の人って怖え〜……」
「須賀さん知らなかったの? ……案外うぶなんだ」
江間が微笑みかけると、須賀があからさまにデレデレし出した。男子校だし同級生のこういう反応見たことないから、すごい複雑だな……。
「しかもアニメとか好きなのもバレてるんでしょ? 前よりハードルすごい下がったと思うよ。共通の話題で一気に接近、みたいなね」
「あ〜、経理の南ちゃんとか、向上は雲の上の人って思ってたけどアニメ好きって聞いてチャンスあるかもって思ったって話してたなあ」
「ほら」
マジか……。
頭を抱えるのに、いい考えが浮かばない。美澄に俺のせいで嫌な思いしてほしくないのに、どうしたらいいか全く分からん……。
「そういえば美澄さん、オフィスにいなかったけど外回り?」
「あ、いや……他の部署の人とかにランチだなんだって連れ出されてて……」
「はぁ?」
江間がドスの聞いた声で聞き返してきた。
「それ、確実に詰められてるよ」
……マジで?
ここまで読んでいただきありがとうございます!
向上優鷹:好きなパンはさつまいも入りの蒸しパン。
美澄希空:好きなパンはたまごサンド。
須賀良太:好きなパンは焼きそばパン。
江間あずさ:好きなパンはクロワッサン。




