向上主任は擬態中
物件探しの手間はなくなったが、それでも引越しというのはなんだかんだ手がかかる。休日のたびに主任の家に荷物を運び込んで、ただでさえくたくたなのに。
「営業部の皆さんはこちらでーす! 奥から詰めてバスに座ってください!」
総務の人の声掛けに従って、観光バスに乗り込んでいく。
「社員旅行とか面倒って思ってたけど、温泉は嬉しいわよね〜!」
「ね〜! 美澄さん!」
座席に座る椎名さんと田中さんがはしゃぎながら私に同意を求めてきた。補助席に座ったまま頷いて、時計を見る。
社員旅行の出発の時間まで、あと10分を切っていた。
今日から2泊3日の社員旅行。山奥の温泉宿に行くだけだし、そこまでたいそうなものではない。
しかし引越しの迫るこの時期はやめてほしかった……。
そうは言っても私は所詮営業部の下っ端の下っ端、社員旅行の日付にケチをつけられる立場ではない。オタ活と引越し作業に使いたかったこの連休を犠牲にする他ないのである。
それは28歳児も同感らしく。
「向上主任って須賀さんと同じ部屋なんですよね? え〜、宴会のあとあたし達遊びに行っていいですかぁ?」
「俺は部屋出てるから、須賀に聞いて」
「だからオレは別にいいって! 向上も彼女がどうとか言ってないでたまにはハメ外せよぉ!」
「嫌だ」
前日まで行きたくないと駄々をこねていた主任は、いまだに諦めがつかないのか少しだけ不機嫌そうにしていた。普段の様子を見ていると、あの無表情かつ無感情に見える擬態中でも機嫌が分かるから不思議だ。
「ちょっと女の子と飲むくらい男の甲斐性だって!」
「甲斐性じゃない」
「えー? 彼女さん束縛きつくないですか〜?」
「きつくない」
声色からしてあれ心底げっそりしてるな……。あとでピクシヴの創作BLでも送っといてやるか……。
そんなことを考えてると、田中さんがそっと私の耳に顔を近づけた。
「……向上主任って、マジで彼女さんにベタ惚れしてるんですねえ」
「えっ!?」
「あっ、田中ちゃんも思った? ありゃすごい美人捕まえてるわよ〜」
「ね、見せないの納得しちゃったかも。とられたくないんですよね〜きっと」
知らんうちに椎名さんと田中さんの中で主任の彼女のハードルが爆上がりしている!!
「いっ、いや……案外普通の人とかじゃ……」
「ないないない! だってあの江間さんに勝てるような人でしょ!?」
それはそう!!
天使の江間の異名を持つ社内一の美人から言い寄られてるのにかわし続けたクールなイケメンというイメージが張り付いてる主任の彼女がこんな人間よりウリ坊の方が近い生き物でいいわけがない。
絶対バレるわけにはいかない……!
「でも美澄さん結構主任と話すでしょ? 研修の時とか一緒にやってたし!」
「オッ!?」
そう誓った矢先に話の矛先が自分に向いて変な声が出た。
「い、いやぁ……主任プライベートの話しないので……」
「え、仕事の話だけであんな仲良いんすか? 怖」
「あ、案外アニメとかの話とか?」
「そっ、そうですね! そういう話が多いかな!」
嘘はついていない。嘘は。
「主任がアニメ好きとか意外よね〜! 彼女の影響とかなのかしら!」
「ソウデスネ、ヨクワカンナイデスケド」
良心の呵責に耐えながら主任の秘密を死守する。こんな思いするくらいなら全部バレてしまえと思う時もあるが、前に枕営業疑惑が出ただけであんなにげっそりしていた主任を思い出すと踏み止まる。
可哀想だし、わざわざ吹聴されることでもないし、隠しててやらないと。
そう、人が気を張ってるというのに。
『バスの運転手さんがめちゃくちゃ顔がいい……!
イケおじ受の顔してやがる……!』
呑気な28歳児から呑気なRINEが来た時はスマホをぶん投げようかと思った。
♢
目的地である温泉宿はよく言えば伝統があり、悪く言えばちょっと古い。毎年うちの会社が社員旅行に使ってる、いわゆる御用達の旅館だ。
まだたったの2回目だというのにすでに見飽きた庭を通り過ぎて、宴会場へ向かう。宿のある本館とは離れたところに建てられたそこに行く間に、せっかく温泉で温まった体が冷えていくのを感じる。社員旅行は2月とか決めた奴がいたら名乗り出てほしい。一発はビンタするから。
そんなことを考えながら歩いていると、「美澄っ」と声をかけられた。
「寒いな〜! ここ」
「擬態してなくていいんですか」
隣に並んでくる主任にそう言うと、すっと真顔を作った。
「じゃあ逆に聞くけど、72時間偽れますか?」
「知りませんよ。去年とかその前とかどうしてたんです」
「一人の時を狙って気抜いてたんだけど、今年は……」
「向上!」
主任の言葉を遮ったのは、おそらく今年の主任の1番の不安要素。
「あとで経理の子とかと落ち合って行こうっつーのに、お前先に行っちまうんだもんな〜!」
須賀さんは豪快に笑いながら主任の隣に並んだ。私の存在には気付いていなかったようで、会釈すると目を見開かれてしまう。
「美澄ちゃんといたのか! ああ、君もオタクっぽいもんな〜! 話合うんだろ、向上オタクだし!」
「須賀、うるさい」
「そうだ、美澄ちゃんこいつから彼女の話とか聞いてない? こいつ最近何誘っても彼女が彼女がって冷たいんだよ〜!」
私がそうだとはまったく考えてなさそうだ。その方が都合がいいんだけど、少し複雑ではある。
「私は……聞いてないです」
「ええ〜?」
嘘はついていない。嘘は。
「宴会って他の部署の奴とかも来るから、美澄ちゃんも彼氏できるチャンスだな、なあ!」
「……単に親睦深めるってだけで、そういう場じゃない。美澄を変なことに巻き込もうとするなよ」
「お前ね、そんなカタいこと言ってたら人生つまんないだろ〜」
「須賀には関係ない」
須賀さんって佐倉さんと似てる感じがすると思ってたけど、佐倉さんより毒気がない。善意100%なぶん、言ってしまうと悪いんだが、かなり厄介だ……。
主任も同感なのかどんどん顔が強張っていってる。まあ、主任は初日から自分の個人情報全部バラされてるしそんな顔にもなるか。
「……美澄も絶対飲みすぎないこと。いいな」
あ、違う。顔強張ってるの私のせいか。
前の大失敗を思い出し、自然と顔があげられなくなる。
さっきの主任の言葉の続き、てっきり須賀さんの話だけだと思ってたけど、私のことも絶対入ってるよな……。
「肝に銘じます……」
「なになに? 美澄ちゃんって酔うと結構大胆なタイプ?」
「だから、須賀には関係ない」
そんな話をしているうちに、宴会場の前に着く。
「あっ、向上くーん!」
「須賀くんも! 座って座って!」
上司たちに囲われるようにして、28歳児は中に連行されていき、主任にとっては気の休まらない宴会が始まってしまった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
向上優鷹:幼少期から温泉が身近だったのであまり温泉にありがたみを感じていない。
美澄希空:温泉と普通のお風呂に違いなんかないでしょって思ってたけど社会人一年目の頃の社員旅行で「温泉ってすげぇ……」になる。
須賀良太:幼少期は実家が温泉ひけてたので温泉に対しあんまりありがたみを感じていなかったが社会人になって都会の温泉の高さを知る。




