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向上主任は馬鹿正直


 寮を退去しろと言われた期限まで、あと1ヶ月。


「ねえ、今すれ違った人すごいかっこよくなかった!?」

「だよねだよね!? 声かけちゃう!?」

「でも女の人一緒だったよ?」

「え〜、残念」


 道行く人とすれ違うたびに、そんな声が聞こえてくる。

 確かに、ちゃんとスーツ着て髪の毛セットした主任は、誰がどう見たってかっこいい。かっこいいんだけど。


「……美澄」

「はい」


 曲がり角をあと一つ曲がれば目的地、というところで主任が立ち止まる。


「ちょっ……心の準備いるから待って……心臓口から出ちゃう……」

「抑えて抑えて、まーた緊張で鼻血出ますよ」

「それ蒸し返さないでぇ……」


 主任がかっこいいのは、喋らなきゃの話である。

 喋った瞬間緊張しまくりのヘタレだしオタクの早口だしで台無しだが、まあ仕方ないと思う。恋人の実家なんてイベント、緊張するに決まってる。


「大丈夫かな!? 変じゃない!? 仙太郎に頼れないからいつもの職場スタイルになってますけど!?」

「職場で大丈夫なら大丈夫ですよ。緊張しすぎでしょ、主任」

「そういう美澄も顔めっちゃ青いけど……」

「……だって、初めてお母さんに頼まれたこと断るし……」


 曲がり角をあと一つ曲がれば目的地……私の実家に着く。深呼吸をしてから歩き出そうとするけど、なかなかどうしてあと一歩勇気が出なかった。


 主任から一緒に暮らそうと言われて、すぐにお母さんにRINEした。お母さんから次々と送られる詰るようなRINEに主任と二人戦々恐々としたものの、一通り送った後お母さんは満足したのか。


『それならそれでいいから、とにかくその彼氏をうちに連れてきなさい』


 そんなメッセージが来た。

 私としては主任を実家に連れて行くのは抵抗があったが、主任が「いや行くだろ」って聞かなかった。


「そんなに緊張するなら行かなくてもよかったのに……」

「いや行くだろ……美澄の家族からやべえ人って思われたくないし……」

「付き合って数ヶ月で同棲持ち掛ける時点で充分にやべえ人ですよ。ほら、行きましょう」

「だよな〜!! ごめんほんと、嫌ならいつやめてもいいから!」

「嫌とか言ってないじゃないですか」


 まだ喚き散らかす主任の手を引くと、自然と足が進むのは「私だけでもしっかりしなくては」という使命感からだろうか。

 実家のある団地は相変わらずどこか薄暗くて、中に入ると別世界に入ってしまったような不気味さがある。中学生の頃はこの雰囲気が怖くて、夜遅く家に帰るのが嫌だった。

 今日も曇っているせいで、どことなく気味の悪い階段をゆっくりのぼっていく。


「すいません、エレベーターなくて……」

「だいじょぶ……」


 主任は緊張で眉をぺっしょりと下げていた。それを見ているとこっちの緊張がどんどん緩んでいく。せめてもっとしゃきっとしたツラせんかい。


「この階の一番奥が実家です」

「はい……ちょっと最後に深呼吸させて……」


 こんなんで大丈夫かと思ったけど、鍵を開けてお母さんに声をかける頃には。


「希空、おかえり……その方が」

「初めまして。希空さんとお付き合いさせていただいてます、向上優鷹と申します」


 しっかり真顔で名刺まで出していた。一緒にいると忘れかけるけどこの人営業部のエースで擬態のプロなんだよな……。

 お母さんは硬い表情のまま、「そうですか」と名刺を受け取って、主任と私を居間に通す。お母さんと向かい合うみたいに座ると、お母さんと私の前にしかお茶がないことに気付いた。


「あ、私お茶淹れて……」

「いいの。希空。座ってて」


 お母さんの目がじっとりと主任を見る。


「単刀直入に言います。うちの娘をたぶらかさないでちょうだい」


 心臓が凍りつくかと思った。


「えっ、あ、あの、お母さん? あの、主任は」

「あんたは黙ってなさい」


 ぴしゃりと言われて、言葉が出なくなる。

 え、これは、何を言われてるの?


「おかしいと思ってたのよ。あんたなんかと一緒に暮らしたいなんて人がいるわけないのに、急に同棲なんて。でも今日会ってみて確信したわ。希空、あんた騙されてるのよ。自分でも釣り合わないって分かってるでしょう? 調子に乗るなってあんなに言ったのに、あんたって子はみっともない」


 淡々と私を責め立てる言葉に、呼吸が浅くなるのを感じる。


「希空はお腹を痛めて産んで、ここまで育て上げた大切な子なんです。あなたみたいなどこの馬の骨かも分からないような人に渡すために育ててきたんじゃありません。どうぞお引き取りください」

「……あの、僕は」

「もう喋らないでちょうだい。麗央と住まないなんて言い出すから何かと思ったら、こんなくだらないことだったの? だからお母さん、実家から出るのも反対したのよ。あんたなんかすぐに騙されるに決まってるって分かってたから。あんたみたいな、何の取り柄もないような子が一番危ないのよ。すぐ甘い言葉に騙されて、誰が本当に自分のこと考えてるかも分からないくせに、あんたなんか、調子に乗って」


 すうっと、頭の芯が冷え切ったのが分かった。


 もうお母さんが何を話してるのか聞こえない。もうやめてって言いたいのに、主任の手を引いてすぐに帰りたいのに、体がまったく言うことを聞かない。

 怖い。

 ずっと、認めてしまうのが怖かった。今だって怖くてたまらない。でも、これは認めざるを得なかった。

 私は、きっとお母さんから。


「あの!」


 主任が、大きな声を出してお母さんの言葉を止めた。

 顔を上げると、主任がへら、と笑っていた。何わろてんねん。


「美澄は全然、『なんか』じゃないんで!」


 がば、と肩を抱き寄せられる。雑に頭を撫でられて、初めて自分が泣いてるのに気付いた。


「みっともなくないし、取り柄なんか僕なんかよりたくさんありますよ! だから好きになったし、一緒に住みたいって思ったんです! 息子さんにはそちらから謝っといてください!」

「はっ……あなた何勝手言ってるの!? ダメだって言ってるのに……希空! お母さんの言うこと聞けないの!?」

「ぅ」


 声を出そうとしたら、今にも死にそうな吐息しかでなかった。

 どうしたらいいか分からないまま、主任の服の裾を掴む。涙がぼたぼた溢れて床が濡れた。


「……今日はもう帰ります。お邪魔しました」


 主任から目線で促されて、席を立つ。足が震えて上手く進めないのを、主任に支えられた。


「希空、待ちなさい! あんたなんか絶対に」

「分かってるよ!!」


 お母さんの言葉を止めたのは、堰を切ったみたいに溢れた怒鳴り声だった。でも、それ以上の言葉が出ない。


「分かってる……」


 私なんか、何の取り柄もない。調子に乗ってみっともない。自分に自信もないからすぐに変な人に騙されるように見えるし、主任と釣り合ってないことも分かってる。

 私なんか、って、分かってるのに、それなのに、逃げ出すんじゃなくて、進むような気持ちで、居間の扉を開けた。



 実家から少し歩いたところにあるコンビニのイートインに緊急避難みたいに入り込んだ私達は、席につくなり。


「はぁぁぁあ……」


 同時に深い深いため息をついた。


「ごめん美澄……やべえ人って思われたよねえアレ……」

「いや、私も……ボロクソ言われてたのに止めれなくてすいません……」


 二人してひどい顔をしている。なのに、不思議と胸のつかえがすっきり取れたような感じがしていた。

 さっき買ったコーヒーにストローを突き刺して、啜る。間違ってブラック買ったせいでかなり苦いし、これ結構ハズレの味じゃん。主任に押し付けると、「あは」とやっと笑っていた。


「人間って限界越えると笑っちゃうんだな……」

「限界って何のですか……」

「……ごめん、正直ムカついた。美澄は、全然『なんか』じゃないのに」


 私から押し付けられたコーヒーを飲んだ主任が、「まずいなこれ」とはにかんだ。


「美澄はさあ、私なんかってすぐ言うけど、全然そんなことないよ」


 私なんか、と口に出すたびに、いろんな人がそんなことないと言ってくれた。私はそれを全部お世辞だろうとか、気遣ってるだろうとか、そうやって受け入れないようにしてきた。調子に乗ったらみっともないから、私なんかが、って。


「めちゃくちゃ可愛いし、優しいし、落ち着いてて頼りになるし、俺がこんなんでも引いたり怒ったりしないで一緒にいてくれるし、そういうの全部、ちゃんと分かってるのにさあ……」


 膝が触れて、体温が伝わった。


「俺は、美澄が……」

「主任、私ですね」

「そこで切るか普通!?」


 うるさい。切って何が悪い。

 膝を軽くとん、と蹴ってやると、主任がむっつりと黙りこんでしまった。


「私なんか」


 お母さんよりも、麗央よりも、周りのどんな人よりも、私が私にそう言い聞かせてきた。私なんかだめだ。どう頑張ったって誰にも好かれるわけがない。だってお母さんですら私のことを疎ましく思ってるんだから。

 そう、思ってたのに。


「私なんか、誰にも好かれないって思ってたんです」


 主任と会って、好きになって、好かれて、私の頭の中は毎日ぐちゃぐちゃになっている。

 ありえない、こんなの嘘だ、勘違いだ、って思うのを、全部全部塞がれる。


「なのに主任の好きだけは、頭にちゃんと入ってくるんです」


 本当は、最初から全部分かってた。


 お母さんに好かれてなかったことも、私が一番私をひどく扱ってたことも、どう考えても釣り合ってないし無自覚なだけでもっと他にいい人がたくさんいるはずの主任が、なんでか私を選んで私しか見てないことも、全部全部分かってた。


「最終手段とか、弟と暮らすのが嫌だからとかじゃなくて、もっと主任と一緒にいたいので、主任の家に帰っていいですか。これから、ずっと」


 胸を張る。自分なんかとか言ってないで、ちゃんと伝えないといけないから。


「主任のこと、好きなので」


 主任が私の方を見て、それから俯いて顔を覆った。


「……なんか言ってくださいよ」

「待っ……今反芻してるから……貴重なデレを……」

「人を勝手にツンデレにすな」

「だって全然言わないんだもん!」

「もんじゃないんですよ」


 そんなに嬉しそうにされると、今まで抑えてたのが申し訳なくなってくる。


「親が頼れないので、引越し準備めちゃくちゃ手伝わせますけど大丈夫ですか」

「平気平気! 美澄ん家のものが入るスペース確保しとくな!」


 緩み切ったツラを見ていたら、こっちまでつられて頬が緩んだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


向上優鷹:相手が受け入れてくれる状態であれば激しく愛情表現してくる。犬が尻尾を振りまくるのによく似ている。

美澄希空:相手が受け入れる状態であっても愛情表現はめちゃくちゃ恥ずかしい。猫がたま〜に近付いてくるのによく似ている。

美澄愛:娘に強めにあたるのは娘の方が夫の母親に似てるから……なんだけど本人は無自覚だし厳しさも心配や愛情と信じて疑わない。

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