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向上主任は飲み込めない

『希空、この前寮追い出されるって言ってたじゃない

ちょうどいいから麗央と住んでよ』


 スマホの画面に、お母さんからのメッセージが表示される。

 淡々と送られてくるそれを目で追いながら、真っ暗な部屋のベッドに伏せた。


『麗央が住みたい物件高くてね

希空の分のお部屋はあるから

家賃助けてあげて』


 お母さんが送ってきた物件のURLを開くと、会社から結構遠いけど眺めもいいし駅から近い。

 でもこれを受け入れて家賃を助けるとなると、私の給料なんて全部吹き飛んでしまう。


『こんなに高いところじゃなくてもいいんじゃないかな』


 勇気を出して送った反論は。


『なんでそんなひどいこと言うの?』


 ひどいこととして処理された。


『大体希空は昔からそう

麗央が頼ってるのに自分のことばっかり考えて、なんでそんなに冷たい子になっちゃったの? お母さん前から言ってるよね。あんたはブスだし器量も良くないんだからせめて優しくしないと、誰からも相手されなくなるよって。希空にもあんな狭い寮じゃなくていいところに住んでほしくて麗央が気遣ってくれたのに、あんたは文句ばっかり。麗央に申し訳ないとか思わない? あんたなんか、お母さんが産んで育てたって言うのも恥ずかしい。謝ってよ。謝って』


 ずらずらと責め立てるように、RINEのメッセージが送られてくる。

 お母さんが怒鳴って怒ったのはあのクリスマスの一度だけ。それ以外のお母さんは淡々と詰め寄るように、私の悪いところを言い続けて、私が根負けするのを待った。

 今回もそういう手だと、冷静な頭では分かってる。これを断ったって何でもないことなんだとちゃんと理解してる、のに。


『ごめんなさい

わかった

わかったから』


 震える手で、感情が勝手に返信を打ってしまう。


『麗央に連絡しとく』


 これでいいんだ、これしかなかった、と自分に言い聞かせる。

 でもどこかの限界がきてて、堰を切ったように涙が出てくる。


「みじめだ……」


 呟いた言葉は、部屋の暗闇に溶けた。



「えっ、弟と暮らすん?」

「はい。だからもう物件探しの相談のってくれなくて大丈夫ですよ」


 翌日の仕事終わり、主任を寮に寄らせてことの顛末を伝えた。


「弟の就職先に近い物件、もう契約しちゃってるみたいなんですけど、家賃の支払いが大変になりそうで。私が助けてあげれば、どうにかなるくらいの値段で」

「どこの家? 引越しくらいなら手伝うし……」

「ここですね」


 主任にスマホの画面を見せるとぎょっとした顔をされた。


「遠っ! えっ、めちゃめちゃ一等地じゃん!? 美澄そんなお嬢様だっけ!?」

「お嬢じゃないから家賃の援助頼まれてるんですよ」

「いやいやいや! こんなん援助してたら給料ぶっ飛ぶだろ!!」


 痛いところを突かれて、言葉に詰まる。でも、そうなんですと愚痴ってしまえる勇気が私にはなかった。

 心配してもらえてないことを認めるのに20年以上かかった私には、お母さんが私を頼ってきたのを拒むことが何よりも難しい。


「……別に、他に何かお金使うわけじゃ……」

「いっぱいあんじゃん! 課金とかグッズとか円盤とか!!」

「オタ活お金かかりますよね」


 麗央と一緒に暮らすことになったら、きっと今まで集めたグッズや本も結構処分しないといけなくなるだろう。新居の部屋数に余裕はあったけど、麗央はなんだかんだ理由をつけて私用の個室は準備しないと思う。


「だから、しばらく自重しようかと」


 麗央のお給料が安定して、家賃払えるようになったら物件探したらいい。そしたらまたオタ活再開したらいいんだから。少しの我慢で、お母さんの期待にも応えられるし、悪いことなんか何もない。

 きっと期待なんか何もされてないことには目を背ける。気付いたら視線はずっと床の方を向いていた。


「……そうか……」


 主任は絞り出すみたいにそう言った。


「まあ、美澄が決めたんなら……仕方ない、な」

「はい……」


 主任がお茶の入ったマグカップを持って、口元に近付ける。しかし主任はそれに口をつけずに、苦々しい顔で停止してしまった。


「……仕方ないとは、思うんだけど」


 カップを置いて、主任が頼りない声を出す。

 なんであんたが泣きそうになってんだよ、と思うのに、言葉が出てこなかった。


「ほんとに、そうしなきゃいけないんなら、仕方ないって、分かるんだけど……」

「仕方ないんですよ、だってお母さんに頼まれたし」


 お母さんに頼まれたから。お母さんの役に立てるから。

 何かに縋るみたいにそう自分に言い聞かせてるけど、頭では分かってる。頼られてるんじゃなくて、使われてるだけだって、ちゃんと分かってる。


「ごめん」


 主任の声が近付いたのに気付いて、顔をあげた。

 距離を詰められている。詰められているのだが。


「……なんで土下座してるんですか」

「いや、今からすごい申し訳ないこと言うので……」


 主任は床に額擦り付けるんじゃないかという勢いで頭を下げている。


「もし、美澄がよかったらでいいんで……まっっっったく変な意味じゃないんで……」

「変な意味ってなんですか」


 乾いた笑いが漏れる。

 本当はちゃんと分かってる。自分がどうしたくて、誰を優先したいのか、ちゃんと分かってる。

 ただ、それを認めると足元がぐらつくから、自分で自分を支えきれなくなるから、言い訳を続けてるだけだ。

 主任が恐る恐る顔をあげた。目が合って、この人もきっと自分と同じくらい不安なんだっていうのが伝わってきた。


「俺と一緒に暮らして、ほしいです……」


 ぐらついたのが、受け止められたような感覚がした。


「……最終手段だって」

「でももうあんまり日がないし! うちで手狭ならちゃんと引越すから!」

「お母さんに何て説明したら……」

「それはちゃんと俺からします! ごめん、いきなりこんなこと言われて困るの分かるんだけど!」


 自分でも結構なことを言っている自覚はあるのか、主任の目が泳ぎまくっていた。それを見てると、だんだん頭が冷えてくる。

 それなのに、心臓だけに熱い感覚が残っていた。


「……引越し手伝ってくれるんですよね」

「うん! 超手伝う!!」

「グッズも本も死んでも捨てたくないんですけど……」

「……それは気持ち分かるからクローゼット活用しましょう……」

「……あとベッドって入れる部屋あるんですか?」

「えっ、うちのセミダブルだからそれでよくない?」


 主任の言葉に思わず「え」と聞き返す。主任が「え」と首を傾げた。その後に自分の言葉を反芻して、どっと汗をかきだす。


「ちが、ちがうんです! 俺はソファで寝るんで! ごめんなさい!!」

「セクハラですよ……」

「セクハラじゃないもん!! 言葉のあやです!!」

「もんじゃないんですよ」


 あとは、お母さんになんて説明するか、だ……。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


向上優鷹:物件選びの決め手は家賃の安さ(オタ活に金がかかるから)。

美澄希空:物件選びの決め手は立地の良さ(実家があんまいい立地と言えずコンビニに行くのも少し手間だったから)。


美澄麗央:物件選びの決め手は人にいかに羨望の目を向けられるか(というか麗央くんは結構承認欲求に振り回されてる)。

美澄愛:物件選びの決め手は徒歩圏内に偏差値の高い教育機関があるか否か。

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