向上主任は彼女持ち
「と、いうわけで産休に入る久米さんの代わりに、こちらの須賀良太くんがヘルプに入ってくれます!」
課長から紹介された須賀さんは、ネクタイを直して皆の前に一歩出た。
「福岡支社から来ました、須賀良太です! こんな都会に出てしまって緊張してるので、皆さん優しくしてください!」
小さな笑いと共に、ぱらぱらと拍手の音が鳴る。私も皆に倣って拍手をしていると、須賀さんが向上主任の方を凝視してることに気付いた。
「じゃあ須賀くんのデスクはここね。主任の向上くんの隣……」
「向上っ! やっぱお前向上だよなあ!」
「えっ」
向上主任が後ずさる。体育会系らしく体格のいい体から豪快な笑い声をあげて、須賀さんが主任の背中をばしばし叩いた。
「オレ、オレ! 宇摩高の須賀!」
「へっ、あ、須賀!?」
「うわっ、卒業以来やん! 全っ然分からんかったわ〜!」
……学生時代の同級生? 主任が目をぱちくりさせていると、須賀さんが何の悪意もないような笑顔で。
「で、お前まだアニメとか好きなの?」
そう言い放った。
♢
「主任もアニメとか観るんですね〜♡ おすすめ教えてください♡」
「いや、そこまで詳しくないから」
「嘘つけよ! 高校の頃とかお前漫研でプロみたいな漫画描いてたじゃん!」
「須賀……そういう話は」
「いや〜それにしてもほんとお前変わったよなぁ! 昔はもっとオドオドしてたのにさ〜」
「え〜、かわいい〜!」
「須賀……」
須賀さんの出現により、主任の擬態はずるずると剥がれていった。まず漫画描くほどのゴリゴリのオタクなのがバレ、本来気弱な性質であることがバレ、そしてついに。
「そういやお前、高校の頃はホモとかって噂たってたけど今も結婚してないってことはあれガチ……」
「ちが、彼女いるから!!」
ついには、彼女の存在までバレてしまったのだった。
「えっ!? 向上主任って彼女いるんですか!? ショック〜!」
「写真とかないんすか?」
「あの、もう……」
「あ、向上。アニメの女を嫁とかって言うなよ?」
「言うわけないだろ……」
仕事中に人に囲まれている主任を見るのは結構珍しい。どんなに言い寄られても、いつもすぐに突っぱねてしまうからだ。
しかし須賀さんがいるとそうもいかないらしく、主任は背中を丸めながら必死に目で私に助けてと訴えかけてくる。無茶言うな。
「もぅまぢ無理……ッ!」
ようやく皆の猛攻から抜け出して、いつもの非常階段でパンを食べながら主任が嘆いた。
「なんで体育会系ってあんなデリカシーないの!? この数時間で俺の個人情報大体晒されてんだけど!!」
「どうどう、落ち着いてもろて」
たしかに、かつてないスピードで主任は本性を暴き出されていて、昼休憩に入る頃には別の課の女の人が主任に「アニメお好きなんですよね」と話しかけているのを見た。
皆……もとい、主任のことを狙っていた面々は、今まで無口無表情無感情、何を言っても塩対応の主任に初めて見つかったとっかかりを逃すまいと必死になっている。
「言ったでしょう、主任モテるんですよ。だから皆話題があれば食いつくに決まってるじゃないですか」
「やだぁ! 俺の平穏な擬態生活返してッ!」
「無理無理、せいぜい腐がバレないように頑張りましょうね」
「ひぃ〜……」
しかし、オタクがバレただけでこんなに落ち込むとは……いや、私にイベントで会った時もだいぶ取り乱してたし、主任にとっては大事件なんだろう。
「……元気出してくださいよ。アニマートとか行きますか、今日」
「えっ、行くぅ!」
単純なところは主任のいいところだと思う。いかんせん単純すぎる気はするが。ぶんぶん振ってる尻尾の幻覚すら見える。
「『城郭王子』のもちマスが出てるんだよ〜! 箱で買うから推し引く練習しよ!」
「私『城郭王子』未履修なんですけど、まあいいですよ」
「やったー! それ目標に午後からも頑張るわ……!」
よかった、なんとか元気を取り戻したみたいだ。
まあ、私も正直……ああいう風に主任が人に囲まれてるのは、面白くない。そういう人って分かって付き合ったけど、それでもやっぱり、なんか。
もやもやした気持ちに蓋をして、デスクに戻った。
♢
終業後も、主任の周りには人が集まっていた。業務が終わったからなのか他部署の人までやって来ている。
前にゲイって噂がたった時はもう少し静かだったと思うのに、今回はなんであんなに……。
「やっぱ『氷の向上』に彼女がいるって相当なチャンスって思うわよねえ」
椎名さんの言葉に「えっ」と返してしまった。
「彼女、いるのにですか?」
「だって誰も好きにならないとかゲイとかって可能性がなくなったってことでしょ?」
「ですよねですよね! 略奪狙いの人超いそ〜!」
田中さんが話に入って同調した。
「アタシも気になるから彼女さんの写真見せてくださいよ〜って言ったんですけど!」
「そんなこと言ったの田中さん……」
えっ、まさか私の写真見せたりしてないよね!? いや、さすがに主任もそこまでアホじゃない……。
「そしたら、『人に見せるようなものじゃないから』って!」
そう言われた時、なんだか心の奥底が冷えたような感覚がした。
「見せるような、ものじゃ……」
「彼女いるってのももしかしてでまかせだったりするんじゃないですか? 女避けの」
「まあ逆効果なんだけどね〜、うわ、経理の子まで来てる!」
主任の方の人だかりを見てみると、それと同時に「じゃあ今日は飲み会決定ですね!」と大きな声が上がった。
「は? 決定って」
「いいだろ? オレの歓迎会と思ってさ! 積もる話もあるし!」
「それに私、ずーっと向上主任と飲みに行ってみたいと思ってたんです!」
「ずる〜い、わたしも〜!」
「あたしもあたしも!」
「いや、今日は用事が」
「だめですよぉ♡ たまにしか向上さん捕まらないんだからぁ!」
人だかりに主任が連行されていってるのを呆然と見ていると、主任とばち、と目が合った。縋るような顔してるけど、私になんとか出来るわけないだろ。
……むかつく。
あの甘ったるい声出して主任の背中とかべたべた触ってる人、田中さんが言うところの略奪狙いなのか? モテる自覚がないとはいえ、もう少し人との距離感考えてほしい。っていうか人に見せるようなもんじゃないって何だよ、あんだけ色々言ってて主任も結局……。
やめよう、この思考は泥沼だ。
帰り支度をして、オフィスを出る。主任に『今日やっぱり大丈夫です』とだけRINEを入れた。
むかつく。むかつく、むかつく、むかつく。
浅く呼吸をしながら、オフィスのあるビルを出る。今日はもうどこにも寄らずに寮に帰って、ご飯食べてお風呂入ってとっとと寝よ……。
「美澄っ」
そう思ってたのに、よく知った声に呼び止められた。
「……主任」
「ごめんっ、遅くなった!」
尻尾をぶんぶん振る犬みたいに、無邪気に近付いてくる。
本当はちゃんと分かってる。向上主任は私のことがちゃんと好きだし、写真を見せないのは変に私を巻き込まないためだ。
それなのに、頭ではちゃんと分かってるのに、いまだに私なんかって思って、主任が可愛い人とか綺麗な人と並んでると勝手にコンプレックスで死にそうになる。
「美澄?」
「……別にいいですよ、アニマートは今度で。行ってきたらいいじゃないですか、飲み会」
「へ? いや、あれは須賀とかが勝手に言ってただけだし」
そんなのは分かってる。なのに、むかついて仕方ない。
「だから、今日は美澄と」
「今日は嫌です!」
差し伸べられた手を、振り払ってしまった。
主任と私の秘密だったことを平然と言いふらす須賀さんにも、言い寄ってくる人たちにも、仕方ないけど彼女は私だって堂々と言わない主任にも、腹が立つ。
でも、一番腹が立つのは、主任の気を引こうとしてあてつけみたいに一人で帰ってる自分自身だった。
「今は、嫌です……今優しくされたら、私、今以上に自分のこと嫌いになる……!!」
主任の目が見れない。でも、きっとひどく傷ついた顔をしてるんだろうと思った。せめて怒ってくれたら私も引っ込みがつくのに。そう言う風に考えるのも嫌で、私は、その場から逃げ出した。
主任は追いかけてきてくれなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
向上優鷹:高校時代は漫研
美澄希空:高校時代は帰宅部
須賀良太:高校時代はサッカー部




