向上主任は情けない
その日は、メンテナンスも商談も思ったよりも早く終わった。
「よかったです早く帰れて! では!」
技術部の小野田さんは明日娘さんの学芸会があるとかで、高速バスに乗ってとっとと帰ってしまった。特に急ぎで会社に戻る理由のない私と主任だけがその場に残され、人事の人が予約したビジネスホテルに向かう。
そしたら。
「えっ……ダブルルームで……予約され、てる……?」
「はい」
フロントの人に何度も何度も確認してもらったが、何度確認してもシングル2部屋じゃなくてダブルルームで予約されてるらしい。人事に確認の連絡をしてみるものの、もう定時過ぎてるからか誰も出なかった。
「今から2部屋に変えることって……」
「すみません、本日満室となっておりまして……」
他のホテルや漫画喫茶、手当たり次第にあたったけど、どこもかしこも満室だった。こんなことある?
「今日、近くのドームで野球かなんかの試合があったらしくて……それでどこも全滅っぽいな……」
「そうなんですね……」
ホテルのロビーで主任と顔を突き合わせて、二人同時に逸らした。いや、このままじゃ、二人で同じ部屋で一晩明かすことになる。
さすがにそれはまずいんじゃない!?
「仕方ないか……」
主任はため息をついて、意を決したようにソファから立ち上がった。え、本当に、二人で同じ部屋……。
「……俺野宿する」
「やめなさい!」
思わず大きい声で止めてしまった。
「だってもうそれしかなくない!? こんなん詰んでるもん!!」
「にしてもでしょうが!! 主任に野宿なんか無理ですよ!」
「大丈夫! 『ぬるキャン』観てたから!」
「何も大丈夫じゃない!」
これは、私の方が覚悟を決めないといけない。
「……同じ部屋に泊まりましょう」
「えっ!? いや、でもそれはさすがにヤバいんじゃ」
「ヤバくないです! ほら、行きますよ」
「え、えぇ……」
田中さんは、彼氏の部屋で誕生日プレゼントを渡す時に流れで、キスしたらしい。キスどころか、おそらく。
それが普通のカップルの流れなのかもしれない。1ヶ月ももだもだしてる私達みたいなのが変なんだ。
腹を括って、主任の腕を掴んだまま部屋に入る。狭い室内にでかでかとダブルベッドが置かれていて、ひゅ、と喉が鳴った。
「あ、あの、美澄。やっぱ俺、外で」
「……お風呂入ってくるので」
「ひぇ」
「野宿とか舐めたこと言う気なら怒りますからね」
「ひゃい……」
何故か主任の方が怯えている。しかし知ったこっちゃない。今の勢いのままいかないと、もう2度と何も出来ない気がした。
シャワーを終えると、主任はまだちゃんとベッドに座っていた。なんか身を縮こまらせてて、借りてきた猫みたいになっている。
「……お風呂どうぞ」
「あっ、はい……」
落ち着かない様子で浴室に向かう主任の背中を見送って、スマホを開く。何かしていないと落ち着かない。多分この後キスするんだよな。キスってしてる間、歯ってどうすんの? 閉じるの!? 開くの!?
一人でパニックになってると、主任がすぐにシャワーを終えて出てきた。
「あ……お疲れ様、です」
「うん、お疲れ……」
主任は身の置き所がないと言うように、浴室の前でぼーっと突っ立っている。「座ってどうぞ」と言うと、「はぁ」と小さく返事をして、ようやく隣に座った。
「こういうの、よく商業BLでありますよね……」
「あっ……あるある! この後大体、めちゃくちゃ……」
「ねぇ……」
「はい……」
二人して黙り込んでしまった。気まずい。でも、こういうのを誤魔化してきたから、私達未だにキスすらしてないんじゃないのか。
ごくん、と生唾を飲む。
「あっ……あの、主任」
「へぁいっ」
「おた……お誕生日ですよね、もう少しで……」
鞄から、もしかしたらこれ渡す時間くらいはあるかもと思ってたプレゼントを取り出す。
「これ、安いので申し訳ないんですけど……」
「えっ、これ……」
「鈴鹿くんの缶バッジ、自引きできなかったって言ってましたよね」
「うっそマジぃ!?」
あれ?
「え〜〜〜やだマジで嬉しい!! うわうわうわ、これめちゃくちゃ可愛いけど自引き出来んしもう箱で買おうかなって悩んでたやつ〜〜〜!!」
「あの」
「ヒィ〜〜〜あまりに顔がいいッッッッ!! アイドルの方ですかぁ!? アイドルの方だったわ!! いやーファンです、ずっと推せるな〜この顔面」
「主任」
「いつも鈴鹿くんのこと美人だ美人だって思ってたけどこれだと美人さに拍車かかってない? え、目線の先にいるんですか? 目線の先にいますよね与四郎が」
「知りませんよ」
ショボい! って言われて、じゃあプレゼントは、って流れのはずだったのに……こんなに喜ばれたら言いづらい。
「ありがとな美澄! めっちゃ大事にするっ!」
「そうじゃないでしょうが!!」
「えっ!?」
怒鳴っちゃった。いやいいか。全部この童貞が悪い。
「それプレゼントの前座的な、その、本命じゃないです!」
「えっ!? も……もしかしてもっとすごいのくれるの!? 『ドルスト』のファンブックとか……!?」
「そうじゃなくて!! 私なんですけど!!」
主任がぽかんとして、私のことを頭のてっぺんから足先まで見てから。
「へぇっ!?」
茹でられたみたいに真っ赤になった。
「いやそういうこと言うのやめな!? 美澄はものじゃないんですよ!?」
「わっ、分かってますよ……でも、主任になら、いいって言ってんじゃないですか……」
「ひぅ」
熱い。心臓がうるさい。なんであんたの方が可愛い声出してんだよ。よく分からない怒りと本当に手を出されるかもしれない緊張感で手が震える。
「ま……マジで大丈夫……?」
決死の思いで頷くと、主任が少し戸惑うように俯いた後、私の頬をすり、と撫でた。顔が近付いて、そのまま。
「ん」
唇が、くっついた。
初キスはレモンの味なんていう俗説があるけど、アレは誰が言い出したんだ。緊張で、味も感触もほとんど分からない。でも、人の体温が気持ちよくて、もっとしたくなる。
主任の手が私の腰にまわって、もう一度唇が重ねられた。今度は長くて、さっきのと違うやり方だった。
「……っ……」
主任って、けっこう、べろなが……。
「……っ、ごめん、ちょっと待って!」
不意に、主任が私の肩を押して離れる。えっ、私何か変なことした!? もしかしてあんまりにブスすぎて萎えたとか、そういう……。
「……鼻血出たぁ……」
「え」
「秒で止めるから待って……ほんと、待って……」
鼻血……え、何、興奮しすぎて? 泣きそうな声で待ってと繰り返す主任が、あんまりに情けなくて、つい。
「……ぶっ、ぁはっ!!」
ツボってしまった。
♢
「っ、くく、ふふ……鼻血って、アニメキャラじゃないんだから……」
「笑いすぎだろ……」
結局鼻血はすぐ止まったものの、そんな雰囲気じゃなくなったのは私でも分かる。微妙な距離を保ちながら二人でダブルベッドに寝転がって、手だけ繋ぐくらいが今の私達に出来る最大限だった。
「そういえば、ちゃんと言ってませんでした。お誕生日おめでとうございます」
「あ、日付こえてるか……うわやだ〜! 28ってもっと大人かと思ってた〜!」
「まあ28はキスで鼻血出しませんよね……んふっ」
「トラウマになるからもうやめよ? な?」
でも、これじゃ本格的にプレゼントが缶バッジだけになってしまう。
「あの、他に欲しいものとか、して欲しいこととかないですか? 誕生日ですし」
「……じゃあもう一回キスしていいですか」
「んは、鼻血が大丈夫そうなら」
「大丈夫だし……多分」
「……試してみます?」
今度は大丈夫だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
向上優鷹:誕生日と文化祭が被りがち
美澄希空:誕生日のケーキは弟の好きなものを選ぶように言われていた




