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向上主任は未経験

「向上主任、お疲れ様でした」

「ああ」


 主任は短く返事をして、社用車の運転席に乗り込んだ。


「先方、かなり突っ込んだところまで聞いて来ましたね……。持ち帰ると次がないんでしたっけ、課長が主任指名するわけですね……」

「別に、あれくらい準備すれば誰にでも出来る」


 誰にでも出来ないからあんたが営業成績トップなんだろうが。


 主任の商談に同行するのは今日で4回目だけど、いつもその巧みな交渉スキルに驚かされる。無愛想な主任を見て、相手は最初は面食らったような顔をするのに、商談が終わる頃にはにこにこと笑って主任と握手を交わすようになる。これが営業成績連続トップの実力……私には真似できそうもない。

 言葉なのか、声色なのか、雰囲気なのか、主任と一度話したらするすると頑なな紐を解くように心を開いていく様は、いつ見ても圧巻だった。


 助手席に座ってシートベルトを閉めると、主任が車のエンジンをかける。車内のスピーカーから、Bluetoothが繋がった時の音が鳴った。


「共有資料は俺が作っておく。このまま駅まで送るから、美澄は直帰でいい」

「分かりました」

「だから、それまで」


 主任は自分のスマホをホルダーに嵌めて、さっきまでの無表情が嘘みたいにぱっと顔を輝かせる。


「『ドルスト』の舞台の話していい!?」


 ……営業成績トップの、クールな上司。それは擬態した仮の姿であり、本性はゴリッゴリのオタクでゴリッゴリの腐男子だということを、私は知っている。


「いいですけど……私あんまり舞台って得意じゃないんですよね……声違うし、そもそも三次元だし……」

「一回! 一回騙されたと思って観て!! 動画流すから!!」

「必死すぎでしょ」


 主任のスマホから流れてくる舞台の動画を観ながら、案外いいななんて思ってると主任がふいに「ふへっ」とクールキャラらしからぬ笑いをした。


「黙って観てるってことはちょっと琴線に触れたな!」

「……うるさいですよ、私の何がわかるんですか」

「冷たっ! でもなんかだいぶ分かってきた気がするんだけどなあ、美澄の生態」

「生態て」


 気付けば主任の秘密を知ってしまった日から、1ヶ月が経とうとしていた。

 会社の人の前で話しかけるなという約束を守ってくれているおかげで、今のところ社内のお姉様方に詰め寄られるみたいなことは一回しかない。

 その一回だって仕事の話しましたって誤魔化せたし、そもそも私みたいなのが主任とどうにかなるなんて誰も思いもしないだろう。


 ……っていうか、待って?


「主任って、彼女いないんですか?」

「えっ、何いきなり」

「いや、ふと気になって……ツブッターに大体張り付いてるし私にすごいかまってくるけど彼女さん怒らないんですか?」

「いやいやいや! いないです! なんで急にそんな人の心えぐってくるの!?」


 いないの!? この見た目で!?

 ……いや待って、そもそも主任って。


「主任ってゲイなんですか?」


 私の言葉に主任が固まってしまった。えっ、もしかして図星……。


「……舞台の布教は今度じっくりするとして、今回は腐ってる男の肩身の狭さの話パート2をしようか……」

「うわ出た、世界一いらない授業」

「だって美澄が誤解してんだもん!!」


 誤解だろうか。正直主任にオネエ入ってるって言われてもあんまり驚かない気すらする。


「結構いるんだよ……女の子が少女漫画読むのと同じノリで、BL漫画読むゲイとかバイの人……」

「主任は違うんですか?」

「多分違うと思うんだけど……」

「多分?」


 聞き返すと、主任が「ああ」と言った。


「だって誰とも付き合ったことないし」


 ……は?

 この顔面で? このスタイルで? あのモテっぷりで!?

 誰とも付き合ったことない、ってことは、もしかして。


「主任って、ど」

「どどどど童貞ちゃうわ!!」


 うん、この必死ぶり。やはり童貞だろう。知らんけど。


「……人間、見た目じゃ分かんないもんですねえ……」

「いいだろ別に何だって!! っていうかそもそもこの見た目全部嘘みたいなもんだし!」

「にしてもでしょう。学生時代彼女作らなかったんですか?」


 そう尋ねると、主任が少し気まずそうにうーんと唸った。


「……俺の高校、ど田舎の全寮制の男子校で……」

「えっ、絶対BLに発展しませんかそれ」

「それは商業BLの世界の話です〜。まあ同級生に何人かカップルみたいなのいたけど」

「そっちの話掘り下げたいけど、とりあえず主任の話聞きましょうか。

男子校だったとしても友達の紹介で彼女なんて作り放題でしょ、知らんけど」

「美澄って俺のこと心底どうでもいいと思ってるだろ……」


 そうでもないが全寮制男子校のカップルに抗える腐がこの世にいるのかというのを主任にも問いただしたい。


「俺が行ってる男子校って基本的に皆仲良かったんだよ。パリピもヤンキーもオタクも混在してたけど、いちいちいじめたり喧嘩したりすんのめんどくさいって感じで」

「へえ……参考にしますね」

「何のだよ……」


 色々だよ、と言いたい気持ちを抑えて続きを聞く。


「でもやっぱ軽めのいじりとかはあってさ、オタクの中でもロリキュアが好きな奴はロリコン扱いされてたし、スカート履いた自撮り見つかったヤンキーがその後オカマ扱いで卒業までいじられたとかあったし」

「ふーん……でも主任のことだし上手く擬態して誤魔化してたんじゃないですか? 今みたいに」

「いや、その当時はオタクっていうのは隠してなかった。ハマってたのも少年漫画とかだったから浮かなかったしな。

……でも、ある日馬鹿やらかしちゃったんだよ……」

「馬鹿……?」


 ぽつぽつと降り始めた雨が車の窓を叩く。不穏な気配にごくりと息を呑んだ。


「っ……寮の共用スペースに……商業BL本忘れていっちゃって……」

「ば……馬鹿!!」

「そのまま自分のものじゃないってふりしても良かったんだけど、なけなしの小遣いで買ったから失いたくなくて……先生とこ行って……」

「馬鹿の上に貧乏性……!」

「次の朝のホームルームで先生がでっかい声でその話して……!」

「貧乏性の上に先生との相性が最悪……!!」


 そんなに不運が重なることがある!?


「曰く……同性愛者への差別を防ぐためにも皆に知ってもらった方がいいと思ったとか……」

「うわヤバ……偏見ですけど絶対生徒指導の体育の先生でしょそれ……」

「生徒指導の体育の先生だしいつも皆に怒鳴り散らすのにその後俺にはやけに優しかったよ……。

めでたく俺は卒業までオタクかつゲイとして扱われて、女子を紹介されるどころか学内の男でも俺なら抱けるって先輩から目をつけられるなどしてました……」

「で、抱かれて男に目覚めたり」

「してない! 逃げ切ったから!」


 ここでチッと舌打ちしそうな気持ちに襲われるのは私が腐女子だからである。


「でも、大学は共学ですよね? そこでいくらでも作れたんじゃないですか?」

「高校の反省を生かしてオタクなのも腐ってるのも隠すようにしたんだよ。見た目も幼馴染に整えてもらって、なるべく周囲に埋没出来るように、必要最低限しか喋らなかったから恋人どころか友達すらほとんどできなかった……」


 なるほど、「氷の向上」誕生の瞬間は大学時代か。

 巧妙な腐女子はメジャーなアニメの表層の話だけして自分がその沼にどっぷりと浸かっていることを隠す。しかし主任にそこまでの器用さはなく、全てを閉ざすことを選んだのだ。

 可哀想に、高校時代に商業BLを共用スペースに忘れたりしなければ……いやその前に持ち込むなよって話だけど……。


「だから美澄の存在ってすごい大事なんだよ! 腐ってても引かないし、誤解してても解いたらすぐ納得してくれるし、さすが俺の唯一のオタク友達だ!」

「えっ、上司と部下なのに友達ですか」

「違うの!?」


 正直微妙なラインだと思うけど、声が半泣きだからまあそういうことにしといてあげよう。

 「そうですね」と返すとあからさまに浮かれた声で「あはっ」と主任が笑った。あざとい。


「だから、美澄の彼氏が怒らないうちはこうやって話させてね……」

「いや私だっていないんですけど」

「ウッソ!? 若い女子って皆彼氏いるんじゃないの!?」

「それ童貞の偏見ですよ」

「童貞って言うな!!」

ここまで読んで頂きありがとうございます!


向上優鷹:高校の制服はブレザー

美澄希空:高校の制服はセーラー服

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