向上主任はなんでもない
主任曰く。
私は商談に行こうとしてぶっ倒れたらしい。
すぐに医務室に運び込まれ、常駐してる看護師さんから貧血と寝不足と生理痛の診断を受け、とりあえず目が覚めるまでは医務室で寝かされることになった。
定時過ぎたらさすがに起きてるだろうと思って主任が医務室を訪ねると、なんとまだぐうぐう寝ている。看護師さんも帰るに帰れず困っていたため、主任が抱えて送って行くと申し出たそうだ。
「だから鞄から勝手に鍵出したりはしたけど! 決してやましい目的はないです!」
「……商談、どうなったんですか……」
「椎名さんが代わりに行った! 美澄が資料めちゃくちゃ丁寧に作ってたから、急な担当変更だったのに普通に契約とれそうな感じで帰ってきてたよ」
それを聞いてほっとしたら、また体がどろりと重くなる。お腹まだ痛いし、しんどい。薬飲んで早く寝たい。
「……そういえば主任、何ですかその鍋」
「あ、ごめん。台所勝手に借りた。ラーメンなら食うかと思って」
なるほど、みそラーメンの匂いがする。そう言われるとお腹空いてきた。ぐう、と腹の虫が鳴るのを聞いて、主任が「ふは」と笑う。
「とりあえず食ってからまた寝ろよ」
「……はい」
お腹痛いし、髪ボサボサだし、皆に迷惑かけたし、まだ仙太郎さんのこと考えまとまってないし、最悪なのに。
「あ!! 『ドルスト』の公式アンソロじゃん!! 美澄そういや持ってるって言ってたな……」
「ああ……読んでいいですよ」
「いいの!? うわーうわーファンです……!」
「何のですか。あ、そういえば『ドルスト』。ちゃんとイベント走ってます? ガチャどうでした?」
「真面目に走ってるしガチャは大爆死したな!」
「そんな自信満々に言うことじゃないですよ」
久々に主任と話すと、自分で思ったよりするすると言葉が出てきた。思ったよりぎこちなくない……それどころか、すごく楽しい。
「……よかった。普通に話せて。最近主任に避けられてると思ってたんで」
「え」
しまった、口が滑った。
……まあいいか。この際、全部言ってしまえ。
「この間、仙太郎さんから、その……告白、されたんです」
「……知ってる。本人から聞いた」
知ってたんかい。
じゃあもしかして仙太郎さんに気遣って話しかけるの控えてたのか? 今家に来てるこれはいいんですか……とかって聞いたら帰られそうだから、飲み込んだ。
「それで、私、返事保留してて……迷ってて、なんか、こういうの初めてで、どうしたらいいか分からなくて……」
なんで主任にこんな話したかったんだろう。私は、主任に何て言ってほしいんだろう。
その答えを全部塗りつぶすみたいに、主任がへら、と笑って。
「仙太郎は、いい奴だし……いいと思うよ、俺は」
そう言った。
「……あ、いや、それは重々承知です。なんか、私なんかには勿体無いくらい……」
「それは美澄が自分なんかって思ってるからだろ。美澄が仙太郎のこと、その……好きなら全然いいと思う」
「好き、っていうか、好きって言われたから考え始めただけで……」
「性別や世間体なんか関係ない、相手が気になって仕方ないならそれは好きってことだ……って、最近読んだ商業BLで言ってました!」
「引用元が最悪」
というか、その理屈でいくと、私が好きなのは。
「美澄は全然、『私なんか』じゃないし、だからお互いに好きになったんだろ」
……もうやめた。
きっと考えたって無駄だ。きっと皆そうやって、妥協して、誤魔化して、自分に嘘をついて、それを好きとかなんとかいう言葉で誤魔化して生きている。
「……そうですね。おかげで、吹っ切れました」
ラーメンのスープの最後の一滴を飲み干して、ふう、と息をつく。
「ありがとうございます。参考文献がBLなのあれですけど、主任に相談してよかったです」
「だろ? 人生のすべてにおける参考書だからBLは」
「それは過言」
主任は私が食べたのを見ると、「よし」と『ドルスト』のアンソロを閉じた。
「そろそろ帰る! 止むを得ずだけど、俺が先に美澄の家にあがったとか知られたら仙太郎に殺されるから内緒な」
「殺しはしないでしょう……仙太郎さんいい人ですし」
「仙太郎があんなにゲロ甘なの美澄だけだって!! 普段ものっすごい塩なんだぞ!?」
「へえ……」
「上司と彼氏のこと邪な目で見るのやめて!」
主任が立ち上がって玄関に向かうのを、なんとなく追いかける。「寝てなって」と主任が笑いながら言った。
「彼女のフリ、から本当に付き合うのラブコメって感じするな〜!」
靴を履いて、玄関のドアノブに手をかける。このままじゃ主任が帰ってしまう。引き止めそうになる手を、後ろに組んだ。
「あ……りがとう、ございました。あの、またお礼します」
「いいって、別にお礼とか」
がちゃり、とドアノブが傾けられた。
「……美澄」
主任が背中を向けたまま、私を呼ぶ。
「あの…………やっぱ、なんでもない」
でも、何もなかった。
「何なんですか、それ」
「いや、何言おうとしたか忘れた。ごめん、また思い出したら……」
主任は喉が詰まったように言葉を止めて、憔悴しきった顔を私に向けた。
心臓がどくん、と大きく鳴った。
「ごめん、美澄。本当はなんでもなくない」
俯いてた泣きそうな目が、まっすぐ私を見つめる。
「俺は美澄が好きだから、全然、何でもなくない」
パズルのピースがあるべきところにはまるみたいに、大きな機械の歯車がかちりとまわりだすみたいに、頭の中では一つの答えが浮かび上がる。
本当はずっと前から分かってた。ただ、認めるのが怖かった。
だって、今この感情を認めたら、私。
「あの、主任……」
「っ……ごめん! 変なこと言った!!」
「は」
主任はまた私に背中を向けて、玄関を開く。秋になったのに未だに熱くて湿っぽい空気が流れ込んできた。
「ほんと気にしなくていいから、じゃ、仙太郎のことよろしくな!? じゃ!」
「えっ、あの」
「冷蔵庫にとりあえず食べれそうなもの突っ込んでるから! ちゃんと食ってちゃんと寝ろよ!」
震え声で捨て台詞を吐いて、主任は逃げるように家を出る。反射的に追いかけるけど掠りもしなくて、寮の階段から転げ落ちる主任をただ見ていることしか出来なかった。
「えっ……大丈夫ですか!? 死んでません!?」
「死んっ……死んでないから、大丈夫だから……」
幸い無傷だったらしく、へろへろになりながらも主任はなんとか帰って行った。大丈夫なのかあれ。
だけど、私は主任を追う元気も、勇気もなかった。玄関にへたりこんで、どんどん冷えていく頭を抱える。
主任は私のことが好き。
「……私って、最低だ……」
最低なことに、私はそのことを知って初めて、自分の感情を認めざるを得なくなった。
私も、主任のことが好きだ。
♢
階段から落ちて地面に叩きつけられた体がまだ痛む。
それでも足を止められない。止まったら、さっき自分が言ったことを思い出して叫び出しそうになるから。
必死で駅までの道を早足で歩いた。
言った、やらかした、美澄に告っちゃった!!
待って、言い訳させてください! 誰にしてんのか分かんないけど!!
言うつもりなかったんです!! 本当に心から美澄と仙太郎で付き合っちゃえばいいじゃんって思ってました!! 本当なんです!!
でも、久々に美澄と話して、本当に楽しくて、帰りたくなくて、ずっとあそこにいたくなって、そしたら美澄も一瞬こっちに手伸ばしかけてやめたのが見えて、そうしたら、理性が吹っ飛んだ。
美澄が好きだ。幸せになってほしい。誰にも嫌われないで、自分なんかなんて言わないで、仙太郎と、ずっと一緒に。
そう心から思ってるのに、なんでか苦しくてたまらない。
もう大人なんだから、妥協して、誤魔化して、自分に嘘ついて、それを色々な言葉で誤魔化して、そうやって上手く生きていかなきゃいけない。
ちゃんと分かってる。分かってるのに。
「はぁ……」
もう何も考えたくない……転職とかしちゃおっかな……面接世界一嫌いだけど……。
転職サイトを開こうとスマホを取り出すと、同時にスマホが震え出してめちゃくちゃびっくりした。人間本気で驚くと無音の悲鳴出るんだ……。
「なっ、なに……ツブッターのDM?」
差出人は前に美澄と参加したイベントで俺の本を買いに来たというフォロワーさんだった。たしか、莉世さんだっけ?
『あまり絡んだことがないのに突然のDMすみません! ユタさんにぜひお願いしたいことがあってDMさせていただきました』
お願いしたいこと? えっ、何? 与四鈴界隈から出ていけとか?
『冬コミで出そうと思ってる与四鈴アンソロ、参加者が足りなくなっちゃって……
よかったら描いてくれませんか!?』
……はい?
ここまで読んでいただきありがとうございます!
向上優鷹:腹壊しがち。
美澄希空:貧血がち。
莉世:季節の変わり目風邪ひきがち。




