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向上主任は男らしくない

 向上くんと初めて話した日のことを、今でも昨日のことみたいに思い出せる。


 大学に入学したばっかりのあたしは疲れていた。

 高校の頃、あのクソ田舎を出たらあたしの人生は変わると思っていたのに、実際出てみたらそんなことはなかったからだ。

 あたしが必死に愛想振り撒いて空気悪くしないようにしてやってんのにそれを当然みたいに受け取る男も、それを八方美人って受け取ってやっかみ向けてくる女も、都会にはいないと思ってたのに、しっかりいた。どこに行っても逃げられないんだって、やっと分かって……そうしたらどっと疲れた。


 次の講義必修じゃないしサボっちゃおうかな、なんて思いながら学内を歩いてた時。


「……え……と……」


 キャンパス案内板を見ては、離れて、見ては、離れてを繰り返す不審者……もとい、同級生の男の子がいた。

 名前だけは知っている。入学式の時点で皆がざわついて、一気に名前が知れ渡ったから。確か。


「向上、くん?」

「っ」


 後ろから声をかけると、向上くんはびっくりしたように肩を揺らす。そのままゆっくり振り返って、初めてまじまじと顔を見た。

 本当に綺麗な顔してる。肌も綺麗だし、清潔感あるし。


「えっと……」

「あ、ごめんね? 初めて話すよね。あたし、江間あずさ。選択科目で何回か一緒になったよ?」

「……ごめん。顔わかるけどまだ名前まで覚えてなかった」

「あはは、人多いもんね?」


 向上くんはこくんと頷いた。同い年なのに年下と話してるみたいな気持ちになりながら、首を傾げて笑顔を作る。


「どうかしたの? 困ってるみたいだったけど」

「……昼休みに図書室行ったら、講義室にどうやって戻るか分かんなくなった」

「ええ? ふふっ、迷子なんだ?」


 結構天然なのかな? まあ、別にあたしもすることないし、必修じゃなくても単位とっといて悪いことないし。


「じゃあ、一緒に行こうよ。あたしも講義室行くから」


 向上くんを連れて、講義室に行くことにした。


 向上くんは変な人だった。

 普通、男の人と話すと変な圧がある。「お前」って呼ばれたり、仲良くもないのに体触られたり、そういうの。

 実際高校の頃から付き合ってる遠恋中の彼氏からも「お前」って呼ばれてたし、大学卒業したら田舎戻って結婚するって思われてて、やんわりこっちで就職することを匂わせると不機嫌になって、それを慰めるのに何時間もかかったりした。

 だけど向上くんは。


「……江間さんって自炊する?」

「え? するよぉ♡ どうしたの?」

「実家から結構な量の野菜送られてきたんだけど、俺自炊しないから江間さんいるかなって……」

「自炊しなよ……」


 なんかぼーっとしてるし、抜けてるし、まったく圧がない。みんなクールでかっこいいみたいなこと言うけど、そんなことない。あれは単に何も考えてないだけだ。

 でもそんな空気が心地よくて、気付けば私はいつも向上くんと一緒にいた。


 サークルでも、ゼミでも、講義中も、飲み会の時も、ずっと。


「江間さん、さっきからずっとスマホ鳴ってない?」

「うん? ああ……グループRINEがうるさいだけだから、大丈夫だよ」


 心地よさはそのうち、彼氏への情を超えてしまった。彼氏への返信より、向上くんと話すことを優先していくようになった。


 普段は察しが悪いくせに、こういう時だけ察しが早い彼氏は、あたしの連絡の頻度が落ちたことで不安になったんだろう。

 何の連絡も無しにあたしのアパートの前に来ていた。

 最悪なことに、その日は向上くんがご実家から届いたとかいう野菜を届けるために、大学帰りにうちに寄る日だった。


「……あ、たっくん」


 向上くんを連れて帰ってきたあたしを見た途端、目の色が変わったのが分かった。


「お前何ばしよっと!?」


 怒鳴りながら肩を掴まれて、痛いと言う前に「ごめん」という言葉が出る。

 なんであたしが謝らないといけないのって思うのに、その全部に蓋をされてるような感覚がして、足が竦んだ。


「やけん県外の大学とか行くなっつったやろ! お前ボケっとしよんけんこんなんに目つけられて、遊ばれよんの分からんか!? なあ!?」


 反論したいのに息を吸うような情けない声しか出なかった。


 怖い。


 小さい頃から男の人が嫌いだった。いつも緊張させるような圧があって、私はなんとか空気を悪くしないように、頑張って、にこにこして、悲しいのもイライラするのも辛いのもしんどいのも我慢してるのに、誰も、誰も。

 ぎゅっ、と固く目を閉じる。


「すいません」


 急に、肩から手が離れた感触がした。


「江間さんが痛がってるんで、やめてください」


 目を開くと、向上くんが彼氏の手を掴んでた。


「っは、何なんお前っ、人の女に手出して……っ!」

「出してないです。冷静に話せないなら、時間おいてください」


 向上くんが低い声でそう言うと、彼氏はばつが悪そうに一瞬押し黙る。でも、また何か言おうと口を開いた時。


「……これ以上騒がれたら通報しないといけなくなります」


 その言葉で、彼氏は悪態をつきながら、逃げるみたいに去ってしまった。

 体から一気に力が抜けて、へなへなと地面に座り込む。向上くんもしゃがみ込んだから、きっと立たせてくれるんだろうと思いきや。


「……こわっ……何あれ……」


 青ざめて、怖がってた。


「……男の人でも、怖いって思うの?」

「当たり前じゃん……」


 男の人は怖い。男の人は圧がある。

 でもそれは、あたしがそう思い込んでただけで、案外同じようなことを考えてるのかもしれないと、初めて気付いた。


「……向上くん、飲み行こうよ」

「え、なんで」

「怖い思いしてる同士、愚痴りあお」


 その後、向上くんを連れて、近所の一度も行ったことないぼろぼろの居酒屋さんで一晩中喋った。


「えっ、あれストーカーとかじゃなくて彼氏……?」

「ストーカーって! そうだよぉ、高校の頃から付き合ってたの!」

「それは……江間さんも悪いだろ。彼氏いるんならほいほい男家にあげようとするなよ……」

「いいやんもう別れるっちゃけん! RINEブロックしたろ!」

「む……無慈悲……」


 そんなドン引き顔で無慈悲って言われたって嫌いになっちゃったものは仕方ない。

 というか、最初から好きじゃなかったのかも。

 なんで付き合ったんだっけ。そうだ、周りからお似合いだって言われて、教室の真ん中で「お前となら付き合っていいかも」って言われたからだ。空気悪くしたくなくて、それで。


「あたし、お前って呼んでくる男の人嫌いなんだ……」


 酔っ払った勢いで、ずっと思ってたことが、蓋を開いて溢れ出してしまった。


「なんかあれだよね、男の人って根本的に女のこと馬鹿にしてるよね? こっちが愛想振り撒いてニコニコしてやってんのにそれが当たり前、みたいな、たまに怒ったり意見言ったらそれだけでこっちが理屈っぽい女みたいな!」

「江間さん」

「あいつもそんな感じやったんよ! あたしが言うことは大体馬鹿な女の戯言やし、ネットの記事とか見せても『馬鹿やけんそんなん鵜呑みにする』とか言うし、あーもうマジ男ってみんなクソ!!」

「江間さん……俺男なんだけど」

「向上くんは男っぽくないもん」


 向上くんが頭を抱えた。褒めてるんだけどなあ。


「……男がとか女がとかであんまり考えたことないけど、江間さんは頭いいだろ」


 向上くんがいつもの、何も考えてなさそうな顔で言う。


「……なに? お世辞?」

「いや……だって江間さん、グループワークの時とかいつも皆に気遣ってるし、すごいと思ってた。目端がきく、っていうか……俺には無理」

「それは、向上くんが男で、そういうことする必要がなかったから」

「言っただろ、関係ないって」


 ああ、だめだ。

 ずっと目を逸らしてた。楽だから一緒にいるんだってことにしてた。それなのに、もう引き返せないところまできてる。


「江間さんはすごいよ」


 あたし、向上くんのこと、好きだなあ。


 胸にじわって温かい感触が広がって、何でもないのに顔が綻んでしまう。


「あと俺でも普通にお前って言うよ。相手と仲が良けりゃ」

「えっ、じゃああたしのこともお前って言っていいよ」

「さっきそういうの嫌だって」

「向上くんはいいの!」


 あれ以来、一回も向上くんと二人きりで出掛けたりしたことなんてない。でもあたし以上に向上くんに近付く奴もいないから、とにかく現状維持でいいと思ってた。

 だけど、美澄さんがいたら、もうそんなこと言ってられない。


 あたしの方がずっと前から好きだった。

 絶対誰にも渡してやらない。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


向上優鷹:漫研に入ろうとしたが上手いこと馴染めず結局江間の誘いで映画研究サークルに入った。ほんとは子供向けアニメ映画とかニチアサ特撮の映画とか好きだけどサークルでは無難な映画が好きって言ってたよ。

江間あずさ:先輩との繋がり作っときたいので映画研究サークルに入った。サイコホラーとか「本当に怖いのは人間なんですよ……」みたいなホラーがとっても好き。あとは銃と勇気で対抗しまくる海外ホラー。

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