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向上主任は挽回する

 慌ただしい日々は瞬く間に過ぎていき、瞬く間に研修会の当日がやって来てしまった。


「美澄さん、その量のパイプ椅子持てるの!? すごぉい、あたし待てない!」

「別に、このくらいなら」


 新人対象の研修会だから私は対象じゃないんだけど、支社の2年目社員は本社の大会議室の設営や片付けをするために強制参加するしきたりだ。

 昨日までスライドの修正やら最終確認やらで働かされていたぼろぼろの体に肉体労働はかなり効く。

 しかし文句は言ってられない。これも向上主任が挽回する場を整えるため、と自分に言い聞かせながら、パイプ椅子を運んで並べた。


「ねえ聞いた? 営業部の人の話!」

「副業でゲイのAV出てるんだっけ」

「ね、私さっき本人見たんだけどめちゃくちゃカッコよかったのにショック〜」


 設営の最中にも、不名誉な噂は聞こえてくる。こんな講義一回で挽回できるようなものなんだろうか。

 ……もうあとは、主任の実力に任せるしかない。

 痛む胃のあたりをさすりながら、設営を続けた。



「向上! 顔色悪いね! 朝ごはんは食べたかい?」

「……今村さんが急に変なこと押し付けるから喉を通りませんでした」

「あっはっは! 嫌味が言えるなら大丈夫だね!」


 元凶が高らかに笑いながら去っていくのを睨んで、はあ、とため息をついた。


 本社に来るのは1年ぶりだ。


 毎回この大会議室を前にするたびにゲロ吐きそうになっちゃう。擬態してなかったら吐いてた。


「なあなあ、アレが噂の……」

「しっ、聞こえるよ!」


 本社勤務の新人らしき奴が俺とすれ違うたびに楽しそうにくすくすと話している。佐倉のやつ、この分だと本社でも言いふらしたんだな……。

 まあ、別にいいんだけど。会社って、社会人って皆大人だから、これくらいでハブったりいじめたりしないし。俺が我慢すればいいだけの話なのに、美澄も今村さんもどこか必死になって庇ってくれた。


 ……あんなにされると、適当に出来ないなあ。


「じゃあ講義担当の皆さんはこちらに座ってもらって。自分の順番間違えないでくださいよ〜」


 座長を務める本社の総務の人に言われるがまま、壁沿いに並んだパイプ椅子に座る。

 部屋が暗くなって、皆が静まり返って、いよいよ本当に研修会が始まってしまった。


 まあ俺の順番最後だし、とたかを括っていられるのも最初の方だけ。先に発表を終えた人がすごい立派なことを言って、新人達がうんうんと目を輝かせながら聞いてるのを見て、どんどん緊張感が高まっていく。

 お腹痛くなってきちゃった……帰りたい……。

 帰って溜めてるアニメ消化してピクシヴ巡回してツブッターで暴走してちょっとでも原稿すすめたいよ〜!!

 とか思っても、時間というのは無慈悲なもので、


「次は、営業の方から。ーー支社の向上さんです」


 順番まわってきちゃった……。

 深呼吸をしてから、皆の前に立つ。

 大丈夫大丈夫、緊張するようなことじゃない! 社内プレゼンでも人前に立つじゃん!

 ……とは思うけど、それの100倍くらい人数いるよコレェ……。

 なんか一部ひそひそしてるし、あっ、あそこ笑ってる。怖……。


 まあここまで来ちゃったら案ずるより産んだ方が早い。


 美澄に無理言って作ってもらったスライドを操作しながら、講義を始めた。




「……以上で終わります。質疑応答は」


 心配ごとはあったものの、なんとか無事に終わった……。

 もう質疑応答とかしないで早く帰らせてください、と祈るのに、ぱらぱらと手が上がる。座長に指名されてマイクを受け取った新人の男が、「はいっ」と元気よく立ち上がった。


「本社の営業部に配属されました、小畑(おばた)です!」


 元気なワンコ受だな……とか現実逃避しながら質問に身構えると。


「向上さんのことはお噂でよく知っていますっ! 訪問前に顧客の情報収集を、っておっしゃってましたけど、どうやってするんですかぁ? やっぱプライベートとかで?」


 あっ、こいつワンコじゃない! 腹黒系だ! 俺が枕どうこうの噂知った上のニヤつきだあの顔!

 周りからくすくすと押し殺した笑い声が聞こえる。皆誤解してる。でも別に誤解されっぱなしでもいい。

 ……でも、美澄が、褒めてくれたんだよなあ……。


「……別に、特別なことは何もしてませんよ。訪問前にしておくことは、新人研修で習ったと思いますが」

「ええ? でも契約獲得には、それ以外に」

「なんで基礎も出来てないのに基礎以上のことをしようとするんですか?」


 ……やば、静まり返っちゃった。


 いや、でもだってこれ、俺が新人の頃に今村さんが言ったことじゃん! 助けを求めるように今村さんの方を見ると机に突っ伏して震えていた。笑ってんじゃねえぞ!


「コーポレートサイトを読んでおくのも、顧客のニーズは何か考えた上でデータを揃えておくのも、全部研修とOJTで習うでしょう」

「え……えっと、向上さんなりの工夫とか……」


 俺なりの工夫とか一切ないんだけど……。

 「向上の個性なんて相手が勝手に見つけるんだから、下手につけようとすると悪目立ちする」というのは今村さんの言葉である。あんたが言うなとは思ったけど。


「顧客からの連絡への返信は早くするくらいしかしてません」


 まじでそんくらいしかしてない。


 なんか微妙な空気のまま、研修会は終わった。


 こんなんで名誉挽回出来たのか? ……まあいいや、終わりゃいいんよこんなもん。



 主任の講義中、空気が凍りついた時はどうなることかと思ったが。


「すご、あれが『氷の向上』……」

「やっぱ枕とか嘘でしょ。誰が言い出したの?」

「っていうかめちゃくちゃかっこよかったよね!? ゲイとかもういいや、声かけちゃおうよ!」


 主任は無事に名誉挽回出来たようだ。というか、インパクトが噂に勝った。

 それに、私のここ数日の悩み……仕事があんまりにも出来なさすぎることも、なんとなくだが解消された。

 事前準備とか、私も年々おろそかになってたと思う。基礎が出来てないのになんでそれ以上をしようとするのか。その言葉が自分に突き刺さった。

 会場の片付けも終わって、もう帰るだけ。しかしどうにも足が重くて、ため息をつくと。


「美澄」


 擬態中の主任から話しかけられた。


「あ……お疲れ様です」

「ああ。美澄もお疲れ様。スライド助かった」

「いえいえ……」


 この状態の主任と話すの慣れないわ、やっぱり。周りの目も痛いしとっとと退散したい。


「向上くーん! あっ、美澄さんも!」


 それなのに、なぜかよく知った顔二人に捕まってしまった。


「江間……佐倉も、参加してたのか……」

「マーケの講義のサポートでね。ね、佐倉くん」

「そうそう……」


 佐倉さんは少し気まずそうに主任と江間さんを見比べる。なんかあったのか?


「ねえ、最近大丈夫? 佐倉くんが誤解して色々皆に話してるみたいだけど」


 控えめな様子ではあるが江間さんはしっかりと聞きづらい話題をぶっ込んできた。

 主任は「ああ」と興味なさげに答える。


「別に、気にしてない。誤解させるようなことしてたんだろうし」

「いっ、いや、だから誤解っていうか、美澄ちゃんが向上が男好きって!」


 佐倉さんが私を指差してきた。

 えっ、いや確かに私が何か言ったせいかもしれないけど!

 江間さんの視線も、佐倉さんの視線も、周りの向上主任に向ける好奇の目も私に集中して、足元がおぼつかないような感覚がする。

 元はと言えば私のせいだ。私が主任の言うこと聞かないで、佐倉さんにいらんこと言ったから。

 だから、私ができる限りのことをしたい。


「えっ、あの冗談信じたんですかぁ?」


 出来る限りの明るい声を出した。


「……えっ?」

「そうだったら面白いよねってだけで、まさか信じちゃうなんて、思ってませんでしたぁ」


 うわやばい空気凍っちゃった。

 まあそうだよね、陰キャの急なでかい声とか空気凍るに決まってるよね、いやでもこうする他に方法が……!


「なになに、何の話?」


 空気の凍った中心に果敢に乗り込んできたのは、向上主任から変人と呼ばれるのも納得できる変人、今村課長だった。


「あっ、江間さん! 君は佐倉くんだったかな。二人とも久しぶりだねえ!」

「お久しぶりです、今村さん!」

「ご無沙汰してまーす……」


 江間さんは仲良いけど、佐倉さんは苦手って感じだ。まあ、この感じだし好き嫌いはハッキリ分かれるだろうな……。


「盛り上がってるけど、何の話してたの?」

「ふふ、佐倉くんがですね? 向上くんがゲイじゃないかって言うんですよ」

「ああ! その話ね! そりゃあないよ、なんで勘違いしたんだい佐倉くん!」


 今村課長が大きなお腹を抱えて笑う。


「向上はストレートだよ! じゃなかったらこの僕の告白を断ったりしてないさ!」


 今度こそ空気が完全に凍った。

ここまで読んで頂きありがとうございます!


向上優鷹:正論パンチかまして周りが黙っちゃう時があるので気をつけたいとは思ってる。

美澄希空:思ったよりでかい声が出ちゃって周りが静まる時があるので気をつけたいとは思ってる。

今村敏樹:周りが黙るとか気にしたことない。黙りたかったら黙ればいいじゃん!

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