向上主任は姉がいる
ナカと主任を会わせてから2週間。
主任の様子が明らかにおかしい。
「あの……美澄。ナカさんから何も聞いてないよな?」
「だから何をですか」
「いやほんと何でもないんだけど!」
今までは自販機前に一人でいる私を見ると、飼い主を見つけた犬の如く走ってきていた主任が、最近はどこか気恥ずかしそうに寄ってきては毎回ナカとどんな話をしたか尋ねてくる。
やっぱりあの二人で帰った夜、ナカと何かあったんじゃないかと問いただすけど、この男誤魔化すばかりでまったく口を割らない。ヘタレのくせに頑固と罵ったら半泣きになられた。
仕方ないのでナカの方にもRINEで聞いてみたが。
『主任さんから直で聞いた方がいいよ〜☆』
……いや、直で言わないからナカに頼ってるんじゃん。
ナカはそんな私の思いを見透かしたように、続けて『あのひと照れてるだけだから』と送ってきた。
『あのひと、みっすーの話ばっかりしてんのに無自覚なのうけんね』
それは、ナカと主任の間の共通の話題が私についてしかないからじゃないだろうか。いや、アニメとか漫画のことはあるけど。
別にどうでもいいんだけど、気になって仕方ない。主任はナカとどんな話をして、その話の中で私はどういう風に語られているんだろう。
♢
様子のおかしい主任のことで悶々とはするが、悩んでも仕方ない。今日の分の業務を終わらせて、誰もいないオフィスを後にした。
社員寮……職場から徒歩10分という近さはありがたくはあるのだが、近いからこそだらだらサービス残業してしまってる感はある。その割に仕事の進みが早いかといったらそうでもないし、下手したら同期で一番遅いし……。
データ入力とか資料作成はまだいい。苦手なのは顧客対応全般だ。それに時間を取られて他の業務にも恐ろしく支障をきたしてしまっている。なんとかならないものか。
そんなことをうじうじと考えながら会社を出ると、「もし」と上品さを纏ったような声で呼び止められた。
「貴女、タカミネ商事から出てきたわね。社員さんなのかしら」
声をかけてきた女の人を見た時、思わず固まってしまった。
長い黒髪を綺麗に縦ロールにして、中世ヨーロッパのお嬢様しか着なそうなレースとフリルたっぷりの黒いドレスを身に纏っている。真っ赤な唇からのぞく八重歯と透き通るみたいに白い肌がどこか怖く見えるけど、美人と言って差し支えない容姿をしていた。
「……もし?」
「あっ、すみません! はい、社員ですけど……」
女の人は「ふうん」と自分の唇を長い爪でなぞる。
「じゃあ、向上優鷹が今どこにいるか分かる?」
「向上……向上主任ですか!?」
「あら、あの子そんな肩書きがつくようになったのね。私には何も教えてくれないから」
え、何なのこの人。主任とどういう関係性なんだ?
疑問はつきないが、もう空は暗くなっているのにいつまでも外で待たせてるわけにもいかない。
部署合同運営会議とやらで夕方から出払っているはずの主任にいきさつをRINEを送ると、意外にもすぐに既読がついた。
会議は早々に終わったものの後の雑談に捕まっていただけらしい。慌てているのか誤字だらけの返信が何通か送られてきた。
『その女は放置して帰っていいから!
すぐ行くってだけ伝えといて』
いつもより焦ってる様子のメッセージに、余計に疑問がわいてくる。
『放置はしませんよ
困ってるみたいだし』
『いやほんと放っといて大丈夫だから
死んでも死なないから』
『何だと思ってるんですかこの人のこと』
RINEでそんなやりとりをしていると、女の人が「優鷹はなんて?」と尋ねてきた。
優鷹って呼ぶんだ。いや、いいんだけど。
「今こっちに向かってるみたいです」
「なら、メッセージをもう一通送っておいてくれる? 近くの喫茶でお茶して待ってるわ、って」
「え?」
「お礼にご馳走するわ。貴女ずいぶん思い詰めた顔してるもの」
女の人は私の手を取る。人離れしている割に手は子供みたいに温かい。あれ、この感じ誰かに似て……。
「美澄っ!」
反対の手を、温かくて骨張った手に掴まれた。
振り向くと、向上主任がかつてない必死な顔で女の人を睨みつけている。
「そいつから今すぐ距離を取れ! 関わり合いにならない方がいいから!」
「あら、随分な言い方ね。何度も窮地を助けてあげたのを忘れたのかしら?」
「それとこれとは話が別だから!」
私を挟んで喧嘩を始めそうな気配がして、咄嗟に「あの」と大きめの声を出して止める。
「主任……あの、この人は」
「あら、自己紹介がまだだったわね?」
女の人は私の手を離すと、ふわりと膨らんだスカートの裾を摘んだ。
「初めまして、お嬢さん。私は向上瑠璃」
「えっ、向上って」
「……うちの姉です……」
主任が頭を抱えていた。
主任のお姉さんの話は何回か聞いたことがある。いつもイベントの時の売り子を頼んでいるという人だ。しかし、どんな人か教えてもらったことは一度もなかった。
なので私は勝手に擬態してない主任と似たような、オタク丸出しのお姉さんを想像していたのだが。
「なんで会社まで来るんだよ……!」
「明日は大型の併せがあるから、貴方の家に泊まるってずっと前から言っていたのに、貴方が家を空けているからじゃない。これでもかなり時間は潰した方なのよ?」
「仕事だから仕方ないだろ! せめて連絡をしろ連絡を!」
「だってスマホの充電切れちゃったんだもの」
「どうせ電車の中でずっとピクシヴ見てたんだろうが!!」
……濃いな〜。
まじまじと見つめている私に気付いたお姉さんは、妖しげに微笑んだ。
「優鷹、もう仕事は終わり? 家に帰ってこれるの?」
「会議資料作って帰んなきゃいけないからもう少しかかるけど……鍵渡しとくから家で大人しく」
「ならちょうどいいわね。貴女と晩餐を共に時間が出来たわ♡」
「っは!?」
お姉さんから腕を組まれて、主任と私は同時にひっくり返った声を出してしまう。
え、なんで私と?
困惑していると主任が「やめろ!」と騒ぎ出した。
「美澄に近付くな! 一人で飯でも何でも食ってこい!」
「貴方には聞いてないわよ。美澄……決めた、貴女のことミスティアと呼ぶわ」
「変なあだ名をつけるな!!」
お姉さんは主任の文句なんか聞こうともせず、私のあごをくい、と持ち上げた。綺麗な顔が近付いて思わず後退りそうになるのを、腰を抱いて制止される。
「ミスティア、私と共に行くのは嫌かしら?」
「っあの……」
甘ったるい香水の匂いと鼻先がくっつきそうな距離感に詰まったような声しか出ない。
あまりに速い展開に脳が追いついていないまま、綺麗な顔の迫力に負けて思わず頷いてしまった。
「いや美澄、何オッケーしてんの!? 無理しなくていいからな!?」
「いやだって、断る理由もないですし」
「断る理由しかないだろ!」
「だから貴方には聞いてないって言ってるでしょう。それともなぁに? 私とミスティアがお喋りすると何か困ることでもあるのかしら」
「あんたの存在に困ってんだよ!!」
こんなに抵抗が激しい主任も珍しい。いつももっとチョロ……というと上司の沽券に関わるけど、もう少し話が通じるのに。
まあ随分個性的なお姉さんだし、少し気恥ずかしいのは分かるけど。
「っていうか主任、会社前でそんな騒いで大丈夫なんですか」
そう言うとはっとしたように目を見開いて、すん、といつもの無表情を作った。擬態もここまで来ると面白さすらあるな。
「……とにかく、お勧めはしないから。じゃあ」
「あら、優鷹ったら会社ではそんな猫かぶってるの?」
「うるさ……鍵だけ、渡しとくから。会社から出る前には連絡する」
主任はポケットから取り出した鍵をお姉さんに渡すと、踵を返して会社の中に入った。気になるのか、時々躊躇いがちにこちらを窺ってくるのが哀れだ。
「じゃ、邪魔者もいなくなったし行きましょうか。ミスティア♡」
「えぇ……」
かくして、主任のお姉さんと一緒に夕飯を食べることになってしまった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
向上優鷹:昔は姉のことを「姉ちゃん」と呼んでた。
美澄希空:昔は弟のことを「れおくん」と呼んでた。
向上瑠璃:昔は弟のことを「ゆた」と呼んでた。




