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向上主任は不在です

『希空にこんなのいらないわよ。べたべた塗りたくって、気色悪い』


 少女漫画の付録についてたリップを使って、お母さんから随分怒られたのを今でもよく覚えている。

 それ以来、なんとなく化粧は私がしちゃ悪いことなんだと思って、避けて通ってきた。


 なので。


「えっ……この中から、目当てのもの探すんですか……?」

「そうだよ?」


 広すぎる化粧品売り場を前に、早くも心が折れかけるのも無理はないと思う。


 ドラッグストアに行った時は宮本さんが好き勝手カゴに入れてたからあんまり気にしてなかったけど、こんなに無数に並んでる箱やら瓶やらの中から目当てのものを探すなんて……絶対無理……!


「く……くじけそう……」

「ええ〜? お買い物楽しいよ?」


 私には無理。江間さんのような境地に至るまでにあと人生5回はいる!


「美澄さんは化粧水と乳液とメイク落としだよね? どこの買いに来たの?」

「えっと……これです」


 江間さんにスマホの画面を見せると、合点がいったように「ああ」と手を叩いた。


「有名どころだね! あたしも使ってるから、どこにあるか教えたげる♡」

「えっ、江間さんと同じ……ッ!?」

「どうしたの?」

「や……恐れ多くて……」


 かたやマーケティング部の天使、かたやデブでブスのオタク女だぞ……同じものなんか使っていいのか? だけどこれにしなかったのバレたら宮本さんが何て言うか。危害加えてこないのは分かってるけど、怖いんだよなあの人……。


「お願いします……」


 恐れ多さと自分かわいさを天秤にかけて自分かわいさが買った。宮本さんに怒られたくない。何としてでも。


「ふふっ♡ 美澄さんの女の子1年生なとこ、可愛い♪」

「いえそんな……私なんか豚みたいなもので……」

「ふふふ、何それおもしろ〜い♡」


 いたたまれないような気持ちに苛まれながらも、江間さんの協力のおかげで。


「かっ……買えた……」

「よかったね♡」


 宮本さんの指定通りのものを買うことができた……!


「なん、なんであんなに種類があるんですか、同じメーカーなのに……っ!」

「ん〜、乾燥肌さんと脂性肌さんが同じの塗ってたらダメでしょ?」

「カンソ……シセイ……?」

「ふふふ、美澄さん、本当に初めてなんだぁ♡」


 私というものは、女子力がゼロどころかマイナスに突き抜けているような気がする。

 現に、目当ての商品を確保した後に江間さんの買い物について行ったけど、何買ってるかまったく分からなかった。

 どうやって使う何? そう思っても聞けないのは私がヘタレで、妙なプライドが邪魔してもうこれ以上江間さんの前で恥を晒したくなかったからです。


「じゃあ次は服見に行こうよ!」

「えっ!?」

「あたし、女の子の友達ほとんどいないから……美澄ちゃんにデート服選んでもらいたいな♡ だめ?」


 そのきゅるんとした目つきをやめてください、今すぐに。

 そんなこと言えずに、私は力なくついていくことしか出来なかった。


 別に友達と買い物に行ったことがないわけじゃない。でも友達……ナカは即決即買いだから、私に意見求めたりしないんだよな。


「ねえ、美澄さん♡ これとこれどっちがいいかなあ?」

「えっと……どっちもお似合いかと……」

「え〜? それじゃ分かんないよぉ」


 だから、その色しか違わない二つのセーターをどう違うか見極めろなんて私には無理な話なんですよ。


「あっ、じゃあね、向上くんはどっちが好きと思う?」

「んぇっ!?」


 なんで向上主任……あ、この人、主任のこと狙ってるかもなんだっけ。

 いや、それにしてもなんで私に……。


「向上くんと仲良しでしょ、美澄さん」

「……えっ、いやいやいや、そんなことあるわけないです」

「嘘ぉ♡ だってあの向上くんが送ってったんだよ、家に!」


 多分二次会行きたくない口実とかじゃないですかね。そうは言えずに「そうですね」とだけ答えた。


「何となくですけど……派手じゃない色の方がいいんじゃ……」

「じゃあこっちのネイビーかな? 試着してくるねっ♡」


 化粧品売り場もだけど、服屋だって私滅多に近付かないんだからあんまり馴染みがないんだよ。着てるの大体母親からのお下がりとかだし。


 でも、ちゃんと化粧してる今なら、ああいうの似合ったりするのかな。


 店先に飾られたデニムワンピースの方に、引き寄せられるみたいに歩いていく。

 これなら体型目立たないし、別に、私が着ても……。


「あれ? 姉ちゃん?」


 ワンピースに触れようとした手が止まった。

 声の方に目を向けると、実家を出てから一度も会ってない弟……麗央(れお)がいた。

 友達と遊んでる最中なのか、引き連れてる男の子達に「誰?」と聞かれて「姉貴」と答えてから、にやにやと私の方に目を向けた。


「何その顔。化粧してんの?」

「……あ、これは」

「化粧してもブスだな〜、姉貴。しかもなんでそんな前髪短いの? あっ、イメチェン!? ブスなのに!?」


 指摘されて、どんどん頭が熱を持つ。


「なんかその服見てたけど、え、着るの? やば、太い脚人にさらして申し訳ないとか思わないの?」

「いや、見てただけ、だから……」

「そういうの、ブスが勘違いしてるって思われるからやめた方がいいよ?」


 昨日まで伸ばせてた背筋が、張れた胸が、どんどん自信を失っていく。背中を丸めて俯くと、実家での自分の立ち位置を思い出す。

 皆で夕飯を食べる食卓のこっち側にいるのは私だけで、あっち側にお母さんと麗央がいる。何度も何度も「希空は器量が良くないから」「姉貴ブスだから」って繰り返して、私は、それを黙って聞いて……。


「美澄さんっ」


 沈む思考から私を引き戻したのは、甘ったるい声色だった。


「え……江間さん……」

「もう、試着見て欲しかったのにいないんだもん! ……この人達は?」


 江間さんは天使みたいな笑顔を麗央達の方に向ける。麗央は江間さんを見るなり頬を染めて目を逸らしていた。


「あ、弟とその友達です……」

「そうなんだ! 初めまして、美澄さんと職場で仲良くさせてもらってる江間あずさです♡」

「あ……ども……」


 麗央は緊張している様子で会釈した。そうだ、こいつ私には結構ズケズケいうけど、元来あんまり女の人に色々言えるタイプじゃないんだった。


「美澄さん、そのワンピース気になってるの?」

「えっ、いや、あのっ」

「あ……江間さん? からも言ってやってくださいよ。うちの姉貴、なんか勘違いしてるみたいで、それ……」

「すっごい似合うと思う!」

「え」


 私の声と麗央の声が重なった。


「ワンピースって言っても甘すぎないし、美澄さんの雰囲気にすごい合ってるよ! 試着しちゃう?」

「あ……あの……」

「弟くんのいう通り、美澄さんってば勘違いしてるよ! もっと自信持たなきゃ、こんなに可愛いんだから!」


 お世辞とは分かってても、美女が言うと破壊力あるな……。

 麗央も江間さんを前に何も言えなくなって、舌打ちをした後に「じゃ」と友達を引き連れてどこかへ行ってしまった。

 ……は、初めて弟を撃退してしまった……。いや、撃退したのは江間さんだけど。

 江間さんの方を見ると、にっこりと微笑まれたけど、その笑顔はどこか悲しそうな雰囲気がした。


「……ごめんね? ほんとは、少し前から聞いてたの。弟さんが、美澄さんにひどいこと言ってるの」

「あ……いえ、いつもあんな感じなんで、いいですよ。慣れてますし、事実ですし」

「……事実でも何でも、あんな風に言われて黙るのは見苦しいよ」


 ……え?

 急な冷たい声色に顔を上げると、いつもの天使のような笑顔があった。

 え、今の江間さん……? 気のせいだよね?


「ふふっ♡ なんてね? でも美澄さん、このワンピースは本当に似合うと思うから、試着しなよ♡」

「えっ、いや、お時間とらせるわけには」

「あっ、あっちのスカートも可愛い〜♡ 美澄さん、これも着たら? あっ、あとあのアウターも!」

「ちょっ、ちょっと待って……!」


 江間さんってもしかして、私が思ってるような人じゃないのかもしれない。

 天使みたいにほわほわしてて、誰にでも優しくて、さっきだって私が困ってたから助け舟を出してくれた。


 でも、もしかしたらそれだけじゃない。


「美澄さん、いっぱい買ったね♡」

「……江間さん、営業に来た方がいいんじゃ……」

「え〜? 私向いてないよぉ♡」


 結局私は江間さんに唆されてワンピースどころか他にも服やらアクセサリーやら大量に買わされてしまった。財布には痛いが、あの笑顔を崩すことが私には出来ん……。


「今日はすっごく楽しかった! また一緒に遊ぼうね、美澄さん♡」


 もうすっかり暗くなっている駅前で見る江間さんの笑顔は、天使というより人を誘惑する悪魔に見えた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


美澄希空:服は着れりゃいい。

江間あずさ:女子アナを参考にコーデしてる。

美澄麗央:SNSで流行ってるやつを着てる。

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