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向上主任は目が悪い

 ヤバい。


 どうやって家に帰ってきたのかまっっっっったく覚えてない……。


 マーケの佐倉さんにめちゃくちゃ飲まされたのは覚えてる。その後潰れたんだろうなっていうのも、部署の皆さんの心配のRINEで分かった。

 でも、どうやって家に帰ったかまったく分からん……。


 もう正午をまわったベッドの上で頭痛と吐き気、それからどうして自分がちゃんと家にいるのか分からない不安に苛まれていると、スマホからぴこんと通知音が鳴った。

 主任からである。


『美澄、二日酔いとかなってない?

平気?』

『吐き気と頭痛ヤバいです』

『なってんじゃん二日酔い……

玄関のポストに鍵突っ込んだから見といて』


 ……は?


『もしかして主任が送ってくれたんですか?』

『えっ

覚えてらっしゃらない……?』

『まっっっっったく覚えてないです』

『もうあんま外で飲みなさんな美澄』


 玄関のポストの中には本当に家の鍵があった。

 人前で送るな、親しいかもってところを見せるな、と怒りたい気持ちはある。しかしそれより、無事に帰り着けてるのは主任のおかげという感謝の気持ち……もとい、懺悔の気持ちもある。

 やらかしてしまった。こないだ仕事でやらかしたばっかりなのに、酒の席でも失敗してフォローさせてしまった……。

 主任のことだしありがとうございますの一言で済みそうな気はするけど、それじゃ私の気が済まない。この身に張り付いた罪悪感が拭えないのだ。


『あの

迷惑かけたお詫びがしたいんですけど

何か私にして欲しいことありますか』

『そういうこと男の上司に言うのやめなさい』


 ……?

 何言ってんだこの人。


『何でもいいですよ

ご飯おごれとか、ランダムグッズ買ってとか』

『俺の方が高給取りの自信あるんで奢らせるのはちょっと……

それなら同行してほしいところがあるんですけど』

『どこの本屋のBLコーナーですか』

『人をBL欲の権化のように言うな

え〜、本当に一緒に行ってくれる??(・ω・`)』

『ぶりっ子すな』


 画面の向こうでうだうだ躊躇ってる主任の姿が見えるよう。今更あんたから何が飛び出してきても別に驚かないって……。


『マッスルバー行ってみたい……』


 前言撤回、ベッドから転げ落ちるくらい驚いた。



「美澄っ」


 約束の日、待ち合わせしていた駅の改札近くでスマホをいじってたら、よく知った声がしてスマホをポケットに仕舞った。

 自分から提案してるくせに遅刻ですよ、と文句の一つでも言ってやろうとして、顔を見たら。


「……なんか心境の変化ですか?」

「え?」


 主任が中途半端に擬態していた。


 眼鏡はかけてるけど、なんかちゃんとサイズ合った服着てるし、髪セットしてるし、なんていうか……お洒落?

 私のまじまじと見る視線に気付いたのか、主任が「ああ」と笑った。


「せんたろ……幼馴染に美澄の話したら、なんか色々されてこうなった」

「ああ……あの主任の見た目を整えたという……」

「そうそう」


 どうしよう……私、今日もいつも通りの主任が来るって思ってたから普通にTシャツとズボンで着てしまった。

 いや、別に主任がめかしこんでようが関係ないんだけど、別に。


「ね、あの人すごいかっこよくない?」

「モデルかなんかかな……背高いし……」

「あ、じゃあ隣の人マネージャーとか?」


 周りの目が痛いんだよ!!


 いつもだったら「なんだオタクの集まりか……」で民衆の目にも触れてない我々なのに……!


「……美澄? どうかした?」

「いや、今日あんまり近付かないでもらっていいですか」

「なんで!?」


 変な誤解を受けると悪いので、とは言うまい。


「こんなん持ってるから!?」


 そう言って主任がやけにでかいカバンから取り出したのは、まったく詳しくない私でも分かる……とても立派な一眼レフだった。


「なんでカメラ……」

「だってマッスルバー行くの資料用だから」

「資料用」

「与四鈴、結構筋肉カップルじゃん? 今までピクシヴで資料とか探して描いてたけどやっぱ限界あって、この際色々写真撮らせてもらおうと思って姉に借りた」

「ああ、それでマッスルバー……撮影オッケーなんですか?」

「チェキって名目でお金払えばいいって。まあ最悪目に焼き付けるから」

「マッスルバーで筋肉ガン見してる成人男性怖すぎでしょ……」

「だから美澄について来てもらってるんじゃん!」


 話してみると、当たり前だけどいつもの主任だった。


「東町駅の方でしたっけ。早く行きますよ」

「あは、分かった」


 主任を連れて、改札を通る。ちょうど東町の方に行く電車があって、すぐに乗り込んだ。

 は、いいものの。


「人、多いな……」

「……なんか別の電車が遅れてるみたいで、一気にこっちに人が集中したっぽいですね……」


 電車は満員と言って差し支えなかった。

 なんとか乗り込めたはいいものの、人の波に押し潰されそうだ。こういう時、背が低いって嫌になる。どこを向いても酸素が足りなくなりそうな中、主任から「美澄」と声をかけられた。


「こっち」

「う、あ」


 肩をぐっと寄せられて、壁に追い詰められた。そういうと聞こえが悪いが、ようは人混みから守る形で壁ドンをしてくれたわけである。

 主任との体の間に出来た隙間で、ようやく呼吸が出来る感覚がした。


「あ……ありがとうございます……」

「いいよ。美澄ちっちゃいし潰れそうだもんな」

「ちっちゃいって次言ったら足踏みますけど、助かりました」

「あ、地雷なんですね……」


 なんだか、心臓がうるさい。距離が近いせいなのか、主任が中途半端に擬態してるせいなのか、顔が熱い。

 早く駅ついてくれないかな。マッスルバーで騒ぐ28歳児を見たらきっと正気に戻るはずなんだ。

 でも、戻らなかったら?

 この胸のざわざわする感じが、ずっと、続いたら……。


 その時、電車がごとん、と大きく揺れた。


「うぁっ」

「おっと」


 可愛くない声でバランスを崩した私を、主任が支えた。

 そのせいで、抱きついた形になってしまった。

 脳が一気に沸騰しそうなほどの熱を持つ。


「っ……すいません!」

「いや結構揺れるから、別に……」


 そこまで主任が言った時、また電車が揺れて、今度は主任がバランスを崩す。なんとか脚で踏ん張ったのか倒れこそしなかったけど。


「あっ」


 眼鏡がかしゃん、と床に落ちた。


「ひっ、拾います! 主任はそのまんまでいいです、そのまんま!」

「う……うん、そうしてくれると……なんも見えんマジで……」

「も……もう、しょうがないですね……」


 しゃがみ込もうとした時、足元でべきっという音と、何か踏んだ感触がした。

 恐る恐る下を向くと……ぼっきりと折れた悲惨な姿の眼鏡が落ちていた。


「美澄、眼鏡あった?」

「……主任、ほんとすいません……」

「え?」


 眼鏡……壊しちゃった……。



「大丈夫大丈夫! 実際眼鏡なくてもぼんやりは見えるから!」

「いや、でも主任……」

「で、改札あっちだよな!」

「危なっ……線路に落ちかけとる! 主任やっぱ今日は帰りましょう!」


 意気揚々と自殺行為に及ぼうとする28歳児の裾を掴んで止める。


「せっかく来たのに……」

「またいつでも付き合いますから、今日のところは帰りますよ」

「えっ、本当!? 言質とったからな、逃がさないからな!?」

「いや怖」

「まあ、確かに何も見えないんじゃ勿体無いしな。とりあえず家帰って予備の眼鏡……」

「だから主任、そっち線路ですって……!」


 どうしよう……普通にここで解散、なんてしちゃったらマジでこの人死にかねん……。


「……主任の家って、どこですか……」

「え? 北花(きたはな)駅の方だけど」

「よし……行きますよ」

「えっ」


 こういう時、どこを掴むのが一番安全なんだろう。いや、本当は分かってる。勇気が出ないだけだ。

 これはやましい意味じゃない。上司兼友達をみすみす死なせないためだ。別に変な意図はない。っていうか今日こそオタクの格好して来いよ28歳児が……!


 意を決して、主任の手を掴んだ。


「っえ……えぇ!?」

「なんですか!」

「いや、なんで、手」

「私から離れたら死ぬでしょ主任!」

「え、えぇ……?」


 前に握手した時より心臓が早鐘を打つのを無視して、主任の言う最寄駅の方へ歩き出した。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


向上優鷹:何でもありのめちゃくちゃのみすけ。

美澄希空:ビールとかハイボールとかはあんまり好きくない。甘いお酒が好き。

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