向上主任はサークル参加
「……向上主任?」
私がそう声をかけると、目の前の男の人はぎこちない動きで顔を逸らした。
セットされてないぼさぼさの黒髪。分厚いレンズの野暮ったいメガネ。サイズの合ってないだぼだぼのネルシャツとジーンズ。
会社での姿とは似ても似つかないが、毎日顔を突き合わせている上司の顔を間違うわけがない。
問題は、なんで主任がこんなところにいるのかということだ。
ここは女性向けアイドルゲーム『アイドルストリート』の同人誌即売会。いわゆるオンリーイベント会場。
主任が座ってるのは、売り手側であるサークル参加者が座るスペースの中。
長机の上には、『ドルスト』の中でも接点が少なくマイナーカプとされる「与四郎×鈴鹿」のBL同人誌が並んで、その全てにR18という表記がされていた。
「み…………美澄……」
主任は気の毒なくらい震えた声でそう言うと、ようやく私の方に顔を向けた。
いや青っ、血の気引きすぎでは?
「……アフターで、焼肉行けるか……」
その誘いを断れるほど、私は無慈悲にはなれなかった。
なぜなら私もまたオタクで腐女子だからである。
♢
私、美澄希空の勤めるタカミネ商事には「笑わない営業」「氷の向上」と噂される敏腕営業マンがいる。
それが、私の直属の上司、向上優鷹主任。
常に無口、無表情、無愛想。それなのに営業成績は連続トップ。言葉少なながらも確実に案件を片付けていく姿には上層部も一目置いており、史上最年少で主任にまで出世した。
整いすぎてる外見もさることながら、プライベートを一切明かさない秘密主義の性格のために、かなりとっつきづらいと思っていた向上主任。
地味で小デブで目立たない一介のOLである私は、この笑わない上司と仕事以外の話をすることなど一生ないと思っていた。
思っていたのだが。
「美澄は……生でいいか」
「あっ、はい……」
まさか向上主任とイベント後のアフターをご一緒することになろうとは……。
主任が連れて来てくれた焼肉屋さんは席が全部個室になっていて、週末である今日は家族連れや飲み会らしき人々で賑わっていた。そんな中、私と主任の座るここだけ空気がお通夜。店員さんが明るい声でビールと肉の盛り合わせを運んできてくれるのがまた気まずい。
こういう時、どんな顔すればいいか分からないの。某ヒロインみたいなことを思いながら恐る恐る主任の方に目を向けると、主任も今から息子を人型兵器にでも乗せるんかと言わんばかりの表情とポーズで黙りこくっていた。
「………………」
「………………」
気まずい。
これは、私から話題を切り出した方がいいかもしれない。
でも何て切り出す? ああ、ここはやっぱりさっき買い損ねた……。
そこまで考えたところで、急に主任ががしり、と自分のジョッキを掴む。
そして、そのまま一気に……中身を飲み干してしまった。
さすが鋼の肝臓の二つ名を持ち、どんな接待でも顔色ひとつ変えたことがないという向上主任。生ビールイッキくらいじゃ表情も……。
「……ああっ……もうやだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「えっ」
「美澄ごめんここ奢るからめちゃくちゃ酒飲んでいいか!? 素面でいるの耐えられん!!」
「い、いいですけど……」
「ッシャオラァ! すいませーん麦焼酎ください!! ロックで!!」
……え?
「……ぶはっ、うあ〜〜〜〜〜もうまじ無理なんだけど〜!! 人生終わった、ほんと無理、よりによって売り子頼めてない日に同じ部署の奴に見つかることある!? あるのか現実に起こってんだもんな今〜!!」
「あの」
「っていうか美澄も美澄だからな!? ああいうのは上司って気付いても放置しとけよ!! スルーして永遠に口を閉ざしといてくれよああいうのはよ……」
「えっと」
「せ〜〜〜っかく会社では擬態成功してオタバレも腐バレもしなかったのに一番最悪な形でバレちゃった……こんなになっちゃったからには、もう……ネ……」
「あの、主任」
「転職するしかないかぁ! 就活死ぬほど嫌いだけどもうしゃーないな! あはは、次は人と関わらない仕事した〜い!」
「主任っ、てば!」
「あだっ!!」
次々酒をかっくらっては情緒不安定に捲し立てる主任の足を掘りごたつの下で蹴ってやると、ようやく黙らせることが出来た。恨みがましい目で睨まれたけど知ったこっちゃない。暴走したのはそっちだ。
「あの、一応確認ですけど……主任って腐男子なんですか?」
「……今年で28歳なのに男子って言っていいんですか?」
「知りませんよ」
何を気にしてんだよ。
向上主任は少し考え込んだ後、諦めたようにため息をついた。
「そうだよ……ゴリッゴリのオタクだしゴリッゴリに腐ってるよ……」
「ゴリッゴリに……いや、それにしても会社とキャラ違いすぎませんか」
「だって会社では擬態してるもん!!」
「もんってアンタ」
「喋ったらすーぐネットスラングとかオタ用語出るからもう必要最低限のことしか喋らないし会社でニヤけたりしないように虚無顔保ってんの! そしたら何か、『氷の向上』だっけ!? 二つ名ついてんのウケるよね!」
「ウケませんよ」
話せば話すほど、本当にこの情緒が忙しい男があの向上主任なのかと疑いたくなる。しかし真顔になる瞬間の顔立ちの整い方は確かに毎日見ている上司のそれで、バグを起こしそうな風景に頭を抱えた。
だがバグを起こしている場合ではない。私だって私の目的があってイベントにやって来ているのだ。決して上司の一人漫才を見るためではない。
「向上主任が、あの与四鈴の同人誌描かれたんですよね」
「そうだよ!! すいませんねえ上司がR18のBL同人描くような変態で!!」
「そんなこと言ってないじゃないですか。新刊と既刊1冊ずつください」
「えっ」
主任が豆鉄砲くらったような顔をした。
「な……何……? 社内チャットで晒す用……?」
「そんなわけないでしょう。与四鈴のサークルさん少ないんで、見つけた同人誌は全部買いたいんですよ」
「えっ、いやいやいや、そんなこと言って本当はぁ……」
この人ごちゃごちゃめんどくさいな……。
でも、信頼を勝ち得ないと目当ての同人誌が手に入らない。
こちとら数年ぶりにどハマりしたジャンル、沼ったカプなんだ。推しカプのR18、しかも好みの絵柄の同人誌を逃せるわけがない。
「……3章の与四鈴の絡み、最高でしたよね」
私がそう言うと、主任の肩がぴくっと揺れた。
「ココロくんと百枝のやりとり見て二人がやれやれってしてるシーン、ほぼ夫婦じゃありませんでした? 同じような仕草して、同じようなこと言って」
「夫婦だった……」
「SSRの制服カードのキャラストで言ってた与四郎の理想の奥さんって、長いこと一緒にいて気付いたらハモっちゃうような人でしょ? 控えめに言って鈴鹿くんのことじゃないですか」
「鈴鹿くんのことと思う……」
「それからこれスピンオフのアンソロ版の話なんですけど、キャラデザの蛇穴ルイ先生の描いた漫画の中で鈴鹿くんが……」
「待て美澄! 俺それ読んでないから!」
制止されて口をつぐむ。主任はニヤつきを必死で抑えるような、複雑な顔をしていた。整っている顔が台無しである。
「つ……つまり、マジで与四鈴推しで、俺の同人誌目当てでスペース来てくれたってこと……?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
私の言葉を聞いて、主任は深呼吸をした後、穏やかな微笑みで手を差し出してきた。
なんでこうオタクという奴は同志を見つけると握手したがるのか。するけど。
ぎゅ、と握った主任の手は、意外にも子供のそれのように温かった。
「初めて自分以外の与四鈴推しに会った〜〜〜〜〜!!」
「私もダメ元でイベント来てみてよかったですよ……主任、ピクシヴとツブッターのアカウント持ってます?」
「めっちゃくちゃR18のBL絵あげてるけどあるぞ!」
「よし来た、フォローしとくんで教えてください」
かくして、私と主任の妙な関係性が始まってしまったのである。
ここまで読んでくれてありがとうございます♡
異世界転生できなくても私もネトコン11の仲間に入れてヨォ!頼むヨォ!の気持ちで書いてます。
美澄希空(23):生意気な受が分からせられる展開だ〜いすき。受の全ての言動がこの後の展開のための前振りにしか思えない。
向上優鷹(27):年上受がだ〜いすき。受って包容力がないと出来ないから精神的には攻なのでは?という謎持論の持ち主。




