ある男爵令嬢と王子とその婚約者のパラノイア
視点が暴風のようにコロコロ変わります。
分かりにくいかもしれないので最後に視点の切り替わり順を書いておきます。
アスタリスク(*)は場面転換、話の流れの転換です。口にする料理が変わったなーくらいの感覚です。
歴史や政治、地理には全く知識がありません。
矛盾などがあるかもしれませんが雰囲気で読んで頂ければと思います。
書かれていない裏設定がごりごり。
いつか詳しく書く事があるかもしれないです。
ーーついに、この日がやってきた。
集まる視線の先にはただの女性ーーもとい、1人の少女だ。
元は上質だったであろう服は汚れ、破け、彼の公爵家の御令嬢とは思えない。
一体どのような扱いを受けたのか
ドレスは罪が露呈し幽閉される前に出ていたパーティに着ていたものだ。彼女のために誂えられたドレスは彼女の瞳の色の宝石が縫い付けられておりキラキラと輝いていたが、今は一粒も見られない。所々ドレスが破かれているのはそう言う事なのだろうか…。それに加えてあちこちにシミが付いている。泥のような赤黒いようなワインのような。
雪のように白い肌は今は所々青黒くなっているように見える。
で、あるのに
どうしてだろう。
アメジストの輝きを持つ瞳は光を失わない。
罪を犯し幽閉される前と同様の輝きをたたえている。
もはやドレスと呼べないような布をまとい身体にも傷が見える。女性としての尊厳を全て奪われていると言っても過言ではない。けれど彼女はそれでも民の視線を釘付けにした。
***
民は目を奪われていた。
彼女の美しさに。
それは容姿の話ではない。
彼女が類稀なる容姿の持ち主だと言うのは周知の事実ではあるが…
着ているドレスはみすぼらしいし身体の痣も隠れていない。
けれど彼女は美しかった。
背筋をピンと伸ばし、まっすぐ前を見つめる彼女の姿勢が。何より彼女から溢れるオーラが。
彼女はこの状況に絶望していないのだ。
彼女の持つアメジストの輝きは彼女の強さの証。彼女の心は誰にも傷つける事が出来ないのだと民は悟った。
同時にわからなくなる。
彼女の瞳を見ているとどうしてこんな事になってしまったのか分からなくなってしまうのだ。
***
本当に忌々しい。
いつだって彼女は彼女だった。
己を信じ、己を貫く。
何もかもを持っていて、
その何もかもを自ら手放した。
…いや、違うか。
と女は口元を僅かに歪ませ笑った。
捨てさせたのは、私だ。
私は 本当は 分かっていた。
分かっていて、期待して、
それを利用したのかもしれない。
ああっ…!私はなんて醜いんだろう…!
自分の意地の悪さに思わず息が上がる。
興奮しているのだ。
でもーー
女は慌てて顔を下げる。
目を隠すように落ちた髪から覗くタンザナイトの瞳は憂いを帯びており、現状を嘆いているように見えるだろう。
見る者の庇護欲を湧き立たせるように。
女はそっと自分を抱きしめた。
胸をのたうちまわる感情を逃すように息を吐いた。
…欲しくなってしまったのだ。
彼女は身分に笠を着るようなちっぽけな人間ではなかった。平民にも平等に接し、この国の暗部にもメスを入れ露頭に迷う者たちの保護を率先して行った。本当に出来た人間だ。
彼女を嫌いな人間なんて嫉妬や後ろめたい事をしているような奴らくらいしか居ないのではないか。
非の打ち所がない完璧な人間。
それが女が彼女に抱いていた印象。
でもね。
私の欲しいものを持っていた事に関しては彼女は本当に最低だったの。
しょうがなかったの。
私だって最初は諦めようとしたわ。
だって彼女のこと、好ましく思っていたもの。
常識的にも考えて手に入れられるようなものでは無い事も分かっていたわ。
でも、
でも、彼女の持つエメラルドの輝きが強くなっていくことに気づいたから。
わたくし、我慢できなくなってしまったのよ。
欲しい物はなんとしても欲しいの。
だって欲しいんだもの。
欲しいと思う気持ちに理由なんてあるのかしら?
欲しいものがあるのに手に入らない間は心が空っぽのようなの。
ずっとそのことを考えてしまうの。
私、ちゃんと我慢しようとしたのよ?
ここに至るまで色々とさせて頂いた。
いけない事だと、危険だと分かっていても考える事を止めることができなかった。
でもようやくそれが報われる時がきた。
だってこれで邪魔な奴はいなくなるのよ…!
彼女が居なくなった後の事を思い描き、
女は表情をうっとりさせた。
女は許せなかった。
彼女に理不尽な悪意を振るうのを厭わない程。
だってそれが欲しかった。
彼女を見つめるエメラルドの瞳が。
ね?だからしょうがないの。
***
静寂が訪れ、この国の宰相が現れる。
いつも以上に陰りのある彼の表情は
彼の感情をよく表している。
眠れなかったのだろうか。
顔は青白く目の下の隈が優しくない顔に拍車を掛けていた。
手にする上質な紙に目を落とし、
書かれている事を読み上げる。
紙を持つ手は震えている。
紙には彼女の犯した罪が書かれていた。
民にはその姿は彼女の行いに対する怒りに打ち震えているように映った。
王国を内乱に落とそうとした魔女。
それが彼女の罪。
王家を誑かし、他国から人を集め王国の者として戸籍まで偽造した。
さらには不自然なほどの大金がこの数年で、それも他国へ動いていたとあればいかに彼女が公爵家の至宝と呼ばれ第一王子の婚約者という肩書きを持っていようともどうにかできるものではない。
かの領地を調べれば大量の鉱物やら食料やら衣類やらが隠されていたという。何をしようとしていたのか様々な噂が飛び交う。
宰相は彼女に科せられた決して少なくない罪状をたっぷりと時間を掛けて読み上げる。
そうして不意にその声が途切れる。
その瞬間、それまで目を瞑り宰相の声に耳を傾けていた彼女は宰相に瞳を向けた。
宰相もまた彼女を見つめていた。
王都に住まう殆どの民が集まっているというのに、隣人の呼吸の音さえ聴こえない不気味なほど静かな時間だった。
それはほんの一瞬であったが、
時が止まったのかと錯覚するほどの長い一瞬であった。
…先に目を逸らしたのは宰相だ。
僅かに口を開き、何か言おうとしたのだろうか、迷いを払うように薄い唇を引き結んだ。
眉間の皺はこれ以上ないほど深い。
彼は知っているのだ。
ここに書かれた事に何一つ真実は無いのだと。
けれど所詮自分も同じ穴の狢。
真実ではないと知っていながら断罪を許容しているのだから。
宰相の沈黙は家の為かそれともーー
***
宰相には本当にひやひやさせられた。
最後まで彼女の味方をしていたのも彼だ。
どんな時でも公平な判断を下す彼は、
今回の事は嵌められたのだと。
彼女はそんな事をしていないと訴えていた。
いや、実際分かっていたのではないかしら。
私が悪意を持って彼女の名誉を貶めようとしたことを。
でも彼は宰相だ。
その地位に就く限り、主には逆らえない。
彼が忠義に厚い人間で助かったーー
そう女は思う。
自分の味方でないのは気に食わないが、
終わったことだ。
タンザナイトの瞳が妖しく煌めく。
女、デルフィニウムはそっと笑みを忍ばせた。
***
ああ、これでやっとーー・・・
彼は自分の口角が上がるのを感じた。
いけない。
長年の想いが叶うのだ。
これを喜ばずしていつ喜べというのか。
しかし、まだだ。
まだ時では無い。
そう自分に言い聞かせいつものように
酷薄な表情を浮かべる。
もっとも、エメラルドの瞳は潤み、頰はうっすらと上気していたが。
***
そうして、程なくして
100年続くある王国からひとりの女性が消えた。
彼女は王国の歴史史上最大最悪の魔女としてその生涯を閉じた。
彼女は王国が続く限り稀代の悪女として語り継がれるはずだったーーのだが、
その直後、王国を分断するように流れているカレンデュラ運河が大規模な氾濫に見舞われた。
王国の端から端まで繋ぐこの運河は王国の発展に大きく貢献していた。
移動に船を使うのは日常であったし、港には店や民の住まう家が密集していた。
そんな運河が氾濫した。
作物は流され、家畜も死んだ。
建物が流されて住むところを失った者もいた。
汚水により作物が育たない土地がたくさん出来た。
それを乗り越えたと思ったところにクーデターが起こる。
魔女の存在など無くても立派な内乱が起こってしまった。
最初こそ魔女の呪いだと囁かれていたが、そのような噂話は広がる事なく消えた。
噂話に精を出せないほど人々は生きる事に必死だったのだ。
そうして1年経ち、2年経ち、ようやくすべての混乱を鎮め、国の第一王子が王として即位した時にはあの魔女の断罪から5年が経過していた。
その頃にはあらゆる場所から彼女の痕跡が無くなっていた。
学園の在籍歴だけではない。公爵家第1子女であるという証拠である戸籍も。
クーデターが起こった当時、様々な物を失った。
残念ながらその中の一つだったのだろう。
それから民の記憶から。
彼女の断罪は衝撃的なものだったが度重なる災害により自分の命が脅かされた事による記憶によって塗りつぶされてしまったのだろうか。
彼女の行いは歴史書に何も書かれていない。
家族は?友人は?
…この5年で内乱によって命を落としたものも少なからずいた。
残念ながら彼らもその中の1人であったのだろう。
本当に残念ながら公爵の爵位を持つ彼らが居なくとも国はまわってしまうものである。
アメジストの瞳を持つ少女は最初から存在していなかったのだ。
***
ここは彼にとって煉獄のようだった。
そう、彼女に出会った瞬間から。
きっと自分は己の選択を一生苦しむのだろうなと彼は思った。
けれどそれは彼女がいても同じこと。
彼は耐えられなかった。
彼女は美しい。
そして聡明であった。
何より彼のとなりに立つための努力ができる女性だった。
彼女の意思に関わらず周囲は彼女に興味を持ってしまう。
どうしたって目立ってしまうのだ。
第一王子の婚約者。
彼女の持つ肩書きはこれだけではないのだから。
あらゆる方面で優秀な彼女は徐々に彼の精神を蝕んでいった。
あのアメジストの瞳が、関わる者たちを籠絡するのだ。まるで売女だ。
明かりに群がる塵芥共も、
遠くまで照らせるようにと強まっていく明かりも。
彼は耐えられなかった。
婚約者に気に入られようと近づく奴ら。
常に弱みを握ろうと視線を巡らす奴ら。
彼女に妬みの視線を向ける奴ら。
アメジストの輝きを返してくれない婚約者。
彼…クローバーは耐えられなかった。
自分だけでいいはずだ。
どんな些細な事であっても。
聞くこと。
見ること。
視界に入ること。
彼女の心を揺らすこと。
彼女の心も身体もすべて。
すべて 自分のもの なければ
自分さえ知っていればいいのだ。
そうでなくてはおかしい。
だって私の全ては彼女のモノだ。
だから彼女も等しく私だけモノなのだ。
周りの奴らはそれを分かっていない。
彼女の側にいること。
彼女の感情の矛先。
彼女が私以外の物に対して向けるその全て、
それは私に対する裏切りだ。
私の気持ちに対して誠実でない。
クローバーは分かっていた。
彼女は素晴らしい女性だと。
彼女が自分の腕の中に収まるような人間でない事も分かっていた。
才能溢れる彼女なら国内の統治だけでなく長年燻らせてきた隣国との関係をどうにかしてしまうだろう。
空を飛ぶ鳥のように彼女は様々な人間と出会い、アメジストの輝きは人々を魅了していくのだ。
それは物心ついた時から見てきた幼馴染として、婚約者としての予感であった。
何しろ自分もアメジストに魅入られた1人なのだから。
きっとこれから自分は一生絶望して生きていくのだろう。
彼女がいない事に。
けれど、その感情でさえも愛おしい。
だって彼女の死際に居たのは私だけだ。
彼女の最期は私だけのものなのだ。
なんて甘美なことだろう。
そしてこれからも彼女は私だけのもの。
だって知るものは居ない。
彼女が誰のものか。
私が誰のものか。
最期まで毅然とした態度を崩さなかった彼女は最後に呪いの言葉を吐いた。
鈍器で殴られたような衝撃だった。
私は身体が震えた。いや、心であったかもしれない。
その時の感情はほんの少しの失望と
間違いなく、歓喜だった。
エメラルドの瞳に光が灯る。
私は永遠に彼女のものだ。
***
その呪いは生涯彼に付き纏った。
王家と貴族を解体し、
反発する勢力は毅然とした態度で粛清した。
身分制度の廃止。
人民による国の代表者の選出。
水路の整備。
生活水準の向上。
すべてクローバーが生きている間に行ったことだ。
王族最後の王であり、
最も民から慕われた彼は、尊敬の意を表して賢王と呼ばれるようになった。
彼はのちに文明の祖と呼ばれるようになり、
彼が亡くなってから200年経った今でも彼を知らない民はいない。
けれど民は知らない。
文明の祖と呼ばれた彼の賢王が死の瞬間まで狂っていた事を。
狂ってしまうほどに愛した女性がいた事を。
彼女の名はローレンティア。
彼は文明の祖として民から敬愛の念を抱かれているが、その実、彼が民を愛したことなど一度たりとも無いと。そんな馬鹿げた話を信じる民はどのくらいいるだろうか。
たったひとつ、アメジストの輝きがクローバーを王として奮わせていたのだと。
***
彼にとってこの世界は地獄だった。
私欲のために守るべき民を肥やしにする人間。そんな奴らに取り入ろうと顔色を伺う人間。争いに負け、食べ物も住むところも失い路上を徘徊する人間。弱者の中でもカーストがありそんな小さい世界で大きい顔をする奴らもいた。
幸福な人間がいると同時に不幸な人間が存在する。それを身分が違うのだからと享受している人間達。疑問も持たずに自分の置かれた状況に満足し停滞していた。
それを肯定しているこの国のあり方が、つまらなくて息苦しくて滅ぼしてしまおうと考えていたなんて、きっと民は信じないであろう。
どんな状況でも輝きを失うことがない特別なアメジスト。
その輝きはこの世界に彼を縛り付けた。
煉獄の狭間で彼は地獄で生きる事を選んだのだ。
彼女を知るものは誰もいない。
***
偶然か必然か
国の名所となった王城のある一角に咲く花の名前はローレンティア。
そのひっそりとした場所は
かの王が暮らしていたと言われる部屋からしか見ることができない特別な場所。
小さな青紫の花は国の象徴として国家のシンボルになっている。
導入→第三者→女→宰相→女→彼→第三者→彼→第三者独白→終
時系列は視点と同じ順番で流れています。
【補足】
女:デルフィニウム
彼:クローバー
彼女:ローレンティア
(宰相:シェパードパース)
お話には名前しか出てきていないローレンティアでしたが、彼女がどういった人物であるのか少しでも思いを馳せて頂けたら…
作者自身は悪役令嬢系のハッピーエンドなお話が大好きです。
仕事のストレスで鬱々とした気分で書いたらとてもひねくれた感じのお話になってしまいました。
書きたい場面だけ書いたので話の疾走感だけはあったと思います。
余裕ができれば、もう少しそれぞれの視点で補足を書きたいなと思っています。
初めての小説ですが、少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。(楽しい話かどうかはさて置き…)
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。またどこかでお会いできる日まで。
さとみ