下手の考え休むに似たり
ストックがねえええええええええ
--ここはどこだろうか。
辺りを見回してみても、只々闇が広がっている。それはまるで、この一帯だけ世界から切り取られたような--
一人だけぽつんと佇んでいる。自分を認識している。
だとしたらこれは夢だ。夢と認識出来る夢だ。
俺に誰かが近づいて来るのが見える。それは全身を甲冑で覆い、俺に剣を突き付けてこう言った。
『昨日の夜シュリアを借りた。どうしても伝えておきたい事があってな』
--やめろ。
『おかげで彼女とも仲良くなれたし、私もスッキリしたよ』
--やめてくれ。
『ああ、そう言えば彼女はアレでもまだ着痩せするタイプだったんだな』
--やめろ!!
強く拒絶するとそれはパリンッ、とガラスの割れるような音と共に砕け散った。
俺が俯いていると、また違う男が近づいてくる。
『平民風情が、聖女と共に居られると思うな』
『ほら、君にも役に立てる事があったじゃないか。簡単だよ。あれに飛び込めばいい』
俺はゆっくりと顔を上げる。見れば表情は抜け落ちており、まるで能面のようだ。
そして俺はふらふらと、何かに誘われるように歩いていく。その先には暗く、そして昏い渦なようなものがあって--
--止まれ!!
そして俺はその渦に自ら飛び込み--
「やめるんだ!!」
夢から覚めた。
ハァハァと荒い息を少しずつ落ち着けながら辺りを見回す。既に日は上っており、先ほどまでの闇などどこにもない。
地面に置いた手にカサカサと草の感触がする事に安堵し、呼吸が正常に戻る。
「まったく……なんて夢だよ」
久しく見る事のなかった悪夢。少なくとも子供達と過ごした十五年の間は見る事がなかった。
鬱屈とした気分を切り替えるためにンッと伸びをする。気分が晴れるわけではないが、それでもジッとしているよりはマシなんだろうな、と苦笑してしまう。
さて、自分はどこまで来たんだったか。確か行く宛もないのだから、とりあえず北に向かおうと上る太陽を右手に、沈む夕日を左手に見ながら歩いて来たのは覚えている。
けれど一向に町らしき町は見えない。そろそろベッドとは言わず布団で眠りたいところだが……
そんな事を考えながら、地面にめり込んだ自分の手を見てまた苦笑する。今のままでは宿をとったとしても何かしら壊してしまうだろうな。と。
なにせ今の自分はまったくもって力を抑える事が出来ていない。
師匠に指輪を取られてから数日が経ったが、少しマシになったか? と自分に問えば全然ダメ、と評する事しか出来ない。
何故自分がこのような身体にならなければならなかったのか。と自身に問うても答えは出ない。
あの闇の中で自分は最善を尽くした結果なのだから、良かったとも言えるし、そもそも自分がこうなる必要があったのかと言えば、必ずしもそうではなかったと思う。
結局のところ、俺の中にその答えはない。
とりあえず簡単な朝食を摂り、太陽を右手に見ながらまた歩き出す事にする。
いい加減ただ歩くのにも飽きてきたところだが、だからと言って特に目的が決まっている旅ではない。だから走って次の町を目指すという事もしない。
ただ、考える時間だけは増えた。
今までは双子を育てるのに手いっぱいで、過去を振り返る事もなかった。だからこそ今朝のような夢を見る事もなかったのだろうと思う。
けれど今朝になって過去の夢を見た。つまり自分には少なくとも過去を振り返る事が必要だと感じているのだろう。多分。
また考え事をしながらただ歩く。あの時どうしていれば良かったのか。自分が犠牲になる必要は果たしてあったのか。
だからといって他の誰かを犠牲にすべきだったのか。ぐるぐる、ぐるぐると答えが出ないまま歩き続ける。
この十五年は過去から目を逸らし続けた。そして今過去へと目を向けている。それに意味があるのか、それともないのか。ぐるぐる、ぐるぐる。
そして自分の人生を振り返ってみて、ああ、そういえば親になったのに夫にはなれなかったな。と今更ながらに思い出す。
思えば子供達にも母の愛を感じさせてあげる事が出来なかった。師匠? アレは母じゃなくて祖母です。間違えないように。
だがそれは許して欲しい。俺には恋愛なんて出来そうにもないのだから。情けない父親ですまない。
きっと子供達も薄々は気付いているのだろう。あの子達は賢い。自分達に母と呼べる人がいない事が気にならないはずがない。
だが血の繋がりがなくともあの子達は俺の子だ。それだけは譲るつもりもない。
--って誰に言い訳してるんだ俺は。
やはり一人は良くない。どうしても思考が纏まらない上に、すぐネガティブな事を考えてしまう。
かといって旅の供などそう簡単に……
半ば呆けた状態で歩いていると、前方からドンッと何かが爆発したような音が聞こえてきた。
ハッと意識を戻し、目を向けてみれば音のした方向から煙が上がっているのが伺える。
「--やくっ!! とに--げ--」
よくよく見れば何かを叫びながらこちらに向かって複数の人影が走ってくるのが分かる。
最初は豆粒ほどだったその影もだんだんと人の姿である事がハッキリと視認出来るほどにはなった。
「くそっ、なんでこんなところに人が! おい!! アンタも引き返せ!!」
と、複数--三人いる内の一人が俺に声をかけてきた。っていうか俺だよな? 周りに他の人なんていないよな?
もしかしたら人違いかも、と思い周りを見回すが、やはり自分以外に人はいないようだ。
「何をしている!! 早く逃げろ!! 追いつかれるぞ!!」
いきなり逃げろと言われても、何があったのかもまったく理解出来ていないし、そもそも逃げる程なのかも分からない。
とりあえず何があってもいいように腰と背中の獲物だけはすぐ手に取れるように準備しておく。
「オーガだ! オーガが出たんだよ!!」
そこまで言われてようやく気付く。どうやらこの三人は魔物から逃げてきたようだ。
改めて見てみれば、声をかけてきたのは剣士風の男。それから少し遅れて大きめの盾を担いだ男が走ってきており、最後尾に杖を持った女が息を切らしながら必死に走っているのが分かった。
女だけが随分男二人に比べて遅れており、既に息も絶え絶えといった感じだ。これではいつかは走れなくなって追いつかれてしまうんじゃないだろうか。
恐らくさっきの爆発は恐らくこの杖を持った女の仕業だろう。実力の程は分からないが、魔法使いであろうことが伺える。
というか逃げるためにこの女が頑張ったのなら背負ってやるとかしてやればいいだろう、そんなでっかい盾なんて後で取りにくればいいんだし。
そう思って俺は先頭の男に声をかけた。
「なあ、必死なのは分かるが、あの女の子が随分遅れてるぞ? 後ろの男に盾なんて捨てて女の子を背負うなり担いでやるように言った方が良いんじゃないのか?」
「そんな余裕があるかよ!! 全滅するよりはマシだろう!?」
それはつまり、あの女の子を見捨てても仕方がないという風に聞こえた。
なるほど、確かに三人居て二人が助かれば数の上では御の字かもしれない。一人が襲われれば二人は更に逃げられる可能性が高まるのだから、そういう考え方も出来るのだろう。
「だけど気に入らない」
「は? ならおっさん、アンタが助けてやれよ。俺達は逃げる。申し訳ないという気持ちはあるが別に昔馴染みというわけでもないしな!!」
そういって俺の横を男が走り抜けていった。
理屈では分かっている。あの男も別に悪人というわけではないのだろう。実際俺に逃げるように忠告してくれたわけだし。
だからといって分かった逃げよう。と言える程割り切りの良い方ではないのは自分が一番分かっている。
何より犠牲になる辛さも、置いて行かれる悲しさも、俺はもう知っているのだから。
あの男はオーガがいた、と言っていた。で、あれば足が速いわけではないが体力は異常と言っていいほどあるだろう。
それこそあの女の子が疲れ果て、走れなくなった後に追いつかれるくらいには。
見れば確かにオーガと思しき影がこちらに向かって走ってきているのが分かる。今すぐ女の子に追いつく程ではないが、どちらにしろ時間の問題だろう。
気が付けば既に俺はそちらに向けて走り出していた。確かに助けるつもりではあったが、いつ走り出していたのかは記憶にない。
程なくして足の止まってしまった女の子の元に辿り着く。見ればオーガもあと数十メートルといったところか。
「ハァッ、ハッ、ハァ、あ、貴女、は?」
「無理して喋らなくてもいいさ。おっさんはちょっとあのでっかいの潰しに来ただけだから」
「む、無茶で、す。逃げてくだ、さい」
魔法を使った影響もあってか、尋常じゃない疲労を見せる女の子が、それでも自分よりも俺を気遣ってくる。うん、こういう子だと助けようと思って良かったと思える。
「まあまあ、おっさんも男に生まれちまったからね。女の子の前では頑張りたいんだよ。それに君は娘と同じくらいの年齢だろうし、なおさらしょうがない」
こちらに向かって走ってくるオーガに対し、背負っていた獲物を手に取る。随分握っていなかったが、それでもズシリとした重さにどことなく安心感を覚えた。
そしてそれを軽く振り被り、馬鹿正直に向かってくるオーガに対して手に持ったそれを振り下ろした。
オーガはそれを受け止められると思い込んだのか、腕を振り上げ--
--そして肉を潰す感触と共に俺の振り下ろしたそれは地面ごと盛大にオーガを押し潰した。
「ったく、人間の力なら受け止められるとでも思ったのかね。オーガ如きが」
柄を握った右手を横に振るい、オーガの血を飛ばす。錆びたら嫌だし。
「で、すっかりあの二人は逃げちまったか。お嬢ちゃん、大丈夫だったか?」
女の子の方に振り返り、空いた左手を差し出す。が、女の子はと言えば目を見開いて口をパクパクとするだけで、俺の手を取ろうとはしなかった。
なんとなくやり場の失った手で頭をポリポリと掻き、とりあえずは女の子が落ち着くまで待つ事にしたのだった。
さて、おっさんのぶちかました『それ』とはなんでしょうか?