作られていく人生
小説。
それは自由だ。
好きなように妄想を膨らませて、好きなように物語を作る。私だけの空間。私だけの思考。そこには何人たりとも入る余地はない。
それが今の私に与えられている、最大限の自由。
この世界に私以外の人間はいない。私が人類最後の人間。もう地球も終わりだ。地上は既に宇宙空間。このシェルターから出ようものなら一瞬で破裂してしまう。だから私は地中での生活を強いられている。しかし、どう考えてもこの命も長くはない。
だからこそ、私は小説を書く。人類が過ちを犯さなかった世界、私が作る新たな地球を。せめて脳内だけでもハッピーエンドにしたって、バチは当たらないだろう。人数は当時と同じ七十億人で、歴史も過ち以外は全く同じだ。
では、今日はとある小説家の話を書こう。私のような死地と隣り合わせの生活をしている人ではなく、過ちを犯す前の平和な地球で暮らしている小説家だ。
まずは設定だ。私は男、なら主人公も男にした方がいいだろう。女の気持ちはよくわからない。世界は平和だから、暇人という設定でいこう。
暇人である主人公は、妄想を膨らませて筆を進めていく。しかし、いざ文字に起こしてみると納得のいく作品にならない。だから気晴らしに外に出てみた。
天気はどうするか――雨にしよう。昔は空から雨が降るなんて信じられないことだが、数少ない文献に残っている以上はそうなのだろう。主人公は外を歩く。すると――地中からいきなり人が出てきた。地上に住んでいるのだから、いきなり地中から人が出てきたらそれは驚くだろう。そこから始まる、地中人との突飛な出来事の数々。
主人公はそれを題材に小説を書いていく。小説に多少の誇張は仕方あるまい――私は誇張どころの話ではないのだから。
そして最後に締めるあとがきでの言葉はこうだ。
『事実は小説よりも奇なり』と。
その瞬間、彼の思考の中にある『2018年の地球』に一つの『人生』が作られた。