43、聖女リシア。
あれから三日も経ち、ティナが全快した。
活発な少女は屋敷の中で忙しく動き回り、俺の家事などをやってくれている。
ティナ自身は覚えていないが、あんなに辛いことがあったから俺はカトレアさんにも頼んで従者を止めさせる方向だった。
しかし、本人にその旨を伝えてみたが、俺の世話をしたいと断られてしまった。
ティナ曰く、家事は楽しいらしい。当の本人がやりたいというなら、俺が止めるべきではないのだろう。
そんなわけで、カトレアさんとティナに世話をされつつ、ゆっくりと屋敷で過ごしている俺。
自堕落な生活だが、やっと日常が戻りつつあった。
余談になるが、冒険者ギルドにティナの捜索を頼んでいたものは既に破棄している。俺が直にギルドへ赴き、ギルドのお姉さんにお願いしたのだ。
最初は俺の容姿のせいで魔族が乗り込んできたと勘違いされてしまったが、怖がっている職員と周りの冒険者へ俺なりに頭を下げて訂正した。
こんなこともあってアッシュさんに頼めばよかったのだが、忙しくて不在だったせいで俺一人である。
ティナ捜索の件について話を聞き、関わってくれた人はそれなりに居たらしく、全員に報酬のお金を分配してもらった。
そしたら、冒険者達にとても有り難がれた。
割が良かったらしい。まあ、金は貰い物だったし、俺も痛くはなくて気分が良かった。何か困ったことあれば頼めよ、なんて肩を叩かれたりして意外と良い人ばかりだった。
そうして俺がやることを全て終えたら、屋敷でだらける日々に戻った。ティナとお喋りをしたり、たまに一緒にお出掛けして買い食いしたり。
ついでに勇者の妹シェイラにティナと一緒に会いに行ったりもした。二人が抱きついて話しているのを遠巻きに、包帯姿の勇者は気まずそうにしていた。
俺も因みに気まずかったのだが、勇者とは一定の距離を取りつつも話すことはなかった。保護者のように見守っていただけだ。
俺は囮にされたことを根に持っている。腸が煮えくり返るとかまでいかないが、顔を見れば殴りたくなってしまうのだ。仕方ないだろう。俺にとってダンジョンで置き去りにされたのはトラウマだ。
必死に拳を抑えつつ、包帯を巻いた金髪男を視界に入れないように努力しながら、俺は可愛い二人がお茶会するのを一歩引いて眺めていた。
そんな俺達はティナとシェイラの相槌を打つだけで、一日を潰す。
そうして必要な用を済ますと、ほとんどの時間を俺は屋敷で過ごすようにした。
屋敷には聖女様が居る。未だに目を覚ましておらず、ベッドに寝たきりだ。
呼吸はしているし、心臓の動きも規則的。
あれから医者を呼んだのだが、数日もすれば目を覚ますとしか言われず、その言葉を信じて待っている状態である。
もし、聖女様が起きたら俺から説明しなくてはならないだろう。
賢者がやった悪行を。
そんなわけで、俺は聖女様をときおり観察しつつ、目覚めるのを待ちながら文字書きの練習をすることにした。屋敷でだらけつつ、聖女様を心配している俺を見かねたカトレアさんからの提案である。
まあ、文字は覚えたほうが役立ちそうだし、俺は助言に従って取り掛かることにした。
勉強場所は聖女様が眠る部屋。広めの部屋の角に机が用意され、カトレアさんが付きっきりで教えてくれる運びになった。
隣で指導されながら紙に縮れた線を走らせていくが、意外と難しい。
カトレアさんが書いた綺麗な筆跡の俺の名前らしい文字をなぞるように書いていき、紙を黒で埋めていく。
簡単な用語なども教えてもらって書いていくが、数時間したところで、それも直ぐに飽きてきてしまった。文字覚えるのは最初は良かったが、楽しくはないな。
昼食を作りにいったカトレアさんが部屋から出ていくのを好機と見るや、俺は身が入らずに筆を机にトントンと叩いて頬杖をつく。
ふと、窓から外を眺めるとティナが洗濯を干していた。手際が良く、シーツとかを物干し竿に掛けている。
慣れた様子で次々と洗濯物を片付けており、この調子なら家事スキルとか覚えるんじゃないだろうか。ティナは俺の一つ下なので、ステータス鑑定は来年である。
あと、窓から移る景色として、俺が勇者へ向かっていった際に粉砕した瓦礫類を作業員が片している風景があった。
大変そうだな、なんて他人事のように上の空で考えていたら、衣擦れのような音が俺の耳に入る。
「ん……」
横にあるベッドからの音。
微かな吐息が漏れ、俺は外へ向けていた視線を室内に向けた。椅子から立ち上がり、ベッドの横まで寄る。
聖女様が細い右手を動かし、額を覆う布を触れていた。
「……光が、ない」
両目を隠している黒い布。それをずらし、手で感触を確かめると唇を震わせている。
「……聖女様」
なんて声を掛ければ正解なんだろう。
ご無事ですかみたいな言葉は最初に言うとして、あなたの両目と両足はありませんとでも、単刀直入に言うべきなのか。
俺の魔眼に映る心臓の鼓動から、命に別状がないことは確かなのだが。
「……あなた、は?」
聖女様がゆっくりと俺のほうへ顔を向ける。
「あの、俺はダクトって言います。聖女様と同じ平民で、ユニークスキルに選ばれました」
「……そう、ですか。闇の中に居るような感覚です。わたしの目はやはり、無いのですか……?」
片手で目の部分を触り、か細い声を漏らす。
その問いは、受け入れられない現実を否定してもらいたいのだろう。
しかし、俺は頷くしかない。
「……はい」
「……足は」
「……ありません」
「そう、ですか」
細い吐息を漏らした聖女様に、掛ける言葉がない。
「あの、聖女様の力で治らないんですか……?」
ダメ元の問いだ。
回復できるのなら既にやっているだろう。
それでも、俺は聞かずにはいられなかった。
「……わたしの魔力量では不可能です。大司教様でしたらあるいは」
そうだろうなと、納得しつつ。
話に出てきた大司教というのは教会のお偉いさんだろうか。聖女様が敬っている辺り、高位の神官なのだろう。
「……その人どこに居るんですか?」
「聖堂教会の本部に居ます」
「なら、呼んできて治してもらえばいいんじゃ」
「いえ、そういうわけには……。大司教様は教会のトップで在らせられる方で、わたしごときでは会うのも難しいのです」
そう語った聖女様曰く、大司教様は聖堂教会から離れることができず、面談も中々叶わないほど忙しい立場らしい。
聖女様ですら会うのが難しいとか、一般市民では会うのも不可能なのではないだろうか。
そんな風に会話が一段落し、僅かな間が一拍空く。
すると、聖女様が息を吐きながら目元部分に片手を置き、真っ白で日焼けもしていない綺麗な指先は無くなった目の部分を確かめるように優しく押していた。
「……どうしてこうなってしまったのか。あまり、記憶が定かではありません。あなたが知っていること、教えていただけませんか?」
「分かりました。俺の知っていることで良ければ」
俺は聖女様に話せることを包み隠さず語る。
全部、賢者がやったこと。王都で誘拐が頻繁に起き、俺の従者も巻き込まれたこと。
聖女様を救ったときには既に、両足と眼が無かった。
救出の際に何人か殺し、賢者とは完全に敵対関係になってしまったことなども話した。
聖女様は静かに俺の話に耳を傾け、全て話を終えると寝そべりながら額に手を当てる。
「……そうですか。記憶が混濁としていますが、段々と思い、出して……ッ!?」
目元を隠している黒い布が皺になり、聖女様がいきなり爪を立てた。
目元部分をかきむしり、白い肌に赤い線が浮かび上がる。
うっすらと血が滲み、聖女様は唸るような声を響かせた。
「聖女様……?」
「そうだ。私は、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――屈辱と苦痛を味わされた。私は慈愛の神へ祈り、慈悲を与えていたのに。そう、全て現実だった。あのとき、わたしは、わたしは――」
聖女様が発狂した。
その様子を間近で見ていた俺は唐突すぎて戸惑ってしまう。
「ちょ、どうしたんですか!? 聖女様、やめてください!」
金切り声を上げる聖女様が怨嗟の言葉を連ね、皮膚を引っ掻いている。制止の声は聞き届かず、手に終えないと判断した俺はカトレアさんに助力を求めることにした。
「俺、人を呼んでくるんで!」
錯乱している聖女様に部屋を出ることを告げ、ドアノブに手をかける。
賢者のことを話したのはマズかった。少しずつ話すべきだったと今さら後悔が襲う。
でも、あんな発狂するなんて聞いてないって。聖女様も落ち着いている様子だったし、受け入れてもらえると楽観していた。
俺ではどうしようもない。落ち着けてもらおう。カトレアさんなら何とかしてくれるはず。
扉を押して、廊下に出ようとして。
「――ダクト。あなたは、ダクトという名前なのですね?」
しかし、聖女様がいきなり平坦な声で俺を呼び、がくんと首を傾けていた。
爪の痕が残る顔は血が滲んでいる。
少しだけ、恐ろしさを感じつつ。
「……えっと、はい。俺はダクトです。あの、大丈夫なんですか?」
「ええ、問題ありません。それはそうと、わたしを助けて頂いたことを感謝します」
「……いえ、当然のことをしたまでです」
「謙遜なさらず。ダクトよ、ついでと言っては何なのですが、あなたにお願いがあるのです」
「はい、何でしょう。俺が叶えられることなら頑張って叶えますけど」
どんなことだろう。俺じゃなくてもアッシュさんとか居るし、大体は叶えられると思うのだが。
予想していると、聖女様の口から出たお願いは俺にとって予期しないことで――。
「わたしと一緒に、賢者リゼレッタを殺しませんか?」




