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16 最終話

 4Sが伊世と江田の反乱によって分裂した直後、レナントとヒノの講和条約は双方により破棄された。

 レナントには、これまでのクリーチャーとは比べ物にならない戦闘能力を持つ人型クリーチャーが次々に現れ、軍属だけでなく、一般市民をも無差別に蹂躙した。

 ヒノが侵略された、十六年前の再現だった。

 バトルスーツの発明によってすでに劣勢に追い込まれていたレナントは、ヒノのクリーチャー投入によって、更なる苦境に立たされることとなった。

 時を同じくして、民間軍事会社『生物兵器調査団』が、クリーチャーの巣窟・特別警戒区十七区の最奥で設立された。

 4Sの実行部、突撃隊と作戦隊の隊員たちが、新山みかげ(レナント名ミシェル・アド)を代表として、軍事兵器としてのクリーチャー撲滅を掲げ、作った会社だった。

 新山の人脈を使ってヒノとレナント双方の和平交渉再開派から密かに人員、物資、資金の援助を受け取り、活動している。

 そうした動きが伊世と江田らにとっては当然、目障りなようだった。『対レナント特務部隊』と改称されたかつての4Sは、レナントとの戦争に力を傾けながらも、たびたび兵士を差し向けてきたが、クリーチャーと生物兵器調査団それぞれの攻撃に阻まれ、敗走していった。


 休憩室で、眉間にしわを寄せながらコーヒーをすする新山を横目に、とてつもなくまずい軍用糧食をかじっていると、ガラス張りの休憩室の前を小西が通りかかり、ドアを少し開けて顔だけのぞかせた。

「石黒さん、上がりっすか?」

「いや、これ食ったらスイと巡回」

「あー、巡回、めんどうすよね。みかげさん、人使いが鬼だからなぁ……っと」

 小西はそこまで言ってようやく、部屋の奥の椅子に座っている新山に気付いた。

「へえ、小西君、きょうの当直のメンバーに入れてほしいの?」

 機嫌の悪い新山が、普段呼び捨ての小西を君づけで呼んだ。

「いえ、結構です!」

 慌ててドアを閉めた小西が、走り去って行った。

 それを見て、新山の眉間に寄っていたしわが、少しゆるみ、

「バカ」

 とつぶやいた。

 石黒は軽く頷いておいた。

「でも、本当に、あなたたちにはかなり負担をかけてる。ごめんなさい」

「まあ、この状況ですからね。俺たちがやらなきゃ、虐殺が日常化してしまいますから」

「まさかあの女の頭が、ここまで切れるとはね……。いくら弱体化しているとはいえ、レナント軍がここまで一方的に押されるなんて」

 あの女。

 叔母の、伊世。

 あの日以来、当然ながら、会話をかわす機会もない。

 だからあの日、伊世が何を思って行動していたのか、知ることもできなくなった。

「やっぱり、みかげさんは、レナントが滅んでしまうのも嫌ですか?」

「うーん……そうね。少しは嫌だという気持ちはある。特に、あの女の好きにはさせたくない。でも、いまいちばん大切なのは、レナント人のわたしを信じてついてきてくれた団員のことだから」

 ミシェル・アドという本名を明かした彼女だったが、それからも『新山みかげ』という名前は捨てなかった。

 レナント軍に追われた怪しげな女を助けてくれたお人好しの隊員――佐藤しず――につけてもらった名前だから、と。

「それより、人基の方は大丈夫なの? 母親と敵対してしまって」

「それは……」

 無事だったからいいようなものの、伊世は七尾を一度、殺しかけた。母代わりの女だろうと、決して許すことはできない。

 けれど、育ててくれた恩もあって、すぐに、純粋な憎しみだけを維持させることはできなかった。

 孤児の自分によくしてくれた思い出が、あまりにも多くのしかかっている。

「整理を、つけました」

「そう。ならいいけど。引っかかってる事があるなら、話しちゃいなさい。楽になるわ」

 軍用糧食をかじる。

 ひとつだけ、どうしても不可解なことがあった。

 いまさら掘り返すのもどうかと思って、なかなか口に出せなかった疑問を、初めて口にした。

「伊世が俺に、どうしてわざわざクローンを通して、CH計画が続いていることを教えさせたのかがいまだにわかりません。ここまで先の展開が読めるなら、俺がみかげさんを助けるチャンスを与えれば、脅威になることくらいわかるはずなのに……」

「なんだ、そんなことが気になっていたの?」

「そんなこと、って……」

「息子は騙せなかったのよ」

 新山はコーヒーを一気にあおり、紙パックをゴミ箱に放り投げ、歩き出した。

「もしかしたらこんな研究をしているわたしでも受け入れてくれるかもしれない、なんて甘い期待もいだいていたのかもね」

 そして石黒の横を通り過ぎざま、片手で頭をぐしゃぐしゃとかき回してきた。

「元気出せ! あの女の代わりにはなれないけど、わたしは人基を家族みたいなものだと思ってるよ」

 新山が出て行ったあと、残った軍用糧食を口の中に押し込んで、人基も立ち上がった。


「違う。もう一回!」

 七尾が触腕を動かしながら、厳しい声を出す。

 七尾の触腕の動きを見ながら動いているのは、A型クリーチャーだ。

 驚いたことに、触腕を出した七尾を、A型クリーチャーは仲間だと認識するらしい。戦争再開から三カ月経った今では、A型クリーチャーを調教するすべを彼女は身に着けてしまっていた。

 A型クリーチャーの襲撃が確認された場合は、七尾が出動して戦場で捕獲する。A型クリーチャーは調教ののち、生物兵器調査団の拠点の周囲に配置される。念のために、A型クリーチャーを瞬殺できる実力を持つ隊員が本部に残る決まりになっているが、人を襲うそぶりはいっさい見せないそうだ。

 初めは、戦闘時にクリーチャーそのものになる七尾の外見を受け入れられない隊員もいたが、生来の明るさもあり、今では生物兵器調査団のムードメーカーの位置におさまっている。

「あっ先輩!」

 七尾が触腕を振り上げると、A型クリーチャー――たしか七尾がつけた名前は『スコーン』――もまた、触腕を振り上げた。

 緊張感のかけらもない光景だ。

「巡回だ。そいつを牢に戻して」

 七尾がむっとしたので、仕方なく言い直す。

「スコーンには家に帰ってもらって、お前は俺と出るぞ」

「わかりました! すぐ準備してきます!」

 七尾の敬礼に合わせて、スコーンも敬礼した。

「ごめんね、先に家に戻ってて」

 七尾がスコーンに呼びかけながら、走り去っていく。

 スコーンは七尾の姿が見えなくなるまで見送った。石黒が背中をぽんと叩いてうながすと、触腕のぬめりが手についた。スコーンは自分から、牢……いや、家へ向けて体を動かし始めた。

 なんだか頭が痛い。


 ヒノ全体に普及しているバトルスーツは支援を受けてどうにか人数分そろったが、七尾が愛用していた特殊弾を扱う武器は伊世が独自に開発したものだったので、手元にはなかった。銃を使っての戦闘技術があまり高くない七尾は、触腕を主に使って戦っている。

 そのため七尾は、触腕に覆われた姿を見ても平然としている小西と阿久津、もう慣れてしまった石黒以外とは、戦闘がある、あるいはあるかもしれない任務を組みたがらない。

 拠点の外へ出ると、岩と木々の隙間から、夕暮れの色がのぞいている。このところ昼夜問わず駆り出されているので、太陽のもたらす変化以外に時間の感覚がない。さっきの軍用糧食は昼ごはんと思っていた。

 拠点は硬い岩盤をくり抜いて作られた穴倉で、突然の空襲にも耐えうるように考えてつくられている。物資運搬用の乗降装置や階段以外を使って出入りすることはできない。

 その階段を石黒に続いて上がってきた七尾が、

「日が沈むのが早くなってきましたね」

 ぽつりとつぶやいてから、「よっ」と声を出して肘を突き、外に這い出した。隊員各自が持っている認証装置のボタンを押すと、分厚い扉が自動で閉まり、拠点への道を閉ざした。

 それを見た石黒は、ゆっくりと歩き出した。辺りには五匹のA型クリーチャーが配置されているが、襲ってくる気配はない。クリーチャー同士はなるべく争わないように作られていて、互いの接触を避ける。つまり、七尾がA型クリーチャーを調教してくれるおかげで、クリーチャーの巣窟にある拠点の周囲の安全が確保されている。

「ご苦労様!」

 七尾が声をかけると、触腕による五つの敬礼が返ってきた。

 石黒は近くの岩にかけられた縄梯子に手をかけ上り、先に土壁づくりの家の庭に出た。元特別警戒区十七区だ。

 縄梯子を上るのが下手な七尾に、途中で手を貸し、引っ張り上げてやる。

「先輩って見かけはひ弱なのに力ありますよね」

「ひ弱で悪かったな」

 石黒は肩に担いでいるアサルトライフルを構え直し、曲がり角でクリーチャーの姿がないか目を凝らしながら、進んでいく。

 撲滅を掲げるクリーチャーを隠れ蓑にしなければならないくらいなので、常時巡回できるほど人員に余裕はないが、かといって周囲の警戒を怠れば、いつの間にか対レナント特務部隊が近くに拠点を作っていた、なんてことになりかねない。

「あーあ、早く終わらないかなあ、戦争」

 警戒をする石黒の横を、いつの間にか触腕で体を覆った七尾が、退屈そうに通り過ぎていく。

「終わらせたかったら真面目にやれ」

「はい」

 そう返事した七尾は、限界まで長く伸ばした触腕二本を地面に突き刺し、自分の身体をぐいっと持ち上げた。十五メートルくらいはあるだろうか、その高さから、周囲を確認している。

「あっ、まずい!」

 触腕がするすると縮み地上に戻ってくる。

 そしてつぼみが一気に花開くように、他の触腕が石黒の方に向かってきた。

 がっしりと体を掴まれ、七尾のほうへ引き寄せられる。石黒は途中でバトルスーツのヘルメットを出した。

 触腕の内部に取り込まれると、その中へ出来た空洞に、七尾がいた。

「E型の群れです。やり過ごします」

 七尾の言った通り、多数の足音が地面の砂を掻いていった。

 音が去ったところで、七尾は触腕をたたみ、石黒は外に放り出された。

 ぬめぬめした粘液がバトルスーツとヘルメットを覆い、視界がぼやけている。

 石黒は両腕を激しく動かして粘液を払ってから、腰の拳銃ホルダーにひっかけておいたタオルを取り出し、裏返してヘルメットを拭いた。

 触腕をもてあそぶ七尾が、触腕と触腕の隙間からそれをじっと見てきているのに気付いていたが、気付かない振りをして、ヘルメットをきれいにした。

 粘液で汚れたタオルを捨てようとして、七尾の目があることを考え、折りたたんでもとの場所に入れる。

「先輩は、よく平気ですね」

 七尾が、息苦しそうに言った。

 石黒はアサルトライフルを片手で持って、空いている左手で、七尾の右肩のあたりの触腕を叩いた。

「助かった。巡回、さっさと終わらせるぞ」


 七尾は、E型の集団から石黒をかくまってから、ほとんど口を開かなくなった。触腕を使って石黒をかくまったのはこれで三回目だ。前の二回はいずれも照れくさそうな愛想笑いでごまかして、やたらと口数が多くなったが、今回はさすがに辛くなってしまったようだった。

 日が沈み、巡回ルートの最後――縄梯子がかけてある大岩のある場所にさしかかったころ、ついに七尾が泣き出してしまったので、石黒は立ち止まった。

「ちょっと休んでくか」

 七尾の答えはない。

 続けて石黒は、安全地帯まで来たから触腕をしまうように言ったが、七尾は応じなかった。

 ため息をついて、石黒は、土壁づくりの廃屋の屋根へよじ登った。

 七尾が少しして、動き出す気配がした。

 石黒はその音を聞きながら、平らな屋根の端に座り、足を投げ出す。

 遠くの空が赤く燃え上がり、夜空を明るく照らしだしている。ヒノとレナントの激しい戦闘が行われているのだろう。

 それを見たくなくて仰向けになる。明るい半月と、その周囲を埋め尽くす星々。

 しばらく何も言わずに、じっと空を眺めつづけた。

 風が吹いて、砂を巻き上げていった。

 石黒は立ち上がって、クリーチャーのせいで風化が早まっている十七区の街並みを見下ろした。

「どうしたんだよ、スイ」

 どうして泣いたのかは、もうだいたい予想がつく。強がってはいるが、平気でいられるはずがない。

 『わたしはクリーチャーに同種と判断されている』『わたしは人の姿をしたクリーチャーだ』。

 その悩みを、わかったつもりにはなれても、わかってはやれない。自分は、クリーチャーの核を埋め込まれてはないのだから。

「気持ち悪いんです」

 七尾がひとこと、零した。

「気持ち悪いんです、自分が」

 振り向くと、触腕をしまいこんだ七尾がぼんやりと石黒の方を見ていた。

「自分の体が、自分じゃないみたいなんです。ときどき、触腕のほうに意識が引っ張られて、気を失いそうになるんです。そのまま意識を喪ったら、また暴走するのがわかる。だから、眠るのが怖くて。それで、怖ければ、眠る必要なんかないんです。わたし、本当は、ご飯を食べる必要も、トイレに行く必要もないんです。埋め込まれた核が、自己完結させてしまうから。だけど、それをしないと、わたしは化物なんだっていうのが、わかってしまって」

「うん」

「先輩が、わたしのことを化物だと思ってないのは、なんとなくわかります。でも、でもね、わかってしまうんです。先輩たちに何度、お前は化物なんかじゃないって言われても、自分が化物だってことは、自分が一番、わかってしまうんです」

 上手く言葉が見つからなくて、顔を俯ける。すると七尾が、何か体を動かしてから、

「この体のどこが、人間なんですか?」

 と言った。

 七尾のほうを見ると、バトルスーツの上半分を脱いで立っていた。

 七尾の腹の中心には核が居座り、そこから体全体に向けて放射状に、クリーチャーの核から延びた根のようなものが走っていた。

 胸を覆う下着を通り過ぎた根は、肩のあたりまで伸びている。

 視線を逃がす場所なんてどこにもない。

 たとえ泣きじゃくる七尾から目をそらしても、人の命を燃やしつくす空があるだけだ。

 自分が何を伝えたいか、七尾が何を言ってほしがっているか。

 少し迷って、先に、七尾が言ってほしがっているはずの言葉を口にした。

「確かに、お前は、化物だ」

 夜にしては明るすぎる空の下で、七尾がぐっと唇を引き結び、体を震わせている。

 石黒はバトルスーツをその場に脱ぎ捨てると、静かに歩み寄って、七尾を抱きしめた。

 そして、自分が伝えたかったことを、告げた。

「俺の一番大事な、化物だ」

 七尾が首に腕をまわしてきた。触腕でなく、七尾自身の腕を。

 その腕は、間違いなく、自分と同じ人間の物だった。

 いっそう激しく泣き出した七尾の背中を、なだめるように叩いてやる。

 そうしているうち、七尾の嗚咽はだんだんおさまってきた。

 やがて、嗚咽の代わりに、言葉がもれた。

「わたし、突然暴走して、先輩たちを、殺してしまうかもしれませんよ」

「はっ」

 石黒はせいぜい余裕ぶって、笑ってやった。

「一級隊員程度に、殺されてたまるかよ」

「約束ですよ。暴走したら、先輩がわたしを、殺してください。他の誰にもやらせないで、先輩が、殺してください」

「ああ」

「先輩だけです。わたしを殺していいのは。先輩以外になんて、殺されたくない」

「約束する。暴走したら、俺がスイを殺す。その代わり」

 深く息を吐く音が、鼻をすする音が、じかに響く。

「俺の知らないところで勝手に死ぬのは、許さない」

 七尾の背中に回していた手をほどくと、彼女はゆっくりと、体を離した。

 七尾は腫れぼったい目のまま、思い切り、笑った。

「わたし、最高に幸せな化物だなぁ」

 目の奥がぎゅっと熱くなった。

 七尾翠のような『化物』を、これ以上生み出させたくない。

 だから自分は叔母を……『母』を、必ず殺す。

 必ず殺して、戦争を終わらせる。

 ――スイのために。

 叶わなかった平和を、叶いかけた平和を、今度こそ、手に入れる。




終わり


 

(2016/7/15)

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