入学
それから私は、しばらく考えた。
お父さんから借金をしてでも、錬金術学校に行くかどうか──錬金術師になりたいかどうか。
お父さんはほかにも、いくつかの選択肢を私に提示してくれた。
自分のところで働くつもりがあるなら雇ってやってもいいとか。
別のところで下働きとして雇ってもらうとか。
好きな男のもとに嫁いで養ってもらうとか。
私が望むなら、良家との縁談を組んでやってもいい──なんてことも言っていた。
でも、私が選んだのはやっぱり、錬金術師になるという道だった。
結局どの道を選んでも、大変なことや嫌なことはあるだろうし、だったら子どもの頃からやりたかったことをやろうと思ったのだ。
そして15歳の春に中等学校を卒業した私は、そのおよそ一月後に、錬金術学校に入学することになる。
入学試験とかはなくて、入学希望者は全員、お金さえ用意すれば入学できるという学校だった。
あっという間にその日は来て、浮ついた気持ちのまま、私は旅立つこととなった。
ずっと住んでいた故郷の街を離れ、乗合馬車に揺られること三日。
三日間、知らない景色を眺め続けるという経験は初めてで、私は異世界に来たような錯覚に囚われながらも、どうにか学校のある街にたどり着き、学校付属の寮に入ることになった。
このときにはもう、お父さんとお母さんの引率はない。
乗合馬車に乗るところから、自分の身一つになる。
私は一人で、知らない人たちの間に入って、知らない場所へと向かった。
15歳になったらもう、世界のすべてを自分の目で見て、自分の足で歩いて、自分で物事を判断して──そしてその結果はすべて自分で負えというのが、お父さんの教育方針だった。
私は13歳の頃からずっとそう聞かされてきたから、あらかじめ入学の方法をお父さんに聞くなどして可能な限り調べておいて、あとはもう、ぶっつけ本番という具合だった。
このときの私の手にあったのは、着替えなどの日用品のほかには、お父さんから借りた大金貨30枚だけだ。
当面、私が頼りにできるのは、このお金だけ。
絶対に落としたり、盗まれたりしないよう厳重に──そしてそんな大金を持っていることを周囲の人に知られないように、懐に隠し持っていた。
──この大金貨30枚という額が、とんでもない大金だと分かったのは、15歳になったら働こうか学校に行こうかという課題を、自分自身で真剣に悩んでからのことだった。
もし仮に、この大金貨30枚という額を私が働いて貯めようとした場合、どうなるかと考えてみたのだけど。
私が15歳になってすぐに働きに出れば、特別な技能を持たない私では、日当──つまり1日にもらえるお給料が、銀貨6~7枚という程度の簡単な仕事に就くのが精一杯だ。
もちろん、ここでいう「簡単な仕事」というのは、専門技術が必要ないという話であって、楽な仕事という意味じゃない。
酒場のウェイトレスでも、お店の売り子でも、仕事をしていれば嫌なこと、大変なことはいくらでもあるだろう。
で、その楽じゃない仕事で1ヶ月に22日間ほどあくせく働けば、1ヶ月でだいたい、銀貨132~154枚ぐらいの収入になる。
お父さんは、15歳になっても家にいるつもりなら、家賃と食費とその他諸々で月に銀貨80枚分を家に入れろと言った。
一方、親元を出て一人暮らしをしても、最低ライン、そのぐらいは必要になってくるだろう。
それに、それ以外の支出をまったくしないというわけにも、いかないと思う。
修行僧みたいな暮らしをするのでなければ、どうしたって月に銀貨10枚か20枚かぐらいは、娯楽的な支出をしてしまう──気がする。
だから、私が1ヶ月に貯蓄をするとしたら、どんなに切り詰めても、銀貨50枚ぐらいが限度だと思う。
1年間、12ヶ月の間それをやり続けても、銀貨600枚。
銀貨10枚で小金貨1枚、小金貨10枚で大金貨1枚の換算なので、私が1年間で貯蓄できる額は、どんなに頑張っても大金貨6枚分程度ということになる。
だから大金貨30枚っていう額は、私が5年間黙々と働いて、買いたいものもそこそこ我慢して、そうやってお金を貯め続けてようやく貯められる額なのだ。
そんな額のお金を、私がもし親になったとき、自分の子どもにポンと出してあげられるかと考えると……少なくとも、それはだいぶたくさんの「想い」が詰まったお金になるだろう。
──そういう金額を懐の中に忍ばせていると思うと、心臓が爆発しそうになったけど、どうにかハプニングもなく、私は学校までたどり着くことができた。
そのまましどろもどろに手続きをして、ようやくの思いで、寮の自室にたどり着く。
長旅の疲れもあったけど、ずっと緊張しっぱなしだったこともあって、どっと疲れたわけで……。
ちなみにこの間、入学金として大金貨2枚、初年度の授業料として大金貨5枚、その他教材費や設備利用費などで大金貨2枚、入寮費と初月の寮費で大金貨1枚が飛んで行った。
おそろしいほどの大金が、あっという間になくなってゆく──学校というのは、そういう場所なのだと改めて思い知らされる。
「あ、一緒の部屋の子だね。初めまして、よろしくね」
そんな思いをしてようやくたどり着いた自室には、先客がいた。
歳は私と同じぐらいで、可愛らしい、ちょっと垢ぬけた印象の女の子だった。
寮の部屋はそれぞれ2人部屋で、この子が私のルームメイトのようだ。
「う、うん……。よろしく」
私は緊張しながら、ルームメイトに初めての挨拶をした。
このとき私の脳裏に浮かんだのは、この子とどうやって仲良くなろうか、などということではなく──この子はお金を盗んだりしない子だろうか、という心配と、どこにお金を隠しておこうかという思案だった。
出遭う人、道行く人みんなに対して泥棒の可能性を疑う経験は、初めてだ。
大金なんて、持つものじゃない。