電話
音楽室から飛び出していった輝蘭は、一人家路を急いでいた。
輝蘭の家は鳳町の中心部にわりと近い場所にあり、通り道にも賑やかな場所が多く、商店街やいくつかの商社ビルが立ち並ぶ通りや、たくさんの人々が行き交う街の中で、輝蘭は逆にほっといてもらえるような気楽さがあったからか、なんとなく冷静になりながら、今日一日の出来事を思い返していた。
今日の私、ミキさんが言うように確かにおかしかった・・・。
私が転校するってこと、みんなは知らないんだからしょうがないじゃない。
もともとは冷静さが売りの輝蘭のことである。少し考えれば非が自分にあることは充分に理解できていた。だが神酒の口から発せられていた言葉は、どうしても彼女の頭から拭えないでいたのだ。
『中学生になったら4人で・・・・』
思えば思うほど、輝蘭には暗い気分になっていった。
やめよう。もう転校のことを考えるのは・・・。
とにかく、明日はミキさんたちに謝らないと・・。
頭の中にいろいろな想いを巡らせながら歩いていく輝蘭。そして彼女が今は使われていない商社ビルの前を通りかかった時、彼女の身に、不思議な出来事が訪れた。それは、まるで落ち葉が優しく降りかかるように、キラキラと輝く光の破片と共にある声が彼女の耳に聞こえてきたのだった。
『キララ・・・』
急に呼び止められ、輝蘭は振り返り辺りを見回したが、付近に人影はない。
『キララ・・・・』
「誰?誰なの?」
相変わらず周りに人はいない。だが、彼女を呼ぶ声は確実に聞こえてくる。
「誰?私に何か用があるの?」
『・・・姉さんに会って・・・』
メリル?
輝蘭の頭の中に、突然あの夕焼けの公園での光景がはっきりと浮かび上がってきた。間違いない。あれはメリルの声だ。
「メリル?メリルなの?姿を見せて!どこにいるの!?」
『・・・姉さんに会って・・・。姉さんはそのビルにいるの・・・』
輝蘭は正面にある廃ビルを見上げた。それは使われなくなってまだ間もないような4階建てのビルで、よく見ると入り口の扉は開いていて、中に入るのに特に問題はない様子だ。
『・・・キララ・・・。姉さんに会って・・・。そして私に・・・』
そこで不思議なメリルの声は途絶えてしまった。
輝蘭はビルの最上階を見上げてから、なにかを決心したように一度大きくうなずくと、ビルの中に足を踏み入れた。
ビルの中は、実に殺風景な場所だった。
特に生活の拠点とする必要もなく、仕事のための機能を果たすだけのために作られた建築物は、目立つような装飾の跡はなく、汚れた白い壁と金属的なドアが廊下の両端に並んでいる。
輝蘭はその扉を一つ一つ開けて中を覗いていったが、どの部屋も埃がたまり、
しばらく放置されていた様子がはっきり判り、人の気配は全く感じられない。
彼女はすでに電源が切られているエレベーターは無視して、1階から2階へ、そして2階から3階へとそれぞれの部屋の様子を確かめながら、ビルの非常階段を上に上っていく。
そして彼女が3階の最後の部屋から廊下へ出た時のことだった。
彼女の耳に、ある規則的な機械音が聞こえてきたのだ。
「・・・・電話・・・?」
そう。それは、多分上の階から聞こえてきているものと思われる電話機の呼び出し音だった。
輝蘭は急いで非常階段まで戻ると、階段を駆け上がり、4階の電話音が聞こえてくる部屋の中に飛び込んだ。そこには電源が切られていると思われていたビルにも関わらず、着信音のランプを光らせて輝蘭を呼ぶ一台の電話機がある。
一瞬戸惑った輝蘭だったが、思い切って彼女はその受話器を取り上げると、それを耳に当てた。
しかし受話器の向こうから声は聞こえない。
無言電話?故障?少し気味悪く思った輝蘭が受話器を置くと、再び鳴り出す呼び出し音。そして彼女が三度目の受話器を上げたその時だった。受話器の向こうからあの声が聞こえたのは。
「・・・モシモシ・・・ワタシ・・・メアリーさん。・・・。今・・・あなたのうしろにいるの・・・!!」
輝蘭を少なからずのショックが襲った。
メリーさん、あるいはメアリーさんと呼ばれる怪談を、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。
ある日見知らぬ存在、「メアリーさん」より電話がかかってくる。それがどんどん近づいてきて、最後には電話をしている本人の後ろに、いつの間にか回り込んでいるという内容のものだ。
もともと輝蘭はインテリな性格があり、怪談等にはほとんど興味がない。
が、友人の絵里子が無類の怪談好きで、メアリーさんのお話は多少なりとも聞かされてはいた。
有名なフレーズ『今、あなたのうしろにいるの』
ただのお伽話としか思っていなかったその声が、今古い受話器を通じて、輝蘭の耳に響いていたのだ。
受話器から小さな子どもの声が響き、輝蘭はまるで投げ捨てるように受話器を置いた。
多少ドキドキしていた彼女だが、すぐに冷静になるように自分に言い聞かせた。
落ち着け落ち着け・・・。ただのイタズラ電話。特に慌てることはない・・・。
輝蘭は自分の胸に左手を押し当て、ビルから出ようと後ろを振り向く。
そして、まさにその時だった。
輝蘭の背後から彼女に向かって、白くフワフワした塊がおおいかぶさってきたのだ。
ふいをつかれた輝蘭は、悲鳴を上げその場にしりもちを付いたが、それにも構わずその白い浮遊物は輝蘭の正面に迫ってくる。
「来るな!バカ!!」
輝蘭は手元にあった電話機を、力いっぱい投げつけた!
電話機は、まともにその白くフワフワしたものに命中した。
突然の反撃にひるんだのだろうか?それはクルクルとよろけながら落ちると、床の上でジタバタともがき始めた。そしてまるで幽霊のような存在に襲われた輝蘭は急いでそこから逃げ出そうとしたが、妙なことに気が付き、その場に立ち止まった。
白くフワフワしたもの。よく見ると、これはどうやら大きな白い布のようだ。はっきりとはわからないが、どうも古いシーツのように見える。
そのシーツがからまっているのか、中で何かがもがいているのだが、シーツの端から足が見えていて、バタバタと動かしている。それはとても小さな足で、赤ちゃんぐらいの大きさでキレイな靴を履いている。
輝蘭は恐々そのシーツの塊に近づくと、思い切ってシーツをほどいた。
中から出てきたもの。それは、高さ40センチぐらいの、碧い瞳が優しく輝くかわいらしい女の子の人形だったのである。
輝蘭はその人形に見覚えがあった。
赤い民族衣装のようなドレスを身に付けたそれは、確かに昔会ったメリルと同じ服装だった。顔はまるで本物の人間のように精巧に出来ていて、むしろ人形というより、少女の小人といった印象を受ける。
そしてあっけにとられている輝蘭を前に、その人形はフワリと浮かび上がると輝蘭の眼前に静止し、そして表情豊かに彼女にこう言ったのだ。
「ちょっとあんた!何すんのよ!!」
・・・・・・・・・・・え?
「痛いじゃない!あたしが壊れたらどうす・・・、あー!!!」
人形はまるで慌てたように部屋の中を飛び回り始めた。
「どうしよう!!姿見られた〜!!」
輝蘭には何が起きているのか全く理解ができないが、構わずおしゃべりな人形は再び怒った表情で輝蘭に近づくと、早口で彼女にまくしたてた。
「ちょっとあんた!なんで物の怪の正体見ちゃうのよ!ルールってのがあるでしょ!」
最初恐さに強張っていた輝蘭だったが、その表情がどんどんと緩み始めた。
「何よ!その顔。あんたみたいのを(K・Y)って言うのよ!!」
ププッ!
最初は幽霊かと思っていた輝蘭だったが、【いや、実際にそうなのだろうけど】あまりの人形の慌てぶりに、輝蘭はいつの間にかおかしくて吹き出していた・・・。
しばらく、張り詰めた緊張が解けて緩やかな時間が流れた。人形はすっかり拗ねてしまっているようで、腕組みをしながら輝蘭に背中を向けている。
輝蘭はそんな人形を見ていて、なんとなくだが妙な愛着を感じていた。
「お人形さん。お名前うかがってもよろしいかしら?」
「あたし?あたしはメアリーよ」
「メアリーって、あの有名な『あなたの後ろにいるの・・』のメアリーさんですか?」
「さあね」
相変わらずメアリーは機嫌が悪いらしく、無愛想な返事しか返ってこない。
しかし、輝蘭がある質問をした時、彼女の態度が急変した。
「ねえ、メアリーさん。あなた、もしかして妹がいませんか?」
メアリーがはっとした表情で輝蘭のほうを振り返った。
「あなた、妹のことを知っているの!?」
「・・・・・・・あなたじゃなくて、キララって呼んでください・・・」
輝蘭は、彼女が小さかった時に体験した公園での出来事をメアリーに伝えた。
メアリーは輝蘭の言葉を聞き漏らすまいと、碧い瞳を大きく見開いて真剣に耳を傾けていたが、彼女のその必死の姿があまりにも滑稽で可愛くて、輝蘭は再び吹き出しそうになるのを必死にこらえていた。
輝蘭が事のだいたいの説明を終えると、メアリーは唖然とした表情で彼女に質問してきた。
「キララ、メリルを泣き止ませることができたの?」
「ええまあ」
「そうなんだ・・・」
メアリーはしばらく難しい顔をすると、そのまま考え込んでしまった。
その様子を見ていた輝蘭は、メアリーに何か事情があることを察し、彼女にこう聞いた。
「メリルさんを泣き止ませることが、そんなに重要なことなんですか?」
「・・・うん。あのね・・・」
そしてメアリーは、彼女の身に起きた不思議な出来事を輝蘭に話し始めた・・・。