ペトラ遺跡
5年前。中東のヨルダン・・・。
世界遺産で有名なペトラ遺跡のあるワディ・ムーサから山脈地帯に深く入った岩山が連なる丘陵地帯の間に、まるで人目を避けるようにひっそりとたたずむ一軒の木造建築が発見された。
規模は非常に小さく、まるで掘っ立て小屋ぐらいの印象しか与えないそれは古い歴史があるとは言え、さほどのニュース性がある大発見とも思えず、昔から付近に住む住民からも特に注目されることもなかったが、この時、ある一人の日本人がこの建築物を訪れていた。
古物商の佐伯洋一である。
佐伯の仕事は主に世界中を回り珍しい調度品を探し、それを各国の裕福な階級層に売りつけることにあるのだが、彼が今回ここを訪れたのには、ある理由があった。
ペトラ遺跡は、映画「トランスフォーマー」や「インディ・ジョーンズ」の舞台にもなった有名な場所だ。この映画に感動したある富豪が、この遺跡にまつわる品物を彼に依頼したのがそもそもの始まりだが、ここで彼はこの建物の噂を耳にしたのだ。
ペトラの遺跡は、もともとサウジアラビアから移動してきたナバテア人が住んでいた都である。彼らが信仰していた宗教はドシャスと呼ばれる神を祀るもので、キリスト教よりはむしろイスラム教に近い源流を持つものだった。
ところがこの建物は、当時のペトラの様式とは違っていて、むしろ西ヨーロッパの影響を多く受けていると思われる建物だったのである。
ヨルダンは11世紀前後よりヨーロッパの十字軍の遠征を受けている。
ペトラの珍しい調度品のいくつかを買いつけた佐伯は、あまり人の通わないこの場所に、かつての十字軍の遺産でもあればめっけものと思い、ここに足を運んだのだ。
ところが彼がこの建物の扉をくぐった時、普段であればまず誰もいるはずのないこの場所に、不思議なことに人の気配を感じる。そして暗闇の中に目を凝らすと、奥から一人の男性が彼のもとに歩み寄ってきた。
「・・・あなたは・・?」
思わぬ出来事に少々面食らった佐伯が声をかけると、その人物はにっこりと微笑み、彼に握手を求めてきた。
「こんな場所で誰かに会うとは奇遇ですね。私は神父です。名前はロバート。ロバート・フォースといいます・・・」
この若い神父の言うことには、彼の仕事は登録されていない無人の教会を調査すること。以前よりこの建物は現地の人には知られていたが、ここがどうやら教会らしいということが分かり、キリスト教会法王庁より派遣されてきたということである。
「すると、ここは教会なのですか・・・」
言われてみれば納得できる部分が多い。
長い年月を経て、建物内部はあちらこちらが朽ち果て破損しているが、中央奥に設けられた祭壇のような物、折れた十字架だったらしきオブジェ、整然と並んでいたと思われる崩れ落ちた椅子の破片が目に付く。
若き神父はその祭壇の残骸に手を置くと、佐伯のほうを振り返った。
「まぁ、一応そのようですね。多分ここは教会として機能させるために建てられたのでしょう。しかし・・・」
ロバートはそこまで言うと、足元にある割れたボトルの破片を拾い上げ、それを見つめたまま黙ってしまった。
「しかし?」
「いえ、私の印象なのですが・・。なんと言えばいいのでしょう。
教会を建てるためには、若干の基準や制約みたいなものがあるのですが・・・」
「何かおかしいところでもあるのですか?」
「はい。簡単に言ってしまうと、付近に人が住んでいる気配すらないこんな隠れた場所に、なぜ教会を建てなければならなかったかというのがよく分からないんですよ」
ロバートの話によると、
1・この教会は建てられてから600〜1000年程度の時間が経過しており、その間この付近に人が住み着いた形跡は見られないということ。
2・もともと教会は人を集めるために目立つような場所に建てられるのが一般的だが、ここはまるで建物を隠すかのような場所に置かれているということ。
3・頑丈ではあるが造りが非常に粗末であるということ。
これらの点が彼には解せないと言うのである。
「まるで、何かの理由でここに大急ぎで建てなければならなかった、という感じですね。とても人を集めて神の訓えを伝えるような雰囲気の場所ではありません。」
ロバートの話を聞きながら周辺を歩き回っていた佐伯だったが、ふと神父の足元を見ると、祭壇の下部が老朽で崩れ、その中に大きな穴が開いていることに気が付いた。
「神父さん、危ないよ。そこ大きな穴がある」
「穴?」
不審に思ったロバートがそこをのぞきこむと、何か見つけたらしく、佐伯を側に招くと二人でその祭壇を取り除いた。
「これは・・・?」
そこに現れたのは、深さ40〜50センチ程度の窪みだった。
窪みの底には十字架が刻まれた、取っ手のついた大きな鉄板が敷いてあり、まるで地下に通じる入り口にフタをしているかのような様相だ。
2人は顔を見合わせ、ゴクリと息を飲んだ。
「これは・・・。この下に何かありますね」
佐伯は興味津々の様子でロバートに話しかけた。
「ええ。いくらか大変なことになったようです」
2人で鉄板を取り除こうとしたが、鉄板はよほどの重量があるらしくびくともしない。ロバートは立ち上がり、携帯電話で何か連絡をしようとしたが圏外であることに気がつくと、教会の外に向かった。
「私は一度ワディの町に戻ってから関係者に連絡を取りに行きます。断っておきますが、ここはいろいろ詳しい調査が必要な場所のようです。決して一人でこの中には・・・、と言っても一人で入るには鉄板が邪魔で無理でしょうが、とにかく中には入らないでください。いいですね」
そしてロバートは外に停めてあった車に乗ると、走り去っていってしまった。
「冗談じゃない。こんなお宝を目の前にして、黙ってられるか・・。」
佐伯はふと、自分が乗ってきた4WD車にウィンチが付いていることを思い出した。彼は急いで車のウィンチからワイヤーロープを伸ばすと鉄板の取っ手に結びつけ、ドラムを回した。
鈍い音をたてドラムが動き出す。
鉄板はよほどの重さがあるらしく、フタはなかなか動かない。逆に車のほうが引っ張られている。
しかししばらくすると、さすがに鉄板も根負けしたらしく、少しずつ開き始めた。
その時だった。まるで何か重い風のようなものが佐伯の横を通り抜けた。
彼が振り向くと、彼の後ろにあったテーブルが真っ二つになっている。
どうやらワイヤーが切れてはじけたらしく、佐伯のいた場所がもう少しずれていたら、彼自身が真っ二つになっていたかも知れない。
「危ない危ない・・・。」
鉄板は再び倒れて元に戻っていたが、反動で前の位置より少しずれ、ちょうど人が一人なんとか入り込めるだけの隙間ができていた。そこで佐伯は車に戻り懐中電灯を持ち出すと、その穴の中に潜っていってしまった。
穴は石造りの階段になっていて、深く底に続いている。
ペトラ遺跡は岩窟遺跡である。もともとペトラという単語には、ギリシャ語でいう岩の意味があり、ほぼ全ての建築物がギリシャ様式の流れを持ち、オベリスク墳墓やエド・ディルなどが特に有名だ。
この地域の岩はほとんどが柔らかい砂岩で、比較的簡単に掘削ができるのである。今佐伯が進む地下遺跡も、まさにそのとおりの状況だった。
やがてしばらくすると、一番の深部にたどり着いた。
あたりを懐中電灯で照らすと、そこには不気味なものが浮かび上がる。
一面に散らばる人骨の数々・・・。どの人骨も黒ずみ汚れ、一部は土のように粉々に砕けていて、佐伯はその一本を手にしてみたが、骨は非常にもろくなっていて、かなりの時間が経過していることがうかがえた。
そしてさらによく観察してみると、人骨の側に、これもまたいくつものくすんだ銀色の造形物が落ちている。
赤い十字架が刻まれた鎧、両刃の長剣、冑・・。
それは、ある程度この地方の歴史を調べていた佐伯には、すぐに分かる代物の数々だった。
「十字軍の人骨か・・?」
さらに佐伯は、岩壁をたどりながら奥へと進んでいった。
よく見ると、岩が黒く変色していて、かなりの箇所にすすがこびり付いている。室内で火災がかつてあったのだろうか。
いや、むしろ油を撒くなどして、人為的に火を起こしたというような雰囲気がある。そして彼がこの通路の一番奥にあった扉を開いた時、彼はその中に巨大な造形物を見つけ、驚きの声を上げた。
そこにあったのは、精巧で巨大な石像だった。
高さにして約3メートル。砂岩の部屋の中にあって、それだけは黒色の硬い石で作られている。おそらく日本ではよく墓石として使われる御影石の類ではないかと推測されるが、詳しくは分からない。
あの小さな入り口からどのように運んだかは今のところ不明だが、もしかしたらこの地下室を掘り進む際にたまたまこの石の結晶が発見され、ここでその細工が成されたのかも知れない。
しかし佐伯が驚きで声を上げた理由は、その大きさよりも石像の形の面妖さにあった。
なんと言えばいいのだろう。
遠目で見れば、翼を生やした天使か女神に見えないこともない。だが、それは体中がまるで硫酸をかけられたかのように溶けていた。
口はだらしなく大きく開き、四つん這いになり、まるで何かに噛み付くかのように前傾姿勢を保っている。
髪の毛の一本一本が太く、ともすると幾本もの蛇が絡まりあっているように見える。
佐伯がその奇妙な石像を注意深く観察すると、その口の中がわずかに輝いていることに気が付いた。
彼は思い切ってその今にも噛み付いてきそうな石像の口の中に手を入れると、何か佐伯の手にあたる物がある。それは一つの翠色の球体で、大きさはソフトボールぐらい。しかもその球体は決して明るくはないが、自ら鈍い光を放ち輝いている。
佐伯はその球体を手に取ると、まじまじとそれを見つめた。
球体からは、不思議な音が聞こえてくる。
「・・・・てけり・り・・・・・・てけり・り・・・・・」
その時・・・・・。
「ナニヲシニキタノ・・・・」
佐伯の後ろから声が小さな響いた。驚いた佐伯が後ろを振り向くと、そこには、その場所にはとても似つかわしくはないある物が置かれていたのである。
それは、人形だった。
ヨーロッパのアンティークの類と思われる、赤い民族衣装のドレスを身に付けた少女の人形。
「こんな所に人形が・・・?」
佐伯が人形を拾い上げようとしたその時だった。佐伯の目の前で信じられない出来事が起きた。人形が自分で立ち上がり、ふわりと空中に浮かび上がったのである。
人形の碧い瞳が不気味に輝く・・・。
「うわあああぁあ!!」
佐伯が悲鳴を上げた。そして、その拍子に持っていた懐中電灯を床に落としてしまった。
急に広がる暗闇。あたりに少女の低い声が響く。ぺたりと何かが佐伯の後頭部に貼り付いた。間違いない。あの人形だ。
佐伯はパニックに陥り必死に出口を探したが、石の濃い翠色の光以外に光源はなく、どの方向に向かって進めばいいか判らない。
暗闇の中で、彼には一つ判ったことがあった。
地上にある粗末な教会。あれはきっとフタだったのだ。
この地下に巣食う邪悪な魂が外に逃げ出さないように、当時の人々や十字軍の兵たちが大急ぎで作った封印のためのフタだったのだということを・・・。