翠月と碧星
時は紀元前6世紀にまでさかのぼる。
今の中東ヨルダンにアラビア半島より移住してきたナバテア人が、現在の首都アンマンから300kmほど離れたワディ・ムーサの付近にペトラと呼ばれる都を建設した。
ペトラ遺跡は、前にも述べたが柔らかな砂岩を掘削して創造された物が多く、当時の建築家たちは競って壮大ないくつもの建築物を創り上げた。
ある日のこと、このナバテア人の建築家の一人が、砂岩の地層の中から不思議な石を見つけた。それは翠色に自ら輝く、ソフトボールぐらいの大きさの完全な球形の石で、彼らはこの石に「翠月」(すいげつ))【みどりに輝く月】と名前を付けた。
翠月は不思議なことに、どんな道具を使ってもキズ一つ負わせることができない強度があり、当時の王家はこの石を国宝として大事に扱っていたのだ。
ところがある日を境にこの石が、ナバテア人に大きな災厄をもたらす。翠月が魔物に姿を変え、人々を襲うようになったのである。
事の重大さに気付いた当時の王家の人々は何度となく翠月の封印を試みたが失敗。翠月は遂に王宮を抜け出し、野に放たれたのだ。
ちなみに当時のペトラ付近に伝わるバフォメット伝説にも、この事件が影響を与えている。
そして、時間は十字軍がこの地に遠征してきた時代まで進む。
相変わらず不定期に現れるこの魔物を封印するために、一人の十字軍の騎士が立ち上がったのだ。
エースと呼ばれていたこの騎士は、苦難の末に砂岩の層からこの翠月を封印する力を持つ石「碧星」(けいせい)【あおいほし】を発見。2人の黒と白の魔導師、そして双子の姉妹の神官の力を借り、遂に翠月の魔物を封印することに成功したのである。
封印後、この5人の英雄には、翠月の力を封じ続ける使命が与えられた。
しかし、5人の英雄と言えど所詮は人間。いつか寿命が尽きる時が来る。
そこでこの5人の英雄は、自分の霊力を5体の人形に移し変え、永遠に翠月を封印し続けることにしたのだ。
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「その双子の神官の姉があたしで、妹がメリルなのさ」
「え〜?とてもそんな風には見えませんけど・・・」
「・・・もっと尊敬しなよ・・・」
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翠月は遺跡の深い部分に安置され、二度と地上に現れることは無いかと思われていた。
しかしある日のこと、この封印の間に一人の盗賊が侵入。火を放って騎士エースと二人の魔導師の人形を燃やし、翠月の封印を解いてしまったのだ。
当時の十字軍の必死の働きにより再び封印には成功したが、その後、翠月をメアリーとメリルの2人で見守り続けなければならなくなったのである。
そして時代は現代に移り変わり、今から5年前。
封印の間に侵入してきた一人の日本人が、メリルの人形と翠月を持ち去ってしまったのだ。
ちなみに翠月の魔物のことを、メアリーは「ショゴス」と呼んでいる。
ショゴスとは、何十億年も昔に地球に飛来し、地球の最初の支配者となった種族である「古のもの」に従属した奴隷生物である。
かつて原始の地球において、人間が生まれるはるか昔、「古のもの」により高度な文明が生まれた時代があった。
彼らは今の南極大陸に文明都市を築き、栄華を誇ったとされている。
しかし、どんな文明にも必ず衰退する時がくる。
「古のもの」は、その後地球に飛来したクトゥルーなどの脅威の前に落ちぶれ、やがて退化をたどり消えていったのだ。
彼らが滅びた原因の1つに、ショゴスが反乱がある。
ショゴスは強靭な力と高い知能を兼ね備えているものが多い。例え相手がどんな高い能力を持った種族であれ、その脅威は恐るべきものがあるだろう。
ちなみにここに述べた隠れた歴史は、今の人間には知られていない歴史である。もしこの暗黒史を正確に知りたいのであれば、それは「ネクロノミコン」などの禁じられた書物を紐解かなければ知識を得ることはできない。
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「あの変な人のせいで、ショゴスがまた地上に出ちゃったんだよね。
あたしは『持っていっちゃダメ!』って言ったんだけど、あの人悲鳴上げてどこかに行っちゃったんだ。」
「・・・そりゃ、そうでしょう・・・」
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メアリーの話が一通り終わった後、輝蘭は優しい眼差しでしげしげとメアリーを見つめていた。
それに気付いたメアリーは、少し顔を赤らめた。
「何さ。何ジロジロ見てんの?」
「・・・・・でも、偉いですね、メアリーさん・・・」
「え?何?どのへんが!?」
メアリーの顔が、ぱっと明るくなった。
「何百年もの間、ずっとその翠月を守り続けていたんでしょう?たった二人で・・・・。とても普通ではできないことだと思いますよ」
「ほんと?尊敬する?」
「ええ。とっても尊敬しますわ」
「そう?エヘヘ〜♪」
メアリーは本当にうれしそうだった。
輝蘭は思った。ほんの数人で限られた部屋の中で、何百年もの間、静かに一つ石を見守り続けることがどんなにつらいことであるのかと。
そのような大変な使命を受け入れながらも、そこから逃げることもなく、こんな素直な気持ちのままで居続けているメアリーのことを、輝蘭はいっそう愛おしく思うようになっていた。
「実はね、あたしたちの魂はこの人形の中にあるんだけど、もし、いつか翠月を破壊することができたら、あたしたちが元の世界に戻ることができる方法があるんだ」
「どうすればいいんですか?」
「それを知っているのがね、メリルだけなんだよね〜」