卒業試験 五日目 ⑥ 黒い影の正体
松子班から指定大型キメラを奪うことに成功したジャンヌ班は、残りの試験時間を湖畔で過ごすことにした・・・
横に倒れたゾウキメラは、口元をゆっくり動かし呼吸していた。
その舌の動きに合わせて、雌ライオンのクララはポイッとゾウキメラの口にカプセルを放り込んだ。
カプセルは体内で溶ける、動物に無害の素材でできていた。
テニスボール位の大きさで、中には強めの睡眠薬が入っていた。
この巨体に効果があるのか未知だったが、暴れられたら困るので、念のため投与した。
ジャンヌ班はゾウキメラに食べられる前だった木の下に移動し、レジャーシートを敷いていた。
薬が効いているようで、地鳴りのような呼吸も静かになった。
「ありがとう」
戻ってきたクララに、ジャンヌが言った。
「試験開始前に、色々準備してたのって、これだったんだな。
さっきの化け解除薬入り水風船とかも効果バツグンだったし」
シマハイエナのハラミが言った。
「大したことないわ。
あれは、成分も薄いし揮発性が高いから、投げ飛ばされた時の風圧で乾いて、戻っていると思うわ」
クララは三角座りで座った。
「早く、スタッフの奴、来ないかな?」
ジャンヌはゾウキメラの方を見ながら言った。
「今回はハラミとクララのお手柄だな」
課題発表後、ハラミは松子班を尾行した。
化け能力の高いこの班を尾行するのは、困難を極めるものだったが、彼の天性の素質が成功へと導いた。
ハラミはジャンヌ班に「松子班が自ら狩りに出る」事実を提供した。
試験が始まり、ハラミは再度松子班を尾行した。
その間、ジャンヌとクララは距離を置いて待機した。
そして、松子班の狩りが実施されたのを確認し、強奪する機を狙った。
「これで松子班は多少なりとも減点されるだろう。
獲得点が伸びなければ、クララが合格範囲に食い込める可能性だって出てくる」
ジャンヌは力強く微笑んだ。
クララはマスクの下ではにかみ笑いをした。
「これから雨っぽいよな。火、起こす?」
ハラミは携帯用ランプの調子を確認しながら言った。
「長くはもたないだろうから、食事用に簡単に準備しよう。
点にはならなさそうだけど、ネズミでも狩るか」
ジャンヌが言った。
「魚も良いんじゃない?」クララは湖を指差した。
「良いな! 俺、獲ってくる!」
ハラミは四足歩行姿になり、タタタッと湖へと向かった。
「じゃあ、僕は枝木を拾ってくるから、クララは火種の用意をしておいてくれ」
そう言って、ジャンヌもその場を一旦離れた。
◇◆◇
空は完全に雲に覆われていた。
そのおかげで気温の上昇が抑えられているのか、吹く風も心地よく快適だった。
クララとジャンヌはレジャーシートの傍に石を積み火を起こし、金網を準備した。
ハラミが両手に淡水魚を持って戻ってきた。
べチャッべチャッとレジャーシートの上に置く。
ビチビチ跳ねる魚は体長五十センチ程あり、食糧としては十分なものだった。
「火起こし、ありがとー!
ネズミの丸焼きも食べたくなったから、狩ってくる!
これは適当に調理しといて!」
ハラミは楽しそうに再び四足歩行姿になり、湖とは反対方向に走って行った。
「元気だなぁ」ジャンヌは苦笑いしながら言った。
プブゥ・・・
ゾウキメラの地鳴りのような呼吸音が聞こえてきた。
モゾモゾと鼻が動いているようだ。
「起きたのか」二人の表情が険しくなった。
自分達の任務の成功は決まっているから、仮にキメラがどこかに逃げても構わない。
しかし、万が一暴れられたら、危険だ。
「クララ、睡眠薬のカプセルはまだあるか?」
「ええ、ちょっと待って」
クララはリュックからカプセルを取り出した。
「もう一回入れてくるよ。
スタッフが来るまで、おとなしくしておいてもらった方が、こっちも楽だし。
クララは魚を捌いていてくれ」
ジャンヌはクララからカプセルを受け取り立ち上がった。
レジャーシートを敷いている場所からは、ゾウキメラの尻の部分が見えていた。
ジャンヌはそこから遠回りになるが、背中の方を歩いて口元の方へ向かった。
横になっているゾウキメラの背中は、その幅だけでもジャンヌの目線位あった。
まるで土壁の傍を通っているようだが、よく見るとその皮膚は常に汗でねっとりと湿っている。
意外にもキメが細かくツヤツヤ光る皮膚に、ジャンヌはうっかり見とれてしまう程だった。
長い鼻が、地面を擦りながら車のワイパーの様に動いている。
ジャンヌはそれに当たらない様に慎重に口元まで近づいた。
牙は生えておらず、ダブダブと柔らかそうな口元に手を伸ばし、カプセルを放り込んだ。
鼻の動きが収まってきた。
ジャンヌはゾウキメラの下腹部の方向へ歩いた。
どうやら雌のようで、腹には乳首が点々とついていた。
そっと腹部に触れると、思っていた以上に温かかった。
もっと堅いかと思っていた皮膚は、ネットリと弾力を感じた。
初めてこのキメラを見た時、既に倒れかけていた。
自分だったら、どう狩っただろう。
相手はどんな動きを見せただろう。
先手必勝だとか言って、相手から奪うことも容赦しないつもりだった。
しかし、頭の中では納得しているが、心の中はまだそうできていない部分があった。
本能は、自らの力で狩ることを望んでいた。
ハラミの提案を通したものの、誰かのお残しを全面的に喜べるようには出来ていなかった。
打算的とも言える手段は、決して悪くない。
四日目も五日目も手堅く課題をクリアし、少なくとも自分とハラミの合格は揺るがないものになった。
カリンバの姿がフッと頭に浮かぶ。
あいつはこの課題をどう取り組むのだろうか。
ドリアンからダメージを受けたにも関わらず、目の前の点の為に、自分に戦いを挑んだ。
あの時それに応えていれば、今とは違った気持ちで課題に参加できたのだろうか。
ジャンヌは地面を見ながら、フーッと息を吐いた。
ブワッ・・・・
突然、うつむいていた自分の影が暗くなった。
ジャンヌは空を見上げた。
眼前に広がったのは、鉤爪を持つ巨大な鳥の足。
一瞬でそれは降ってきて、ゾウキメラの胴体丸ごと掴んだ。
自分の身長並みの大きさの足指一本とキメラの身体の間に、ジャンヌの腕が挟まれた。
ジャンヌはゾウキメラにうつぶせで張り付く状態になった。
ズズズとゾウキメラからの振動を感じた。
うつぶせになり、顔が横を向く。
横から見た視界が傾き、上へと昇っていく。
湖畔に現れた生き物は、黒い大きな翼を広げていた。
片翼だけで十メートル以上はありそうな翼は、周囲の細木を簡単になぎ倒した。
クララの頭上の木も倒された。
「キャー!」
彼女はしゃがんでいて、強靭な翼の動きの餌食にならなかったのが、唯一の救いだった。
飛び立とうとする翼は強風を巻き起こし、たき火もレジャーシートも吹き飛ばされる。
巻き起こる風の音に混じって、吠える声がジャンヌの耳に届いた。
怒りと興奮に満ちた鳴き声だった。
四足歩行姿で走るハラミは、異様な気配の正体を見た。
ゾウキメラを簡単に掴む鉤爪。
空を覆うような黒い翼。
この部位を持つのは、タカでもワシでもなかった。
その顔は、デコボコとした鱗のイグアナのような顔をしていた。
だが、通常のイグアナと異なり、かなり凶暴性が高い顔をしていた。
見え隠れする口元から、鋭い牙が見えた。
前足には、バッファロー型キメラが手荷物のように抱えられていた。
「ジャンヌ!?」
ゾウキメラの上にジャンヌがうつぶせで乗っているのが見えた。
何で、あんなところにいるんだ?
頭上を上下する翼をかわし、ハラミは宙に浮くゾウキメラに向かった。
鼻の先端がまだ低い位置にあったので、飛び移り胴体の方へ進む。
「大丈夫か!?」
彼女の左腕はゴツゴツした足指に圧迫され、動かせない状態だった。
ハラミの口からバチバチと音が発した。
ジャンヌの腕を抑えつけている足指にハラミは食らいついた。
「うぐぅ・・・」
歯とあごに力を集中させ、ハラミは足指の一部分を骨ごと食いちぎった。
ジャンヌの腕が抜けた。
キシャァー
耳の中が破裂しそうな怪物の鳴き声が響き渡る。
ゾウキメラの身体が揺れ、ジャンヌは滑り落ちた。
ハラミは体勢を整え、すぐにキメラから飛び降りようとした。
しかし、ジャンヌを捕まえていた足が一旦ゾウキメラから離れ、掴み直した。
その時、ハラミは全身を押さえつけられた。
ハラミが食いちぎった部分は、シューシューと音を立て、既に再生していた。
どんどん上に昇っていく。
ハラミは落とされては危険だと思い、何とか落ち着こうと試みた。
「ハラミー!」ジャンヌが叫んだ。
四足歩行姿になり、追いかけようとしが、左前足に激痛が走った。
「ああ・・・」
翼の生えた巨大イグアナは、ハラミごとゾウキメラを掴み、そのまま雲の向こうへと見えなくなった。
やがて周辺を覆っていた黒い影が消え、雲の多い空に戻った。
クララはジャンヌの方へ駆け寄ろうとした。
しかし途中で、ハラミが食いちぎった怪物の肉片が地面に落ちているのを見た。
ポケットからビニール手袋を取り出し、はめた手で慎重にその肉片を拾い上げた。
吹き飛ばされたリュックのところへ行き、適当な大きさの抗菌保存パックにそれを入れた。
ジャンヌは震えていた。
突然襲われた驚きと、狩りにおいて底辺に突き落とされたような屈辱と恐怖。
そして、自分が助かり、ハラミが連れ去られた事実。
涙すら出てこなかった。
魂が抜け出たように、ジャンヌはただ空を見上げていた。
◇◆◇
この事態に震えが止まらなかったのは、ジャンヌ班の審査員も同じであった。
「何だ、あれは!? 非常事態だ!」
と、大慌てで審査本部に連絡をとった。
ロースの連絡を受け、ヒレがラッセルのところへ向かったのは、それより前の話だった。
ヒレは西管理棟にある大型キメラ飼育場に到着した。
ここだけで村が一つ作れそうな広大な敷地に、ライオン型やオオカミ型のキメラは寝そべっていた。
「どういうことだ!? いくら何でもやりすぎだろ!」
ヒレは興奮気味に言った。
「トコトンびっくりさせてやろうと思って、一番デカいキメラを、しかもわざと大きくして飛ばしたんだ。
まだ改良中の新型キメラだから、別にすぐに死んでもそんなに問題ないし。
見た目は恐竜みたいだけど、めちゃくちゃ俺に懐くおとなしい子なんだ」
指定大型キメラ回収を終えたラッセルは、通常業務である備品の水洗いをしながら言った。
「肉食だけど、俺が試験開始前に兄弟の分の餌まで全部食べさせたから、暫くは大丈夫だろうし、今頃適当にお空を飛んで、時々着陸して、受験生達をびびらせているぜ」
ラッセルはニヤニヤしながら言った。
「ふーん。なぁ、その飛ばした怪物と兄弟ってのは、見た目そっくりなのか?」
ヒレは口元をひきつらせながら尋ねた。
「ああ。ほぼコピーって感じでそっくりだぜ。
でも、性格が全然違う。
もう一つの方は、性格も凶暴で貪欲だし、俺達も注意して飼育してるぜ」
「ほー」
「流石に、俺もそっちは出さないよ。何するか、分かんないし。
それに比べてあいつは、じゃれるのが大好きで、よく俺の頭を優しーく甘噛みしたり舐めたりするんだ。
あ、ほら、こら、やめろって・・・」
ラッセルの頭は、ヌッと現れたゴツゴツした鱗の口に覆われた。
「それじゃあ、今、お前にじゃれついているのは、何だ?」
「へ?」
ラッセルは口から離れた。
黒い翼を折りたたんだ大きなイグアナが、壁の様に佇んでいた。
「あー・・・」
ラッセルはヒレの方を向いた。
「間違えちゃった」
ペロッと長い舌を出し、首を傾げた。
「ふざけんなよ!!」
ヒレは激昂した。
ゾウキメラ(カバとのキメラ)の汗は、正しくは汗ではありません。特殊な粘液です。イグアナは肉食ではないですが、今回登場した怪物は、猛禽類が入っているので肉食なのです。




