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穴掘りはづきの迷走  作者: 茅野平兵朗
15/40

015



「ぶんたぁい! っつけッ!」


 だ・が、そんな算段は、全く必要なかった。


 なぜなら、俺はすでに、ギブアップ寸前だったからだ。

 停止間の動作の演練というのを始めてすでに30分くらい経ったろうか、いまだに俺たちは気をつけを、クリアしていなかった。

「五番! 気をつけと言われたら、気をつけをせんか! 不動の姿勢だ! 頭がふらついてるぞ!」

 物心ついてからこっち、したことがない姿勢を取らされているから、体中から脂汗が噴出している。俺由来のガマの油ができそうな勢いだ。

「五番! それは六十度か? 本当に六十度か?」

 足の角度を修正しようと下を見る。

 気をつけや、休めをしたことがないやつなんかいるもんかって思ったか? 俺も最初はそう思ってたよ。

「五番! 視線は前と言ったろう! 俺から視線を逸らすな!」

 慌てて視線を戻す。

「これが六十度だ! 覚えろ!」

 足の間に、柄がついた木製の三角定規みたいなのを突っ込まれる。

 俺たち一人ひとりの前に、隊員がついて、俺たちの気をつけを鵜の目鷹の目で観察している。

 ほんのわずかな規定違いも見逃してくれそうにない。

 それは、はづきも同様で、はづきの前には、いつの間にか現れた、朝霧少尉殿とはう女子隊員が立っていた。

 襟の階級章は野分二曹のより一本線が少ないから、たぶん三等陸曹なのだろう。

 しかし、この女性自衛官、本当にいつ現れたんだ? 朝霧少尉もいつの間にかいなくなっていたし。

 この人たち、エスパー特殊部隊だったりして。 いや、まさか。な。

 自衛官は、俺たちみたいな高校生程度には気取られないように移動するなんて朝飯前なんだろう。

 ちなみに、今は昼飯前だ。


 俺たちが、ただ今絶賛悪戦苦闘中の、自衛隊の気をつけだが、俺たちが今までやってきた気をつけとは全く異質なものだった。

 俺たちが今まで小中高とやってきた体育の授業では、おおむね、気をつけのときには指を伸ばしてそろえ、中指をズボン側面の縫い目に付けると、習ったはずだ。

 俺が少しだけかじったボーイスカウトでも、気をつけは学校でやるのと大差なかった。

 が、自衛隊に気をつけは握り拳だ。それだけなら、まあ、簡単だろう。些細な違いだ。すぐに修正できる。

 辛いのはここからだ。

 拳を返して、脈を取る場所を見つめて欲しい。そう、そこだ。そこを、ズボンの縫い目につけて、気をつけをしてみてくれ。

 これだけで、ただの気をつけが、少し辛いものになったはずだ。肩がプルプルしてくるだろう?

 さらに、だ、肩を引いて胸を張り、あごを引き、足は踵をくっつけつま先を六十度(女子は五十五度)に開く。このとき、拳の内側と、腕は体の側面に密着させる。

 どうだ? ものすごくツライだろう? 体中がプルプル震えちゃうだろ?

 これを、頭をふらつかせずにやるなんて、至難の業だろ? 

 すんなりできるやつは自衛隊経験者に違いない。

 たしかに、これを気をつけといわれたら、俺たちがやってるのは気をつけじゃない。ただ、突っ立ってるだけだ。

 俺の右隣の四番こと柔道部吉田さんなんか、すでに滝の汗だ。

 彼はいかにも柔道部っていうような巨躯だから、肘に隙間ができやすい。

 それを、何度も何度も指摘され、その度に腕を両側からパシーン! と、はたかれる。そのたびに頭が揺れて、それをまた指摘される。

「一番! あごを引け! 何だそのあごは! アッパーカットが欲しいのか!」

 ただ、立ってるだけの姿勢に、これほど体と精神に負担をかけるパワーが潜んでいるとは思いもよらなかった。

「二番! 目が死んでるぞ! 口を引き締めろ!」

 正直、タカをくくっていた。

 はづきにバレないように手を抜いて、脱落しようなんて考えていた。

 今よりもずっとガキのころに数年間スカウトにいた経験を生かして、本当はお茶の子さいさいで乗り切れるけど、はづきや鳳梨とこれ以上関わりたくないから、ワザと脱落するんだ。なんてヌルいことを企んでいた。

「三番! 手を握る! 不動の姿勢は腕を体にきっちりとくっつけるんだ!」

 ごめんなさい。俺が愚かでした。

「四番! また、脇が緩んでる! 胸を張れとはいったが、腹を突き出せとは言ってないぞ! 腹を引っ込めろ!」

 能ある何とかはっていうだろ? その、能ってのが俺にとっては、数年間のスカウト活動で培った、俗に言う男子力だったわけだが、そんなもの、ここでは鼻くそほどにも役に立たないことを思い知らされている。

「五番! 何度言ったら覚える! 肘を張るな!」

 両肘をおもいっきり両脇からはたかれる。めちゃ痛いが、かろうじて堪えた。声に出したら隣で俺を監視している猛獣が、連休明けに頭を食いちぎり、黒い犬たちがはらわたを食い散らかして、ゾンビ奴隷にされかねないからな。

「五番! 何回言わせる! そんなに威張りたいのか! ケツを引き締めろ! その頭に詰まっているのは藁か!」

 ああ、俺の細かなプライドはものの見事に粉砕されてしまった。千の風にのってジェット気流に運ばれている。

「ようし、自衛官候補生の1日目レベルになったようなので、次は、休めを演練する!」

 ようやく、気をつけをクリアしたときには、俺のパンツの中まで汗でぐっしょりとなっていた。ああ、それこそ、失禁したようにな。


 当然「休め」も、同じようにクリアするまでに、小一時間ほどかかった。午前中の訓練の終わりが野分二曹の口から告げられたときには俺たちのほとんどはへとへとだった。

 集合時間に合わせるために、普段よりも一時間早く起きて、しかも、朝飯抜きで来た俺も、腹ペコの上クタクタで、ヨレヨレだった。



「植村生徒基準!」

「基準!」

「せいれッ! ッぎむけぇッ! っぎッ! かけあしぃ、えぇッ、すめッ!」

「いち、いち、いちにぃ!」

「そーれ!」

 来たときと同じようにゆっくりとしたペースで、今度は、緩い斜面を上って行く。

「ん?」

 鼻の穴の中にかすかな違和感を感じる。

「お!」

「んう?」

「あぁ?」

「あ」

 その場の誰もが、鬼のような隊員たちでさえ、その違和感を感じ取ったみたいで、顔がほのかに綻んでいる。

 ザワザワとワクテカした雰囲気が全員に伝染して行く。

 俺の目に映っている全員が、緩みきった顔で駆け足をしていた。

 さすがに野分二曹も、これは咎めなかった。午前中の訓練の終了を宣言しているのだから、当然といえば当然だろうが。

 一歩一歩登り進むたびに、俺たちが午前中に設営したテントが見えてくる。

「あれ?」

 さらに違和感を感じる。

「増えてないか?」

 俺たちが、出発したときにはなかったテントが増えていた。

 鼻の中の違和感の正体は、その、増えているテントから漂ってきていた。

 テント群の姿がはっきりするにしたがい鼻腔をくすぐる違和感は強くなっていき、やがてそれは確信となった。

「カレーの匂いだ!」 

 確信したとたんに突如として、腹の虫が盛大に合唱を始める。さながら、それは地鳴りのように俺の体を震わせる。

 他の先輩方や、隊員たちも似たりよったりのようで、緩んだ顔が羞恥に赤く染まってゆく。

「き、君、これ、知ってたのか?」

 柔道部の吉田先輩が俺を振り返る。

「いえ、あえれは、先輩を落ち着かせようとして言った、でまかせです」

 俺は、あらぬ嫌疑をかけられまいと首を思いっきり横に振りまくる。


 増えたテントから、駐屯地に入ってからこっち、行方不明になっていた俺たちの学校の女生徒二人と、いつの間にか消えていた朝霧三尉殿が出て来た。

「あ、みなさぁん! おかえりなさぁい! お昼ご飯ができてますよぅ!」

 榊さんが、その容貌にあまりにもそぐわない爆乳を揺らして俺たちにブンブンと手を振る。

 鳳梨と朝霧さんも俺たちに手を振っている。

 俺たちが、訓練をしている間に、新たにテントを設営して、その中で昼食の用意をしていたのか?

 はづき以外の女子が! 

 しかもそれは、アウトドアご飯の基本中の基本、カレーライス!

 カレーといえば、巷では海軍カレーとか言うのが流行っているが、カレーライスを世に広めたのは、陸軍を除隊した兵士たちだったということは意外に知られていない。

 平成生まれにはあまりなじみのない言葉だが、かつて、カレーにはライスカレーと呼ばれていた時期がかなりあった。

 一説によると、ライスカレーという呼び方は陸軍式、カレイライスという呼び方が、海軍式なのだそうだ。

 陸軍は海軍よりも圧倒的に兵隊の数が多く、且つ調理に携わる兵隊の数も多かった。

 軍隊生活で覚えたカレーを、除隊後帰郷した兵隊が自分の家で作ったのが、カレーが、今現在、国民食となるまでに普及した要因らしい。

 だから、いま、陸上自衛隊の駐屯地演習場でカレーが昼食として出てくるのは何の問題もないわけだ。

「ぅおおおおおおおおおおッ!」

 いつしか、全員が、新しいテントに向かって、ダッシュを始めていた。

 さながらそれは、敵陣地に突撃を敢行する歩兵の一団のようにも見えたことだろう。

 俺たちに手を振っていた榊さんの笑顔が次第に引きつって、終いには悲鳴を上げていたことから容易に想像がつく。

「おおおおおおおおおおお!」

 うん、俺たちは、カレーに向かって突撃をしていた。

14/07/20掲載開始です

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