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第四章
四月も末で、桜の花が満開になったばかりのくせに、妙に日差しが暑い日だった。
地球温暖化なんてものは、人類が排出する二酸化炭素を始めとする温室効果ガスなるみょうちきりんな物質のせいだと言うのは嘘っぱちであって、太陽がせっせと核融合に精を出しているからだと思いたくなるほどに、ジリジリと日が照り付けていた。
春の大型連休初日の朝八時半、欠片ほどの雲もない大快晴の空の下、地学部部員選抜第二次試験が行われる陸上自衛隊駐屯地前バス停近くのスーパーの駐車場に、たった一人の遅刻者もなく一次試験合格者十一人全員が集合した。全員が男子だった。
たった一人の女子合格者はすでに正式に部員になっているからな。
そもそも、いくらはづきのファンでも、一緒に部活までやろうなんて考える女子はいなかったわけだ。
そう、もともと女子の受験者は、鳳梨美佳、唯一人だったわけだ。
ちなみに、この駐屯地の隣には海上自衛隊の航空基地がある。地図や航空写真で見ると、ひとつの軍事基地のように見えるが、フェンスこそ無いものの全く別個に運用されているのだそうだ。
なぜそんなことを知っているかいるかと言うと、悪友に誘われて自衛隊が運営している高校を受験したことがあって、ここはその試験会場だったからだ。たしか、陸上自衛隊高等工科学校とかいったな。
その高校はかなりの難関で、少子化の影響で公立高校の平均倍率が一・五倍そこそこの昨今の御時世で、なんと二〇倍もの倍率を誇っている。推薦枠にいたっては五十倍にも達するそうだ。
まあ、授業料や衣食住がタダで、逆に給料が十万円近く貰えるなら確かに受験する価値はある。それに、受験料もタダだから、本番の受験への腕試しに受験する奴も少なくない。
まあ、俺は当然腕試し程度の気持ちで受けたんだが、本気でそこの生徒を目指している奴らの、やってやるぜオーラが印象的だった。
当然ながら、俺は不合格だった(学力が足りなさすぎる)。万が一に合格してたら自衛隊に入ったかと言えば、それは断じてありえない。
なぜなら、俺は高校生活にストイックさを求めてなどいなかったからだ。俺はキャッキャうふふなハイスクールライフを目指して受験勉強していたのであって、ワザワザ坊主頭の男だらけのマッチョな環境で十代の残り全てを浪費したくはなかったからだ。
一緒に受験した悪友は合格し、今は神奈川県在住だ。たまに来る添付画像付きメールに写っているヤツは日に日に黒く逞しくなっていっている。
「全員来てるわねー、遅刻者が一人もいないとは感心感心」
背後から聞こえた特上のソプラノに、スーパーの駐車場にたむろしていた男子高校生が一斉に振り向いた。もちろん俺もだ。振り向いて……。
その場にいた連中の殆どが、瞬時に鼻血を噴くか股間を押さえていた。当然のことながら瞳は皆ハート型に飛び出している。
俺たちの背後にいきなり現れたはづきと榊悠乃、そして鳳梨美佳の三人のいでたちが思春期真っ只中の俺たちにとって猛烈に刺激的なものだったのだから仕方ないだろう。
かく言う俺も、ともすれば、股間に血流が集中し始めるのを母親の顔を思い出すことで何とか堪えていた。
カウンターエロには、母親がジャック・バウアーのように活躍してくれるな。
こいつらいったい何のつもりだ?
三人の美少女は、浅いV字に切れ上がった際どいボトム丈(股下数センチ)のデニムのショートパンツ(こういう丈の短いショートパンツの事ホットパンツっていったっけか?)にそれぞれ柄が違う迷彩服という装いだった。
しかもっ……ホットパンツはっ! ……くううううッ自粛だ!
股間を押さえ、必死で母親の顔を思い出している俺を、はづきがジト目で睨み鼻を鳴らした。
俺たちよりもかなり早く来て、駐屯地の中で着替えてから俺たちを迎えに来たに違いない。
両手を腰に当てて、ふんぞり返るように立ってこちらを睥睨しているはづきは、頭に丸いバッジがついたモスグリーンのベレー帽を載せ、刷毛で描きなぐったような迷彩柄の上着に靴底をゴツくしたハイカットのスニーカーのようなキャンバス地のブーツを履き、ホットパンツからスラリと伸びた脚にはブーツの踝辺りから太腿までカーキ色の幅の広い包帯状の布を巻きつけている。
確かこれってゲートルとかいう第二次大戦当時の日本兵が脚に巻いてたヤツだ。映画でよく見る。
榊さんは、フレンチスリーブ丈に袖を切り落とし、ボディラインが際立つようにウェストを絞った、ライムグリーンが鮮やかなホルスタインの模様の迷彩柄の戦闘服(戦闘服と呼称するにはかなりセクシーな形状だ。きっとはづきが改造したか、そういう仕様に改造して販売しているショップから買ったんだな)にくすんだ赤のベレー、膝上丈の白とピンクの細いボーダー柄ソックス、ふくらはぎが濃緑色の布製で足部分が皮製の編み上げのブーツと言う姿。
手を前で組んでモジモジしながら、半べそで大きな瞳をキョドらせている。
うんうん、その、ホットパンツ姿を恥らっていらっしゃるんですよね。解りますが、正直いってあなたのそれは眼福です。
鳳梨は両耳のすぐ上でウェーブがかかった髪の毛を束ね、ハンバーガーショップの店員のような庇無しの帽子(正面のドクロの刺繍が不気味だ)を右に大きく傾けて被り、幼稚園の制服みたいなデザイン(たしか、スモックっていったよな。園児のころ着てた気がする)のボタンが無い斑点柄迷彩服に袖を通し、黒パンストに膝上丈の長靴のようなブーツを履いて、だらりと肩を下げて生意気そうなあごをツンと上げ、トロンと眠たそうな目で俺たちを眺めている。
服が違ってたら大昔の女ヤンキーが写真を取るときにやりそうなポーズだ。たしか、スケ番っていったっけ?
「ンみなさぁーん、おっはようございまぁっすっ!」
はづきが声を張りあげる。まるで、遊園地のヒーローショーの司会のお姉さんだ。
「ぅお、おっはようございまぁーっすっ!」
耳障りに裏返った男子どもの声が応える。心臓がバックンバックンいってるのが聞こえてきそうだ。俺の心臓も早鐘を打っている。
「こ、こいつぁ……ま、まさか」
「間違いないな。ふるいだ」
神田槍介が俺だけに聞こえるように呟いた。
涼しげな目元をいっそう涼やかにして、平常心を失っていないように見える。
それって、大したもんだが、俺たちの年金を払ってくれる世代をおおいに増産しなくてはならない牡として、それはどうかと思うぞ。
そんな俺の余計な心配に気がついたのか、神田が肩をすくめる。
こいつのこういうところが、なんか腹立つな。
誰かがスマホを取り出し三人にレンズを向ける。すかさず殆どの奴らがスマホを三人に向け、写真を撮り始めようとしていた。
「はいっ! 撮影はオッケーだけどぉっ」
はづきが意地悪く口角を吊り上げる。
榊さんが何かの用紙を取り出し、鳳梨が袖のペン刺しから、ボールペンを抜き出した。
「わ、私たちを撮影したい人達は、こ、これにさサ、サインっ、しっ、してね」
と、はづきの声に遅れることなく、榊さんが上下に広げた紙を指してぎこちなくウィンクする。
「そしたらぁ、むふふぅ…よぉ」
鳳梨がボールペンを差し出しながら、自分のフトモモを撫で上げ、スモックの裾をつまみ上げた。
きっと何度もリハーサルしたんだろうな。
榊さんが指差しているその紙には「地学部員採用試験第二次試験辞退届」と、大きめの文字のタイトルと、受験を辞退する旨の宣誓文が印刷されていた。
くそっやっぱりこれが第一関門か。思春期男子の本能に罠を仕掛けるとは本当に底意地が悪過ぎるぜ。
「うむう……」「ううーん」
真剣に悩んでいるの呻きがそこここから聞こえてくる。俺だってはづきや鳳梨に脅されていなかったら、かなり悩んでいたと思う。
据え膳食わぬはなんとかって言うだろ。
この場合の据え膳は、ウチの学校の美少女ベストテンに入っているという噂の三人のホットパンツ姿撮影権なわけだ。
もちろん、ネットや雑誌への流出は絶対禁止の付帯条項付きだが個人的にどう使用しようが勝手だ。パソコンに取り込んで日替わりで壁紙にするもよし、プリントアウトして写真集を作成するもよし。その他に使用するもよしだ。
今後三年間、その美少女と一緒に部活にいそしんでいるうちに、ひょっとしたら彼氏彼女の間柄になれるかもしれない。
だが、その夢を放棄すれば、チラ見しただけで鼻血を噴いてしまうようなセクシーコスプレの美少女写真が何十枚も撮影できてしまうんだぜ。今すぐに。
実現するかどうか怪しい、高校時代の甘酸っぱい思い出を作ることができるようになれるかもしれない可能性と、大切に保存すれば確実に一生保つオカズとどっちを選ぶ?
しかも、今選択しなかったら、その後の関門で脱落したときにキャッキャうふふなハイスクールライフを送れず、美少女セクシー画像を手に入れられず、何の特典もないまま追い返されてしまうかもしれないときたら?
悩むだろ?
「そんなぁ、竜洞さん、写真撮影なんて、私、聞いてないですよう」
榊さんの抗議を無視して、はづきは悩んでいる思春期のさくらんぼにたたみかける。
「ポーズのリクエストも受けちゃおうかなあ」
「あ、あの、じゃ、じゃあ、女豹のポーズなんてオッケーですか?」
誰かが、意を決して問いかける。
「んふん。オーケー、いいわよっ!」
はづきが口元を大きくほころばせて答える。
「でッ、ではッ! えっ、えっ、M字開脚はどうでしょうかっっ!」
鼻血を滴らせながら、前ががみになって質問を投げつける。こいつ、ここでリタイアのつもりだな。
「うーんM字開脚かあ。そおねぇ、あたしはいいけど、悠乃ちゃんできる? 美香は?」
「はうううぅ……私は……そんなぁ」
「ああぁ、はいぃ、いいですよぅ」
「じゃあ、オッケーってことでッ!」
これがトドメだった。
早朝の駐屯地前スーパーマーケットの駐車場に、思春期男子特有の裏返った雄叫びがこだまする。
榊さんが持っていた用紙は次々に男子達に奪われ、消えていった。
「ああ、神田君とユンボ、みんなから承諾書集めておいてね。じゃあ、サインが終わった人からこちらへどぞーっ!」
俺と神田槍介にサイン済みの承諾書を押し付け、スマホのモードを切り替えながら、男子どもが三人に群がる。
はづきめ、当たり前のように命令しやがって。俺たちが写真撮影に参加するなんて、はなっから頭に無いのかよ!
口々に「寄せて上げて」だの「上目遣いこちらにください」だの「尻ハミ修正でおながいしまつ」とか、親が聞いたら泣き出しそうな事を口走っている。まあ、俺もあの中にいたら絶対口走ってるよな。主に「オレノ」榊さんにカブリつきで。
次々にポーズのリクエストをする連中に、はづきは喜々として応える。まるで、グラビアアイドルみたいだ。
だがその笑顔の中で、目だけは決して笑っていなかった。
「俺は神田槍介、よろしく。お互い頑張ろうな」
盛り上がりまくっている撮影会を尻目に神田槍介が残留した俺以外の三人に右手を差し出し自己紹介を始める。
美少女たちが魅せる悩殺ポーズの脳内HDDへの別名保存を邪魔してんじゃねえよという不機嫌さを露骨に顔に出して俺以外の三人が握手に応じる。
まるで、ボクシングの世界タイトルマッチの記者会見場のようにビリビリとした対決ムード満点のオーラが迸っていた。
そのうちの一人が俺にスッと右手を差し出す。
「あ、え…と、たしか……」
「山岳部主将の植村だ。竜洞さんを我が部に迎えられなくて残念だったよ。君も災難だったな中身は大丈夫だったようだね。いや、本当にすまなかった。ウチの保守怠慢だった」
存外いい人なのか。
俺は自分の腹をぺちんと叩き。「けっこう頑丈にできてるんです」と強がって見せたが、あれは運がよかっただけだと言うことはようく解っている。同じことがもう一回あったらこんどは、中身が破裂しちまうかもしれない。
「よろしく。自分は柔道部三年の吉田だ」
「ボクは吹奏楽部二年の市原といいます。がんばりましょうね」
残った連中をぐるりと見て、俺は半ば安心した。
俺を除いた四人が皆、筋骨隆々のマッチョメンだったからだ。こいつらが相手なら、かなり一所懸命にやっても一抜けで脱落できそうだ。
俺たち残留組が自己紹介をしているうちに、撮影会はつつがなく終了していた。
喜んで脱落者名簿にサインしていった六人はつやつやとした笑顔で、スマホの画面で撮ったばかりの画像を確認しながら、ちょうど到着した市街地方面行きのバスに乗り込んで行った。
車窓から笑顔で手を振るその表情には後悔という文字は微塵も浮かんでいなかった。
「じゃあねー! バイバァーイ」
片手を腰に手を振り、はづきは志願脱落者を見送る。
バスが見えなくなったところで、フンッと鼻を鳴らしたことに、俺以外の誰もが気づいていなかった。
「一時間後には目の幅涙を流して後悔することになるのに。ほぉんと、だんしってぇ…ばぁかばっかりぃ」
俺の耳元でボソボソと鳳梨が毒を吐く。
榊さんはというと、恥ずかしさのあまり半泣きだ。
「ふ、ふええぇ、ひどいですぅ。あんな恥ずかしいポーズで撮られた写真がずうっとあのひとたちのスマホやパソコンの中に残るんですよう」
鳳梨は、アスリートがベンチで着ているような丈の長いコートを榊さんにかけてやりながら
「だいじょうぶですよぅ、あぁんな、ふじゅんなぁひとたちのすまほにはぁ、わたしたぁちのぉ、がぞうデータぁがぁ、そんざいしつづけられませんからぁ」
とか根拠のない言葉で慰めている。いや、根拠はあるんだろうな。
おそらく一時間後くらいにさっき撮った画像データは全く消え失せるか、別の何かに替わっているんだろうな。イカとか、タコとかに。
鳳梨の魔法で。
きっと撮影中にスマホに術をかけていたに違いない。
「本当ですかぁ」
「ほんとうでぇすぅよぉ。あぁんしぃんしてぇくぅだぁさぁい」
長生きの猫のような笑顔で鳳梨が榊さんの頭を撫でる。
「お、鳳梨さんがそうおっしゃるなら、安心です。はい」
榊さんは、見る見る落ち着きを取り戻す。鳳梨が暗示でもかけているのだろうか。
俺は、鳳梨美佳の笑顔に戦慄しながら、俺は願わずにはいられなかった。
頼むから一回ぐらいは、じっくりと鑑賞させてやってくれ。じゃなきゃ、かわいそう過ぎる。
14/06/22掲載開始です