第五十六頁『大切な君へ』
ベッドの上に寝転んで、愛美ちゃんからもらったチケットを見る。
既にソールドアウトしているってことだから、ファンにとってはかなり価値のあるもののはずだけど……。
これをくれた時の愛美ちゃんの表情を思い出すと、とてもじゃないが素直に喜べなかった。
『はい。思ったよりお客さんの入りも良いみたいで、もうソールドアウトみたいですよ。
先輩には、その……練習とかでお世話になってるし、ぜひ来てもらいたくって』
『……ちゃんと歌えるか、まだ分からないですけど』
言葉とは裏腹に、愛美ちゃんの表情には明るい要素は見つけられなかった。
ライブへの不安、そしてそれをごまかすかのような自嘲気味の言葉と笑顔……。
そんな顔されちゃ、いくらなんでも手放しでニヤけてはいられない。
「本人からもらった超プラチナチケットなのにな……もっと喜んでもいいんだぞ、章」
なんて、自分に言い聞かせる言葉も空しい。
―――本人、か。
僕がチケットをもらったのは愛美ちゃんであって、百乃木愛子ではない。
だけど、百乃木愛子は紛れも無く、愛美ちゃんなんだ。
愛美ちゃん自身は“桃田愛美”と“百乃木愛子”の間にズレを感じているみたいだった。
でも、本当にそうなんだろうか……。
確かに愛美ちゃんは人前に出るのが苦手で、ちょっと引っ込み思案のところもあるかもしれない。
それでも、愛美ちゃんが言うところの“強い自分”である百乃木愛子だって、愛美ちゃんであることは間違いない。
たとえ演じているのだとしても、それは愛美ちゃん自身の頑張りなんだ。
「―――ここまできたら、ちょっとくらいお節介してもいいよな」
誰に告げるでもなく、思いつきを確認した。
“百乃木愛子”のファンとして、大事な後輩である“桃田愛美”の先輩として。
“彼女”を応援したって、何の問題も無いはずだ。
それに、ただでさえ何だか放っておけない愛美ちゃんにあんな顔されたら―――。
面倒嫌いの僕でも、さすがに黙ってるわけにはいかない。
頼られてなくたって構わない。
ここで何もしなかったら、後悔するだろうから。
―――ライブは今週末。
そこまでに残された時間は多くない。
……明日からはちょっと忙しくなりそうだな。
………
………………
明けて翌日。
久しぶりに新聞部室にやってきていた。
「やっほー章くん。部室に来るなんて久しぶりじゃん」
部屋に入ると、相変わらず元気な優子ちゃんが迎えてくれた。
「久しぶり……って、あれ? 一人なの?」
「うん、今日は部活無いからね。
後輩のみんなは来てないよ」
そう。学祭前までほぼ一人で活動をしていた新聞部も、ついに新入部員を迎えた。
一年生が三人……ひとまず、廃部の危機は回避できたわけだ。
ちなみに、漫研の方も二人の新入部員を迎え、こちらも廃部、あるいは廃会は免れた。
まったく面識が無いわけではないが、それでも新人達とは優子ちゃんほど親しい訳じゃない。
何となく、前より新聞部室に来づらくなってしまったのは寂しい話ではあるが……。
とは言っても、廃部なんかよりは断然いいわけで。
今日こうやって久しぶりに来てみたが、改めて部が残って良かったと思う。
「今日はどうしたの?
もしかして、しばらく会わないもんで私が恋しくなっちゃったとか?」
「ははは……まあ、相変わらずで安心したよ」
「おうおう、言うようになったね章くん。
とりあえず座りなよ、今コーヒー淹れるね」
勧められるままに椅子に座る。
新入部員が入ってきても、教育が行き届いているのか前と変わらず整理整頓はしっかりされていた。
ただよってくるコーヒーの良い香りもいつも通り……何だかんだ言って安心した。
「それで、もしかして本当に私に会いに来てくれたとか?」
「そっちもほんの少しはあるけど―――」
ほんの少しなんだ、と苦笑する優子ちゃん。
こちらもいつも通りで一安心。
「ちょっと頼みごとがあって」
「頼みごと……章くんからって珍しいね。どうかしたの?」
「実はちょっと、裁縫めいたことをやりたくて。
優子ちゃんは手先が器用だし、何でもやれちゃうから良いアドバイスがもらえるんじゃなかろうかと思って」
「はあ、裁縫……物によるけど、一応ひと通りは大丈夫だよ。
っていうか、妹さんに頼めばよかったのに。家事万能なんでしょ?」
「あっ」
灯台下暗しとはこの事か……あやのの存在をすっかり忘れていた。
芸達者と言えば優子ちゃんのイメージだったから、思い浮かんだままに行動してしまった。
「まあでも、良いよ。せっかく私を頼ってきてくれたんだし、それに章くんには恩返ししなきゃだしね♪」
「優子ちゃん……」
やっぱり頼ってよかったと、心からそう思った。
「それで章くん、裁縫めいた事って言ってたけど、何か作りたいの?」
「うん。あの、横断幕……って作れるかな?」
「横断幕? また珍しいものを……。
作ったことはないけど、多分大丈夫だとは思う。
でも、なんでまた? 陽ノ井さんの試合応援にでも使うの?」
「そこで茜ちゃんの名前が出てきたのにはつっこまないけど……応援って意味では合ってる。
愛美ちゃん……華先生の妹さんなんだけど、知ってる?」
「ああ、学祭のライブでアニソン歌ってた娘? あんまり話したことはないけど、一応は。
章くんの誕生日会の時も一緒に準備したしね」
「そっか。その娘の……え~っと、“歌の発表会”があって、週末に見に行くことになってるんだけど。
愛美ちゃん、実はちょっとあがり症気味で。
それで、ちょっと勇気づけてあげようってことで、応援の横断幕を作りたくてっさ」
ミニライブを“歌の発表会”ってのは無理がある気がするが……まあ、嘘はどこにもない。
愛美ちゃんが歌を大勢の人の前で歌うって点では、何も間違ってはいない。
「なるほど……それにしても今週末か。
あんまり時間無いね」
「うん。後、できればでいいんだけど、前々日までには完成させたくて……」
「前々日……そうなってくると、ちょっと人手もいるかも。
SHIKIの方は後輩もいるし、なんとかなるけど……私と章くんだけじゃちょっとキツイかな」
「そうだよね……ゴメン、急に無理言って」
いくらなんでも思いつきで動きすぎたか……。
優子ちゃんの表情も、さすがに若干険しい。
「…………」
「っとと、そんなに深刻な表情しなくても大丈夫大丈夫。
そうだね……章くんに恩返ししなきゃいけないってのは、私だけじゃないんだし♪」
「? それってどういう……」
「ちょっと待っててね。今、“助っ人”に話つけるから」
そう言って取り出したケータイで電話し始める優子ちゃん。
“助っ人”って言ってたけど、もしかして―――
………
………………
「オッケー、仲間が二人増えたよ♪
さすがに今すぐ来てもらう……ってワケにはいかなかったけど、大丈夫だよね?」
「まあ、こっちは頼んでる身だから、間に合いさえすれば何も言わないけど……“助っ人”って一体?」
「その辺は後のお楽しみ♪
それより、具体的な計画を立てなくちゃだよね。
とりあえず、大体の材料をそろえないと話にならないから、まずは買い出しだよね」
さすがの優子ちゃんで、いざ動くとなったら行動が早いのなんのって。
……誰を巻き込んでしまったのかは気になるところだが。
「作業の方は、放課後を一日使えばどうにかなると思うけど……明後日でいいかな?
“助っ人”のみなさんもヒマ人じゃないから、明日急にってのはちょっと難しいと思うし」
「分かった。僕は大丈夫だから、後の調整は任せるよ」
「よーっし、じゃあ今日は大体の図面考えて、それ終わったら早速買い出しだよ!
やるとなったら、ボーっとしてるヒマはないんだからね!」
もうすっかりその気の優子ちゃん。
いつもより少し元気に見えるのも気のせいじゃないんだろう。
やっぱり、こういう時には頼りになる。
「章くんにも、できる限りのことは手伝ってもらうからね、よろしく」
「手伝うっていうか、むしろ僕がお願いしてる身なんだけどね。
まあそれはともかく……こちらこそ、よろしく」
……すっかり優子ちゃんペースだな、どうにも。
けど、誰が主導権を握るかなんて正直どうでもいい。
手伝ってもらえるなら、それだけでもう十分ありがたかった。
こうして、僕の思いつきはひとまず順調にスタートしたのであった。
………
………………
明けて翌日のそのまた次の日。
優子ちゃんに横断幕作りをお願いしに行ってから二日、今日が約束の作業日だ。
と、言うわけで再び新聞部室にやってきたわけだが―――。
「助っ人を二人呼んだって言ってたけど……。
十中八九あの二人だよな、やっぱ」
優子ちゃんは人脈が広いから、思いもよらない人物を呼び出している可能性もなきにしもあらずだが……。
それを差し置いても、恐らく間違いないであろう候補の人物が頭の中にあった。
「入ってみれば分かるよな―――失礼しまーす」
申し訳程度のあいさつと共に部屋に入ると、優子ちゃん以外の人影がふたつ。
僕の予想通りの、そしてよく知った二人がそこにいた。
「いらっしゃ~い、章くん……って、ここは私の部屋じゃなかったね」
「章くん、お疲れ。今日はよろしく♪」
美穂ちゃんと怜奈ちゃん。
隣のクラスだから決して会わないわけじゃないのに、それでもなぜか久しぶりな気がした。
「どう、章くん? 私が呼んできた“助っ人”は?」
「……優子ちゃんには悪いけど、予想通りかな」
「いやあ……たはは。手伝ってくれそうな人で、とっさに出てきたのがやっぱり二人でさ」
「ううん、確かに予想通りではあるけど……でも、すごく心強いよ」
別に実力と予想は関係ないしな。
むしろ、二人なら信頼できるからかえって安心だ。
「でも、二人とも忙しいのに……急に巻き込んじゃってゴメン」
「な~に言ってんの! 困った時はお互い様でしょ。
夏の修羅場を助けてもらったんだし。
あの時は、むしろ章くんが忙しかったんだから、今度は私の番だよ。
怜奈も、ね?」
「そうそう。私だって、章くんがいなかったら秋の公演は大変なことになってたんだし。
これぐらいはお安い御用だよ」
「ほらね、言ったでしょ章くん。章くんに恩返ししたいのは、私だけじゃないんだって」
「優子ちゃん……それから、美穂ちゃんに怜奈ちゃんも……。
本当に、本当にありがとう―――」
心の底から、感謝の気持ちがわきあがってくる。
三人にはもちろん、本当に良い仲間に恵まれたことそのものにも。
そう思うと、自然と頭が下がっていた。
「大げさだよ~、ほら顔を上げて。
それに、まずは横断幕を完成させないと。
もしお礼を言ってもらうとしたら、それからだよ」
優子ちゃんの声。
確かに、まだ何も始ったわけじゃない……むしろ、問題があるとすればここからだ。
「……それもそうだね。
よーし、それじゃあみんな、頑張ろう!」
「「「おーっ!!!」」」
文化部三人娘の声が重なり、いよいよ作業が始まった。
………
………………
「よーし……とりあえず形にはなったね」
文字こそまだ書けていないが、形は横断幕を成している。
「でも、本当に良かったの?
時間が無いのもあったけど、だいぶ作りは粗いよ?」
「まあ、使うのは恐らく一回、これっきりだと思うから。
とにかく目立てばそれで大丈夫」
優子ちゃんの言う通り、横長の生地の両端に棒を取り付けただけだから耐久性その他にはかなりの疑問符がつく。
が、インパクトさえあれば今回の目的は十分に果たされる。
ある意味で、この手作り感MAXの状態もインパクトを増すのに一役買っていると見えなくもない。
「後はテープで応援メッセージを貼りつけるだけか……」
「その“だけ”っていうのが、恐ろしく時間かかりそうだけど」
ここから先の作業を考えたのだろう、未穂ちゃんがうんざりといった感じで言った。
「確かに……これだけのサイズのものに、遠くからでも目立つ大きさで文字を書くってなったら結構な重労働だよね……」
「あっ、ゴメン! そういう意味で言ったんじゃないから!」
「ここまで来たら乗り掛かった船、最後まで付き合うよ。
さっ、なんとか下校時間の前に終わらせよう」
怜奈ちゃんの言葉で改めて気合いを入れなおし、再び作業にかかる。
ちなみに、書く文字は“がんばれ愛美ちゃん!”。
ド直球だが、その方が分かりやすくて良いだろう。
あんまり複雑な字を書く時間的猶予もないことだし。
………
………………
「「「「できたー!!!!」」」」
放課後の新聞部室に四人の声がこだまする。
テープを切る、それを貼る、また切る、そして貼る―――という単純作業の嵐を乗り越え、ついに完成までこぎつけた。
「いやー、本当に一日でできちゃうなんて。意外となんとかなるもんだね~」
「優子ちゃん、サラッと恐いこと言わないでよ……」
「あはは、ごめんごめん。完成したんだから細かいことは言いっこなしだって」
設計者からまさかの一言があったが、確かに今となっては細かいことだ。
「三人とも、本当にありがとう……改めてお礼を言うよ。
僕一人じゃ絶対完成できなかったから……本当に助かったよ」
文化部三人娘を改めて見回す。
かなり急で、しかも直接関係があるとは言い難い話だったにも関わらず手伝ってくれた。
大げさでもなんでもなく、頭が上がらない気持ちだった。
「さて……これで無事に完成したわけだけど。
他にもう仕事はないのかな?」
「大丈夫……と言いたいところだけど、実はもう一仕事あって。
っと、こっちはすぐに終わるから安心して大丈夫だよ」
「も~、さっきだって別に嫌だから言ったわけじゃないんだって!」
ふくれる未穂ちゃんをよそに、カバンから新品の色紙を取り出した。
愛美ちゃん応援アイテム、その二だ。
「ここに、愛美ちゃんに宛てたメッセージを書いてほしいんだ。
簡単に一言でもいい、みんなから、愛美ちゃんを勇気づけるようなメッセージを書いてほしい」
「それくらいなら全然構わないよ。
確か、歌の発表会なんだよね?」
「そうそう。愛美ちゃんにとって初めてのことでさ、すごく緊張してるんだ。
だから、何とかしてあげたいって言うか……」
「ほんと、章くんらしいね。
……オッケー、さっきも言ったけど乗り掛かった船だもん、最後まで付き合うよ」
怜奈ちゃんの言葉に、残りの二人もうなずく。
こうして、愛美ちゃん応援企画もいよいよ大詰めを迎えようとしていた。
………
………………
「ただいま~」
「おかえり、お兄ちゃん。
今日はずいぶん遅かったんだね」
「ちょっと居残りで作業してて……そうだ、あやのもこれ書いてよ」
と、カバンから再び色紙を取り出す。
文化部三人娘の他、剣道部の京香ちゃん、吉澤、沖野に、たまたま居合わせた小春ちゃんと工藤のメッセージもある。
ひとまず、あの誕生日パーティーに居合わせたみんなには書いてもらうつもりでいたが、かなり順調なペースだ。
アイドルトリオのメッセージを集めるのに困難が予想されていたが、上手く剣道場で捕まったのがよかった。
弓道部の工藤も、一緒に帰るだかなんだかで一緒にいたし。
ついでに、京香ちゃんに会いに来てた小春ちゃんのメッセージも手に入った。
学年が違う教室に行くのはハードル高いからな……これでひと手間省けた。
さすがに仲が良いだけはあり、一人だけぶっちぎりの長さで目立つことこの上ない。
性格が出てるって見方もあるが……とにかく、小春ちゃんらしい。
「何これ、色紙―――?
愛美ちゃんへって……愛美、何かあるの?」
「えっ? ああ、今週末に歌の発表会があるんで、その応援にあげようかと思うんだけど」
「愛美が歌の発表会~? そんなの聞いたこと無いんだけど?」
「えっ……そっ、そうかな?」
―――って、しまった!?
本当に“歌の発表会”なら、あやのに言ってないはずはないだろ!
って言うか小春ちゃんも気付けよ! そしたら言い訳を考えといたのに!
「怪しい……もしかしてお兄ちゃん、また隠し事してるんじゃないでしょうね……!?」
「いやいやいや、まさかそんな……」
“まさかそんなこと”があるから困ってるんだが。
我が妹ながら何てカンの良い……。
とにかく、何とかごまかさなくては。
「―――あー、そうそう! 何かね、初めての発表会なもんで、あんまり自信がないらしくて!
それで、できるだけ知り合いに見られたくないんだって!」
「じゃあ、なんでお兄ちゃんは知ってるのよ?」
「それはその……ほら、愛美ちゃんに頼まれて、カラオケで練習してたんだよ!
僕なら知られてもあんまり恥ずかしくないからってね。
それで、お礼に呼ばれたって感じで!」
「……やっぱり怪しい。
でも愛美だからなぁ……お兄ちゃん相手なら、逆にありえるかも―――」
「そうやってブツブツ言ってるあやのの方がよっぽど怪しいぞ」
「お兄ちゃんに言われたくなーい。
―――もう。とりあえず、色紙は本物みたいだし……いいよ、協力してあげる。
別に悪いことしようってわけじゃないんでしょ?」
「そりゃもう、天地神明に誓って」
「そんな風に言われるとむしろ嘘っぽいけど……まあいいや。
愛美のためだしね」
―――どうやら無事にやり過ごせたみたいだ。
カンが良いのと同時に、友達思いで助かった。
「ところでさ、その発表会って、お兄ちゃんは行くの?」
「そりゃまあ、呼ばれてるしね。
せっかくだから」
「ふーん……。
それにしても、お兄ちゃんだけ招待かぁ」
「なんだよ、にやけ面して……気になるな」
「いやぁ、愛美も大人しそうな顔して、なかなか積極的だなって」
「別にそんなんじゃないって。
それに―――」
“僕が行きたいから行くんだ”。
―――と、言いかけてやめた。
「それに……何?」
「……いや、なんでもない」
今回のミニライブは確かに愛美ちゃんにとって大きな意味を持っている。
いや、むしろ大きな意味を持たせてあげたい……もちろん、良い意味で。
ただ、そういう気持ちに至るまでには、色々と前提になる秘密がある。
―――百乃木愛子の正体であったりとか、それについての愛美ちゃん自身の葛藤であったりとか。
もっと言えば、そもそもカラオケ練習に付き合ったことも含まれるのかもしれない。
あそこでの愛美ちゃんが気になったからこそ、こうして“勝手ながら”応援しようという気持ちになったんだから。
そして、それらの秘密やら気持ちは、やはり僕の胸だけにしまっておくべきなんだろうと思う。
愛美ちゃん達との約束以前に、僕自身がそうしたいと思った。
協力してもらってるみんなには少し悪い気もするけど……。
でも、愛美ちゃんがカラオケ練習の相手に僕を誘ったことを思えば、
自惚れかもしれないが、これが僕に求められていることなんだろうとも思う。
だから、とりあえず今は自分の気持ちも含め、多くを語らないことにした。
いつか、愛美ちゃんが自分から正体を明かして、みんなで応援していけるようになったら―――。
その時は、こういうこともあったねって、彼女と笑いあえればいい。
そのためにも、今できることはやっておきたかった。
「―――どうしたの、難しい顔してみたり、妙にマジメな顔になったり、今度は憑き物が落ちたみたいな顔になったり」
「いやまあ、ちょっとね。
……っと、もう書き終わったのか。ありがとう、あやの」
「ううん、これくらいはお安い御用だよ。
事情はよく分かんないけど……友達のためだもんね」
そう言って笑うあやの。
小春ちゃんの時もそうだったが、つくづく愛美ちゃんには良い友達がいると思う。
「それよりさ、愛美をよろしくね、お兄ちゃん。
学祭の時もそうだったけど、愛美は本当にお兄ちゃんを頼りにしてるんだから。
お兄ちゃんが何かを言ってあげるのが、一番パワーになるんだからね!」
「……そうだね」
「あれ、今日は素直なんだ。
これはもしかして、いよいよもっていよいよって感じ?」
「毎度毎度のことだから、いい加減に何を言うかは何となく分かる気でいるけど……。
ホントにそういうんじゃないから」
頼られてる自覚も何となくある。
愛美ちゃんのことが大事か大事じゃないかと聞かれれば、当然大事だと答える自信だってある。
……だけど、“そういうん”のとは別だ。
「でもさ、お兄ちゃんはそう言うけど、愛美はそういうつもりなのかもしれないよ?
前も言ったけどさ」
「その時は、そりゃ……」
「そりゃ?」
―――どうなんだろうな。
ただ、愛美ちゃんがどう思ってるかなんてわからない。
ここで僕が何を考えようと、それはしょせん想像の域を出ない。
「きっと、その時になったら考えるよ」
「そんな適当な……」
「しょうがないだろ、愛美ちゃん本人が何か言ってるわけじゃないんだから。
―――でも、一つだけはっきりしてることはある」
「?」
「愛美ちゃんは大事な後輩だから……だから、愛美ちゃんが困ったり、苦しんだりしてるなら。
その時は、何があっても愛美ちゃんを絶対に助ける、これだけははっきりしてるよ」
「~~~っ!! よっ、よくそんな恥ずかしいこと、平気な顔して言えるよね!?」
「えっ、恥ずかしい……かな?」
別に愛美ちゃんに限ったことでもないんだけどな。
だが、あやのはよっぽど恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしている。
「ホント、我が兄ながら抜けてるんだか大物なんだか。
でもまあ……いいや。それならそれで、ちゃんと私たちの分まで、愛美を応援してきてね!」
「―――ああ、任せといてよ!」
ライブ本番まで、あと二日。
改めて、愛美ちゃんを支える気持ちが固まった、そんな夜だった。
………
………………
「え~っと、これで茜ちゃん、翔子ちゃん、圭輔に光、つばさちゃんと、それから明先輩……。
よしっ、全員分そろった!」
翌日―――ライブ前日の放課後。
僕自身のものも含め、みんなのメッセージで埋め尽くされた色紙が手元にあった。
昨日書いてもらったメンバーも合わせれば、とりあえず僕の周りで愛美ちゃんと関わりのある人のメッセージは全部そろったことになる。
クラスのみんなはともかく、明先輩がつばさちゃんの所に来たのは幸運だった。
昨日のアイドルトリオや小春ちゃんといい、今回はかなりツイてるといってもいいだろう。
「長さはそれぞれだけど……気持ちは詰まってるよな、きっと」
バンドを組んでただけあって、光と明先輩もかなり色々と書いてくれてた。
他のみんなも、関わりが少ないなりにそれぞれの思いを綴っている。
「後は本人に渡すだけ……とりあえず、1-Aの教室に行ってみるか」
いれば良いなとは思うが、いなければ家の前ででも待つくらいの気持ちでいる。
なんたって明日は本番、忙しくて恐らく僕の相手なんかしてられないだろうし。
出待ちならぬ“入り待ち”をするために、わざわざ横断幕を昨日の内に完成させたんだしな。
なにはともあれ、色紙を忍ばせたカバンを手に、1-Aに向かった。
………
………………
果たしてやってきた1-A―――どうやら僕にもツキがまわってきたらしい。
求め人はそこにいた。
後でツケが回ってくるなら、それもそれでいい。
とりあえず今はこのめぐり合わせに感謝だ。
放課後ということでみんな帰ったやら部活やらなのだろう、教室には人がまばらだ。
おかげで踏み込みやすい。
「愛美ちゃん」
「あっ、桜井先輩……珍しいですね、一年の教室にいらっしゃるなんて。
あやのに用事ですか?
それだったら、もう部活に行っちゃったみたいですけど……」
「あ~、いや。別にあやのに用事があるわけじゃないんだ。
―――愛美ちゃん、時間大丈夫かな?」
「ええ、まあ。30分くらいなら大丈夫ですよ」
「それだけあれば十分。それじゃ、ちょっと場所移そうか。
愛美ちゃんにちょっと渡すものがあってさ」
「渡すもの……?」
「まあ、悪いもんじゃないからそんなに固くならないで。
ほら、行こう」
「あっ、はい」
まばらとは言え、教室には他に生徒もいたのでひとまず場所を変えることにした。
声優業がバレる云々の前に、人前でするような話じゃないし。
人がいないと言えば―――屋上だな。
今の季節じゃ若干肌寒いけど、ほかの選択肢も思いつかないし、まあいいだろう。
と、言うわけで、まだちょっと状況を飲み込めてない愛美ちゃんも連れて今度は屋上に向かった。
………
………………
ところは変わって屋上。
やはり風が冷たい。
少しだけ後悔したが……もはや後の祭りだ。
「あの、それで先輩。私に渡すものって……?」
「それなんだけどさ……今はちょっと、ひとまずおいといて。
愛美ちゃん、ライブの方はどう? 明日だよね」
「そうですね……まあ何とかって感じです。
こないだリハーサルだったんですけど、そっちは上手くいきましたし」
「そっか。それは何より……。
明日は僕も行くからさ、楽しみにしてるよ」
「はい、ありがとうございます。
……上手くいくか分からないですけど、精一杯頑張りますね」
上手くいくか分からない……か。
やっぱり、まだ自信は持てていないらしい。
「愛美ちゃんなら大丈夫。
毎日カラオケ練習に付き合ってた僕が言うんだから、間違いない。
それに―――」
「それに……なんですか?」
「愛美ちゃんには、みんながついてるから」
そう言って、カバンから色紙を取り出した。
「これって……!?」
「―――僕の……いや、僕たちの気持ちだよ。
明日行けるのは僕だけしかいないけど。
でも、“愛美ちゃん”のことを応援してくれてる人は、こんなにいるんだ」
「先輩……」
「愛美ちゃん。
前に、愛美ちゃんは百乃木愛子はなりたい自分、“強い自分”なんだって、そう言ってたよね?」
「……はい」
「確かに、愛美ちゃんの言うとおりなのかも知れない……。
少なくとも、百乃木愛子は人気声優で、演技も歌も上手くて、いつも堂々としてる。
そんな、強い人物なのかもしれない」
「…………」
「そんな“強い自分”と、愛美ちゃんが言う“弱い”部分を比べて、自信が持てない気持ちも……分からなくはない」
「―――でもさ、愛美ちゃん自身も気づいてない……いや、忘れてることが一つあるんだ」
「えっ?」
困惑と驚きが混じったような愛美ちゃんをよそに、今度は別の話を始める。
「初めてカラオケ練習に行った時、愛美ちゃんは、僕が聞いたのは百乃木愛子か桃田愛美か、どっちの歌かって聞いてきたよね?」
「……はい」
「あの時は何も答えられなかったけど、今ならちゃんと答えられるよ。
―――いや、違うか。そもそも、あの質問に答えなんかない……質問そのものに意味が無かったんだよ」
「……?」
「だって、“百乃木愛子”も“桃田愛美”も、今、僕の目の前にいる愛美ちゃんで……。
結局はどっちも同じなんだから」
「百乃木愛子がどんなに“強い自分”であっても、本当の愛美ちゃんがどんなに弱くても……。
それでも、そのどっちも、紛れもなく桃田愛美自身なんだ。
百乃木愛子は、他の誰でもない、僕の目の前にいる愛美ちゃんなんだってこと。
―――それが、愛美ちゃんが忘れてることだよ」
「っ!」
「別に無理をして“強い自分”……百乃木愛子を演じる必要なんて無いんだ。
みんなが求める百乃木愛子なんて、そもそも最初からいない。
もしそんなものがあったとしても……それはもう、愛美ちゃん自身の“強さ”なんだよ」
「桜井……先輩」
手渡した色紙を抱きしめるようにしながら、半分泣きそうになりながら。
愛美ちゃんは、僕の言葉の一つ一つ、噛みしめるようにして聞いてくれていた。
「だから、あえて言うなら……あの時、僕が聞いた歌も、ライブで僕が聞きに行く歌も、それは愛美ちゃんの歌かな。
それに、僕が大好きな百乃木愛子も、間違いなく愛美ちゃんだから……。
僕だけじゃない、愛美ちゃんを応援してる人達はたくさんいる。
―――だから、自信もっていいんだよ」
「先輩……せんぱいっ!!」
堰を切ったように、愛美ちゃんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちて。
それと同時に、その小さな体を僕に預けてきた。
その震える肩に手を触れてみると、想像以上に小さい。
こんなに小さな体で、想像もつかないような大きな不安とずっと戦ってきたんだ。
間違いなく―――愛美ちゃんは強い娘だ。
「わたし……わたしっ、ずっと恐くて!
わたしじゃみんなが求めてる百乃木愛子になれないって思ってたから……!
本当は……ずっと恐かった」
「うん」
「わたしなんて必要ないんじゃないかって……ずっと不安だった……」
「もういいんだよ……愛美ちゃんは愛美ちゃんだから」
「せんぱい……さくらいせんぱい―――」
それからしばらく、愛美ちゃんは泣き続けた。
今まで辛かったことを、涙と一緒に流すかのように。
僕が胸を貸すぐらいで、愛美ちゃんが苦しみから抜け出せるなら、安いもんだ。
………
………………
「―――落ち着いた?」
「はい……もう大丈夫です。
あのっ! 本当にごめんなさい!!」
地面に頭を打ちつけてしまうんじゃないかってぐらいの勢いで頭を下げる愛美ちゃん。
「あ~、いや。いいんだよ、全然気にしないで。
その……愛美ちゃんに辛い顔されるとさ、こっちも辛いっていうか、ほっとけないっていうか……」
「先輩……。
でも、本当にありがとうございます」
さっきの涙で本当に吹っ切れたのだろうか、目は真っ赤に腫れてはいたが、表情はこの上なく晴れやかだった。
昨日のあやのの言葉を借りるなら、憑き物が落ちたって感じだろう。
「私……頑張ります。
明日はもちろん、これからも。
百乃木愛子とか、桃田愛美とかじゃなくて……“私”として。
それに、私を応援してくれてる……私を支えてくれてるみなさんの気持ちにも応えたいですし」
愛美ちゃんが改めて色紙を見つめる。
そこに書かれているのは、他の誰でも無い、愛美ちゃんを応援するメッセージだ。
―――若干だまして書かせてしまった感もあるけど、嘘は絶対に無い。
少なくても、みんなの気持ちは本物だ。
「それから……明日のライブが終わったら、みんなに声優のことを話そうと思うんです」
「えっ!? だけど正体は秘密なんじゃ……」
「あっ、もちろん誰でもってわけじゃないですよ。
でも、こんなにも応援してくれる人達がいるのに、内緒にしておくのは何だかだましてるみたいな気がして……」
っと、色紙のカラクリもバレたか……そりゃそうだわな。
まあ、愛美ちゃんは気にしてないみたいだからいいけど。
「ちゃんとみなさんに感謝の気持ちを伝えるには、やっぱり話した方がいいのかなって」
「愛美ちゃんがそう思うなら、きっとそれが一番良いんだと思う。
みんななら心配ないだろうし……好きなようにしなよ」
「はい!」
人間、こうも元気になれるものかと思うくらい、清々しさすら感じる良い返事だった。
華先生が聞いたら喜びそうだな。
「先輩」
「ん?」
「“私”、精一杯頑張ります!」
秋空を突き抜けるような、そんなクリアさを持った愛美ちゃんの決意は。
今度こそブレが無くて、本当に愛美ちゃん自身の言葉だと思えた。
………
………………
―――それから後の話を少しすると。
まず、結果からいってライブは大成功だった。
百乃木愛子の初ライブってことだったけど、大きなトラブルもなく、観客もみんな最初から最後のアンコールまで大盛り上がり。
……もちろん、僕も含めて。
ああ、そうそう。あれだけ苦労して作った横断幕だけど。
もちろん、当日は愛美ちゃんを応援するために持って行ったとも。
“百乃木愛子”ではなく、あえて“愛美ちゃん”に向けてのメッセージを書いた理由。
愛美ちゃんもその辺はくみとってくれたのか、ライブの後に照れながらも―――
『横断幕、ありがとうございました。
すごく力になりましたよ』
と言ってくれた。
改めて、文化部三人娘のみんな、ありがとう。
それから、声優業をみんなに話をするってことだったけど、こちらも行われた。
華先生も意外とすんなりOKしてくれたみたいで、愛美ちゃんもその辺は随分ホッとしていたみたいだ。
許可も下りたところで、色紙を書いてくれたメンバーには伝えたけど、大きな動揺もなく。
―――あっ、いや……一部を除いてって感じか。
未穂ちゃんだけは僕が初めて知った時と同じくらい大騒ぎして、早速アルバムにサインをもらっていた。
それに快く応じる愛美ちゃんも律儀というかなんというか……。
まあ、それも愛美ちゃんなりの、応援への感謝の形なんだろう。
そして一部に含まれるのがもう二人―――茜ちゃんとあやのだ。
特に、あやのの怒りたるや凄まじく、関係を修復するのに、実に三日もかかってしまった。
……別に悪気があって黙ってたわけじゃないんだから、そこまで怒らなくてもいいようなものだが。
結局、Seasonで『スペシャルジャンボプリンパフェDX』なるメニューをおごるということで何とか手を打ってもらった。
お値段、実に5000円……痛い出費だ。
もっとも、あれだけ大きいパフェを一人で完食するあやの、という珍しい絵も見れたが。
僕の財布が寂しくなった話はともかく、愛美ちゃんの声優業については、こうして大きな混乱もなく受け入れられたのだった。
そして、今日……僕はあるラジオ番組を聞いていた。
『堀井由依のてんしのたまりば』、略して『てんたま』である。
この番組に、百乃木愛子こと愛美ちゃんがゲストで出演しているのだ。
『愛子ちゃんは、こないだ初ライブだったんだよね~。
お疲れさまでした~。どうだった、初ライブ?』
『あっ、どうもありがとうございます。
そうですね~……初めてだったんで緊張したんですけど……。
でも、この収録も、ラジオは初めてなんでもっと緊張してます』
―――とまあ、お決まりのトークが続き。
『今回のライブは、さっきも言ったんですけど初めてのことだったんで、すごく大変だったんですけど……。
でも、そうやって大変な事を通して、ああ、私っていろんな人に支えられてここにいるんだな~って思えて。
それで何ていうか……頑張ろうって気持ちになれたんですよね』
『あ~、なるほどなるほど』
―――別に特定のだれかを意識したわけじゃないんだろうけど、うれしい事を言ってくれる。
『ところで愛子ちゃん、今回、ライブで初めてお披露目された曲もあったんだよね?』
『はい。その曲も、偶然なんですけど、そういう……みんなに支えられてるんだよ、
みんなありがとうって感じの内容の歌詞の曲で。
歌っててすごく感慨深いっていうか、感じるものが凄くありました』
『うんうん……確かに、すごくいい曲だよね。
というわけで、ここで一曲いきたいと思います。
それじゃあ……愛子ちゃんの方から紹介お願いします』
『あっ、はい。それじゃあ……シングルは11月○×日発売になります。
聞いてください。百乃木愛子で―――』
―――愛美ちゃんの曲紹介が終わると、しっとりとしたメロディーと共に曲が始まる。
“Prism Days”はアップテンポな曲だったけど、この曲は落ち着いた感じで……それでも、心に沁みいる何かがあった。
聞こえてくる歌声に、もう迷いはない。
そう思わせるのには十分の、自信に満ちた曲だった。
曲名は“大切な君へ”。
きっと、愛美ちゃんの大切な人達にもこのメロディーは届いていることだろう。
大切な人達のため、そして何よりも自分自身のため……今日も愛美ちゃんは、自分だけの輝きを放っている―――
作者より……
ども~作者です♪
Life五十六頁、いかがでしたでしょうか?
愛美編、これにて完結となります。
個人的には更新期間が空いたり、そうでなくとも難産でしたが……。
なんとかひと段落ついて、ちょっと安心(笑)
自分の周りにいる大切な人、その人達に自分が支えられているということ。
そしてその人達が確かに自分を見てくれている……見守ってくれているということ。
愛美でなくとも、覚えておきたいものです。
次回ですが、またまた新展開です。
次は意外や意外……なキャラが活躍します。いつものように、期待しすぎない程度にご期待ください。
それではまた次回お会いしましょう。
その時まで……サラバ(^_-)-☆byユウイチ