第五十四頁『愛美と愛子』
『あの、先輩……朝です。おっ、起きてください! 起きないと……あの、遅刻しちゃいますよ―――』
―――カチッ
本日の目覚ましボイス担当は愛美ちゃんだった。
こんな事を言うと愛美ちゃんには失礼かもしれないが、妙に緊張した声がいかにも彼女らしい。
―――それはさておき。
目覚めは悪くない……と言うより、むしろいい部類だ。
優しい響きがする愛美ちゃんの声は、かなり耳触りがいい。
やっぱり、怒鳴られるよりは優しく起こされた方が気分もいいってもんだ。
……っと、これも茜ちゃんに失礼かな。
「…………」
改めて目覚ましに目をやる。
―――さっきまでコイツから流れていた音声。
それは、愛美ちゃんのものであるが、愛美ちゃんだけのものじゃない。
「……これ、よく考えると、百乃木愛子の声なんだよな……」
ボソリとでも、こうして口に出したことで、不思議と現実味が増したように思える。
だから価値が上がったって訳じゃないけど、改めて考えると凄いことなんだよな……。
「昨日はホントにまさかまさかの展開だったな……」
ふと、昨日の出来事を思い出す―――
「なっ……ななななななんで百乃木愛子がここにいんの!?」
ありえない……ありえないだろ!?
だって、ここに入ってきたのは愛美ちゃんであって百乃木愛子のはずは―――
「あっ……あの! 先輩、落ち着いてください!」
「いや、落ち着いてって言われても……」
っていうか……先輩!?
百乃木愛子って僕の後輩だったのか!?
「あっとえっと……その、はっ、初めまして!
僕は桜井章って言います! それで、あの……」
「先輩……初めましてじゃないです」
「…………」
目の前の百乃木愛子と瓜二つの顔をした愛美ちゃんと思しき女の子が、多少すねたような表情を見せる。
いや、しかしな……。
「あの……百乃木愛子さん……じゃないんですか?」
「……いいえ、私は百乃木愛子ですよ」
「えっと……」
さて―――。
目の前の女の子が嘘をついていない限り、導き出される結論は一つだ。
僕のことを先輩と呼び、かつ華先生の事をお姉ちゃんと呼ぶ娘は僕が知る限り一人だけ。
今までの言動から察するに、百乃木愛子とその娘は同一人物ということになる。
「あの……もしかして、愛美ちゃん?」
「……はい」
目の前の“眼鏡を取った”愛美ちゃんは、確かにうなずいた。
「…………」
言葉が出ない。
そりゃそうだ。
唐突に『後輩とお気に入りの声優が同一人物ですよ』なんて言われても、コメントのしようがない。
「……華先生」
やっと絞り出したのはこの一言だった。
この人なら……華先生なら、きっと何かを知っている。
事情を話すと言って、さんざん先延ばしにされてきたけど……、
今をおいて他に話すタイミングなんてありえないだろう。
「ん、そだね……そろそろ頃合いだね。
ホントは内緒で通しておきたかったんだけど……まあ、愛美もいいって言ってるし。
それに、元はと言えば私のミスが原因だしね……」
何やら呟く華先生。
ともかく、話してくれる……んだよな?
「とりあえず座りな、愛美……それに、桜井も」
「あっ、はい……」
自分でも知らないうちに、いつの間にか立っていたようだ。
そのぐらい驚いたんだと思う。
椅子に座りなおすとき、愛美ちゃんに目をやってみたが……こちらは黙して語らずという感じ。
華先生にすべてを委ねるということだろう。
「ふぅ……」
いったん大きく息をつくと、華先生はいよいよ“事情”を話し始めてくれた。
「桜井は、百乃木愛子っていう声優を知ってる?
……って、さっきの反応見てりゃ、聞くまでもないか」
「ええ、そりゃもう」
「だよね。
それでまあ、早い話……愛美が、その百乃木愛子なのよね」
「…………」
華先生は淡々と言い放った。
だが、逆にその言い方がかえって事実を印象付けているようにも思えた。
「普通、現役高校生でアイドル声優なんてまず無いんだけどね……。
まあ、それはさておき。
声優の仕事ってのは、都内でやるのがほとんどだから、平日に仕事がある時には、私がこうして送り迎えしてるわけだ」
そう言えば、放課後に愛美ちゃんが華先生の車に乗ってどこか行くのをよく見かける……なんて噂もあったっけ。
今になって思えば、それもこうして仕事に向かう時のことなんだろうな。
「それで、今日もその日だったんだけど……桜井も知っての通り、今日に限って生徒会の書類があったろ?」
「……はい」
「それ、締め切りが今日までの上に、教員の印鑑もいるからさ。
桜井をおいて愛美を送ってくわけにもいかなかった。
そういうわけで、スタジオで書類を処理するしかなくて、仕方なく君もここに連れてきた……と。
とりあえず、桜井がここに来た事情ってのは分かった?」
「まあ……一応は」
書類を華先生が片付けてしまえばよかったのでは……とも一瞬考えたが、
そこは先生としては譲れない一線だったんだろうな。
「それじゃ、なんか質問とかは?」
「えっと……何でわざわざ志木ノ島から東京まで通ってるんですか?
いくらマリーンエクスプレスや橋があるっていっても、かなり大変だと思うんですけど……」
「そこは愛美本人の希望ね」
「愛美ちゃんが?」
本人の方に少し目をやると、なにも言わずうなずいた。
「志木ノ島に残りたいって、本人たっての希望でね。
まあ、ウチの親も、いきなり東京で一人暮らしさせるってのに抵抗あったみたいだから、
それはそれで都合良かったんだけど」
「なるほど……」
島に愛着があるから……か。
もっともな理由だ。
確かに、大変とはいえ通いで仕事をすることが可能なら、そういう選択肢もありか……。
「えっと、次の質問いいですか?」
「ん」
「愛美ちゃん、何で学校では伊達眼鏡なんてかけてるんですか?
オシャレ……って感じではない気がするんですけど」
「そこはお察しの通り、オシャレ眼鏡じゃないね、うん。
……っていうか、桜井、伊達だってよく気づいてたね?」
「まあ色々あって……最初に愛美ちゃんに会った時、かなり印象的だったんで」
伊達眼鏡じゃないかってことを言ったら、慌てて隠そうとかしてたしな……。
あれは明らかに不自然だった。
それにしても、その場で愛美ちゃんと百乃木愛子が同一人物だと気づかないとは―――不覚だ。
あまりに突拍子のない組み合わせだったせいで、あの時はどこかで見たことがある程度にしか思えなかった。
「ふーん……まっ、深くは詮索しないけどね。
それで、伊達眼鏡の理由なんだけど……これは、言ってみれば変装目的だね」
やっぱりか……まあ、それぐらいしか理由が思いつかないしな。
「声優だから、滅多なことはないと思いもしたんだけど……。
万が一、百乃木愛子を知ってる生徒がいて、それが元で騒ぎにならないとも限らないでしょ?
で、そこまで大げさなものでもないけど、一応は正体を隠すために、伊達眼鏡をかけさせたわけ。
……まあ、案の定知ってる生徒がいたわけだし、これに関しては正解だったわね」
苦笑気味に華先生が笑った。
いやまあ、おっしゃる通りで……。
「あれ……でも、学祭のステージの時とかはずしてなかったっけ?」
「あの時は特別でしたから……。
それに、ステージの上だったから、大丈夫かなって思って」
「まあ、愛美が“Prism Days”歌うって聞いた時はちょっとヒヤッとしたけどね。
何もなくてよかったよ」
大盛り上がりのステージ企画だったけど、裏では気を揉んでた人もいたみたいだな……。
「他、何かある?」
「……いえ……特には」
なんで声優になったのかとか、気になるところはたくさんあったが、今ここで聞くことでもない気がしたのでやめておいた。
……それに、これ以上情報をたくさん入れてもかえって混乱しそうだしな……。
「そう。……それじゃ、最後に私からひとつだけ。
察しの良い桜井のことだから、もう分かってるとは思うけど―――」
「この件は口外無用……ですね?」
「そゆこと。弾みで君にはバレちゃったけど、秘密だって事は基本的に変わりないから……ね?」
「……はい」
先生は、口調こそいつもと変わらないものの、表情は真剣そのものだった。
それだけでも、事の重大さが分かる。
「よし、それじゃとりあえず帰ろうか?
もうけっこうな時間だし……何かあったら、後は車の中で。
桜井も、何か用事あるんでしょ?」
「えっ、用事……?
って―――あーっ!?!? すっかり忘れてた……」
百乃木愛子のファーストアルバム!
本人を目の前にしたショックでそれどころじゃなかったけど!
えっと、今の時間は―――
「6時57分……もう間に合わないや……」
「ありゃ、なんか急ぎの用事だったの?」
「急ぎでもなかったんですけど……まさか本州に来るとは思ってなかったんで」
「まあ、普通そうだよねぇ」
「はぁ……島に戻る頃にはもう店も閉店時間過ぎちゃってるだろうな……」
思わずため息。
あやのがいたら、幸せが一つ逃げるとか言われそうだが、既に逃げてる以上、もはや関係ない。
「……あの、先輩?」
「ん? どうかしたの、愛美ちゃん?」
「もしよかったら……」
そう言って鞄をガサゴソと漁る愛美ちゃん。
何かを探してるみたいだけど……。
「愛美ちゃん……?」
「あっ、あった。
これ、よろしければもらってください」
「もらってくださいって、これは……」
愛美ちゃんの手には、ジャケットイラストとして桃が描かれたCDケース。
これって―――
「もしかして……ファーストアルバム?」
「はい」
「もらっちゃっていいの?
って、うぉ!? サイン入りだし!」
裏面には百乃木愛子直筆のサイン入り。
ファンなら垂涎ものの“超”お宝グッズだ。
「こっ、こんな凄いもの、もらえないよ!」
「いえ、いいんです。それ、プロモーションで作って、そのまま私用にってもらったんですけど……。
家にはまだ、お姉ちゃんのと親のがあるから、余っちゃうぐらいなんですよ」
「で、でも……」
そういう問題じゃないだろ、これは……。
「いいんです。
それに……私が持ってるより、大ファンの桜井先輩が持っててくれた方が、私も嬉しいです」
「愛美ちゃん……」
さっきも似たようなセリフを聞いた。
もっとも、内容こそ同じだが、さっきとは微妙に言い回しが違う。
ともあれ―――ここまで言われたら、もらわない訳にはいかないじゃないか。
「……分かった。じゃあ、これはもらっておくよ
ありがとう……宝物にするよ」
「はい」
僕にCDを手渡すなり、愛美ちゃんは笑顔を見せてくれた。
……この笑顔が見れただけでも、十二分に価値があるってもんだ。
「さて……お二人さん。いい雰囲気のところ申し訳ないんだけど……。
私もそろそろ帰りたいんだけどね?」
「おっ、お姉ちゃん……いい雰囲気だなんて、そんな」
「そっ、そうですよ先生!」
「あー、はいはい、そうねそうね。
―――ホント、青春しちゃって……」
好き放題に言ってくれるな、この人は……。
「まあ、私はいいんだけどさ。
桜井は早く帰らないと、あやのが色々うるさいんじゃない?」
「うげっ……すっかり忘れてた」
「あの……私から事情を説明しましょうか?」
「いっ、いや、いいよ! 僕の方でなんとかしておくから」
―――それに、愛美ちゃんからの連絡だと、逆にややこしい事になりそうだし。
「CD手に入ったのは嬉しいけど、帰ったら一気に地獄だな、こりゃ……」
「くすくす……頑張ってくださいね、先輩」
何がおかしいのか、愛美ちゃんが笑う。
う~む、こっちとしては切実なんだが……。
とにもかくにも、こうして僕らの本州行は幕を閉じたのだった―――
「ファン垂涎って言うか……むしろありえないよな、これ……」
机の上に置かれたCDケースを、なめるようにして見る。
昨日から何度やったか分からない動作だ。
昨日発売なのはともかく、サイン入りのアルバム……。
百乃木愛子の知り合いでもなければ、到底入手不可能な代物だろう。
僕の部屋で、ひときわ異彩とも言えるほどの輝きを放っている気がした。
「……キリがないし、とりあえず下におりなきゃな」
多少の名残惜しさを感じながらもCDを片付け、階下へと向かった。
………
………………
「―――で、昨日は何があったのか……ちゃーんときかせてもらえるんだよねぇ……お・に・い・ちゃ・ん!?」
「近い! 近いってあやの!」
目と鼻の先という慣用句があるが、まさにそれぐらいの距離。
ちょっとでも顔を動かせば鼻先が接触する間隔ぐらいしかない。
昨夜は、夕食のときは一言もしゃべらず、その後も勝手に怒って部屋にこもってたくせに、今朝になったらこれだもんな……。
妙なところで子どもっぽいというか、なんと言うか。
……元はと言えば、連絡入れなかった僕が悪いんだけどさ。
でも、言い訳を聞いてくれるとか、もうちょっと大人の対応をしていただきたかった。
「だって! なん……にも連絡なしで、あんな遅くに帰ってきて!
おなかすいてたのに、晩ごはん食べないで待ってたんだからね!?」
「それは悪かったって……その、なんて言うか連絡しづらい状況だったもんだから……」
「もう……それで、昨日は誰と何してたの?」
誰かといること前提っていうのが、何だかなぁ……。
間違ってないから強くは言えないけど。
「えっと、それはその―――」
「な~に、妹にも言えないようなやましいことしてたの?
昨日、犯罪だけはやめてねって言ったばっかりなのに……」
「そういうわけじゃないんだけどさ―――」
むぅ……愛美ちゃんのことを言うわけにもいかないし……。
「まあその……デート……かな?」
適当にお茶を濁しておいた。
だが、ある意味で嘘は言ってない。
「デートぉ!? またなの!?」
「またなのって……そんなにしょっちゅうしてるわけじゃないし」
「……本人に自覚がないのが、やっぱり一番の問題よね。
一歩間違えればただの女たらしなんだけど……」
あやのが何やらぶつくさ言っているが、これこそ嘘は言ってない。
なんせ僕は所詮しがない独り身。
確かに女友達は多いが、彼女たちともそんなにしょっちゅう遊んでいるわけではない。
ましてデートなんて、あやのや茜ちゃんの買い物に付き合う回数の方がよっぽど多いのだ。
「―――デートって……誰と?
また空木先輩と? 最近仲いい西園寺先輩? それとも、やっぱり茜さん!?」
「だから近いってのに!」
知り合いの名前を一人挙げるごとに、あやのがジリジリと距離を詰めてくる。
再び、目と鼻の先より近い間隔まで接近されてしまった。
……大体、今言った三人はみんな部活だろうに。
茜ちゃんなんてあやのと同じ部活なんだし。
あやのを一旦押しのけてから、まずは一呼吸おく。
今日は朝からずいぶんとハードだなぁ……。
「ふぅ……。デートって言っても、ちょっと一緒にいただけなんだけどさ。
愛美ちゃんだよ、愛美ちゃん」
「愛美と!?」
「うわっ! そっ、そんなに興奮するなよ……まだ朝だぞ?」
「わっ、分かってるけど……そっかぁ、愛美かぁ……ふ~ん、そっかそっか―――」
やたら声のトーンを上げたかと思えば、今度はニヤニヤと笑い始めるあやの。
なんて言うか……我が妹ながら気色悪い。
「ねぇ、どっちから誘ったの?」
「誘ったっていうよりは……成り行き、かな?
まあ、いろいろとあって」
「成り行きか……そっかそっかぁ」
「……なんだよ、やたらと含みのある笑いだな」
「ん~? そんなことないって。
お兄ちゃんもたまにはいいことするなぁって思ってね」
何が言いたいんだこいつは……。
「愛美、どんな感じだった? 楽しそうだった?」
「何でそんなことまで聞くんだよ? 別に関係ないだろ?」
「いいじゃんいいじゃん、可愛い妹に待ちぼうけを喰らわせた罰だと思ってさ♪」
「うっ……」
それを言われると弱いが……。
ただ、あやのがやけに楽しそうなのが気になった。
とは言っても、黙秘権を行使できないのは……我が家のヒエラルキーを象徴していた。
「どっかで遊んだとか、そういうのじゃなかったらなんとも言えないけど……、
まあ、いつもより明るい感じはした……かな?」
僕といたからなのかはともかく何となくそういう印象は受けた。
よく笑ってたし、その笑顔もいつもより幾分明るかった気がする。
とりあえず、いつもの大人しい感じの愛美ちゃんではなかった。
「明るい感じか……なるほど。
じゃあさ、楽しんでたってことでいいんだよね?」
「僕が?」
「違う違う、愛美のことに決まってるでしょ!
お兄ちゃんのことなんて、別にどうでもいいの」
「なんだよ、それ……。
まあでも、楽しんでたんじゃないかな?」
夏休みのバンド辺りから、以前に比べて明るくなった気はしていたが……。
昨日は、特にそういう様子が顕著だったかもしれない。
そこから考えれば、楽しんでいたという結論も、あながち間違いじゃない……はずだ。
「そっかぁ……よきかなよきかな。
じゃあさじゃあさ―――」
あやのの追及はこの後もしつこく続き……。
結局、なぜかあやのを後ろに乗せての自転車登校となってしまった。
ただ、ギリギリの時間になっても茜ちゃんが迎えに来なかったあたり、もしかするとあやのが既に根回しをしていたのかもしれない。
……用意のいい奴め。おかげでこっちは無駄な体力を使うハメになったってのに。
ただ、今朝のやり取りで一つ気になったところがある。
校門が視界に入り、到着までもう間もなくといったところ。
『―――なあ、あやの。
何で今日に限ってこんなに根掘り葉掘り、いろんな事を聞いてくるんだ?』
今までもこういうことがなかった訳じゃないが、今回のはちょっと尋常じゃなかった。
とにかく、事細かに問い詰めてくるのだ。
『えっ?』
『いつもは、いくらなんでもここまでしつこくは無いだろ?』
『私……今日、しつこかったかな?』
『そりゃもう、あきれるぐらいにね。
……で、なんか理由でもあるの?』
『……だって、愛美は―――』
不意に、あやのはそこで言葉を切った。
特に何かあったわけではない、彼女が急に止めたのだ。
『愛美ちゃんは……なに?』
『えっとその……ほっ、ほら! 愛美は友達だからさ!
仲も良いし、気になるっていうか……そんな感じ!』
『なんだ、そういうことか……』
そんなうろたえて言うことでもない気がするが……。
何も言うまい。
『―――まあ、そりゃもっともなんだけどさ。
僕だって、愛美ちゃんは大事な後輩だと思ってるんだから、そんな悪いようにはしないって』
『うん……そうだね。
―――大事な後輩……先は長いなぁ』
最後のあやのの呟きは、風に流されて聞き取ることができなかった。
……結局、何だったんだろうな。
とは言え、いろいろ考えても答えが見つかるわけでもなく。
昨日からの流れで、何となく浮ついたような気分で授業を迎えた。
………
………………
(華先生に何か突っ込まれるかと思ったけど……何もなかったな)
色々ありすぎた昨日の反動なのか、今日はまったくもって普通の一日だった。
黙っておけって言われてるんだから、あっちから突っ込んでくるのも変な話ではあるんだけど……。
今日これで何度目になるだろうか、愛美ちゃんのことを考えてみる。
高校生でアイドル声優か―――。
そりゃま、部活なんか入りたくても入れないわな。
春先にあやのの部活見学に付き合った時には、用事があって忙しいからみたいなこと言ってたけど。
カラオケで見せてた素人離れした実力も納得だ。
本人が歌ってる曲は当然として、小春ちゃん達の口ぶりからして他の曲も上手いんだろう。
それでもって、自分の正体を隠すための伊達眼鏡……。
確かに“自他共に認める”百乃木愛子ファンの僕が見抜けなかったんだから、効果はてきめんだろう。
とにもかくにも、昨日の話で色んなことに合点がいったな。
……どうにも、今一つ現実味が足りない感じが否めないけど。
「―――帰るか」
ここでこうして悶々としててもしょうがない。
百乃木愛子だろうがなんだろうが、愛美ちゃんは愛美ちゃんなんだし。
時間がたてば、事実をちゃんと現実として受け止められるようになるだろう……たぶん。
今日はとりあえず帰って、大人しく例のCDでも聞いてよう。
………
………………
慣れてるとはいえ、ひとりで下校ってのもけっこう寂しいもんだ。
朝は誰かしらと一緒に登校することがほとんどだけど、下校は逆にひとりが多いんだよな。
まあ、一緒に帰るような友達は部活命って感じのやつばっかりだしな……。
唯一例外の光は、帰りのホームルームが終わるなり速攻でいなくなってるし。
……薄情なヤツめ。
―――とか、現状を嘆いても事態が好転するわけもない……はずなんだけど。
時には願いが通じることもあるらしい。
「愛美ちゃん……?」
校門の柱にもたれかかっている。
誰かを待っているように見える。
「声ぐらいかけても、バチは当たらない……よな、うん」
正直なところを言えば、昨日のこともあって愛美ちゃんが気になるのもある。
何を話すわけでもないんだけど、何とはなく声をかけていた。
「やっほ、愛美ちゃん」
「あっ、先輩」
こちらに気づき、顔をあげる愛美ちゃん。
その表情は、待ち人を見つけたそれに似ている……気がした。
「きのうは、色々とありがとね。
CDまでもらっちゃったし」
「いえ……元はと言えば、お姉ちゃんのせいで迷惑をかけてしまったんですし。
むしろ、申し訳ないくらいですよ」
「あはは……華先生にはけっこう厳しいんだね」
「お姉ちゃんってけっこう強引なところがあるから……。
話を聞いてると、桜井先輩にもいっぱい無茶を言ってるみたいですし」
「……あはは、はは」
そこを否定してもらえないって、教育者としてどうよ華先生。
「そう言えば、こんな所に立って……どうかしたの?
何となく気まずい……というか、いたたまれない気分になったので、話題を変えた。
「誰かと待ち合わせとか?」
「あっ、はい……えっと」
ちょっと伏し目がちに、ついでになぜか照れたような様子で、愛美ちゃんが言葉を続ける。
「先輩を待ってたんです」
「へっ?」
「あのっ!
この後……お時間大丈夫でしょうか……?」
「あっ……うん、別に全然大丈夫だけど。
暇を持て余してたぐらいだし」
なんというか、完全に予想外の展開だ。
表面上は平静を保っているつもりでいるが、内心けっこう驚いている。
そりゃそうだ。
誰かを待ってる様子の娘に声をかけて、その娘に自分を待ってたんですなんて言われたら、驚きもする。
だが、間髪なく言葉が飛んできたからだろうか。
よく考えないうちにうなづいていた。
「その……何か用、かな?」
昨日の今日だし、もしかしたら例の件かもしれない。
そう思っていたが……。
「えっと……ちょっと、カラオケに付き合っていただけますか?」
「あっ、ああ、カラオケ……ね」
「? どうかしましたか」
「いや、別になんでも。
とりあえず、行こうか」
でも、どうやらちょっと違うようだった。
拍子抜けのような感じもしたが、とりあえずふたりでいつものカラオケ店へ向かった。
………
………………
「……チダックスにブラックカードがあるなんて、初めて知ったよ」
お得意様の中のお得意様にのみが手にすることができる、ゴールドカードの上をいくブラックカード。
ドラマなんかでたまに出てくるけど、まさかカラオケチェーンにあるとは……。
「持ってる人、なかなかいないみたいですから。
株主さんでもあまり持ってないらしいですよ」
「そ、そうなんだ……」
どうにも、愛美ちゃんには昨日から驚かされっぱなしの気がするな。
「ここにはよく来るの?」
「そうですね……けっこう来ますよ。
歌の練習とか、後はあやのや小春たちと遊びに来たりとか」
「へぇ……歌の練習か」
ボイトレとか歌のレッスンとかは……まあ、離島じゃなかなか難しいのかもしれないな。
この辺も、志木ノ島をベースに活動してる愛美ちゃんならではなのかもしれない。
そんでもって、やっぱ後輩トリオは仲が良いんだなってことも再認識させられた。
なお、カードはアレだったが、入った部屋は何のことはない、普通の部屋だったことを追記しておく。
……少し残念だ。
「それにしても、珍しいね。
愛美ちゃんの方から誘ってくるなんて」
「……もしかして、本当はご迷惑でしたか?」
「いやいや、そういうことじゃなくって。
愛美ちゃんにこういう風に誘われたのって初めてだしね」
「そういえば……そうですね」
要は、単なる純粋な感想だった。
加えて言うなら、愛美ちゃんって娘に対し、あんまり積極的っていうイメージがないのもある。
まあ、こっちはあえて言うことはしないけど。
「今日はあやのや小春ちゃんもいないし。
そう言えば、ふたりきりってのも初めてかな?」
「ふたりきり……ですね」
「あっ、いやその……そんな、顔を赤らめられても困るって言うか、なんて言うか」
「っ!! ごっ、ごめんなさい!」
「ああ、謝ることじゃないって。
……そう言う反応とか、僕はかわいいと思うし」
「桜井先輩……からかわないでくださいよ」
口では非難の言葉を発しつつ、愛美ちゃんは嬉しそうに見えた。
愛美ちゃんみたいな初々しい反応を見せる娘って、僕の周りにはあんまりいない。
だからだろうか、ついつい愛美ちゃんはからかっちゃうんだよな。
我ながら悪いクセというか、なんと言うか……まあ、いいや。
「―――でも、今日は先輩にしかお願いできない用事なので。
あやのや小春も一緒にじゃなくて、先輩だけに来てほしかったんです」
「僕にしか頼めない用事……ってことは」
僕が言わんとしたことを察したのか、愛美ちゃんは小さくうなづく。
そして、おもむろに伊達眼鏡を外すと、スッと立ち上がり、モニターの画面に立った。
「聞いてもらえますか?」
珍しく、なんて言うのは失礼かもしれない。
だが、いつも大人しい愛美ちゃんとは打って変わり、“彼女”の声にはなにか強い意志が感じられた。
言葉とは裏腹、断るなんて選択肢がありえないような、そんな感じ。
だが、それが決して嫌なわけではなく、声に促されるように、僕は自然とうなづいていた。
いつの間に曲を送信していたのか、僕と、そして恐らく愛美ちゃんにとってもお馴染みのイントロが流れ出す。
―――“Prism Days”だった。
それに合わせ、愛美ちゃんは振り付けを踊り始める。
最高のステージだった学祭の時でさえなかったパフォーマンス。
『―――~~~♪~~~♪♪~~~~~♪♪~~~♪』
愛美ちゃんの―――いや、百乃木愛子の雰囲気がそうさせるのか。
今まで聞いたどの“Prism Days”とも違った印象を受けた。
そう。
今、僕の目の前にいるのは愛美ちゃんではなく、アイドル声優百乃木愛子、まさにその人だった。
改めて聞いてみると、やっぱり素人とは次元が違う。
百乃木愛子は、声優の中でも特に歌が上手い部類だけど、そういう理屈じゃない。
近くで聞いているせいもあるのか、引き込まれるような、吸い込まれるような……そんなパワーがあった。
『~~♪~~~♪♪~~~~~♪♪』
一瞬にして4分ちょっとが過ぎた。
陳腐な言い方かもしれないが、まるで魔法にかかったような、そんな時間だったように思う。
「いやあ、すごい、すごいよ!
さすがは愛美ちゃんっていうか、百乃木愛子っていうか」
「……ありがとうございます」
「えっと……どうかした?」
愛美ちゃんの反応があまり芳しくない。
もしかして、何か重大なミスでもあったんだろうか?
「………………」
「愛美……ちゃん?」
思いつめたような表情でうつむく愛美ちゃん。
これもまた、初めて見る表情だった。
「―――ですか?」
「えっ?」
「先輩が聞いてくれてたのは……桃田愛美の歌ですか?
それとも、百乃木愛子の歌ですか?」
「えっと……それは……」
質問の意図が読めない……だけど、それが愛美ちゃんにとって重大な意味を持つことは分かった。
だから、安直に答えることはできなかったし、そもそも僕の中でも答えが出ていないように思う。
ただ、少なくとも愛美ちゃんの中で、そのふたりは同じ存在じゃないんだと思う。
「―――ごめんなさい、変なこと聞いちゃって。
今の、忘れてください」
「愛美ちゃん……」
そんな乾いた笑顔で言われても、とてもそうすることはできそうになかったが……。
だが、深く立ち入るのもためらわれたので、もう何も言わなかった。
「……他にも聞いてもらえますか?」
「もちろん」
続けて、愛美ちゃんは百乃木愛子の曲という曲を歌った。
曲の数こそ多くなかったが、さながらミニライブといった様相を呈していた。
そうして歌っている表情は笑顔のはずなのに、それはやはり乾いているように見えたのは……
僕がさっきの勝手なイメージをひきずってるからだったんだろうか?
そのせいでか、観客は僕ただひとりというこの贅沢なライブも、思う存分楽しむことはできなかった。
………
…………………
愛美ちゃんが一通り曲を歌い終わったので、ドリンクバーで一息いれることにした。
相変わらず、愛美ちゃんは伊達眼鏡を外したままだ。
「伊達眼鏡はつけないんだね?」
「あっ、はい。これ、あんまり好きじゃないので……。
桜井先輩には、もう正体バレちゃってますし。
家では外してるんですよ?」
「まあ、そりゃそうだよね」
重そうだし、何よりあんまり気持ちいいもんじゃないんだろうな、この眼鏡も。
素顔を隠して生活するってほど大げさでもないんだろうけど……。
けど、それに近いことをしてる愛美ちゃんの心境は、僕に推し量ることはできない。
ただ、手にしたちょっと不格好な変装グッズを見つめる愛美ちゃんは、ちょっと思うところがあるみたいだった。
伊達眼鏡を置くと、愛美ちゃんがふと口を開いた。
「―――今度“私”のミニライブが志木ノ島であるんです」
僕の聞き方がうがったものだったのか、“私の”という響きが、
愛美ちゃんなのか百乃木愛子なのか、どっちつかずでブレている気がした。
「そう言えば、前から告知があったよね」
「今日は、そこで歌う曲の練習に付き合ってもらいたくて。
ごめんなさい、急に連れ出してしまって……」
「いいっていいって。
言ったでしょ、暇を持て余してたって。
ライブも頑張ってね。僕もチケット取れたら行くよ」
「はい、ぜひ……。
それから、もう一つお願いなんですけど」
「ん?」
「……よかったら、また練習に付き合ってもらってもいいですか?」
疑問形で問いかけつつも、懇願するような視線。
本人は意識してないんだろうけど、この娘からそんな目を向けられたら、断れるはずもなかった。
「……うん、わかった」
この練習が、愛美ちゃん―――あるいは、百乃木愛子にとって、どれだけの意味があるのか分からないけど。
ただ、付き合っていれば、さっきの質問の答えが見つかるような予感がする。
桃田愛美と百乃木愛子、まったく同じはずなのに、ひどく離れているような……そんな存在。
それをつなぐものが、見つかるかもしれないと、そう思った。
さっき歌ってた百乃木愛子も愛美ちゃんなら、目の前の悩んでるような愛美ちゃんも、もちろん愛美ちゃん……。
一体、どっちが本物の愛美ちゃんなんだろうなと、そんなことを考えた―――
作者より……
ども~作者です♪
Life五十四頁、いかがでしたでしょうか?
今回で(バレバレだったとはいえ)ついに愛美の正体(?)が分かりましたね。
まあ、本人的には思うところもあるみたいですが……。
それは今後の展開次第ということで。
さてさて次回ですが、そんな愛美の気持ちが明らかになってきます。
もちろん、それ以外にもいろいろありますが……ひとまず、いつものように期待しすぎない程度の期待でお待ちください。
それではまた次回お会いしましょう。
その時まで……サラバ(^_-)-☆byユウイチ




