第五十頁「闇夜の妖魔」
―――キーンコーンカーンコーン
「はーい、それじゃ朝のホームルーム始めるよー」
華先生のよく通る声が2−A教室内に響く。
「まずは出欠からねー」
出席番号1番の光から順に名前が読み上げられていく。
そして、やがて点呼が中ほどにかかった時―――
「―――西園寺……は、今日も休みか。
これで3日連続、珍しいわね」
「…………」
僕の隣りの席、京香ちゃんは今日もいない。
華先生が言うとおり、この3日は学校に出てきていなかった。
……理由の見当はついている。
京香ちゃんが休み始める前日、彼女の母親である鈴香さんから言われたこと。
無限天道流最終奥義『天』、その修得のための修行。
きっと今もそれをやってるんだろう。
僕には、奥義修得がどれだけ価値のあることか分からない。
だが、マジメな京香ちゃんが学校を休んででもすることだ。
ただごとじゃないってのは分かる。
そして、あれだけ剣の修行に打ち込んでいる京香ちゃんが、
春先からずっとかかっても修得できない辺り、簡単なことじゃないってのも……。
「……心配だな」
「桜井〜? 返事がないなら欠席にするわよ?」
「へっ? ―――あっ、はいはいはーい! 桜井章、いまーす!」
「返事は一回だって言ってるでしょ!」
……朝からクラスの笑いものになってしまった。
人の心配をしてる場合じゃないってことだろうか……。
「そうは言っても、心配なものは心配なんだっての」
無茶してなきゃいいんだけどな。
と、そんな事を思っている内に朝のホームルームは過ぎていった。
………
………………
「…………」
結局、何事もないまま昼休みを迎えてしまった。
ひょっとしたら、京香ちゃんがひょっこり登校してくるんじゃないか―――なんて思ったけど……。
どうにも、彼女にとってはそう甘い状況でもないらしい。
「西園寺さんがいないと、やっぱりちょっと寂しいわね……」
「そうね……。でも、珍しいわね。
西園寺さん、病気とかとは無縁そうなもんだけど。
今までも休みなんてなかったし」
茜ちゃんや翔子ちゃんも心配そうだ。
特に、翔子ちゃんは修学旅行で同じ班だったり、色々吹き込んだりで仲良かったし、思うところはあるのかもしれない。
そうでなくても、京香ちゃんも僕達の輪に入って一緒に昼飯にしたりすることは何度もあった。
みんなが友達として心配するのも、ある意味当然だ。
「そうですね……。
もし長引くようなら、みんなでお見舞いに行きませんか?」
「おう、そうだな。いっちょ景気よくいって、病気なんて吹っ飛ばしちまおうぜ」
「……病人のそばであんまり騒がんようにな、圭輔」
「分かってるっての、そんぐらいは」
つばさちゃんの提案にみんなが乗っかった。
……今さらながら、みんながいて本当によかったと思う。
そして、普段は気にしてなかったけど、京香ちゃんがみんなに思われていたことも再認識できた。
「章も、もちろん来るよな」
「ああ。なんたって、京香ちゃんのことは、転校してきた時に華先生から頼まれたんだし。
そうでなくたって友達だからね」
(……だから、早く戻ってきなよ、京香ちゃん)
今は奥義の早い修得を祈るしかできないが。
だが逆に、それができるのならばそれだけでもしようと、そう思った。
「……ちょっと、湿っぽくなっちゃったね。
話、変えよっか」
「話変えようって言っても―――あっ、そうだ。
みんな、夜の校舎のウワサって知ってる?」
「夜の校舎?」
そんな話、年中ありそうなもんだが……。
茜ちゃんが改めて言うんだから、普通の話じゃないんだろう。
「その話ね……女子ソフト部で流行ってるやつ」
「あっ、私も知ってます」
「俺も聞いたことあるぜ」
「俺も」
翔子ちゃん、つばさちゃん、圭輔、光―――って、僕以外みんな知ってるんかい!?
「知らないのは章だけ……ね。
まあアンタがウワサとか、この手の話に疎いのはいつものことだけど」
「余計なお世話だって!
それで、夜の校舎のウワサって何なの?」
「……これは、ウチの部の娘が言ってたんだけどね―――」
以下、要約すると……。
ある女子ソフト部の女の子が、次の日までの課題だったノートを学校に忘れたことに気づいて、
夜になってから校舎にやってきたらしい。
夜の学校ってことで薄気味悪く、いかにも出そうな雰囲気だったみたいなんだけど……。
案の定、“何か”が出た。
その娘曰く、誰もいないはずの校舎に、カツーン、カツーン……という足音のようなものが聞こえたらしい。
恐いもの見たさってやつだろうか、何がいるのかと思い女の子は音がする方に近づいていった。
そうやって一歩、また一歩と近づくにつれ、
足音の他に、今度は獣か何かの低いうめき声のようなものが聞こえてきて―――
「そこで見たらしいの」
「見たって、何を?」
「影よ。その何かの影」
念押しなのか、二回続けて茜ちゃんが言った。
「影って……カーテンとかが翻ってただけかも知れないし」
「学校の廊下よ? 影ができそうなものなんて何もないじゃない」
「そりゃまあ、そうだけど……」
「その娘の話では、その影は何かの動物みたいな感じだったみたい」
「ふ〜ん……」
「何よ、信じてないの?」
「この話を聞いただけじゃなんとも……」
もっとも、京香ちゃんからそういった怪しいものの類を全面的に肯定されたばっかりだし、
前みたいに頭から否定もしないが。
「その後で、部の他の娘何人かで夜の校舎に忍び込んだらしいけど、
似たようなものを見たり聞いたりしたらしいわね」
「翔子ちゃんまでそんなこと言いますか」
「私はこういう話、けっこう信じる方よ?」
「マジっすか……」
茜ちゃんがそれ見たことかと言わんばかりの顔をしているが、とりあえずはスルーだ。
「私も、文芸部の後輩から聞いたんだけど……。
その娘の話では、廊下をもの凄い勢いで怪物みたいなのが走っていったって。
嘘をつくような娘じゃないし、一緒にいた娘も見たらしいから」
「つばさちゃんがそう言うと、いよいよ真実味を増してくるというかなんと言うか……」
「ちょっと、それどういう意味よ!?」
「っとと、深い意味はないって。
それで光は?」
「俺はそういうのが出るらしいって話を少し聞いただけだから」
何にせよ、部活とかに入ってない光の耳にまで話が届くってことは、どうやら相当色んな話があるみたいだ。
「野球部の後輩なんか、サブバックをズタズタに切り裂かれてたんだぜ?
学校に置いてあったのが、次の日学校に来たらズバーっと。
実際に現物も見たし、これはマジ」
「おいおい、何かシャレにならなくなってきてるような気がするんだけど……」
特に圭輔とつばさちゃんのはゾッとする話だ。
とはいえ―――
「何て言うか……ありがちな学校の怪談というか、そんな感じだよなぁ。
ちょっと季節外れだけど」
「そうとも言い切れませんよ桜井先輩」
「〜〜〜〜〜〜っ!!
こっ、小春ちゃん! 急に後ろから声をかけないでよっ!」
正直、件の化け物が出てくるより驚いた。
不意を突かれたというかなんと言うか……とりあえず、背後にいきなり出てくるのは京香ちゃんだけで間に合ってる。
「お前が気づいてないだけで、福谷さんの話あたりからずっといたぞ?」
「分かってたなら言ってよ……」
「いやあ、悪い悪い」
光も人が悪い。
絶対にワザとだな、コイツの場合。
「それで小春ちゃん、そうとも言い切れないっていうのは?」
「その事なんですけど……ここでは少しお話しづらいので、屋上まで来ていただけますか?」
こう言うと失礼かもしれないが、小春ちゃんはいつになく真剣だ。
……ここは素直に言うとおりにしよう。
「章、なんかやらしー」
「章くん……私、信じてるから!」
「これ以上手を広げるんじゃないぞ、章」
「―――みんな好き勝手言ってくれちゃってるけど、そんなんじゃないから!
小春ちゃん、とっとと行こう!」
「あっ、待ってくださいよ桜井先輩!」
彼女についていく、と言うよりはむしろ引き連れる感じで屋上へと向かった。
みんな、後で覚えとけよ―――。
………
………………
秋も深まる屋上。
吹きつける風は、春の優しさをすでに忘れてしまっていた。
……要するに、寒い。
「すみません先輩。寒いのに、こんな所に来ていただいちゃって」
「いやまあ、それはいいんだけど……。
そんなことより、さっきのそうとも言い切れないってのは?」
「その話に入る前に……桜井先輩は、どの辺りまで“知って”るんですか?」
「…………」
相変わらず、小春ちゃんは真剣な表情を崩さない。
それを見れば、何を聞いているのか、言外の意味を察するのは簡単だった。
「―――京香ちゃんの家と、無限天道流の話。
もちろん、その役割も含めてね。
それから、小春ちゃんの家の話も大体は」
「そうですか……それなら話は早いですね」
「…………」
“まさか”という思いと“やはり”という思いが重なる。
どちらにせよ、次に小春ちゃんが何を言うかは大方予想がついていた。
「さきほど先輩方が話されていた、夜の学校に“出る”という話。
その渦中の存在こそ、私たちが討つべき“魔”なのです」
「…………」
認めたくはなかった。
だが、当事者から実際に肯定されれば、もはやうなずく以外の選択肢は残っていない。
そういう邪な存在が夜の志木高に現れ、そして無限天道流に関係する人々がそれを討伐する。
何となく現実離れしていた話が、急にリアリティを増してきた。
「京香ちゃんは、その話を知ってるの?」
「はい。先日、鈴香叔母様が伝書を送っておられましたから」
また矢文を送ったのか……。そこだけは何だかシュールだな。
「あれ? って言うか、今の言い方だと、鈴香さんもこの話を知ってるの?」
「はい。そもそも、鈴香叔母様は“魔”の討伐のために、この志木ノ島にやってきたのですよ」
「そうなんだ。
でも、京香ちゃんだっているんだから、京香ちゃんに任せればいいのに」
「それは……分かりません。叔母様には、何か別の思惑があるようです。
―――ひとまず考えられるのは、今回の“魔”はかなり強力ですので、
叔母様が京香お姉様では力不足だと判断なさった可能性ですね」
「そっか……」
確かに、底が知れないというか、考えが読めない雰囲気のある人ではあったけど。
京香ちゃんだって相当な実力者のはずなんだ。
そうそう実力不足ってこともないだろう。
その辺の関係はよく分からないから口には出さないけど、何かもっと別の意図を感じる。
「それにしても、どうしてそんなのが急に出てくるように?
怪談じみた話ならよく聞いたけど、ここまで具体的なのは初耳なんだけど」
「それには、この志木ノ島っていう土地の特殊性が関係してるんですけど……。
桜井先輩は、“四季の島の伝説”をご存知ですか?」
「まあ、それなりには……新聞部が学祭で展示してたやつでいいんだよね?」
「はい。その中で、この島を作ったとされる神が、様々な災厄から島を守ったって話がありましたよね」
「うん」
理由はちょっと身勝手な感じだったけど、そういう一節があったのは間違いない。
「―――そういえば、その災厄には妖怪とかそういう類のものも含まれてるって、チラッと聞いたような……」
「はい、まさにその通りです。
元々、志木ノ島にはそういった力があるので、“魔”の活動が抑えられていたんです。
だから、私達が討伐するような事態はなかったんですが……」
あの時はマユツバっぽい話だとしか思えなかったけど、今なら信じられる。
と言うよりは、今なら大抵のことに動じなさそうな気すらしてきた。
「最近になって、なぜかその抑えが弱まってきて……。
そのせいで、元々力が強かった“魔”の活動が活発になってきちゃったみたいです」
「そんなことが……」
つくづく、何とも身勝手な神様である。
守るんなら守るで、ちゃんとしてほしいもんだ。
……それにしても、今の話だと今回の騒ぎを起こしてるヤツは、元々力が強いってことになる。
詳しくは分からないが、早く倒さないと危険なんだろう。
「ところで、小春ちゃんは“四季の島の伝説”に詳しいんだね。
僕もたまたま新聞部の手伝いしてたから知ってたけど、あんまり知られてないんだよね?」
「こう見えても、私も岸辺家の巫女ですから!
志木ノ島の守りを任されてる以上、島について最低限のことは知らないといけないですからね」
「なるほど……」
小春ちゃんは京香ちゃん曰く「自覚が足りない」らしいけど、こうして聞いてるとそうでもない気がする。
……まあ、未だに普段の小春ちゃんとのギャップに少々戸惑い気味だけど。
「―――今までの話はとりあえず分かったよ。
……でも、僕にできることなんてないし、どうしてこんな話を?」
あいにく、僕は剣道も巫女道(?)も素人のどこにでもいる高校生だ。
魔物退治なんてできるはずもない。
「―――桜井先輩には、京香お姉様の力になってほしいんです」
「えっ?」
「お願いします! 今のお姉様を助けられるのは、桜井先輩しかいないんです!」
「ええっ!?
でっでも、僕なんかより小春ちゃんや鈴香さんの方がよっぽど……」
「……確かに、“魔”の討伐に関しては私や叔母様の方が力になれるでしょう。
でも、お姉様が今必要としてるのは、そういうことじゃないんです」
「……………」
まとめてしまえば、鈴香さんに言われた事と同じだ。
あの時はあいまいに答えておいたけど、今もってちゃんとした答えは見つかっていない。
どう考えてもこの件に関しては無力としか思えない僕が、
逆にこの道のプロである京香ちゃんを助けられるとも思えなかった。
「叔母様は、お姉様に伝書を今朝送ったと言っていました。
だから、恐らく今夜にでも、お姉様は動くでしょう」
「…………」
何で力不足(と言われている)京香ちゃんにわざわざ伝えたのか分からないが、
彼女の性格からいって、一人で魔物の討伐に行きかねないのは確かだ。
「私も、今夜は鈴香叔母様について校舎に行ってみるつもりです。
それで……もし先輩さえよろしければ、一緒に来てもらえますか?」
「えっと……それは」
「……無理は承知です。
私もできるだけの事はしますが、守りきれる保証もありませんし。
でも……桜井先輩には、今だけは京香お姉様の近くにいて、力になってあげてほしいんです」
「…………」
「お願いします、桜井先輩!」
普段から礼儀正しい小春ちゃんが、いつもよりさらに深く頭を下げている。
……この娘は、本当に京香ちゃんが好きなんだな。
「……分かった。小春ちゃんがそこまで言うのなら。
―――それに、京香ちゃんのことも心配だしね」
「先輩……! ありがとうございます!」
そんな小春ちゃんが、京香ちゃんのことで僕を頼ってきている。
いつも一生懸命な小春ちゃんの、大切な人への想い……。
それに応えられないほど、僕も冷たくはない。
「でも、何かできるとは限らないし、もしかしたら小春ちゃんたちの足手まといになるかもしれない。
それでも構わないかな?」
「はい、来てくれさえすれば、それで!
それでは……今夜九時に校門で大丈夫ですか?」
「分かった。それじゃ、また夜に」
「はいっ! それでは失礼します!」
再び頭を下げると、小春ちゃんはいつものような笑顔を見せ、元気よく走っていった。
……やっぱり、あの娘には元気なのがよく合っている。
そして、そんな彼女を見ていると、不思議と今夜も大丈夫な気がしてきた。
本当は少し恐い気もするけど……。
まあ、鈴香さんもいるみたいだし、きっと大丈夫だろう。
それより、京香ちゃんが無茶しないか心配だな―――。
………
………………
―――そしてやって来た放課後。
今日一日、しきりと気にかけていた京香ちゃんの様子を見に行くチャンスが、唐突にやって来た。
「桜井、この後ちょっと大丈夫?」
帰りのホームルームが終わるなり、華先生に声をかけられる。
「? 別に大丈夫ですけど」
小春ちゃんとの約束は九時だ。
いくらなんでも、それまではかからないだろう。
「そう、ならよかった。
―――えっと、ちょっと西園寺の様子を見に行ってきてほしいのよ。
一応、風邪だって連絡は入ってるんだけど、結構長引いちゃってるから、心配じゃない?」
「ええ、そうですね」
「色々と渡すプリントとかも溜まってきちゃってるし、お願いできる?」
「いいですよ。ちょうどみんなでお見舞いに行こうかって話をしてた所ですし。
僕も気になってたんですよ」
「そう? さっすがは世話係、頼りになる♪」
……そんな係を拝命した覚えはないが、今はいちいち突っ込むのはよそう。
「それじゃ、これが渡すプリントで……。
それから、こっちが家の地図ね。簡単だけど、桜井は島の人間だし、大丈夫よね?」
「ええ、多分」
華先生から厚めの封筒と一枚のメモ用紙を受け取り、
地図に目を通してみる……って。
「あれ、これって小春ちゃんの家だ……」
「うん? 西園寺は1年の岸辺が親戚だからって、そこの家に下宿させてもらってるって聞いてるんだけど……。
知らなかったの?」
「あっ、そう言えばそうでしたね! そうだそうだ、小春ちゃんの家にいるんだったよ、うん!」
「……なーんか引っかかるけど―――まあいいわ。とにかく、お願いね。
それから、病人なんだから、あんまり騒がしくしちゃダメよ?」
「分かってますって。それじゃ、さよなら」
ボロが出る前に、さっさと退散するとしよう。
……そうか、一応は小春ちゃんの家に住んでるってことになってるんだな。
そりゃまあ、学校の裏山にある小屋に住んでます―――なんては大っぴらに言えんわな。
もっとも、我らが担任殿ならそれでも問題なさそうな気がするが……。
まあ、先生は華先生だけじゃないしな。そうも言ってられないんだろう。
とにかく、これで京香ちゃんの様子を見る大義名分ができた訳だ。
この時ばかりは“世話係”だったことを感謝しておこう。
……さて、それじゃ早速“京香ちゃんの家”に行きますか―――。
………
………………
―――やってきました裏山……っと。
京香ちゃんはどこにいるんだろう?
まず間違いなくここで修行してるんだろうけど……。
―――ビュンッ!
「おっ」
聞き覚えのある音。
どうやら予想通り、探し人はここで励んでいるようだ。
この前と同じく、音源へと一歩ずつ近づいていく。
―――ビュンッ! ビュンッ!
「…………」
やがて、京香ちゃんの姿を目視できる距離まで近づく。
―――だが、その様子は以前とはまるで違うものだった。
「真剣を使って……るんだよな」
まず、目に見えて違う所。
それは京香ちゃんが持つ得物が竹刀ではなく、真剣になっている点。
初めて京香ちゃんと出会った時、一度だけ見た本物の日本刀。
恐らく、今のもそれと同じものだろう。
……だけど、そうして目に見えるもの以上の違和感を感じさせるものがあった。
「―――前よりキレがない……?」
僕は素人だから、何となくそう感じるだけだけど……。
逆に言えば、素人にも悟られるぐらい深刻な状態って事なのかもしれない。
―――ビュンッ! ビュンッ!
相変わらず京香ちゃんの素振りは続いていたが、それが惰性的なものにさえ見えてきた。
上手い言葉が見つからないけど……前みたいな、もの凄い気迫というか、剣気というかが感じられない。
「……本当に大丈夫なのか?」
やはり素人だから何とも言えないけど、前よりよくない状態で、
難しいと思われる最終奥義の修得が達成できるとは到底思えない。
正直、心配になってきた。
とか、そうこう考えてる内に素振りが止んだ。
とりあえずは声をかけてみるか……。
「京香ちゃん」
「……桜井、か」
「調子はどう?」
「何とも言えん…・・・が、そうも言ってられんのでな。
今はただひたすら剣を振るだけだ」
「そう……」
力強い決意の言葉とは裏腹に、短い会話の中にも焦りが感じられた。
多分、さっきの素振りにもそういうところが現れてるんだろうな……。
「それより、どうしてここに?
悪いが、今は相手をしている余裕は……」
「あっ、そうそう。
華先生から様子を見てきてくれって言われてね。
……まあ、上手く言っておくよ。
それと、これ休んでる間に溜まってるプリントだから」
「そうか、わざわざすまんな。
それでは……その辺にでも適当に置いてくれ」
「…………」
「どうした? まだ何かあるのか?」
「―――京香ちゃん、早く戻ってきなよ。
みんなも心配してるからね」
「……気持ちだけ受け取っておく、が約束はできん。
すまない……今の私には、『天』の修得が最優先なのでな」
「京香ちゃん……」
「私は修行に戻る。わざわざすまなかったな。
桃田先生には、心配ないと伝えておいてくれ。
では、御免!」
それだけ言い残すと、京香ちゃんはこの前と同じく、信じられない速さで目の前から消えていた。
「大丈夫なのかな……」
もどかしいが、今の僕には心配しかできない。
こんなんで、本当に彼女の力になんかなれるのか―――?
………
………………
―――とかなんとか、思い悩んでる内に秋の短い日中が終わり。
あっという間に小春ちゃんとの約束の時間になってしまった。
あやのに相当怪しまれたが、何とか我が家を脱出、どうにか校門までやって来た。
「桜井先輩! 遅くにどうもありがとうございます」
「いやあ、このぐらいは。
……ただ、あやのを誤魔化すの、次からは手伝ってほしいかな」
「あはは……分かりました」
もっとも、小春ちゃんって嘘とか苦手そうだし、あやのは妙に鋭いしで、それでもどうなるか分からないけど……。
「ところで……今夜は巫女装束なんだね」
「はい、“魔”関連の仕事をする時は、何かとこちらの方が都合がいいですし。
滅多なことは無いと思いますけど、何があるか分かりませんので」
「そっか。
う〜ん……小春ちゃんが着てるの、初めて見たけど、
やっぱり本職だけあってサマになってるね」
「えへへ……ありがとうございます、先輩。
でも、そういうことは気をつけて言わないと、そういう趣味の人なんだって思われますよ?」
「……気をつけるよ」
―――否定できないのも事実だが。
「そう言えば鈴香さんは?」
「遅れて後から来られるみたいです。
とりあえず、私達だけで中に入りましょう。
先輩、ついてきてください」
さっきまでいつもの雰囲気だった小春ちゃんの声が、昼みたいに真剣なトーンに変わる。
同時に、周囲の空気までグッと引き締まった錯覚を覚えた。
……いよいよって事だよな、これは。
夜の校舎は思いのほか明るかった。
非常灯もあるし、まだ比較的早い時間ということもあり、周辺から少しではあるが、明かりも入ってきていた。
さらに、今日は晴れていたこともあり、月明かりもある。
……とは言え、十分に暗いことには変わりなく、つばさちゃんなんかは、この雰囲気だけでもうダメだろう。
僕だって、色々話を聞いてるせいもあるけど何とも言えない寒々しさを感じてて……。
要するに恐かった。
「先輩、大丈夫ですか?」
「……まさか後輩の女の子に“恐い”なんて言えないでしょ」
「くすくす……意地にならなくてもいいですよ。
正直、私だって恐いぐらいですから」
「小春ちゃんが? そうは見えないけど……」
さっきから暗い校舎をズンズン進んでいる。
とてもじゃないが、恐がってるようには見えない。
「確かに、普通の恐いとはちょっと違いますからね……。
……やっぱりこの校舎には“何か”います。
そいつが放つ悪い“気”みたいなのが、何となく分かるんです。
それが強いものだから……少し恐くて」
「…………」
「信じられない話かもしれませんけど、これでも私だって巫女の端くれですから」
「いや……小春ちゃんを信じるよ」
漫画みたいな話だけど、不思議と納得できた。
思えば、京香ちゃんの話だって漫画みたいなもんだったし、
彼女の場合、失礼ながら存在そのものも漫画みたいな娘だ。
そこに加えて、目の前の小春ちゃんは学校には不似合いな紅白の巫女装束に身を包んでるときてる。
そりゃもう、“魔”だろうが“気”だろうが、何が出てきても大抵は驚かないってもんだ。
「―――っ! 誰か来ます!」
「っと!?」
前を歩いていた小春ちゃんの足が急に止まる。
同時に、静かだった校舎内に完全に近い静寂が訪れる。
―――カツーン……カツーン……
「ーーーっ!」
固いリノリウムの廊下特有の、妙に甲高い靴音。
ただ、それだけが夜の校舎に響き渡る。
……いよいよか!?
―――カツーン……カツーン……
だんだんと音源が近づいてきたのだろう、音がよりはっきり聞こえるようになってきた。
だが、そんな中で小春ちゃんからは特に緊張感は感じられない。
これといった戦闘態勢をとっている訳でもなく、いやに落ち着いていた。
まるで、何が近づいているのか分かっているかのように……。
「―――京香お姉様です」
「へっ?」
小春ちゃんの口から出た意外な言葉、その後間もなく―――
「お前達……どうしてここに!?」
「京香お姉様……」
果たして現れたのは“魔”でも鈴香さんでもなく、京香ちゃんその人だった。
こちらも学校には似合わない、袴姿だ。
「答えろ、どうしてここにいる!
特に桜井……お前は完全な部外者のはずだ!」
「それはその……」
「桜井先輩は、私からお願いしてきてもらいました。
これは、鈴香様のご意思でもあります」
驚くほどはっきりと、小春ちゃんが先に言った。
……いつもの小春ちゃんなら、京香ちゃん相手にこんな喋り方はしないだろう。
何から何まで、今日の彼女はいつもとは明らかに違っている。
「母上が……?」
「それより、お姉様こそどうしてここに?
鈴香様からの伝書をお読みになったのでしょう?」
「…………」
「え〜っと、状況が見えないんだけど……」
色々とこんがらがってきたぞ。
とりあえず、京香ちゃんに鈴香さんが手紙を送ったのは知ってたけど、
それの内容が関係してる……ってことだよな?
「―――読みはした。
だが……この件から身を引けなどと、そのような話をハイそうですかと聞けるものか!」
「ですが! 最終奥義を修得できていない今、この度の“魔”と戦うのは……!」
「言うな小春! それに……奥義なら、もう八割方は完成している!
それを、今ここで母上にも証明してやろう!」
「京香お姉様!」
「…………」
―――何でだ?
何で京香ちゃんは、ここまで頑なになる必要があるんだ?
そんなに本家での再修業が嫌なのか、あるいは別の何かがあるのか……。
「本家からの命に背くのですか!?」
「それも奥義を修得してしまえば同じこと!
その上で実力が足りぬなどとは言わせんぞ!」
元からそうだが、小春ちゃんの言葉には全く耳を貸さない京香ちゃん。
……京香ちゃんの実力の程はよく知らないけど、漠然とした不安がよぎってくる。
この焦りじゃ、恐らくは―――。
そう思った瞬間、京香ちゃんと小春ちゃんの言い争いが止まる。
「―――むっ!」
「……来ます!」
僕にも分かる。
二人の間の空気だけじゃなく、校舎全体の空気が一気に凍りついていく。
京香ちゃんが静かに抜刀し、小春ちゃんも呪符だか護符だかを手にした。
……ついに、二人が戦闘態勢に入ったのだ。
沈黙が支配する中、僕達のものでない、別の足音が校舎内に響いていく。
その音がする方に目をやると、黒くてヒトではない“何か”が動いているように見えた。
来る……得体の知れない“何か”が―――!
「先手必勝……! 無限天道流奥義、『雷』!!」
瞬間、京香ちゃんが例のインチキめいた踏み込みで飛び込み、そのまま“魔”へと切り込む。
―――ブォンッ!!
空気を切り裂く鋭い音。
が、逆に言えば京香ちゃんが斬ったのは空気ということ―――
「なにっ!?」
空振り―――そこに“魔”はいなかった。
……否、さっきまではいたんだ。
一瞬のことだったけど、目を凝らしていたからハッキリと見えた。
京香ちゃんが振りぬいた日本刀、それを“魔”は信じられない脚力でジャンプして避けていたのだ。
「どこだ……どこに行った!?」
と、言うことは……自然、ヤツは―――
「京香ちゃん、上だ!」
「っ!!」
京香ちゃんが振り返る。
―――が、一瞬遅い。
天井に張り付いていた“魔”が、こちらの方に飛びかかってくる!
「きゃあっ!」
四本足の獣みたいなそいつは、ツメのようなもので小春ちゃんの左腕に襲いかかった。
小柄な小春ちゃんはその一撃で簡単に吹っ飛ばされる。
「つっ……しまった、札が―――!」
「小春ちゃん!」
お札が舞い散る中、“魔”は僕達がいる10メートルほど先で一旦止まった。
今なら逃げられる―――頭では分かっていた。
だが、足がすくんで動かない。
情けないながら、体が言うことを聞いてくれない……まるで自分の体じゃないみたいに。
こちらが動けないことを見透かしているのか、まるであざ笑うかのようにゆったりとした動きで、こちらに向き直る“魔”。
月明かりに照らされたそいつは、でっかいオオカミのような姿をしていた。
「くっ……ならば!」
「あっ!? ダメだ、京香ちゃん!」
今の京香ちゃんじゃ勝てない……直感的にそれが分かる。
だが、声を絞り出した制止も彼女には届かない。
京香ちゃんは既に踏み込んでいた。
「無限天道流、最終奥義……『天』っ!!」
それが最終奥義の正体なのか、日本刀は光をまとっている。
月明かりとかで光ってるんじゃない、刀そのものが輝いてるんだ……!
京香ちゃんは大きくその得物を振り上げ―――
「はぁぁぁぁぁっ!!」
気合と同時に、一気に振り下ろす!
―――が
―――ガキンッ
「なっ!?」
鈍い音。
それが響くと同時に、光も消えていた。
“魔”は四本ある足の内、たった一本で、京香ちゃん渾身の斬撃を受け止めたのだ。
さらに、次の瞬間には日本刀が中を舞っていた。
「しまった!?」
絶体絶命―――そんな言葉が頭をよぎった時。
―――ズシャッ!!
風の刃が、“魔”の尾と思われる部分を切り落としていた。
無限天道流奥義『風』……恐らく、鈴香さんだ。
途端に苦しみだす“魔”。
そのまま京香ちゃんを振り払うと、人間離れした脚力で夜の校舎へと消えていった。
「―――はぁ〜……助かった」
思わずその場にへたり込む。
……文字通り、何もできなかった。
それこそ、力になるどころか、むしろ京香ちゃんや小春ちゃんの足手まといだったかも。
「そうだ! 小春ちゃん、大丈夫!?」
「なっ、何とか……。私は大丈夫です……」
「でも、腕から血が……」
さっき襲われた左腕からは、激しい出血が見られた。
その上あれだけ派手に吹っ飛ばされたんだ、大丈夫なはずは無い。
「それよりも、京香お姉様は……?」
「……私なら心配いらない」
そう言う京香ちゃんであったが、闇の中でかろうじて見える表情は、その言葉とは正反対のものだった。
『完敗』
その二文字しか考えられないほどの、絶対的な負け。
それを味わえば……いかに気丈な京香ちゃんといえど、平気ではいられないだろう。
「京香ちゃん……」
「ふふふ……母上や小春の言うとおり、やはり私では力不足であったな……」
「お姉様……」
「未完成の奥義で太刀打ちできるほど、甘い相手ではなかったか……。
やはり私では、無限天道流を継ぐに値しないということなのか……」
「お姉様、それは―――」
「その通りです、京香」
聞き覚えのある声が小春ちゃんの言葉を遮った。
―――やはり、鈴香さんだった。
さっき助けてくれたのも、彼女で間違いないらしい。
「母上……」
「京香……分かっていますね。
当主の命を破り、勝手な判断で討伐に参加したこと……その罪の重さを」
「……はい」
口調はあくまで穏やかだが、恐ろしいほどの重みがある鈴香さんの言葉。
部外者である僕までかしこまらざるをえなかった。
「今のあなたに、無限天道流の名を継ぐ資格はありません……。
剣を振るう、その意味を忘れた今のあなたには」
「……承知しております」
「まっ……待ってください!」
自分でも正直驚いたが、二人の間に割ってはいるような言葉が口をついて出ていた。
「京香ちゃんは……京香ちゃんは、僕や小春ちゃんを守るために、必死になって戦ってくれました!
京香ちゃんがいなければ、僕も小春ちゃんもきっとやられてしまっていたでしょう!
それなのに……それなのに、資格が無いなんて、そんな言い方あんまりです!」
「…………」
「よいのだ、桜井……。
すべては私の未熟さが招いた結果……言い訳のしようもない」
「そんな……」
絶望まじりの沈黙。
そんな時間がどのぐらい続いたろうか。
しばらく経った時、鈴香さんが口を開いた。
「西園寺京香、罰を命じます」
「……はい」
「その方への罰は“無期限の刀剣没収”とする。
以後、当主の許可がでるまで、刀剣の類を手にすること、まかりなりません。
……よいですね?」
「御意」
「そんな……」
刀剣没収だなんて……それじゃ修行どころの話じゃないぞ!
そうなったら、京香ちゃんは本家に帰ることに……。
「桜井……本来なら、当主の命に背くことは即、破門を意味する。
ここはこの程度で済んだ、そう考えねばならんのだ。
……母上、寛大なる処置、感謝いたします」
「礼ならば、桜井様に。
彼の言葉が無ければ、今ごろあなたは破門でしたよ……」
「はっ……。
桜井、そなたには世話をかけっぱなしだな。
……だが、それもこれで最後だ」
「そんな、最後だなんて―――」
「感謝する……では、これにて御免!」
それだけ言うと、これまでのように京香ちゃんはあっという間に走り去ってしまった。
「桜井様……今はひとまず、小春を岸辺の家まで運びましょう」
「あっ、はい!」
鈴香さんにも色々と聞きたいことがあったが、今は小春ちゃんのことが先決だな……。
「桜井様……」
「えっ?」
「京香のこと、よろしく頼みますね」
なぜか微笑みながら、鈴香さんは前と同じことを言った。
その笑顔は、全てを見通しているような……不思議と温かさをたたえた笑みだった。
よろしく頼むって言われても……。
それより京香ちゃん、これで最後なんて……これでお別れなんて、そんなことないよね―――?
作者より……
ども〜作者です♪
Life五十頁、いかがでしたでしょうか?
Lifeもいよいよ五十頁!
これからも頑張りますので、作者ともどもよろしくお願いします!
やべー、戦闘シーン難しすぎる(笑)
なれないことはするもんじゃないっすね(^^;
今回、執筆時間の半分くらいはこいつかも……。
しかもやたら長くなっちゃったし……。
精進せねば。
さてさてそんなこんなで次回は京香エピソード三頁目。
剣を捨てた(?)京香、一体彼女の身に何が起こるのか?
そして章は彼女を立ち直らせることができるのか?
いつものごとく、期待しすぎない程度に期待してお待ちください。
それではまた次回お会いしましょう。
その時まで……サラバ(^_-)-☆byユウイチ