第十八頁「疑惑のデート!?」
よく晴れた日曜日。時計は午前10時ちょっと前を指している。
今日は休日にも関わらず、僕は既に起きていた。
……いや、それだけではない。
起きて、商店街の入り口で人を待っているのだ。
普通に休日を過ごしていたらこんな事にはならない。
きっと、今も家で惰眠をむさぼっている最中だろう。
自分で言ってしまうのもナンだが、はっきり言って珍事態である。
その珍事態を迎えるには、それなりの理由があった。
―――話は2日前の金曜日にまでさかのぼる。
半分習慣になりつつある新聞部手伝いを終え、玄関にやって来た時のことだった。
部活帰りの連中であろう人ごみの中に混じっていると、不意に背後から声をかけられた。
「やっほ、桜井くん」
「その声は……」
振り返ると、そこには長髪の美少女こと……怜奈ちゃんが立っていた。
「怜奈ちゃん。後ろから急に声かけてくるから、びっくりしたよ」
「ごめんごめん、別におどかそうとか、そんなつもりはなかったんだけど。
それより、珍しいね。こんな時間に玄関にいるなんて」
「まあ、色々あってね」
「色々って、優子の手伝いでしょ? 桜井くんも記事書いてるんだよね」
「なんだ、知ってたのか。そう、御察しの通り、新聞部の手伝い」
ともすると忘れてしまがちだが、怜奈ちゃんと優子ちゃんに加え、未穂ちゃんの三人は仲のいい友人同士だったな。
考えてみれば、SHIKIに寄稿してる情報なんて筒抜けか。
「桜井くんって、文章書くの上手いよね。何かセンスあるもん、あのコラム」
「ありがとう」
「ねぇ、どうしてあんなに上手く書けるの?
特別な練習とか、そういうのしてるから?」
「う〜ん、そういうのは特にしてないかな。
理由って言われてもなあ……」
SS書いてるから、物書くことに慣れてるってのが、強いて挙げられる理由だけど、
バカ正直にそう言うわけにはいかないし―――。
「あえて言うなら、漫画でも小説でも、興味を持ったらとにかくそれに触れてみることかな?
色んな作品に触れれば、その、何て言うか……それが刺激になって、
表現も少しずつ豊かになるって言うか、そんな感じ」
というワケで、こんなお茶を濁したような返事になってしまった。
だが、それでも怜奈ちゃんは納得したような表情をしている。
……結果オーライ、かな?
「ふむふむ……じゃあ、劇の脚本とかでもいいの、それって?」
「うん、そうだね。この間演劇部から借りた脚本集も中々―――」
……ん? 何か引っかかるものがある。
脚本、キャクホン、きゃくほん―――
「って、あぁーーー!!」
次の瞬間、留める前に大声が出てしまっていた。
人目をはばからずとは、まさにこのことだろう。
当然のように集まる人々の視線……恥ずかしい所を見られたもんだ。
「思い出した?」
ああ、思い出したとも。通りで腑に落ちないわけだ。だって―――
「ごめん……あの時の脚本集、まだ返してなかった」
「ふぅ……借りたものはちゃんと返さないと、ね?」
「うぅ、ホントにごめん」
あの日……あやのの合格者登校日に付き合った日。
演劇部室で借りた2冊の脚本集。
今は僕の部屋で、まるでそこが自分本来の居場所かの如く、堂々と本棚に納まっているだろう。
決して読んでそのまま存在を忘れてしまったわけではない。
いつかは返そうと思ってたんだ、いつかは。
……多分。
「桜井くんったら、前に部室で『脚本集返しに、きっとまた来るよ』とか言っときながら、
いつまで経っても来ないんだもん。私だって、待ちくたびれちゃったよ」
「そういうわけで、後ろから襲撃してきたと?」
「そういうことです。まあ、こんなこと、言うだけで大して迷惑にも思ってないけどね。
でも、一応は返してもらわないと」
いたずらっぽい笑みで言う怜奈ちゃん。
それにしても、声をかけるにも遊び心がある辺り、やっぱり娘だ。
この辺が怜奈ちゃんと付き合いやすい所以なんだろうな。
「さあさあ兄ちゃん、耳揃えて出してもらいましょ〜か!?」
そう言ってずいずいっと迫ってくる怜奈ちゃん。
……どうでもいいが、君はどこの人なんだ。
もしかして、これも演劇部エースの実力が成せる技か?
っと、冗談はともかく。
「申し訳ないんだけど、今は手元に無いんだ」
まさかこんな所で怜奈ちゃんに出くわして、その上で脚本集を徴収されるなんて、予想できるはずもない。
さりとて携帯しているはずもないので、当然、手元にブツがあるわけでもなく。
こう答える他はなかった。
「家に帰ればあるんだけど……また今度じゃダメ?」
「ん〜、困りますねえお客さん、これ以上伸ばしてもらっちゃ。
利子がついちゃいますよ、利子?」
「りっ、利子ぃ!?」
もはや何のキャラになっているのかは分かりかねるが、
あまりよろしくない発言をしているのは確かだ。
「そうねぇ……例えば、デート1回プラスαとか?」
プラスαってなんだ、プラスαって。
「うん、いいねこれ。よし決定。
桜井くん、利子として今度の休み、私とデートね。
もちろん、経費は桜井くん持ちで!」
「え〜!? ちょっと待ってよ!
それじゃあ明らかに割が悪いって!」
元金より利子の方が大きいぞ、こりゃ。
そしてそんなことよりも、こんな急転直下な展開はありなのか?
「まあまあ。経費全部そっち持ちってのは、単なる冗談だからそんなに興奮しないで」
ってことは、デートは本気で言ってるってことか。
「それでもなぁ……ご飯食べたりもするんでしょ?」
「一応、そのつもりだけど?」
う〜む……ってことは、少なくとも一食は食べる、それなりの長丁場だな。
まあ、自分でまいた種とは言え、貴重な休日が―――
「あ〜、何でそんなにしぶい顔してるのかな、桜井くんは?」
「えっ!? いや、実は今月ピンチだから、お金とかどうしようかな〜なんて! はは、ははは」
時間を取られたくないなんて言うわけにもいかず、とっさにこんなウソをついていた。
「ふ〜ん……じゃあさ、お昼は私が作ってくるってことでいい?」
「へっ? あっ、うん。別にかまわないけど」
「えっ!? いいの!?
「怜奈ちゃんが構わないなら、それで」
「……うん、分かった」
そう言うと、怜奈ちゃんはやけに神妙な表情で頷いたうなずいた。
……自分で作ってくるって言っておいて、何か反応が変な気がしなくもないけど。
まあいいか。経費は節約するに越したことはない。
―――いや、まだ行くと決めたわけではないが。
「休みの日だからって午後まで寝るのは不健康だしね。
私が、桜井くんの有意義な休日を演出してあげるよ」
「余計なお世話……って、何でその情報を?」
休日の僕の行動に関する情報が流出してるとは、どういう了見だ?
「陽ノ井さんに、この間の体育で聞いた。
『アイツは土日はいっつも午後まで寝てる』って、言ってたよ」
……今年も体育同じなのか、怜奈ちゃんと茜ちゃん。
ロクなもんじゃないな。
「どうでもいいけど、僕はまだ行くって決めたわけじゃ―――」
「ふ〜ん……そんなこと言って、桜井くんは私に与えた精神的苦痛を無視して、利子を踏み倒しちゃうんだ?
あ〜あ、もっと人情味に溢れる人だと思ってたのになぁ……」
意外に意地悪だな、怜奈ちゃんも。弱み握って攻めてくるとは。
ある意味基本とも言えなくも無いが。
どうする? このままじゃ怜奈ちゃんの中で、勝手に大悪党に仕立て上げられてしまう。
過程はやっぱり理不尽な気はするが、どっちにしてもこっちとしてはたまったもんじゃない。
……おもしろがって言っているだけという可能性もあるが。
とりあえず、僕の答えは―――
「はぁ……分かりましたよ。それじゃあ、あさっての日曜日はどう?」
ここは話を受けた方が得策だ。このままだと、いつまでもこのネタで引っ張られそうだし。
「さっすが桜井くん、話が早い! それじゃ、詳細はまた連絡するから、よろしくね♪」
「はいはい」
この嬉しそうな反応、利子分の倍以上は持っていかれそうな気がするよ。
―――まあ、学園のアイドル様とのデートだ。しっかり楽しむとしよう。
……こうやって前向きに思考を持っていかないと、とてもじゃないけどやっていけそうに無い。
「さてと。デートの約束もとりつけたことだし、私は帰るね」
「うん、それじゃ。気をつけて」
「桜井くんも。あさって、楽しみにしてるよ。脚本集も忘れないでね。
それじゃ、バイバイ♪」
「バイバイ」
そう言って手を振ると、怜奈ちゃんは夕陽が包むのオレンジ色の世界に消えていく。
僕は追うことも、引き止めることもせず、光の眩しさに目を細めながら、ただ手を振り返した。
そして、実は何だかんだで少し楽しみにしている自分の存在を感じていた。
―――以上、回想終わり。
その翌日、つまりは昨日の土曜に怜奈ちゃんから電話があって、10時に商店街入り口待ち合わせになった。
そして僕は今、ここにいる……というわけだ。
休みの日ということもあってか、人はそこそこたくさんいる。
カップルと思しき男女二人組もちらほら。
はっきり言えば、こんな時間にこの場所にいることは初めてなので、見るもの全てが新鮮だった。
それにしても、利子代わりにデートとは、そんなんで本当に割が合うのか?
はっきり言って、僕とデートしてもあまり楽しくないと思う。
何かおごらせるとか、そっちの方が絶対にいいはずだ。
まあ、利子だけにコースはあっち任せだし、怜奈ちゃんだけでも楽しんでくれればそれでいいか。
どこぞやの幼なじみのおかげで、自慢じゃないが“デートと銘打たれた荷物持ち”の経験は豊富だったので。
もう、今さら緊張とかそんなものは微塵も感じていなくて、
あるのは相手がこのデートを満喫してくれるか、その心配だけだった。
………
………………
「お待たせ、桜井くん」
時計のデジタル表示が10:00に切り替わるのとほぼ同時に怜奈ちゃんがやって来た。
「いや、僕も今来たところだから。
……それにまあ、珍しいものも見れたし」
「珍しいもの?」
「ここって、この時間にはこんな感じなんだなって、初めて知ったよ。
いつもなら絶対見れないからね」
「あはは、そう来ましたか。たまには、早起きもいいものでしょ?」
「そうだね」
こういう体験ができるなら、たまには早起きしてもいいかなって思う。
思うだけで実行に移さない……いや、移せないのは分かっていることだとしても。
「それで、今日はどこに行くの?」
「えっと、まずは映画に。ちょうど、招待券が2枚あるんだ。
この前、お母さんが商店街の福引で当ててきて」
そう言うと、怜奈ちゃんは2枚のチケットを取り出した。間違いなく本物だ。
「へぇ、くじ運いいんだ、怜奈ちゃんのお母さん」
「そう言われると……そうかも。1等とかは無いんだけど、3等とか4等をいっぱい引くんだよ」
「ふ〜ん。でも、当たるだけすごいよ。
うちの妹なんか、その福引、結構やったみたいだったけど、全部ポケットティッシュだったみたいだし」
ちょっと前に、あやのが10個近くポケットティッシュを持って帰ってきて、ぼやいてた記憶がある。
「そう言えば、桜井くんのトコは妹さんと二人暮らしなんだよね」
「うん。前も話した……よね?」
「家事全般できて料理上手って前に言ってた。
―――料理上手……はぁ」
何かつぶやいた後、怜奈ちゃんがおもむろに溜め息をつく。
何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか?
「どうかした?」
「えっ? あっ、ううん。何でもないよ。
……じゃっ、じゃあ早速行こうか! もうすぐ時間だから、あんまりのんびりしてられないし」
「その前に、ちょっと。
忘れないうちに……はい、これ」
言うと同時に、手に持っていた手提げのビニール袋を差し出した。
「長い間ごめん。一応、傷ついたりとかはしてないから安心して」
「そっか、本当はコレが元で、デートは利子なんだよね」
袋の中身を確認しながらしみじみ言う怜奈ちゃん。
今さらのような気もするが……って言うか、言い出したのは怜奈ちゃんの方だし。
「うん、確かに2冊。ありがとう。
じゃあ今度こそ、行こっか?」
「了解」
そうして、映画館の方へと歩き出す。
上映時間まで後30分と少し。
怜奈ちゃんはさっきあんなことを言っていたが、一応そこそこ余裕はあった。
………
………………
志木ノ島に唯一ある映画館は、商店街の近くにある。
基本的に、島の娯楽施設はこの周辺に集まっていた。
商店街入り口から、映画館までのわずか10分程度の道のりを、2人並んで歩く。
ふと怜奈ちゃんを見てみると、いつもと違った彼女がそこにはいた。
上下白で統一された私服姿……学校では絶対拝めない格好だ。
さすが学園のアイドル、とかそういうことでは無いが、やっぱり可愛い。
素材がいいことに加え、初めて見る私服姿ということで、新鮮な魅力がある。
……清楚な感じだよなあ、怜奈ちゃんって。
私服姿を見てると、しみじみそう思う。
別に茜ちゃんやあやのが粗野だって言うわけじゃないけど。
でも、あの二人は制服以外じゃ滅多にスカートなんかはかないし。
やっぱ、服の色とかの問題かな? 白ってのはやっぱり清楚な感じがする。
そして、それが似合うってのは、やっぱり本人の魅力なわけで―――
「? どうしたの、さっきから黙ってこっち見て?」
「あっ……いやあ、何でもないよ。ははは」
既におなじみとなりつつある、“笑ってごまかす”でその場はしのいだ。
いかんいかん、呆けて怜奈ちゃんを観察してる場合じゃないだろ、桜井章。
そんなこんなしている内に、いつの間にか映画館に到着していた。
………
………………
(よりによってこれか……)
映画が始まって既に1時間20分ぐらいが経っていた。
当たり前だが、隣には怜奈ちゃんがいる。
―――それも、すすり泣き状態の。
(参ったな……)
仮に、映画の内容が事前に分かっていたとして、それによってデートを断るとか、そういうことはないが……。
まさかコテコテの恋愛映画を見ることになろうとは。
話の中身としてはすごくベタで、幼なじみの男女がすれ違いやら何やらの色々なトラブルを乗り越える内に、
絆を深め合っていって最終的には結ばれる……という話だ。
今話題の映画だし、実は原作の小説を読んだことがあるから、話は知っている。
その上であえて言おう。
(これって恋人同士で見る映画じゃないか?)
右を見ても左を見ても、前を向いても後ろを向いても、見渡す限りのカップル、カップル、カップル。
吐いて捨てるほどいるとは、まさにこのことだろう。
僕ら以外の男女二人組がみんなそうだとは言わないが、それでも館内の大多数を占めているだろう。
そんな空間に怜奈ちゃんといるってのは、多少場違いな気がしなくもない。
この状況、怜奈ちゃんはどう思ってるんだろうか?
まさかこうなるのが予想できなかったはずはない。
周りのことなんて別に関係ない知れないが、彼女がどう思っているかは純粋に気になっていた。
チラリと怜奈ちゃんの横顔を盗み見たが、暗い映画館では何が見えるわけでもなく。
ただ、すすり泣く声だけが聞こえるだけだった。
………
………………
そうしてさらに20分ほどが過ぎ、ようやく映画が終わった。
色々と思うところがあったせいで、あんまり内容が入ってこなかったな……。
怜奈ちゃんの方は、ハンカチで涙を拭いている。
相当泣いてたからな……と、言うか映画館の外に出た今も泣いてるし。
ついでに言うと、この状況が始まってから既に5分が経過していた。
確かに僕も原作読んだ時は少し泣いたが、こんなにひどくはなかったぞ。
……怜奈ちゃんって、もしかして涙もろかったり?
「ううっ、ひっく……良かったね、桜井くん」
ようやく口を開いた怜奈ちゃんが発したセリフはこれだった。
いや、確かに良かったけど―――
「そう、だね。
……それより怜奈ちゃん、ちょっと場所移さない?」
実は、さっきから道行く人々の視線がかなり痛い。
見方にもよるだろうが、どうやらポジション的に、僕が怜奈ちゃんを泣かせているように見えるらしい。
道行く人々に、いちいち事情を説明するわけにもいかず、
さりとて、僕はこの攻撃的な視線の渦の中にいられるほど心臓が強くは無いので、さっさとこんな所とはおさらばしたい。
『移さない?』と疑問系で聞いておいてナンだが、ちょっと強引にでもどこかへ移動しよう。
この分だと、回答が出る前に僕が耐え切れなくなりそうだ。
手を伸ばして、ハンカチを使っていない左手を握る。
同時に、そこから温かくて柔らかな、女の子独特の感触が伝わり―――一瞬、ドキッとした。
怜奈ちゃんには何の反応も見られない。
……自分では、その辺の男子よりは、女の子に慣れているつもりだった。
幸か不幸か、小さい頃からずっといる幼なじみが女の子だったり、二人暮らしの妹がいたりして。
―――にも関わらず、怜奈ちゃんの手を握った瞬間、体も心も普通では無い反応を示した。
手と手が触れ合えば、何かしら伝わってくるものがあるのは理解しているつもりだったのに。
そして、怜奈ちゃんだって友達みたいにしてるけど、“女の子”だって分かってるつもりだったのに。
思えば、随分と女の子を手を握るなんてしていなかった。
茜ちゃんやあやのとでさえ、最後に手をつないだのはいつの日だっただろうか。
……もう思い出せないくらい前だ。
思い出せないぐらい久しぶりに女の子と手をつないだから。
この妙な体の反応の理由は、あんまり久しぶりでちょっと驚いただけだと、そう思いたかった。
自分でも無理矢理だと思うが、僕の頭はそうとしか結論付けてくれない。
―――そんなに、怜奈ちゃんを“異性”として、たとえ一瞬でも意識してしまったことを認めたくないのだろうか?
結論めいたものが見え隠れしているが、どうやら僕はそれをよほど直視したくないらしい。
向かい合うことから逃げているような気がして、そんな自分にイラついていた。
怜奈ちゃんは今どう思っているだろう?
……泣いていてそれどころじゃないか。
僕は正直、落ち着けていない部分がかなりある。
そんな浮ついた心を静めるかのように、不自然なまでに速い早足で、とりあえず公園に向かった。
………
………………
程なくして目的地に着く。
早歩きをしたせいか、少し息があがっていた。
毎朝のデッドヒートのおかげで、体力には多少の自信があったが、いかんせん距離が長い。
冷静に考えて、15〜20分ぐらいはかかる映画館から公園と道のりを、
かなりのハイペースで来たのだから、多少疲れるのも当然と言えば当然か。
それはともかくとして、僕達は今、志木ノ島中央公園―――通称中央公園にデートの場所を移していた。
中央公園は、その名の通り志木ノ島の中央エリアにある、島内で一番大きな公園で、
食べ物の屋台なんかも、少ないながらもあったりして、老若男女問わず、島民の憩いの場になっている。
僕もちょっと小腹が空いた時に、買い食いをしに、たまにだが学校帰りに寄ったりする。
そんな公園の中央付近にある、噴水近くのベンチに2人並んで腰掛けた。
とりあえず、座って落ち着くのが良かろう。
「えっと……ごめん、桜井くん。通りで泣いちゃったりして」
まだ半分涙ぐんでいるような声で怜奈ちゃんが言った。
「いいって、気にしなくても。勝手に引っ張ってきたのは僕の方だし」
「でも―――」
「じゃあ、おあいこってことで」
まだ何か言いたげだったが、僕が折衷案を出すと、とりあえず納得した様子で怜奈ちゃんが頷いた。
一件落着、ということにしておこう。
「ごめん、私って涙腺緩くって……。映画とか見ると、すぐ泣いちゃうんだ」
「そっか。でも、それはそれで、何て言うか……素直で、かわいいと思うよ」
「桜井くんってば、お世辞も上手なんだね」
「お世辞じゃないって。率直な感想」
我ながら口説き文句みたいなセリフだと思ったが、嘘はついていなかった。
こんな事を自分が言ったのかと思うと、何とも気恥ずかしい感じがする。
「ふふっ、それじゃあ、そういうことにしといてあげようかな」
そう言って、何がおかしいのか怜奈ちゃんが笑った。
その笑顔は、何となくだが、今日見せた他の笑顔より飾り気がなくて、フランクな感じがした。
……怜奈ちゃんにはこういう笑みが似合うと思う。
冗談好きで、付き合ってみると親しみやすい怜奈ちゃんには、こういう笑顔がいい。
みんなは高嶺の花と言うけれど、よく見てみれば怜奈ちゃんだって普通の明るい娘なんだから。
ふと気づけば、さっきのことが嘘みたいに、怜奈ちゃんを普通に友達として見ていた。
不思議と、怜奈ちゃんにはそうさせる力のようなものがある。
とりあえずは、さっきの決着がつかない、嫌な堂々巡りの自問自答に陥らないなら何でもいい。
それはそうと―――
「ちょっとお腹空いたな……怜奈ちゃん、そろそろお昼にしようか?」
時計を見れば既に1時少し前。ちょっと運動らしきものをしたからか、急に空腹感が襲って来た。
「あっ……そう、だね。じゃ、じゃあさ、さっきあっちにたこ焼きさんの屋台を見つけたから、そこで―――」
「あれ? 怜奈ちゃん、お昼用意してくるって言ってなかったっけ?」
急に慌てて立ち上がろうとする怜奈ちゃんを止めて言った。
確か金曜に誘われた時、怜奈ちゃんが自分でそう言っていたはずだ。
……直感だが、昼食の話を出してからの慌てぶり、何かあるように思えてならない。
それに加え、弁当を作ってくる時に見せた、妙な反応も思い出された。
「えっ、あ〜……そう言えばそうだったよね……はぁ。分かった」
「どうかしたの?」
この落胆ぶり、尋常ではない。よほど用意したものに自信がないのだろうか?
「一応、お昼にってお弁当作ってきたんだけど……激しく失敗しちゃって」
「激しく……ですか」
「私って、前も言ったと思うけど家事とか全然できなくて。特に料理はてんでダメで。
でも、今日は頑張ってはみたんだよ!? みたんだけど……」
「とっ、とりあえず、持ってきたお弁当を見せてくれるかな?」
「……笑わない?」
「笑わない笑わない」
料理を勧めるのに、普通、笑わないかどうかは聞かないと思われる。
にも関わらず、こんなワードが出てくるって事は、料理の出来は推して知るべしって所か。
大抵のものは食べられるが……少し不安があるのもまた事実だ。
「これなんだけど……」
そう言って怜奈ちゃんがカバンから取り出したのは、何の変哲もない2つの弁当箱だ。
大方、僕用と怜奈ちゃん用って所だろう。
当たり前だが、この時点ではまだ普通のありふれた弁当箱である。
そのありふれた弁当箱が、そのまま目前へと差し出された。
これは僕に開けろと言うサインなのだろうか。
チラッと視線をやると、怜奈ちゃんは軽く頷いた。
GOサインと受け取っていいだろう。
意を決して―――と言うほど大げさなものでもないが、蓋を開けた。
この時点では、いくら何でも食べられないような物は出てこないだろうと考えていた。
だがそんな予想は、“はちみつにシロップ入れて飲むぐらい甘かった”ことがすぐに証明される。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
弁当箱の中に広がる、異次元世界をあらわす適切な表現が見つからない。
思考の間、二人の間に重苦しく、生暖かい空気が流れていく。
それは、目の前にある得体の知れない物体が放つ、怪しいオーラなのかもしれない。
「いや、あの、その……前衛芸術、なのかな?」
「はぁ……やっぱり、お弁当には見えないよね」
ようやく絞り出した苦し紛れの一言だったが、どうやら余計だったらしい。
あからさまに怜奈ちゃんが落胆している。
だがしかし、酷なことを言うようだが、絶対に食べ物には見えない。
母さんがいなくなってから、あやのが初めて作った料理でも、もう少しまともな形状をしていた。
少なくとも、食べ物と判別できるぐらいには。
だけど、これは……壊滅的としか言いようがないじゃないか。
「やっ、やだなあ! 冗談に決まってるじゃん!
弁当だよね、うん、弁当だ!」
「……無理しなくていいんだよ桜井くん。
自分の料理の腕は、自分が一番よく分かってるんだから……」
「べっ、別に無理なんか―――」
「……………」
「……ゴメン」
途中まで出かけた言葉を封じ込めるほどの強力な沈黙に入られては、もはや謝るしかない。
今の怜奈ちゃん、放っておいたらまた泣き出しそうだ。
しかし、どうするかなあ……目の前のコレ。
いや、どうすればいいのかは大体分かってるんだけど、どうにも実行に移す勇気が出てこない。
そもそも、食べ物を勇気で食べるってのも非常に失礼な気がするけど。
一応、変な臭いとかはしないから、腐ったものが入ってるとか、あるいは未知の食材が入ってるということは無さそうだ。
これなら多分、食って食えないことは無い……と思う。
微妙に弱気だが、もはや僕に残された道はこれしかない。
そう思った次の瞬間には、怜奈ちゃんの膝の上に置いてあったお弁当セットを、半ば奪うように手にしていた。
怜奈ちゃんの制止の声のようなものが聞こえた気がしたが、構わず一気に箸を進める。
―――怜奈ちゃんの目の前で、この弁当を完食する。
捨てるなんて考えは起きなかったので、もはやこれしか選択肢は無いだろう。
玉子焼きらしき、黒か黄色かハッキリしない物体やら、野菜炒めらしき、お焦げ盛り合わせとも取れる物体やら、
正直なところ、どれもこれも未知の料理ばかりだ。
一瞬でも止まったその瞬間、躊躇して二度と手が出せなくなるような気がしたから、
とにかく勢いに任せて、その1つ1つをどんどん口に運んだ。
やはりと言うか何と言うか、実に見た目にマッチした味だった。
細かい所はお察しを、って感じだ。
「―――ぷはぁっ!
……ごちそうさま」
「おっ、お粗末さまでした……って、大丈夫、桜井くん!?」
「大丈夫って、何が?」
できるだけ笑顔を心がけて、かつ、とぼけた感じで答えた。
本当は、あんまり大丈夫じゃなかったりするから、ちゃんとできてるかは自信ないが。
料理云々の前に、何も飲み物が無かったから、それも辛かった。
「だから、あんなの一気に食べちゃって大丈夫なの? お腹痛くない?」
「ああ、それね。
うん、大丈夫大丈夫。全然問題無いよ」
自分でも承知している程の悪食なので、この程度でお腹を壊すことは無い。
くどいようだが、何か飲み物は欲しいけど。
「ねえ、桜井くん……本当に大丈夫なの?
私のお弁当ってあんなだったし、とても食べられるものじゃ―――」
「いやあ、そんなこと無いよ。見た目ほど酷くないって言うか、
どうにかいけると思う」
これは気休めじゃなく、紛れも無い事実だ。
確かに見た目どおり、焦げた味がしたのは確かだが、
食材に火が通ってないとかそういうことは無かったから、一応変な風味とかはしなかった。
……極端に味が濃かったり、薄かったりはしたが。
「聞くより、自分で食べた方が早いと思うよ。
だから、怜奈ちゃんも食べてみなよ、お弁当」
「……うん」
僕が促すと、さっきとは対照的にゆっくりとした動作で弁当箱が開く。
中身は一緒。量がちょっと少ないだけだ。
恐る恐るといった感じで、まずは玉子焼きを食べた怜奈ちゃん。
さっき僕が物凄い速さで食べたせいもあるだろうが、動作1つ1つが酷くゆっくりに感じられた。
「やっぱり、全然おいしくないね。
……けど、どうしても食べられないって程じゃない」
以上が、一品目を飲み込んだ後の怜奈ちゃんの感想。
的確と言えば的確だ。
そのまま彼女は2品目、3品目とゆっくり口にしていく。
何とも言えない、不思議なランチタイムが続いていた。
………
………………
「―――ごちそうさま」
味を振り返るかのように、目を閉じ、これまたゆっくりと箸を置く。
作った本人として、色々と思うところはあるのだろう。
「桜井くん」
「え?」
少しボーっとしていたところに、不意に名前を呼ばれ慌てて怜奈ちゃんの方を向いた。
「ありがとう。お弁当食べてくれて。
私ね、きっと食べてくれないだろうなあって思ってたの。
でも、桜井くんは何も言わずに全部食べてくれて……嬉しかった」
「いやあ、そんなお礼を言われるほどのことじゃないって」
「ううん。……初めてだったから。私の料理、全部食べてくれた人。
桜井くんが初めてで、良かった」
「……そっか」
実は結構な大役だったらしい。
僕にとっては大したことではないが、怜奈ちゃんが喜んでくれたなら、
ここは素直に、感謝は感謝として受け取っておこう。
「私、もっと料理の練習するよ。
練習して、桜井くんの妹さんにも負けないぐらいの料理を作れるようになる」
「うん、頑張って。
それじゃあ、上達したら、その時はまた試食させてもらおうかな」
「もちろん! よろしくお願いします」
そう言って、冗談交じりで、怜奈ちゃんが深々と頭を下げた。
―――とりあえずは、元気になったようで何よりだ。
………
………………
「あっ、そうだ桜井くん」
「どうしたの?」
「実は、もう1つ頼みたい事があるんだけどね」
「僕にできることなら、いくらでも手伝うけど……何?」
直感だが、妙に嫌な予感がした。
何かこう……面倒に巻き込まれそうな、そんな予感だ。
怜奈ちゃんがやけにもったいぶってる辺り、ちょっと怪しい。
「あのさ、桜井くんって、文章とか書くの得意だよね?」
「まあ、一応得意だし好きだけど。
腕の方は、個々人の判断に任せるよ」
「うん、腕前とかそういうことなら大丈夫。
SHIKIのコラムで実証済みだし。
でね、実はその能力を生かせる、素晴らしいお仕事があるんだけど」
……これは。
予感的中と言うか、話が明らかに嫌な方向へ進み始めてる。
「演劇部の創作脚本を1本書いてほしいかなって。1時間ぐらいの長さのやつ。
脚本集貸してあげたから、書き方とかは大体分かるよね」
「そりゃ、大体は分かるけど……って、ええっ!?」
「お願いできるかな?」
「そんな、急に言われても……」
締め切りが分からないので何とも言えないが、
SSにSHIKIのコラムにと、これ以上手を広げたくない。
これはいくらなんでも、断らないわけにはいかない。
「利子」
「えっ?」
「利子ってことじゃダメかな?」
「でも、利子ってこのデートそのもののはずじゃ―――」
「それじゃあ、これがプラスα分ってことで」
一瞬そんなものあったっけと思ったが、間違いなくあった。
デートの約束をしたあの日、確かに利子は“デート1回プラスα”と言っていた。
……けど、これじゃあプラスα分の方が大きくないか?
「そうは言ってもなあ……」
「え〜、桜井くん、まさか利子を踏み倒しちゃうの〜?
ちょっとそれは無いんじゃないかな〜?
脚本集返さなかったのはそっちなのにさ〜」
「うっ……」
いささか計画的犯行のような気がしたが、それを言われると弱い。
確かに、非はこっちにある(ような気がする)し、どうしようもない依頼でもない。
それに加え、実を言うと演劇の脚本というのも、全く興味が無いわけではなかった。
脚本集を読みながら、いくらか適当なプロットを頭の中で練っていたのもまた事実だ。
そうなると―――
「……しょうがない、やるだけやってみるよ。
でも、演劇の脚本書くのは初めてのド素人だから、出来の方は保証できないからね?」
「大丈夫、桜井くんならできるって!」
「それで、締め切りはいつかな?」
「そうだなあ……11月の公演で使えるなら使いたいから、一応は1学期一杯ってことで」
ってことは大体後2ヶ月半か。それならどうにかなりそうだ。
「ありがとう、桜井くん!」
これだけ嬉しそうにされちゃ、今さら断るわけにはいかないよな。
何て言うか……この顔に弱いな、僕って。
「それじゃあ、新しい約束も取り付けたことだし、
デートの続きと行きますか!」
「これってまだ続くの!?」
「もっちろん! だってまだお昼過ぎだよ?」
「……ごもっともな意見をどうも」
………
………………
この後怜奈ちゃんに、あちこち連れ回されたのは言うまでもない。
家に帰ると夕方過ぎ。早く起きたせいもあって今日は長く感じられた。
まあ、中身も濃かっことだし、なかなかいい休日だったと思う。
……それにしても疲れた。今晩はさっさと寝て、ちゃんと休まなきゃな。
明日からまた学校だし。とりあえず、遅刻はしないように……っと。
それじゃ、おやすみ―――
作者より……
ども〜、ユウイチです。
Life十八頁、いかがでしたでしょうか?
メインキャラも一通り出揃い、落ち着いてきた感もあるLife。
今後の展開を期待しない程度に期待してください。
そんなこんなで書いた十八頁ですが……
章くん、フラグ乱立ですか!? どうなっちまうんだ―――と言うか節操なさ過ぎだぞ!(笑)
そして毎度おなじみの、アテにならない次回予告(^^ゞ
次回はまたしても文化部3人娘(の一人)が活躍! ……多分。乞う御期待!
それでは次回お会いしましょう!
サラバ!(^_-)-☆by.ユウイチ