第十五頁「今まで、そしてこれから」
「―――いつまで寝てんのアンタはぁ!!」
「うわわっ!?」
久し振りに茜ちゃん流布団引き剥がし術を食らって、新しい朝が始まった。
「おはよう、あ・き・ら」
「おはよう……ございます」
顔は笑っているが、茜ちゃんの心中は、とてもじゃないが表情通りのものじゃなさそうだ。
あまりの恐ろしさに、あいさつがついつい敬体になっていた。
「はぁ……アンタが全然起きないから、あやのちゃんはもう見捨てて先に行っちゃったわよ」
「ええっ!? そっ、そんなあ……」
なんてこった……。
まさか、まさかついにあやのに見捨てられてしまうとは。
「……何てね、ウソよウソ。
あやのちゃんまで遅刻しちゃ悪いから、先に行ってもらったのよ」
「そっかぁ……ならよかっ―――」
「全っ然よくないわよ!」
僕の言葉を遮ってそう言う茜ちゃん。
だが、言ってることとは裏腹に、それほど怒りは感じられなかった。
時間は8時08分。今から準備しても、どうにか間に合う時間だ。
「朝ごはんはあやのちゃんが作っておいてくれたから。
ちゃんと感謝しなさいよ、出来の良い妹さんに」
「はいはい―――っと」
ズボンに手をかけたところで動作を止めた。
「どうしたのよ?」
「いや、その……着替えるから出て行って欲しいな、なんて。はは、ははははは……」
「っ〜!! バカッ!」
着替えを見られるのはこっちなワケで、バカって言われるのはどうにも理不尽な気がするが、
とにもかくにも、茜ちゃんは部屋を出て行った。
それにしても、茜ちゃんでもああいう事言うと、赤くなるもんだな。
本人に言えたもんじゃないが、ちょっと可愛いかも―――
………
………………
作り置きのトーストを咥えたまま自転車にまたがる。
いつぞやのように、家の鍵をかけ忘れたということは無い。
とりあえず、普通にこいでもどうにか間に合いそうな時間だ。
「それじゃ、行くよ!」
出足も軽やかに、僕達二人を乗せ、自転車は一路学校を目指す。
「それにしても茜ちゃん。どうして家に残ってたの?」
ようやくトーストを食べ終え、喋ることが可能になったので、さっきから引っかかっていたことを聞いてみた。
道のりは、後3分の2ほど残っている。
「えっ?」
「あやのを先に行かせるならさ、茜ちゃんも先に行っちゃえば良かったのに。
もし僕が起きなかったら、茜ちゃんまで遅刻しちゃうところだったんだし」
「………………」
「茜……ちゃん?」
返事が無いので思わず聞き返した。
心なしか、肩につかまっている彼女の手に力が入っているような気もする。
「章、それ、本気で言ってる?」
「うん、まあ……。
だって、僕のせいで茜ちゃんにまで迷惑かけちゃったら悪いし」
「そう……なんだ」
後ろの雰囲気が寂しげなものに変わった。
相変わらず、肩を掴む力はいつもより強い。
茜ちゃんの表情は分からない。
だけど、彼女を自転車の後ろに乗せていてこんな風になったのは初めてかもしれない。
「ねぇ、章? それは、もし待ってるのがあたしじゃなくて……例えばあやのちゃんでもそう思う?」
茜ちゃんの声は暗い。
「そりゃまあ……多分先に行っててくれれば良かったのに、って思うかな?
やっぱり、家族とか親しい人でも、自分のせいで迷惑かけるのって嫌だし」
「そう。……そっか、章だもんね。章なら、誰にでもそう答えるよね、うん」
茜ちゃんが何か呟いたが、それは僕には文章として捉えることはできなかった。
「どうしたの茜ちゃん? 今日は何だかへん―――」
「何よ? あたしはいつも通りよ!
ほらっ、さっさと自転車をこぐ! あんまりのんびりしてると、また翔子に校門閉められちゃうわよ!」
後ろの雰囲気が少し明るくなった気がする。茜ちゃんの声も幾分明るい。
……僕、何かしたかな?
「それからさ、章。さっきの質問の答えだけど」
「えっ?」
「何であたしが、アンタを置いて先に行かなかったのかってこと」
ああ、それのことか。
「今さら水臭い事言ってるんじゃないの!
あたしが起こさないせいでアンタが今以上に遅刻して、
そのせいでアンタが進級できなくなった、なんてことになったら、寝覚めが悪いでしょ!?」
「うっわ! ホントに信頼されてないな」
「当たり前よ。普段の自分の様子を考えてみなさいよ」
……そう言われては返す言葉がない。
僕の寝起きの悪さを知ってる茜ちゃんの言葉だから、かなり説得力があった。
僕の言葉なんて意に介していないのか、茜ちゃんは言葉を続ける。
「それにね。
章を起こしに行ってる時点で一緒に遅刻するのは覚悟の上だし。
何よりも……アンタとの約束だから。
毎朝起こしに行くってのは」
そう言えば、確かにそういう約束をした。
―――否、してくれた。
細かい部分は少し違った気もするけど、ニュアンスはあってる。
確か、新学期が始まるその日にこういう話をしてたはずだ。
約束。
こんな、彼女にとっては迷惑以外の何ものでもない約束を、律儀に守ってくれる茜ちゃん。
ふと、彼女の優しさにふれたような気がした。
いい言葉が浮かんでくれなかったので、この前と同じ言葉で気持ちに応えた。
「そっか……ありがとう、茜ちゃん」
とりあえず、起きてから続いていた妙な雰囲気はこれで幕を閉じた。
―――オチまでついて。
喋っている間はペダルに意識がいっていなかったせいか、かなりゆっくり進んでいたようだ。
道程の後半は、ギリギリ一杯まで飛ばさなければならなかったので、話してる余裕は無かった。
何となく締りがないオチだったけど、これも何だか僕達らしいかもしれない。
………
………………
後半の頑張りもあって、ギリギリの時間ながらもどうにか遅刻は免れた。
そうは言っても、朝から疲れたのも事実だ。
今日みたいな日は、ゆっくりと過ごしたいものだが。
「桜井くん、おはようございます」
「あっ……ああ。おはよう、福谷さん」
席に着くなり福谷さんに声をかけられた。
いきなりだったから、少し間抜けな応対になってしまった。
思えば、2年になってから初めて話したかもしれない。
何かとバタバタしてて、そんな機会もなかったし。
「どうかしましたか桜井くん? 何だか、ぼ〜っとしてますけど。
朝から自転車飛ばしてきて、疲れちゃいましたか?」
「そんなことないよ。
それより、どうしたの? 何か用かな?」
福谷さんがこんな冗談めいたこと言うなんて、ちょっと驚いた。
これも打ち解けてきた証拠だろうか?
「はい。実は、今日の放課後に第1回の代議員会がありますから、そのお知らせに来ました」
「1回目の委員会って今日だっけ!? いやあ、すっかり忘れてたよ。
ありがとう福谷さん、知らせてくれて。
最初からいきなり欠席じゃあ、副会長のかっこがつかないからね」
「いえ、そんな。大したことはしてないですから」
はにかんで笑いながらも、どこか嬉しそうな福谷さん。
「そんなこと無いよ。流石は会長さんって感じ。
でもなあ。茜ちゃんも、委員会があるなら学校来る時に教えてくれればよかったのに」
「あの……」
「あっ、ごめんごめん。福谷さんに言ってもしょうがないか。
それに、忘れてる僕が悪いんだよね」
「いえ! えっと、そうじゃなくて……」
……どうしたんだろう? 急に福谷さんの言葉の歯切れが悪くなってきたな。
「えと……きょ、今日の議題とか、このプリントにまとめておきました!
委員会までに、目を通しておいてくださいね! そっ、それじゃ!」
「あっ? ちょ、ちょっと福谷さん!?」
と、僕が声を出した時には、彼女は既に自分の席に戻ってしまっていた。
途中で急に様子がおかしくなったというか、よそよそしくなったような気がする。
最後の方なんて、急いで話を終わらせたいって感じさえしたし。
―――本当にどうしたんだろう? さっきまでは何やら嬉しそうだったのに。
『乙女心心と秋の空』とか言うが、いくら秋空でも、あそこまで急な変化は無いと思う。
……ダメだ。何で福谷さんがあんな風になったか、想像もつかない。
大体、乙女心なんてのは僕の専門外だし。
とりあえず、今は考えないでおくか。
まあ、放課後に委員会もあることだし、いざとなればその時にでもどうにかするさ。
………
………………
―――キーンコーンカーンコーン
「あ〜、桜井。ちょっとちょっと」
6時間目、本日最後の授業である英語が終わるなり、華先生に呼ばれた。
「今日は委員会あるだろ? 私はちょっと用事があって出られないから。
一応、監督はのぞみ―――じゃなくって、副担当の崎山先生にお願いしてあるからね。
そのこと、福谷と陽ノ井にも伝えといて」
「はあ、分かりました……って、代議員会担当の先生って、華先生と崎山先生なんですか?」
「そうよ。だって私に後援会の紙を出したでしょ?
選挙担当の教師は、そのまま生徒会担当になるのよ」
「そうなんですか。
―――それより、こういう来れる来れないの連絡は、僕より福谷さんにしてくださいよ。
会長なんですから」
さっきから突っ込もう突っ込もうと思っていたことを、ついに言ってしまった。
「そうしたかったんだけどね。今日は中々捕まらないのよ、あの子。
昼休みは心当たりを探してもどこにもいないし、今だって呼ぼうと思ったらいなくなってるし」
言われてみれば、福谷さんの姿が見えない。この後ホームルームだって言うのに、どこに行ったんだろう?
「桜井〜? あんた、福谷がカワイイからって何かやらかしたんじゃないでしょうね?」
「なっ!? 何言ってるんですか先生! そんなわけないじゃないですか!」
「怒るな怒るな。赤くなっちゃって、可愛いんだから。冗談に決まってるじゃないの」
冗談にも程があると思う。
……っていうか、教師としてこの発言はアリなのか?
「ほらほら、バカやってないで。ホームルーム始めるから、早く席に着きなさい?」
「は〜い」
「返事はシャキッとしなさい?」
「ハイッ!」
もうこのパターンもやだ。
声だけは元気よく席に戻ると、いつの間にか福谷さんも彼女の席にいた。
京香ちゃんじゃあるまいし、まさか急に出たり消えたりするはずは無いと思うのだが。
朝だけじゃなく、今日一日中変だったとすると……。
福谷さんの様子が変なのは、本当に僕に原因があるのかもしれない。
だとしたら、あの朝に話した時か?
あの時、急に様子が変になったし。
でも、福谷さんが気にするようなこと何か言ったっけ?
―――ダメだ、思いつかない。
やっぱり、本人に聞くしかないかな?
なんて考えていると、いつの間にやらホームルームは終わっていた。
………
………………
―――まずい! 今日2回目の遅刻だっ!
ぼ〜っとしたまま掃除なんてするもんじゃない。
……このままじゃ代議員会には完璧に遅刻だ!
いや、それ以前に何でこんな日に限って掃除当番かな!?
代議員会の会場は……特別教室棟2階の奥。2−Aからだと結構距離もある。
悠長に歩いてなんかいられない、ここはダッシュするっきゃない!
普通教室棟から特別教室棟へ抜ける渡り廊下を通過して、
そのままスピードを殺さずにコーナリング―――
「ってぇ! うわわわわ!?」
―――したのはよかったが、人身事故発生だ。
出会い頭に誰かとぶつかってしまった。
いつぞやの時とは逆のパターン。
前を見ると、女の子がしりもちをついていた。
「ゴメン! 君……大丈夫?」
慌てて駆け寄る。
制服のリボンの色からして、1年生か? 入学早々申し訳ないことをした。
「あっ……は、はい。大丈夫、です。
ごめんなさい、物を読んでて、前を見てなかったから」
近くで見ると結構可愛い……って、あれ? この子の顔、見覚えがあるような?
―――いやいや、そうじゃないだろ!
「いや、僕の方こそゴメン。急に飛び出したりして。
怪我とかしてない? 立てる?」
「大丈夫……です。よいしょっと」
掛け声付で立ち上がる1年生の美少女。
う〜ん、本当にどこかで見たことがあるような気がする。
気のせいかもしれないけど、声にも何だか聞き覚えがあるし。
「すみませんでした。今度から、廊下はちゃんと前を見て歩きますね。
―――あっ!? メッ、メガネメガネ……」
女の子は立ち上がるなり、今度は四つん這いになって何か―――多分、メガネを探し出した。
……メガネ無しでもしっかり見えてる感じなんだけどな。
何にせよ、僕とぶつかったせいでメガネが飛んでいったのは間違いないので、
一緒に探してあげることにした。
1分と経たない内に、探し物は見つかる。
案の定、見つけたのは女の子の方であった。
「本当にすみません、何から何まで……」
「いいって、そんなの気にしなくても。
それより、もしかしてそのメガネって、伊達メガネじゃない?」
さっきメガネを探してた時も、特に目が悪いっていう感じじゃなかったし。
何より彼女のメガネ越しに物を見ても、ほとんど通常と変わらない気がする。
「そっ、そんなことは無いですよ! 弱いですけど、ちょっとだけ度が入ってるんです!」
突然慌てだす女の子。ますます怪しい。
……が、特に問い詰める理由もないし、とりあえずは納得してあげることにした。
「どうもありがとうございました。
今日は急いでいるから、ちゃんとしたお礼とかもできないけど……。
でも、今日のことは絶対いつかお返しします」
「そんな大したことはしてないと思うけど……まあ、いっか。
うん、ありがとう」
「はい。それでは、また―――」
女の子はそれだけ言い残すと今度は走って行ってしまった。
逃げたとかそういう訳ではなく、純粋に急いでいる様子だった。
それにしても、あのメガネは何だったんだろう?
本人は否定してたけど、絶対伊達だろう。
枠も不必要に大きくて、あれじゃまるで変装用だ。
でも、仮に伊達だったとして、その意味は?
まさか本当に変装ってことでは無いだろうし……。
正直、学内で正体を隠してもあまり意味が無いと思う。
アイドルとか、そういう有名人が周りにバレないようするならともかく。
でも、彼女はアイドルじゃないだろう。
確かにメガネをかけていない時の顔には見覚えがあったが、テレビとかで見たのではないと思う。
……見たかどうかもあやふやだから、何とも言えないのが正直なところだけど。
有名人と言えば、福谷さんだって超巨大企業グループのご令嬢だけど普通に学校来てるし。
まあ、彼女はテレビとかに出てるわけじゃないから事情が違うか。
……ん? 福谷さんと言えば―――って! そうだ、委員会だ!
連想から己が為すべき事を思い出し、再び生徒会室へと走り出す。
ここからラストスパートかければ、どうにか間に合いそうではある。頑張りどころだ。
とりあえず、伊達メガネの謎の美少女に関して考えるのはよそう。
まずは委員会に集中だ。ただでさえ、色々と上手くいくか不安なんだし。
………
………………
そして、僕はスパートを決めて生徒会室に遅刻ギリギリで滑り込み、
どうにか初委員会をいきなり遅刻という事態は免れた。
で、肝心の内容の方はと言うと。
今日は自己紹介をしてから、年間計画と今月の目標の決定、後は委員会内の細かい係の分担とかで、
実際のところはそんなに面倒なことは無かった。
会の進行は福谷さんと茜ちゃんの方でやってくれてたから、僕はひたすら記録係。
横で聞いてただけだけど、福谷さんの進行は素晴らしかった。
つつがなく進行するとは、まさにああいうのを言うんだろう。
意見を引き出すコツと言うか、そういうのを心得てる感じだ。
そんな福谷さんが見事に会をまとめてくれたおかげで、
予定されていた1時間よりも20分早い、40分で第一回代議員会は閉じた。
―――そうして、確かに代議員会そのものはつつがなく終わったが、僕には記録整理という仕事が残っていた。
議事録に必要事項を記入する僕の傍らに、福谷さんが座っている。
茜ちゃんも残ると言ったが、仕事は無いし、部活もあるのに悪いと半ば強引に送り出した。
そういうわけで、大して広くない生徒会室に、僕と福谷さんは二人っきりでいる。
……が、隣に座る福谷さんは全く言葉を発しない。
オレンジ色がかった生徒会室に、シャーペンが走る音と部活の喧騒だけが聞こえる。
重苦しい沈黙ってのはこういう事を言うんだろう。
心なしか、隣の福谷さんから、プレッシャーめいたものも感じる。
―――いかん、そろそろ限界だ。何とか空気を和らげなきゃ。
「ねえ、福谷さん?」
返事は無い、だけど続ける。
「福谷さんだって仕事無いんだし、よかったら先に行ったら?。
鍵の開け閉めとかなら、僕がしておくし」
やはり返事が無い。
こうもだんまりを決め込まれたのでは、もはや会話のしようが無かった。
……こういう状況で気の利いた冗談でも出ればいいんだけど。
事務的なセリフしか出てこない自分の発想の貧困さが恨めしい。
しかたない、今は目の前の書類に集中しよう。
議事録の8割ほどを埋めた時、唐突に福谷さんが口を開いた。
「私が残っているのは……私は、桜井くんに聞きたい事があったから」
「聞きたい事?」
僕が聞き返すと、また黙ってしまう福谷さん。
でも、ここで焦らずじっくりと待つ。
「桜井くん、どうして……」
まるで言葉を選ぶかのように、福谷さんはそこで一旦区切った。
じらされているような気もしたが、不思議と苛立ちは無い。
やがて、彼女は意を決したようにこちらをじっと見て言う。
「どうして、私だけ名前じゃないんですか?」
「えっ?」
「陽ノ井さんも、島岡さんも、優子だって名前で呼んでるのに、
どうして私だけ名前で呼んでくれないんですか?」
「いや、えっとその……」
そういうことを急に言われても返答に困る。
「……ごめんなさい。迷惑ですよね、こんなの」
急にしょんぼりしてしまう福谷さん。
―――そっか、そういう事だったんだ。。
朝もきっと、この事が言いたかったんだろうな。
思えば、僕が茜ちゃん達の事を話す時はいつも少し元気が無かったような気がする。
それは、茜ちゃん達は名前で呼ばれてるのに、自分だけそうじゃないのを気にしてたからなんだ。
気づいてしまえば何てことは無い、簡単な事かもしれない。
名前で呼ぶなんて、そんなに特別なことじゃないし。
……だけど、それに気づくって事が重要なんだよな。
そして気づいた以上は、僕には応える義務が有るはずだ。
「そんなことないよ」
「えっ?」
「迷惑だなんて、全然そんなことない。
こっちこそ、気づいてあげられなくてゴメン」
「桜井くん……」
少しづつ、福谷さんの表情が柔らかくなる。
朝、一番最初に話しかけてきた時みたいな、あんな感じだ。
一瞬沈黙。
ここまで来ておきながら、変な事を言って福谷さんを傷つける訳にはいかないから、
僕も慎重に言葉を選んでいく。
そして―――
「分かった。じゃあさ、僕からのお願いも、聞いてもらえるかな?」
「桜井くんのお願い……ですか?」
「そう。
まず一つめは、敬語をやめるって事。
やっぱり、敬語とか使われちゃうと、こっちも名前で呼びづらいし。
せっかく親しみをこめて名前で呼ぶんだし、敬語はナシで。
それからもう一つ。僕のことも、名前で呼んでくれる事。
なんて言うか……これも、親しみの問題、かな?
それに、僕だけ名前ってのは、何か不公平な気もするし」
考えてみると、名前で呼んでくれればいいって言われた事はあったけど、
名前で呼んでほしいって言ったは、初めてかもしれない。
正直、一つ目はともかく、二つめは特にいらないような気もする。
……それでも、両方とも彼女に言わなくてはならない感じがした。
何故かは分からない。
不公平だなんていうのは、多分口をついて出た言い訳だ。
強いて……本当に無理やり理由を挙げるとするならば―――。
福谷さんには名前で呼んで欲しい気がした。
もしかしたら、そういうことなのかもしれない。
「わかりま―――じゃなくて、分かったよ。
それじゃあ……よろしく、章くん」
「よろしく、つばさちゃん」
初めて敬語じゃなくて、普通に話し言葉で声をかけられて、
初めて名前で呼ばれて、名前で呼んだ。
その初めての響きは、不思議と優しいものだった。
それから、初めて二人だけで帰った。
夕焼けに染まる、初めて尽くしの緩やかな下り坂は、なんだかいつもよりあったかい雰囲気だった―――
作者より……
ども〜、ユウイチです。
Life十五頁、いかがでしたでしょうか?
前回の1.5倍のロングスペシャルから一転、コンパクトにまとまった話になってくれました。
まあ、書きたかった事は書けたので個人的には満足です(笑)
今回のエピソードですが、実はつばさが自分が名前で呼ばれていない事を気にするシーンは今までにもあります。
ヒマな方は、生徒会選挙編の辺りをじっくり探すと見つかるかも?
さて次回は、新学期新キャラクターラッシュ編もいよいよラストナンバー!
いつもの如く、期待しすぎない程度にご期待ください(^^ゞ
それでは次回でお会いしましょう!
サラバ!(^_-)-☆by.ユウイチ