第十四頁「章の長い一日」
平日の、ついでに言うなら授業開始初日の朝。
リビングに入ってみると、そこにはいつもと少し違った光景が広がっていた。
テーブルに並んでいる3人分の食器。
“いつもなら”家には僕とあやのしかいないから、当然並ぶのは2人分のはずだ。
しかし、今日はそれが3セット。
その3セット目は、僕の席の向かい側に座っている女性のために用意されたものだった。
―――こう言うとよそよそしいが、要は母さんがリビングに要るってことだ。
起き抜けの母さんが、パジャマ姿でテレビを見ている。
なんでもない状況だが、普段そこにいない人がその場所にいるだけで、いつもと様子が変わって見えるってもんだ。。
「あら章。おはよう。今日は割と早いんじゃないの?
誰にも迷惑かけずに起きられるなんて」
「おはよう。
……一応、これでも寝坊するよりは、時間通りに起きる方が多いつもりなんだけど」
朝からずいぶんと刺激的な挨拶だ。
どうせあやのあたりから、ろくでもない報告を受けているんだろう。
―――ただまあ、自力起床率が5割前後なのは確かだが。
「あらら、それは失礼をばしました」
笑顔でサラッと返す母さん。何と言うか……精神年齢が若いよな。
もう40歳は軽く越えてしまっているにも関わらず、ノリが若い。
それでいて子どもっぽいっていうワケでもないのが、母さんの凄いところだ。
そして、いつもと違うのは、この場にいる顔ぶれだけではなかった。
……あやのの服装である。
志木高の制服の上からエプロンを着ているあやの。
エプロンを着けているあやのなんて、別に珍しくもなんともないのだが、
志木高の制服を着てその上から、ってのは今日が初めてだ。
あやのも本当に高校生なんだなあと、こんな形で実感させられる。
まあ、あやののことだから、きっと上手くやるんだろうと思うけど。
それにしても、今日まで見ようと思えばいくらでも見る機会があったあやのの制服姿だけど、
今まで見たことがなかったというのは、我ながら無関心の極みだな。
でも、その分見た時の感動というか、驚きも大きい―――なんて誰にするでもないのに、言い訳めいた思考に辿り着いた。
「どうしたのお兄ちゃん? ボケッと突っ立っちゃって?」
「いや、何でもないよ」
まさか、あやのの制服姿に目がいってて座るのを忘れてた、なんて言えるワケがない。
特に母さんがいる現状では頭に“口が裂けても”がつく。
母さんも人をからかうことに生きがいを見出すような人だから、決してスキを見せることはできない。
……とか言って、聞こえほど悪人ではなく、むしろ善人の“はず”だけど。
それにしても、どうして僕の周りにはこういうタイプの人間は多いのだろうか?
パッと思い浮かぶだけで2,3人はいる。
しかも、その1人1人が僕をターゲットとして攻撃してくるのだから、たまったものではない。
だから今年は、みんなにスキを見せないように生きようと心に決めている。
……思うだけならタダだ。
「それより、母さんがいるのにあやのが朝ごはん作ってるのか?」
「うん、まあね。お母さん、せっかくのお休みなんだし、悪いかなって」
「言っておくけど、私が面倒だからあやのに任せたとか、
そういうことじゃないんだからね。 そこの所分かってるかしら、章?」
聞いてないのにこんなことを言う辺り、何とも母さんらしい。
本当に面白い人だと思う。
「はいはい、っと」
適当に受け流しながら席に着く。
実はそんなに時間的な余裕が無かったりもする。
「でも、こんなにあやのが上達しちゃうと、お母さんも立場無いなあ。
たまには仕事先でも自炊しようかしら」
「まさかとは思うけど、毎日外食とかそういう状態なの?」
すかさずあやのが言った。流石は経済感覚が発達しているだけのことはある。
「いくらなんでも、そんなことは無いわよ。
ただ、お店で買ったりすることは多いけど」
「それって結局は同じじゃない?」
「……そうかも」
一瞬の間の後、力無く母さんが言った。
「そうね、二人にはたくさん迷惑かけてるんですもの。
私も節制しなきゃダメよね。
でも、自炊もけっこう大変なのよねぇ……どうしたらいいかな?」
「僕に聞かれても」
ちょっと苦笑混じりに答えた。
もっとも、節制をしようって人が、自炊を敬遠するんじゃ話にならない気もするが。
………
………………
時計を見ると、そろそろ出発の時間だった。
朝食は食べ終わったし、とっとと行くか。
「さて……行こうかあやの?」
「えっ?」
席に座りながら、呆けた顔であやのが硬直している。
そんなに僕のセリフが意外だったのだろうか。
「あっ、そっか。今日から同じ学校に通うんだよね。
……うん、じゃあ行こう」
あやのって、しっかりしてるはずなんだけど、時々素でとんでもないボケをかますから侮れない。
だからこそ、何かとあやのをほっとけないんだけど。
頷くあやのは、少し嬉しそうな顔をしていた。
新しい学校ということで期待もあるんだろう。
「お〜お〜! 恭しくて良いねえ若いの♪」
「……いってきます」
「ちぇ、無難に無視ですか」
そりゃそうだ。
こういうセリフを聞くと、母さんという人間がたまに分からなくなる。
もちろん、悪いほうに考えることは無い。
「いってらっしゃい。車に気をつけるのよ」
親心から出るのか、お決まりだけど温かみのある言葉に送られて家を出た。
次にこうして送り出されるのは、一体いつになるんだろうか?
母さんは今日の夜には、また仕事に行ってしまう。
今度は東京の本社で仕事らしいけど、すぐに海外に飛び出すことになるらしい。
―――そのことを思い出すと、なんだか寂しいような気持ちになった。
何度も経験していることだけど、今でもふとした時にこういう思いに駆られる。
その思いを振り払うかのように、いつもより少し早足で、茜ちゃんとの待ち合わせ場所へと向かった。
………
………………
今さらのような気がしたが、志木高の制服姿に身を包んだあやのが隣にいるのは何だか不思議な感じだ。
たった1つしか違わないはずなのに、あやのが茜ちゃん達と同じ制服を着ている姿を想像したことが無かった。
中学と高校というと、どうにも実際の年齢差以上に年の差があるような感じがしたが、
いざこうやって2人とも高校生になると、あやのが急に大人になったような気がする。
かと言って、新入生特有の初々しいオーラも存分に感じられるわけで。
多分、この相反する2つのオーラが、僕が感じる不思議な感覚の原因なんだろうな。
何だかんだ言ってすぐに慣れてしまうのは目に見えているけど。
慣れないものばかり朝から見させられている今日だが、ここにきてようやくいつもの風景に出会えた。
待ち合わせ場所に立っている茜ちゃんの姿。
―――ただし、これも僕が毎朝迎えに来てもらっているせいで、
二日に一度程度の頻度でしか見ない風景だったりもする。
だからこの待ち合わせ場所も、まさに半分は形骸化していると言っても過言ではないのだ。
「茜さ〜ん! おはようございま〜す!!」
まだ結構距離があったが、茜ちゃんに向かって大きく手を振るあやの。元気なことだ。
「おはようあやのちゃん、章。
それから、入学おめでとう、あやのちゃん」
「はい、ありがとうございます」
今日からこの3人で登校ってことになるのか……やっぱり、何だかしっくりこないなな。
嫌だとかそういうのじゃなくて、上手く言葉には言い表せない何かがある。
中学の時も3人で登校してたけど、あの頃とは違う感じがするんだ。
成長したとか、そういう簡単な言葉を使って一言で表せるものでもなさそうだし。
―――とりあえず、慣れてないからってことで片付けておこう。
それに、何のかんのと3人で学校行くのも久しぶりだし。
「……? どうしたの章、ボ〜っとしちゃって?」
「あっ、いや。何でもないよ」
何でもなくはないが、何でもないことにしようと、たった今決めた。
とりあえず、カンがいい茜ちゃんに深く突っ込まれる前に、とっとと話を変えてしまおう。
「それよりも茜ちゃん、今朝はうちに来なかったけど、どうかしたの?」
「別に。今朝は行かなくても大丈夫かな、とか思ってたから」
「へっ? 何で?」
「だって、おばさんが帰ってきてるし。
それにあやのちゃんが一緒なら、アンタが見捨てられない限りは遅れないだろうな、って思ってたから。
あやのちゃんがアンタを見捨てるなんて最初から考えてなかったしね」
「うっわ〜、ってことは僕が1人で起きるって可能性は考えてなかったってこと?
何気に酷いこと言ってない、それ?」
「章が1人で起きるの期待してて裏切られたら、私まで遅刻じゃない。
それだけは絶対イヤだし」
むぅ……情けないが返す言葉もない。
「それに、今日はせっかく久しぶりの家族水入らずだったんだから、邪魔しちゃ悪いかなって思ったんだ」
「茜ちゃん……」
母さんのことだから、そういう気遣いは無用とか言いそうだけど、それでもやっぱり嬉しい。
とは言え、茜ちゃんが来たらそれはそれでよさそうな気もするけど。
「どっちにしても、お兄ちゃんは信頼されてないってことよね」
「やっぱり、そうなるの、茜ちゃん?」
「まあ、1年間の半数近くを私に起こしてもらってるんじゃ、そうもなるわよね」
非常に婉曲的、かつ分かりやすい回答をどうも。
―――隣であやのまで笑ってるし。
これから3人で登校する限り、毎朝こんな感じなのかなあ?
そんな、一抹の不安とも呼べなくも無い感情がよぎったが、とりあえずは忘れておくことにした。
…………
……………………
生徒玄関であやのと別れると、今度は茜ちゃんと2人で2−A教室へ向かう。
2年生の教室は2階にあるので毎朝階段を上らなければならない。これは結構面倒だ。
その新コースの階段で、ふっと思い出したように茜ちゃんが話を振ってきた。
「そう言えば章、うちのクラスに転校生が来るって華先生が言ってたんだけど、アンタ知ってた?」
さも、『章が知っているはずが無い』と言った風な様子で聞いてきた茜ちゃんであったが……。
ところがどっこい、僕は知っている。
来るという事実どころか、その転校生の名前やら背格好さえも。
―――だってもう会ってるもん。
多分、転校生とは京香ちゃんのことだ。
昨日、自分で言っていたし。
まさか、2−Aに転入してくるとは思っていなかったけど。
……チャンスだな。何かと茜ちゃんに対して形勢不利な現状をひっくり返す、絶好の機会だ。
こんな小さなことで張り合ってもしょうがない気もしたが、それはそれで別問題である。
「知ってるよ。しかもその子の背格好や名前まで」
できる限りふんぞりかえってさも自信ありげに言ってみた。
こういう細かい演出が高い効果につながるのだ。
「ふ〜ん……って、ええっ!? 何で章がそこまで知ってるわけ!?
アンタ、まさかハッタリかましてるんじゃないでしょうね!」
「ノンノン、僕は本当のことしか言ってないよ。
転校生は女の子で、名前は西園寺京香。
背は……170センチぐらいかな? 茜ちゃんよりちょっと高いよ」
知ってる情報でどんどんまくし立てる。
と、それにつれて茜ちゃんの表情が驚きのものに変わっていくのが面白くてたまらない。
……これで京香ちゃん以外に転校生がいて、その人が2−Aに来たら大変なことになってしまうが。
「そんな……世間の情報に“超”疎くてどうしようもない章が、
そこまで知ってるなんて……信じられない」
「そこまで言いますか、そこまで。
まあ、僕の情報網を甘く見ないでほしいってことだね」
「何かインチキして手に入れた情報には間違いなさそうだけど、そこまで言い切られると信憑性があるわね。
へえ、女の子かあ……。
どんな子なのか、ちょっと楽しみになってきた」
「そのあたりは、会ってのお楽しみって所だね」
と言うよりは、口で説明するより実際に会ってあのインパクトを体感するほうが早い。
さすがに、いきなり日本刀ってことはもう無いだろうけど、あの古風な物腰はかなり印象が強いはずだ。
―――とか何とかやってる内に2−A教室だ。
話をしながら来ていたので定かではないが、何となく1−Aより遠いような気がする。
教室に入ってそのままの流れで席に着くと、待ってましたと言わんばかりに圭輔と光、さらには翔子ちゃんが寄ってきた。
「オッス章! 実はお前に1つビッグニュースを持ってきてやったんだが……聞きたいか?」
「それってもしかして、うちのクラスに転校生が来るって話?」
「ゲッ! 何でもう知ってやがるんだ!?」
自慢げな様子で話しかけてきた圭輔だったが、こいつの表情も一言で一変する。
「章なら絶対に知らないと思ったのによぉ……」
「だから、俺は最初から茜が教えないはずが無いって言ってただろうが」
「私もそう言ったと思うけど?」
「テメェら……」
ちょっと圭輔が気の毒かもしれない。
「それがねえ、章ったら私が教える前にもう知ってたのよ。
それに、名前や身長とかまで」
荷物を片付け終えたのか、横から茜ちゃんが話に入ってきた。
その言葉を聞くや否や、驚きのまま固定された3人の表情がこちらに向けられる。
「僕が転校生来るの知ってるのが、そんなに珍しいかな?」
無言で激しくうなずく3人。
こうまでされると、普段の僕っていったい何なんだ、と突っ込みを入れたくなる。
「こういうことには致命的に疎い章が知っているとは……俺の読みが完全に外れたな」
「にわかには信じがたいけど、茜が言うなら間違いないか。
……それにしても章がねぇ」
光にせよ翔子ちゃんにせよ、とんでもなく酷いことをサラッと言っている。
まさか本気じゃないだろうけど、何だか寂しいものを感じるな。
「じゃあさ章。その転校生ってのはどういう奴なんだよ?」
「そうだねぇ……まあ、見てみるほうが早いと思うよ。
インパクトが色々と強い子だし。
一つ言っておくと、その子は女の子です」
まだ疑っているのか、訝しげに聞いてくる圭輔に対し、ちょっとしたヒントを与えてやった。
こういうのも悪くは無い……と言うか、むしろ気分がいい。
いつもやってたら嫌われそうだが、たまにやる分にはたまらんな。
「じゃあ章は、どうやってその子の情報を手に入れた訳?
もしかして、川科さんを通して新聞部筋とか?」
「それに、もう1つだけ言っておくと、スクープを掴むのに必要なのは、99%の努力と1%の運、ってことかな?」
「全然答えになってない上にワケ分かんないし。
……ハァ、今日はもうダメね。完全に自分に酔ってるわ、この子」
肩をすくめて、心底呆れたように翔子ちゃんが言った。
何とでも言うがいい。
みんなの圧倒的優位に立てる数少ないチャンス、生かさない手は無い。
ちなみに、さっきのスクープを掴むため云々の弁は、優子ちゃんが言っていたのを使わせてもらった。
別に新聞部筋って言葉に反応してそのセリフが出たわけじゃないけど。
―――よく考えると、僕の場合は100%運でこの度のスクープを掴んだようなものだが。
まあ、運も実力のうちっていう素晴らしい言葉がある。
運だろうが努力だろうが問題ないだろう。
―――キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
「っと。それじゃあ、章の情報が嘘かホントかは、朝のホームルームで確認させてもらうとするかな」
そんなちょっとかっこいいことを言って席に戻る光。
光に言われて、少し……いやかなり心配になってきた。
まさか転校生が2人なんていうことは無いと思うけど、もしもという事が無いわけでもない。
今さらだけど、もしかして不用意に大きく出すぎた……?
この状況で、もし京香ちゃん以外の人が転校生だったらどうなることか。
後のみんなの反撃を考えると、それだけでも身の毛がよだつ。
…………
……………………
様々な思惑が交錯する教室に、名簿を片手に華先生が入ってくる。
廊下にでもいるのか、京香ちゃんの姿は無い。
教壇に立つ華先生。一瞬の間が入る。
僕には、不安からそれがやたらと長く感じられたのは言うまでも無い。
「は〜い、それじゃあ出席とるわよ。
青山―――」
何と! 出席をとってから転校生紹介するつもりですか華先生!
……無駄にじらさなくてもいいだろうに。
本人としてはいつも通りやってるだけだろうけど、僕にしてみれば、この時間も気が気でない。
「桜井? いるなら返事しなさい、欠席にするわよ?」
「はっ、はい!?」
「はい、桜井出席……っと。
佐伯―――」
今の一連の動きで、内心動揺してるのがみんなにバレてしまったかも……。
もうこの際、転校生が京香ちゃんであればどうでもいいけど。
光の余計な一言のせいで、不安で仕方が無い。
ほぼ間違いないとは分かっていたけど、もしかしたらの部分をピンポイントでえぐられた気分だ。
―――あ〜、本当はどうなんだろう?
今回の転校生騒動(?)、案外僕が一番気にしているのかもしれない。
こんな状況になるなんて予想もしてなかったけど。
軽率な自分がひたすら恨めしい……。
「それじゃ、ホームルーム始めるわよ。
……え〜と、今日はみんなに、1つお知らせがあります」
僕を含めた例の5人にしてみれば、“きた!”って感じの、華先生のこの一言。
「ウチのクラスに、今日から新しい仲間が加わります。まあ、いわゆる転校生ってやつね。
それじゃ、早速自己紹介してもらいましょ。入って」
そう言って、教室の前側の扉を開ける華先生。緊張の一瞬だ。
―――ガララ
“転校生”が入ってきた瞬間、一部の男子が“おおっ!”みたいな感じの、嬉しそうな声を上げる。
まっ、確かにキレイな子だしね。圭輔と光がどう思ったかはともかく。
「それじゃ西園寺、自己紹介よろしく」
入ってきたのは予想通り―――と言うか知っていたけど、京香ちゃんだった。
ったく、光のせいで余計な神経使っちゃったよ。
背が高くて、きれいな黒髪に端正な顔立ち。この間見た時と違うのは、着ている服だけだ。
……ああ。それから、当たり前だが日本刀も持っていない。
華先生に促され、京香ちゃんが自己紹介をするために教壇に立つ。
その後ろでは、華先生が急いで彼女の名前を書いている。
そう言えば、漢字でどう書くかは知らなかったな。
京香ちゃんってどんな自己紹介をするんだろう? ちょっと気になる。
「―――西園寺京香だ。ここに来る前は山形に住んでいた。
皆には色々と迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」
……何と言うか、京香ちゃんらしい自己紹介かもしれない。ちょっと古風な物言いとか、ごくシンプルな所とか。
まあ、かく言う僕も彼女の事をそんなに知ってるわけじゃなく、むしろ全然知らないわけだが。
「はい、ご苦労様。西園寺は……そうね、桜井の隣に座ってちょうだい。
桜井、当分は君が西園寺の面倒みてやってね。
じゃあ、朝のホームルームはこれまで。今日も1日、頑張りなさい?」
いつもと変わらないセリフを残して、華先生は教室を出て行った。
何やら唐突に世話係に任命されてしまったけど……仕方ないか、華先生だし。
「また会ったな、桜井。こうも早く再会できるとは思っていなかったぞ。
しばらく迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」
「こちらこそ。よろしく、京香ちゃん」
転校してきて同じクラス、しかも席が隣なんて、何やら縁があるなあ。
とか、のんきに考えていると茜ちゃんが寄ってきた。
「へぇ、ホントに章が言ってた通りね。背格好とか、名前とか」
こっちとしては、僕が言った通りになってくれて非常にホッとしているが。
そんなことなど茜ちゃんが知ってるはずもないだろう。
「初めまして、西園寺さん。あたしは陽ノ井茜、よろしくね」
「こちらこそよろしく頼む、陽ノ井殿。
……桜井とは、知り合いなのか?」
「えっ? ああ、そうね。幼なじみってやつよ。
知り合いどころか、もう15年以上の付き合いだし」
「ほう……良いものだな、親しい友がいるというのは」
やけに神妙な顔つきで京香ちゃんが言った。
……なんだろうな、こんな顔するなんて。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
茜ちゃんも京香ちゃんの変化に気づいたようだが、当の本人がこう言うのでは立ち入るわけにはいかない。
そこは、彼女だけの領域があるんだろう。
「そう? ……あっ、そうだ! ねぇ、西園寺さんって何か部活に入る気とかある?」
「今のところ、具体的に決めてはいないが、運動部に入ろうとは思っている。
陽ノ井殿は、何か部活をやっているのか?」
「私はソフトボール部よ。よかったら今日の放課後にでも見学しに来てよ。
ねぇ、章?」
「何でそこで僕に振るかな」
「さぁ?」
茜ちゃんの視線と、嬉しそうに聞き返してきた意図が分かるだけに、こちらも苦笑しながら返すしかない。
―――とりあえず、これで今日の放課後の予定は決定だな。
「はぁ……。
もしよかったら僕が放課後、部活を案内してあげるけど、どうする京香ちゃん?」
物凄い棒読みで言った。
そりゃあため息の1つや2つ、つきたくもなるさ。
「よいのか、桜井?」
「いいのよ、章から言ってきてるんだし。
西園寺さんは、自分の都合だけ考えてくれれば大丈夫」
「そうか……なら、お言葉に甘えさせていただこう。
それでは桜井、今日の放課後、よろしく頼む」
「は〜い……」
あ〜あ、何だか面倒なことになっちゃったな。
でも、あの場で断ったら茜ちゃんに後で何て言われるやら分からないし。
それこそ、『僕はまだ“いいよ”って言ってない』なんて言ったらどうなるか分からない。
まあ、隣の席の人が転校生の面倒を見るってのはよくあるパターンだ。
これも宿命だと思うことにしよう。
それより何より、これがきっかけで京香ちゃんの事をもっと知れるかもしれない。
そういう意味では、これは1つのチャンスなんだ。
よし、ポジティブシンキング万歳! とりあえずは、放課後までいつも通りでいこう―――
………
………………
そうして、すっかり放課後。
まだ新学期一日目ってこともあり、授業もガイダンスばっかりで楽なものだった。
いつもならここで速攻帰宅、自由を満喫というパターンに突入する所だけど、
今日の僕には職務があった。
今から京香ちゃんを部活案内に連れて行かねばならない。
面倒……というワケではないが、あの展開で頼まれるという流れだと、釈然としないものはある。
だが、受けてしまった以上は仕方ない。とりあえず、当人を連れて校庭に行こう。
「えっと。それで、京香ちゃんはどの部活を見てみたい?」
「そうだな……とりあえず、陽ノ井殿のソフトボール部へ。
その後は、剣道部へ連れて行ってくれ」
「了解。じゃあ、まずはグラウンドへ行こうか」
何と言うか、予想通りのコースだ。
密かにだが、絶対剣道部へ行くことになるとは思っていた。
何と言ってもあの日本刀だし。
―――京香ちゃんが肩にかけている細長い袋の中身は、聞かないでいる方が平和ってものだろう。
「桜井は何か部活に入っていないのか?」
生徒玄関で靴を履き替えている時、唐突にそう尋ねられた。
それに首を横に振ることで答える。
「僕は特にこれといった部には入ってないよ。
まあ、新聞部もどきとか、女子ソフト部のマネジャーもどきとか、色々やってるけどね」
「ふむ……助っ人という所か?」
「そう言えば聞こえはいいけどね」
新聞部は半分押しかけに近いし、マネージャーなんて逆に押し付けだし。
……う〜ん、正直どっちも部活とはいいがたいような気がする。
とりあえず嘘は言ってないし、ひとまず気にしないでおくか。
程なくして、運動部の聖地・志木高グラウンドに到着した。
目的のソフト部は、いつもの場所で練習している。
部員の大体の配置から察するに、恐らくノックでもやっているのだろう。
見学って意味では、ソフト部らしい練習だからうってつけかもしれない。
「えっと、あれがソフト部。それで、今はノック中だね。
ウチのソフト部は練習もキツイけど、結構な強豪校なんだよ」
「桜井、それはいいのだが、どうしてこんなに遠巻きに見ているのだ?
見学なのだし、もっと近づけばよかろう?」
僕達は練習場所から30メートルほど離れていて、
かつ他の部活の邪魔にならない地点から練習を見ていた。
理由は……言わずもがな。明先輩にマネージャーを頼まれるのを避けたいからだ。
あの人のことだ。下手に近づくと京香ちゃん共々マネージャー業をやらされかねない。
―――だが、人生そうそう上手くいくものでもないらしい。
ちょっと目を放した隙に、いつのまにやら京香ちゃんがソフト部へと歩み寄っていた。
「ちょっ! 待って、待ってってば京香ちゃん!」
「どうした桜井? 何を慌てている?」
急いで追いかけるも、既に京香ちゃんはかなり近くまで寄っていた。
さらに、僕と京香ちゃんは制服。このグラウンドにおいては非常に目立つ。
と、いうことは……
「おっ、桜井じゃない! 久しぶりだねぇ、元気してた?」
ほら、見つかった。
それにしても、相変わらず元気な先輩だ。
久しぶり、と言えば確かに春休みの間は1回も会っていなかった。
「あれ、そっちの子は? 見慣れない顔だけど……」
「2−Aに来た転校生で、西園寺京香ちゃん。
今は僕が部活の案内してるんです」
「へぇ。中々感心だね。ちゃんと案内してやりなよ?」
「分かってますって」
「桜井、そちらの方は?」
いつの間にか、京香ちゃんが横に立っていた。
「あっ、こちらソフト部キャプテンの福谷明先輩。1つ年上だよ」
「よろしく、西園寺」
「こちらこそ、福谷先輩」
苗字とは言え、いきなり呼び捨てとは明先輩らしい。
京香ちゃんも妙にかしこまっている。先輩・後輩というか、上下関係にはうるさいのだろうか?
「どう、ウチのソフト部は? 入ってみない?」
「球技も、中々良いものですね。
ただ……やはり、私は剣道部が気になります」
「そっか。その肩にかけてる袋も、何か入ってたりとか?」
「そうですね。一応は」
京香ちゃんってばっちり敬語だし、礼儀正しいな。
今までだってそうだったけど、敬語を使っているから余計に強く感じられた。
「ふ〜ん、剣道部か……それも悪くないかもね。
まあ、色々回ってみて、入りたい所が無かったらウチに来なよ。いつでも歓迎するし」
「考えておきます。では、縁があればまた。
桜井、行こう」
明先輩と京香ちゃんって案外相性いいなあ―――じゃなくって。
会話の流れからいって次は武道場か。
それにしても、京香ちゃんは行動が早い。
どこで剣道部をやっているのか知らないはずなのに、気づくと僕の結構前を歩いていた。
そんなに剣道部が気になるのだろうか?
だったら初めから行けば良かったのに、と一瞬思ったが、
そう言えば茜ちゃんと今朝の内に約束していたのを思い出した。
約束のためだけにあそこへ行ったわけではないだろうが、
多分約束が無ければソフト部へは行かなかったろう。
こういう細かい約束を守れるっのってエライよな……。
ホントに義理堅くて礼儀正しいんだなって、つくづく思わされる。
それはさておき……口には出さないが京香ちゃんには感謝している。
京香ちゃんがさっさと行ってくれたおかげで、少なくとも今日はマネージャーの仕事から逃れられた。
明先輩に捕まるより早くさっさと行ってしまえば、いかにあの人と言えど、どうしようもあるまい。
でも、これは京香ちゃんがいないと使えない技だから、
次回以降は自分でどうにかしなきゃいけないけど。
何かしら口実が無いと逃げるにも逃げられないよな、あの人の場合。
本人に悪気は無いんだろうけどさ。
………
………………
とか何とか、京香ちゃんや明先輩についての考察をしている内に武道場についた。
実を言えば、僕もあまりここに来たことが無い。
ついこの間まで武道場で部活してる知り合いはいなかったし、来る機会が無かったのだ。
武道場は半面畳・半面板張りのただっ広い空間で、柔道部・剣道部が一緒に活動している。
どっちもハードなことで有名な部活だが、特に剣道部は吉澤の活躍もあって優秀な成績を残している。
その剣道部を見学しに来たわけだが……。
面をかぶっているせいで、正直なところ誰が誰だか分からない。
とりあえず、京香ちゃんは熱心に見入っているのでいいとして。
部活を休んでいない限り、吉澤と沖野はここにいるはずだが、麺で顔の判別がまったく出来ない。
見学させてもらうわけだし、とりあえず誰かに一声かけた方がいいとは思うのだが……。
どうしたものか?
「おっ、桜井か? どうした。珍しいな」
制服姿で一際目立つ僕ら二人の姿にひかれてか、防具に身を包んだ剣士が一人寄ってきた。
聞き覚えのある声。
―――吉澤だった。
「吉澤? よかったあ、知り合いに会えて。こんな所で知り合い無しじゃ心細くて」
「何を言っているのかよく分からんが、入部希望か? それなら指導部へ言って届出用紙を―――」
「いや、僕じゃなくて。……って、見学に来ただけで入部希望じゃないし!」
「はっはっ、分かってるって。お前ってば、いちいち反応が面白い奴だな」
面を脱いで笑いながら言う吉澤。
……からかわれてたのね。
本当にこの吉澤って男は見所が多いな。
真面目なだけじゃなくて、こうしてサラッとジョークが出てくる辺りとか。
「それはともかくだ。誰を連れてきたんだ? もしかして、噂の転校生か?」
「ご名答。部活案内を任されちゃってね。本人が是非とも剣道部を見たいって言うから」
「そうか。まあ、気が済むまで見ていってくれ。ウチは基本的に見学自由だからな」
それだけ言うと、吉澤は活動へ戻っていった。
相変わらず京香ちゃんは熱心に見学している。
……このぶんだと、まだかなりかかりそうだな。
………
………………
1時間ほど経っただろうか?
窓から差し込む日差しもオレンジ色になってきた。
京香ちゃんは結局ずっと剣道部を見ていた。
恐らく、もう他の部活という選択肢は無いのだろう。
……まあ、何となく予想はついていたけどね。
「桜井」
「ん? どうしたの京香ちゃん? 他の部活見に行く?」
「いや。そのことだが、私は剣道部に入ることに決めたぞ」
「そうなんだ。
だったら、もっと早く言ってくれればよかったのに」
「すまん……私としたことが、つい夢中になってしまって。
お前を待たせているのを忘れてしまった。
すまない、桜井」
そう言って京香ちゃんは深々と頭を下げた。
「いっ、いや! いいよ、そんなの! 全然気にしてないし。
早く言ってくれればってのも、そうしてくれれば早く手続きできたのにって意味だし」
「そうか? ならよいのだが……」
それに、そんなに謝られると、こっちだって困る。
「だが、この礼はいつかさせてもらうぞ。
今日は、一日世話になったからな」
「はぁ……じゃあ、楽しみにしてるよ」
「ああ、是非ともそうしてくれ」
お礼か……そんな物もらわなくても、今日は京香ちゃんのことが色々分かったし、
それだけでも十分なんだけどね。
―――まあ、もらえるものは遠慮せずにいただくとしますか。
とりあえず、京香ちゃんの部活探しも一段落したし、今日のお勤めはこれで終了だ。
何だか長い一日だったなあ。
やっぱり、新学期って事で目新しいことが多いせいだと思う。
……あやのが高校に入学したり、京香ちゃんが転校してきたりと、ホントに目新しいことには事欠かないな。
この先もしばらくは色々あるんだろうけど……いっちょ、ここは気楽に乗り切りますか―――
作者より……
ども〜作者です♪
いかがでしたでしょうか、Life十四頁?
サブタイの通り、話の長さの方も長くなっております。
気合入れて読んでくださいね(笑)
今回は京香メインでしたが……いかがでしたでしょうか?
今までのキャラとは違う彼女の今後の活躍にご期待ください♪
さてさて気になる(!?)次回は―――章とあの子の関係に、ついに変化が!?
ちょっと見逃しがたい内容なので、要チェックですよ!
えっ、何が何だか分からない!? 読めば分かりますって(爆)
それではまた次回お会いしましょう!
サラバ!(^_-)-☆by.ユウイチ