中編
彼は泣くだけ泣くと、たちあがった。
「じいさん、さっきこの橋の先に答えがあるって言っただろ」隣に立っていた80過ぎの老人に向かっていった。
「ああ」
「どこにあるんだい」
「それは…悪いね、はっきりどこにあるかは…」
「わからないっていうのか」
「ああ、けれどな、死んだら審判がくだされるんじゃ」
「審判? ああ! 大天使ミカエルのことか…」
「そうだよ」
「けれどもそれはあくまで聖書の話だろ」
「キミは神を信じないのか…」
「ハン、神を作ったのは人間だろ。ご都合主義の1つの例さ。だから実際に出会ったものなどいないじゃないか」
「キミは無神論者だったのか…わかった。好きにするがいい。地獄にでもどこにでも勝手に行ってくれ」
「地獄だって!? ち、ちょっと待ってくれ。わかったよ。百歩譲るよ。だから教えてくれないか。これからどうすればいいんだ? 」
「その審判に向かうのさ」
「つまり、ミカエルに会うってことかい」
「ああ、そうじゃ。大天使様にお会いするのだ。だからキミもこれからは言葉に気をつけるんじゃ」
「わかった。覚えておくよ…」
それから二人はまた歩いた。しばらくすると周囲がだんだんと明るくなってきた。どうやらここも朝を迎えたらしい。そして対岸かと思っていたところは実は大きな川中島だったことがわかった。この島の先ほどやって来た橋からずっとまっすぐに歩いて行くとまた同じような橋がかけられていた。しかしこっちの橋には青銅製のまるでどこかの宮殿のような立派な門があり、大きな錠前がかけられていてその先へは行くことができなかった。
「さて、では次にどこに行きますか?」
「時間はたっぷりある。島を散策しようじゃないか。どうだね?」
「悪くはないですね。ところで、まだあなたの名前を聞いてなかったですね。俺はイグナーツ。よろしく。プラハに住んでいたんだ」
「私はエーリヒ・ウェルナー。オーストリアのサルツブルク出身だよ。なるほどチェコ人か。どうりで無神論者なわけだ。しかもキミも他のチェコ人同様大のビール好きのようだ。もっともビール好きに関しては我々サルツブルクの市民も負けてはいないがね」
その川中島には町があった。二人が歩いて行くとまもなく町の中央のマルクト広場らしい場所に出た。
「どこかで情報を得たほうがよさそうだ。ウェルナーさん、一度分かれて情報を聞き出そう」
「そうじゃな。何かつかめるかもしれんな」
「ではあの建物の時計で12時にまたここで会おう」
「了解した。わしはこれから周囲に聞き込みにいってくるとするよ」
「じゃあ、俺はあの大きな建物に入ってみるよ」その大きな建物は図書館だった。そこなら、何かこの町の情報をつかむことができるかもしれないとイグナーツは思った。
前方に広くて緩やかな階段があった。そこをイグナーツはあがっていった。遠くから見たときよりも間近で見るとかなり大きく荘厳な雰囲気のする建物だった。その建物の入り口が見当たらなかった。建物に沿って歩いて行くと、そこには一匹の白い犬が退屈そうに座っていた。そのそばでイグナーツは立ち止まった。
「まったく、入り口は一体どこなんだ。なんて、お前に聞いてもわからないよな…」
するとその犬がイグナーツの顔をしげしげと見た。すると、
「入り口はその先だよ」とその犬が人間の言葉を話した。
「ゲ!? お前、人の言葉が話せるのか」その言葉には何も答えてはくれなかった。しかし、その白い犬が言うとおりその先に大きな扉があった。そこを押して中に入ると、前方にレセプションがあった。
「あの、すみません。ここでちょっと調べ物をしたいのですが…」イグナーツが尋ねた相手は年齢不詳の髪のとても長い女性だった。
「では、ここにサインを」彼は言われたとおりにサインをした。
「ここは永遠に開いている図書館です。そしてこの世の始まりから終焉に至るまでの生きとし生けるもののこと、またあの世のことや『この世界』のことなど、全てのことを調べることができます。但し、あなたが生きている方ならあなたの世界の未来については決して調べることはできません」
「もし、調べたら…」
「あなたは即座に命を失います」
「い、命を失う…なんてところだ。って待てよ、俺はもう死んでいる。だから制限はないんじゃないか」
「ええ、あなたはすでにお亡くなりになっていますから、何を見るのもここでは自由です。また、ここで永遠に踏みとどまることもできます」
「それは遠慮しとくよ。ところで、この世界のことを知りたいんだけれど…その前にキミは誰なんだい?」
「わたしはペルセポネ。わたしはこの図書館を永遠に管理するもの…」
「そうか、ペルセポネ。俺はイグナーツ。よろしく。ところでこの町について知りたいんだ。教えてくれないか」
「この町のこと? どんなことをあなたは知りたいの?」
「その…俺はさっき別れたじいさん…いや、ウェルナーから『最後の審判』を受けなければならないって言われたんだ。だから、そこに行きたいんだ。どこにいけばいいのかわかるかい?」
「それでしたら慌てることはありません。いずれ、あなたの番がやってきます」
「いずれって、それはいつだい? 明日かい、あさってかい?」
「それは私にもわかりません。しかし、少なくとも人間は死ぬと必ず、生前の行いについて詳しく調べられ、その結果これから向かうところが決まるのです」
「それじゃあ、遅いんだよ! 俺は戻りたいんだ。生きていたあの世界に…こんな若さで死ぬなんて…。だから、大天使か悪魔か知らないが会って話をして、必ず生きていた世界に戻るんだ」
「そう…。ならば、2階にお行きなさい。昨日の夕方に、ある男の方たちがここにやってきているの。彼らは『この世界』から『死の世界』に行く方法を探しにやってきたものたちよ。ここで何か掴んだかもしれないから、彼らに聞いてみるといいわ」
「2階のどこらへんだい? なにしろここはとても広いところだから詳しく教えてもらわないと…」
「イグナーツ、わたしについてきなさい。会わせてあげるから…」するとペルセポネは音もなく歩いていった。その後にイグナーツはついていった。図書館にしてはやや暗い照明だった。というよりも全体的に広すぎて照明が届かないのかもしれない。
やがて2階にたどり着くと、彼女は迷わずにその男たちのところへ案内してくれた。
「あそこにいるもの達よ」
グレーのローブを羽織った男とキャメル色のチノに赤いTシャツとオフホワイトのジャケットを来た青年がたくさんの分厚い本の積まれたテーブルにいた。
「あなたたちに質問があるそうよ」ペルセポネはその二人に声をかけた。
「キミは誰だい?」グレーのローブを着た男が言った。イグナーツは自分の名を名乗った。
「キミは見たところ生体エネルギーの放射がかなり弱いね。現実の世界にはもういない者たちの一人かい?」
「生体エネルギーって…」
「よーく目を凝らして見てごらん。我々の周りにはオーラが輝いているだろう。これが生体エネルギーだ。これが強いものは、生命力が強いんだ」
「そうか、だから俺の周りのは薄いのか…でもあなたの隣の彼のは俺やあなたのと色が違って見えるけれど…」
「あ、ああ…、それはわたしにもわからない。けれども彼はとっても元気だよ」
「ところで、あなたたちは…」
「そうか、紹介が遅れたね。わたしはベルナー。『夢の国』に住んでいる研究者だよ。そして、隣の彼はヒロシだ。ところで、キミは私たちにどんなことをききたいのかい?」
「それは、『最後の審判』を今すぐに受けるにはどこに行ったらいいのか教えて欲しいんだ」
「なるほど…」
「知ってるんですか?」
「ああ、知っているよ」
「そうですか。で、そこはどこにあるんですか?」
「向こう岸さ」
「向こう岸って…あの鍵のかかった…」
「そうだ。『死の世界』にある」
「ちょっと待って、じゃあここは一体…」
「ここは『夢の世界』と『死の世界』の狭間にある町、インガノクさ」
「インガノク…ですか。ところで、その死の世界に行くにはあそこの橋を通るしかないんですか?」
「今のところは…ね」」
「そんな…」
「けれどもキミならいづれそこを通ることになる。何もそんなに急ぐこともないんじゃないかい」ベルナーが諭すように言った。
「それじゃあ、遅いんだ。俺はまた生きていた世界に戻りたいんだ! 」
「ヒロシ君、そろそろ昼になる。昨夜からずっと休んでいないじゃないか」
「それはあなたも同じですよ」
「だから少しここらで休んではどうかね?」
「そうですね。少しだけなら」
「1階に休憩用のラウンジがあります。レン高原産の紅茶をお二人にご馳走しましょう。イグナーツ、よかったらあなたもきなさい」
「はい」間もなくそのティータイムで彼らは思いもしない方法で『死の世界』への行き方を知ることとなった。
「後編」へつづく…。