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短編集

職場でよくあるもらい事故

作者: 汐見かわ


「これ、経企(けいき)の森良が来たら渡しといて」


 手渡されたのはファイルに綴じられたなかなかに分厚い資料。

 経営企画の森良さんが、前にうちの部でまとめたマーケティング資料を見せて欲しいと言ってきたらしい。自分で渡せば良いのに……。

 私の返事も待たずに、資料を置いて鈴木さんはさっさとどこかに行ってしまった。たぶんたばこ休憩だと思うけど。たばこを吸う人は勝手に5分程の休憩をちょこちょことるからずるい。

 分厚い資料をデスク脇に置いて、私は自分の仕事の続きに取り掛かった。──と、思ったらすぐに森良さんがやってきた。


「あれ? 鈴木さんは……?」

「資料ですよね? どうぞ」


 資料を渡すと、森良さんはペラペラとページをめくった。少し骨張った指が忙しなく動いている。


「けっこう量あるなぁ……データでも良かったんだけどなぁ……少しの間、借りますね」


 嫌味でもなく、さらりと思ったことを口にして森良さんは資料を持って行った。

 そうだよね。私もデータで渡せば良いじゃないかって思ったよ。鈴木さんに言われた通りにしただけなんだけどな……私がちょっと使えない人だって思われていないかな。森良さんは経営企画部のエースで丁寧に仕事をする人だって有名だし。微妙に思われたら嫌だな……。

 森良さんと入れ違いで、鈴木さんが戻ってきた。体からはきついたばこの匂いがしている。やっぱりたばこ休憩だったんだ。


「森良来た?」

「はい。資料渡しました」

「ふうん、そう」


 鈴木さんはそれだけ言って、自分のパソコンに向かった。あれ、「ありがとう」くらい無いの? お前のたばこ休憩サポート要員じゃねぇんだよ!……まぁ、でも鈴木さんはそういう人だというのは重々承知している。平常運転だ。彼はそういう人なのだ。


「あれっ?」


 鈴木さんが、私の後ろで不穏な声を出した。そして、おもむろにどこかに内線をかけた。


「あ、森良? あれ、さっき渡したの違うヤツだったわ。何、データ? データが良いの?」


 今なんだって? 何て言ったんだ、鈴木。

 鈴木さんから頼まれて私から森良さんに渡した資料が間違っていた資料ってこと? 完全に私がやらかしたみたいになってない? 酷い。ちゃんと説明してくれるんでしょうね? 私は悪くない。

 すぐに森良さんは先程渡した分厚い資料を持ってやってきた。


「やっぱり。何か思ってたのと違う気もしたんですよね。できればデータで送って下さい。お手数かけます。よろしくお願いしますね」 


 ちょっと苦笑い気味に分厚い資料を鈴木さんに戻し、森良さんは爽やかに行ってしまった。鈴木さんは特に何も言わず。私は完全にもらい事故にあった。

 きっと仕事のできる森良さんは、私が使えない人だと思ったに違いない。最悪。鈴木が全部悪いのに。私はふつふつとした後味の悪さを腹の底から感じていた。


 休憩中、スマホで漫画を読んでいたところ、視界に森良さんが入ってきた。森良さんも休憩なのかな。先程の資料のやり取りを思い出し、私は何だか居た堪れない。気付かないふりをしてやり過ごそう。読んでるweb漫画も今ちょうど物語がいいところだし。

 森良さんが休憩室のどこにいるのか確認しようと、ちらりと視線を上げるとばっちり彼と目が合った。ぎくりと心臓が音を立てた気がした。別に私はやましいことは何もしていないのだけれども……。

 軽く会釈をされたので私も会釈を返す。

 そして森良さんはごく自然に私の斜め向かいの席に座った。近くない?


「お疲れさまです」

「……お疲れさまです」


 手元の漫画ではゆるキャラな動物達が殺人事件の真相に迫っているけれど、全くストーリーを追えない。頭に入って来ない。森良さんが気になってしまう。

 森良さんはスマホを少しいじってすぐにテーブルに置いた。私の方に顔を向けている。私もスマホで漫画を読むのやめた方が良いかな? 社交辞令的な会話でもしてみようか? 森良さんとは接点があまりないから、何て声を掛けたら良いのかわからないよ。「さっきはお手数おかけしました。鈴木さんに頼まれたんです」「私が資料用意したんじゃないですよ?」とか何とかさっきの言い訳でも言ってみようかな。 私の手も頭の中も、行き場を無くしweb漫画のページを意味もなく進ませる。

 ゆるキャラな動物達はとうとう犯人を追い詰めていた。全くストーリーがわからないけれど。


「吉田さんって、今の部署けっこうながいんでしたっけ?」


 おっと、びっくり。森良さんが話し掛けてきた。いや、話しかけられるのを期待もしていましたが。


「2年目です……」

「鈴木さんって敵陣に乗り込むわけでもないし、衛生兵って感じでもないし、防衛してくれるわけでもないし……戦いの後の盗っ人みたいって思いません?」

「盗っ人?」

「終わった後にやってきて、死体から武器や服とか盗んで転売する感じっていうか……あはは」


 森良さんは自分で言って、自分で笑った。言わんとしていることが良ぉく分かるので、私も手を叩いて笑いたかったけど、そこは控えた。森良さんってわりと言う人なのね。


「さっきは行ったり来たりさせちゃってすみません……資料のことで」

「ああ、あれですか。大丈夫ですよ。まぁ、はい。大丈夫です。それに資料だったら、デジタル推進部に聞けって話ですし」

「はぁ……そうですか」


 含みを持たせた言い方をして、森良さんはスマホをいじりだした。ネットのニュースでも見てるのかな。


「そうだ、今度から吉田さんもCCに入れときますね。鈴木さんを間に挟むとややこしいですし。これからは必要な資料があったら吉田さんに直接(・・)連絡します」

「え……はい。わかりました」


 森良さんは、それだけ言ってさっさと休憩室から出て行った。

 良かったぁ、私は使えない人だと思われてないみたい。それに直接連絡をすると言っていた。これは彼に頼りにされている証拠なのでは。とりあえず森良さんから見て私の印象は悪くは無さそうだ。

 ほっと肩を撫で下ろし、手元のスマホを操作する。web漫画の続きを読もう。

 漫画の中では主人公のきつねが


『お前は既に囲まれている! もう逃げられないぞ!』 


と、犯人のたぬきを追い詰めていた。

 しばらくして森良さんから「今度、業務について聞きたいので晩ご飯ご一緒しませんか」とメールが来るのは、この時の私は知るよしも無かった。



2021年10月作成。

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