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愛の熟成

 厳重に施錠し、ゴードンを招き入れる。


 私は軽くシャワーを浴びてから、ゴードンの待つリビングへ向かった。

 ゴードンは私の姿を見るなり、穏やかに微笑んだ。彼は、風呂上がりで少し熱った私の姿を、とても好んでいるのだ。


「ゴードンはシャワー浴びなくてもいいの?」

「ああ、家で済ませてきた。クリームが落ちたら困るからな」

「でもあれって水に強いでしょ?」

「万が一を思ってさ。カオリとの完全な愛を、成就するために」


 そうしたゴードンの気障なセリフを聞くたび、私の脳はとろけ落ちてミルクティーみたくなりかける。


 早速タガの外れた私は、夫の部屋からある物を持ち出した。


「じゃーん。ゴードン、今夜はこれを飲みましょう」


 私が持ってきたブツに、ゴードンは紅の瞳を興味津々に開いて、大きな口を柔らかに微笑ませる。


「ヴィンテージワイン。それも、かなりの年代物じゃないか」

「ええ、その通り。60年前のものよ」

「きっかり60年かい?」

「そう、きっかり60年」


 ゴードンは椅子にもたれて、遠く古びた記憶を探り、今に呼び起こそうとしている。


「60年前といえば、理想的な天候に恵まれて、世界的にぶどうが豊作だった当たり年だ。その銘柄ももれなく、最高傑作と称して疑わない上質な仕上がりとなった。……ああ、だんだん思い出してきた。あの滑らかで高貴な舌触り。60年の星霜はあれど、あの逸品をもう一度味わえるなんて至福の極みだ。しかもカオリと一緒に。僕はこれほど素晴らしい夜を他に知らない」

「もう、ゴードンったら」


 吸血鬼はワイン好きという、勝手だけど腑に落ちるイメージがある。

 ゴードンはそのイメージ通り、生粋のワイン愛好家である。

 毎夜毎夜、とっかえひっかえで数多のワインを口にしているから、培ってきた知識量と感性は並大抵ではない。

 しかも人間の倍以上の寿命があるから、蓄積された経験量も図抜けている。

 世界のワインソムリエが束になってかかっても、ゴードンには敵わない。

 

 ゴードンは慣れた手つきでひどく慎重にワインを開封し、私と自分のグラスに注いでいく。

 なんて品のある人なんだろう。

 ワインを注ぐゴードンに、私は改めて見惚れた。

 グラスから薫る芳香に官能的な喜びを見出しているのか、ゴードンの細くて切れた口元が妖艶に微笑している。

 私は、彼のこういう危ない魅力に心の全てが奪われていた。


「カオル、乾杯しよう」


 その声で我に返るまで、私はゴードンの魅力の中に丸ごと囚われたままだった。

 

 ヴィンテージワインはあらゆる刺激に弱い。

 だから乾杯と言っても、液面を立てぬよう小さくグラスを上げるだけにとどまる。

 グラスを口元に運び、傾ける。

 熟成した赤ワインの濃厚な香りがツンと鼻に来る。

 

 実のところ、私はさほどワインを好いていない。

 この香りも少々キツイところがある。

 飲む。

 苦い。

 未熟な私の舌には、ヴィンテージだろうが、ボジョレーヌーボーだろうが、果ては300mlの缶ワインだろうが、どれも「苦い」の一言でまとめられてしまう。

 だが随一のスペシャリストの手前で、そんな粗相な発言できるわけがない。


「……ああ。美味しい。長期間の熟成で柔らかい味わいになっているが、それもまた良い。カオリ、どうだい? このワインは」

「え、うん。とっても、美味しいわ」


 このワインに負けないくらいの最上級の愛想笑いでごまかす。だが彼は簡単に私の心を見透かしたようで、


「ははっ。まあ、カオリには難しいだろう、ワインの話は」


 と、眉を下げて無邪気に微笑んだ。

 彼は愉しんでいる。

 私にはわかる。

 だから私も、心からの笑顔で返す。


「僕は世界で最も幸せな男だ。僕のために、こんな素晴らしいワインを用意してくれる女性が、僕のすぐ隣にいるなんて」

「ふふっ、嬉しい。私も、世界で最も幸せな女だわ」

 

 違う、嘘。

 このワインは私たちの結婚記念日のために夫が特別に取り寄せたもの。

 夫もワインが好きだから。

 でも私は好きじゃない。

 だったら夫とよりかはゴードンと飲む方が断然マシだ。

 だってワインへの造詣でも魅力という点でも、ゴードンの方が上なんだから。

 それに、私も背徳感という最高の感情を弄ぶことができる。

 私は、夫よりも、ゴードンの事が……。

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