22話前編 禁忌閉幕
白き翼と風に小さく靡く白髪。礼節を重んじる腰の低さ。穏やかな声色と慈しみの神。他の原初神は畏敬の存在であるが、イルは友好的だ。だが、教育となると態度を一変させ、厳格な一面を出す。そういった面も怖いと思うが、それ以上に誇らしい。
イルがウガリットの原初神であることが嬉しい。イルが頂点なら、俺様達はついていく。
「負けるんじゃねえぞ、じじい」
エノクの環が回転する。爆発的に伸びる絶対不可侵領域の権限。宇宙に存在する塵が霧散する。今までになく相殺の範囲を狭め、効力を増やす。アンギラスの皓弓が連鎖して、矢を形成する。青白い実体のない矢は神々しくも殺戮を主としている。
錫杖に力を籠め、アトゥム神は正転の軌跡とスターゲイザーを同時発動させた。遠隔操作で天体の配列を変え、エネルギーを抽出する。錫杖は黄金に輝いている。宇宙物質も結合を始め、星雲がガスをより吸収し、毒々しく、かくも脅威を放っている。
画面越しでも伝わる圧倒的な質量。緊張が闘技場に走り、静寂に浸る。
アトゥム神の猛攻は絶対不可侵領域の相殺を剥がすための本気の前座。イル神の絶対不可侵領域は、天体に限界はあると知らしめる教育の賜物。
二つの意図をよく理解しているからこそ、イル神とアトゥム神は勝利を確信している。意図の裏側に潜む止めの一撃を。
『参る』
『来なさい』
投げ飛ばされた一言。語らう時間を欲さず、先手を仕掛ける。錫杖を振った瞬間に、宇宙軸を駆ける天体の数々。摩擦熱で隕石と化す天体は全て、絶対不可侵領域に侵入する。爆音で破裂する天体の後を追い、更なる隕石が降り注ぐ。熱と火花が花火のように攪拌して、星々のように儚く散る。一秒、二秒と過ぎていく。猛攻と猛守の仁義なき戦い。二柱は動かない。
エノクの環の回転速度が上がった。それにより相殺効力も比例し、高まる。その動作の意味は天体のエネルギーが今のままでは相殺できないという天使からの警告だった。上昇する天体の破壊により、戦いの終わりは近づいていく。落下速度の過激化により、イル神の麗しき顔に一筋の汗が流れる。待っていたと言わんばかりに、アトゥム神が動き出した。天体の豪雨は降り止まず、あるのは一点の神が直進する。アトゥム神が拳を握って、正転を稼働させた。遠方で公転していた天体が近づいてくる。その巨大な天体に、観客らは驚愕した。今までの天体の豪雨がただの小雨だと感じるような巨岩さ。今まで見てきた天体の四倍近い天体を引き寄せたアトゥム神は慈悲を持たず、その天体をイル神に投擲した。
じりじりじりと妬けつく火花。絶対不可侵領域が焼けきれそうなほどの高エネルギーを持った天体に、イル神は動揺しない。だが、イル神の意志に関係なく、相殺の効力が底を尽きた。絶対不可侵領域の相殺が天体の核を打ち破った瞬間、領域の膜が焼け落ちた。エノクの環の回転は止まった。つまり、イル神の防御を引き剥がしたという証拠だ。シャキッという塵が錫杖と擦れる音が正面から聞こえる。辺りは妙な静けさを迎える。
アトゥム神とイル神の目が合った。
刹那に、アトゥム神の錫杖がイル神の間合いに侵入した。
刹那に、アトゥム神は手を伸ばして、刀身を届かせる。
今にも当たるという不動の展開が待ち受ける。届くと感じたアトゥム神の思いは無下にされ、エノクの環が一回転する。一度引き剥がした領域の出力が回復したのだ。つまり、それは絶対不可侵領域が、一番の脅威が攻撃に転換されたということ。
刹那、刀身は届かない。錫杖は跳ね返され、絶対不可侵領域にあったアトゥム神の片足が相殺の効力に当たる。小さく呻くアトゥム神。
刹那、イル神が溜め込んでいたアンギラスの皓弓が最高潮の威力に到達した。鏃を正確に定め、イル神は手を離した。
『ヨハネの峻厳!!』
刹那、矢は音を置いて一直線に進んだ。射程の通過点にいたアトゥム神を射抜いた。片腕が焼け落ちて、唐突で強大で、不意を打った打撃にアトゥム神は意識が霞んでいき、底が存在しない宇宙軸に落ちていく。その光景を見たイル神は勝ちを確信し、観客も試合の終わりを察した。
『!』
ふと、振り向いたイル神の目に小さな天体が映る。天体というには小さすぎる。塵が結晶化して、形を造ったような手のひらサイズのそれに、イル神は拍子抜けする。警戒心が崩れた直後に、警告の天使ハラリエルが脳へ直接伝達した。天体が危険因子である事実。イル神は伝達を無条件に信じ、エノクの環を回転させた。直後、小さな天体が、その体積からは想像もできないほどの核膨張を引き起こし、宇宙軸全土に届く衝撃波を放った。
ばごごぉぉーーーん!!?
闘技場に鳴り響く爆音は、頭に痛みを覚えるほど甲高く、ずっと鳴り続けているように感じるほどの音量。多くの観客は手で耳を押さえて、音を遮る。手の隙間を掻き分けて、侵入する音に観客らは顔をしかめる。動揺する者も少なくはなく、それだけ、不意を突いた爆発が命取りの攻撃であることを物語っている。
その脅威に陥っても、耳を押さえず、爆発の破片を落とさない数々の者達は、この試合の終わりを観る。
『ごほっ、ごほっ!!』
爆発が終わっても、余波は続く。衝撃波で宇宙軸に存在していた天体の約三割ほどが消失した。煙というよりも、天体を構築していた物質が結合して、濁った星雲が辺りに充満している。瘴気のような荒れ果てた宇宙軸で、イル神は爆発を中心で浴びてしまい、全身を負傷した。幸いにも、エノクの環の回転数が多かったことで、絶対不可侵領域の相殺効力は高まっていた。しかし、強固な防御を上回る爆発に驚きを隠せない。
(超新星爆発といった所でしょうか。老害め、こんなものを創る余力があったとは…)
『セアが頑固親父と言った意味が分かりましたよ』
ため息交じりの呆れ言を吐き出す。
『その讒言、もう一度申してみよ!!』
『アトゥム…?』
唐突に呼びかけられた声の主を見て、イル神は目を疑った。そこには片腕を失っても、毅然とした態度で突進してくるアトゥム神がいたのだ。狼狽える時間もなく、イル神は弓を構え、溜めを省いた矢で急所を狙った。一射必中の矢は一寸の狂いなく、アトゥム神の胸を射抜いた。だが、威力が足りない。
刺さった矢を折って、鏃が胸の深くに傷を与える肉体を動かす。
『エルナト……逆転の軌跡!!』
権能を再度発動させた。天体の持つ核エネルギーを錫杖に抽出し、膨大な神器を持つ。弓を構えるイル神が映る。エノクの環を回転させる余力が残っていない。つまり、それはイル神の防御のカードが断ち切られたことを意味する。
刹那、イル神の間合いに侵入する。恐れもなく、慈悲もない。
刹那、腕を伸ばし、錫杖を突き出した。鋭利な黄金の切っ先が、イル神の肉体を抉る。猛烈な痛みに襲われ、イル神の意識は遠のいていく。
刹那、強情に弓を弾くイル神が瞳に映る。
刹那、アトゥム神は錫杖を引き抜いた。血塗れの錫杖が抜かれると、イル神は吐血し、穴から血が滴る。アンギラスの皓弓を持ったまま、意識を失うイル神は底無しの宇宙軸に落下する。
刹那、落下を阻止するアトゥム神は彼を掴んだ。助けたと言っても過言ではない。間合いと攻撃範囲を維持した距離。片腕しか残っていないアトゥム神に止めを刺すことができるのは今しかない。幸か不幸か、イル神の意識が僅かに戻った。二柱の目が合う。
『若造、止めを刺さぬのか?』
『戯言を、もう…動けない、と知っている、くせに…ほんとうに、頑固な老害ですね』
その言葉を皮切りに、イル神の意識がこと切れた。
統治神特別観戦室、ヒュプノスが権能を発動させて、戦況を確信した。
「アトゥム様も、イルも、戦闘続行の意志は見れますね~~。が、破損状況は想定よりも深刻です。気絶による戦闘不能」
『だね』
ヒュプノスの見解を考慮したカオス神は頷いて、内線を送った。
ひゅおん!
マイクの起動音が闘技場に鳴り響く。宇宙軸にも闘技場の音声が伝わる。
『イル神の戦闘不能により…仙人大戦第六回戦、エジプトの勝利~!!』




