18話 極点との邂逅
五回戦は終わりを迎え、観客らは例外なく興奮している。褒め称える声が聞こえる中で、闘志らの安否を心配する声も聞こえてくる。
ギリシャ専用観戦室にて、
「大丈夫かしら」
「かなりやばいね。シぺ・トテック群の金を操る権能は凄かった。全盛期を超えられても、自分が金になるなんて正気の沙汰じゃない。僕はごめんだね」
「そうまでしてでも守りたかったものがあったのでしょう。全知全能たる御父様にはかけ離れた感情です」
アテナは皮肉を言った。ゼウスはにこりと微笑んだ。
「にしても、魔法ってこんなに凄いんだね。知識で識っておくだけじゃだめみたいだ。黄金に眠っていた魔力を共鳴させるなんてねぇ」
「?」
ペルセポネが首をかしげる。ゼウスは少し驚いて解説を始める。
「最後、あの魔法使いには魔力なんて残っていなかった。それも途中からね。でも、自然に眠る魔力を使う術式を一瞬で発明して、何度も危機を脱した。
最後の一撃は金という自然界で異端の物質を相手にした博打。古代魔法で黄金操作を阻害して可能な限り威力を落とし、利用した」
「でも、胸を…」
「そうね、中途半端に与えられた傷は想像を絶する痛み。リスクを取ってでも、得たかった信念があったということかしらね…」
神々が感心する行動を取ったカトレアとゼーユングファー。古代と近代で違う時代に活躍した二人だが、その称号に悔いぬ戦いぶりであったと誰もが思っている。
ゼウスは手で顔半分を隠す。手の下では笑いが抑えられていない。
(ほんとにすごいよ、人間って。まさか、ガイアちゃんから治療してもらえるなんて…僕達にとっても嬉しい誤算だ!)
でも、とペルセポネが口ごもった。
「ローマの御方は降伏の予兆すらありませんでしたわ」
拮抗した戦い。ゼーユングファーは環境に合わせて臨機応変に戦い、シぺ・トテック群の権能も完璧に使いこなしていた。対するカトレアは相性を合わせる戦略と、運命を揺らすフォルトゥナ神の協力で、常に変化し続ける戦況を維持した。格上と格下では勝敗が決まらない。最終的には降伏という他力本願な手段しか残っておらず、もしオメテオトル神が宣言していなければ、あの二人は命を落としていた。温厚なオメテオトル神が代表であったために降伏宣言がなされた。
ローマの実権を握る代表神は言葉を発する素振りすらなかった。マイクを起動させていなかったということは、降伏する意思がなかったということになる。
(戦場で甘ったれた思考は邪魔だと思ってる。大群であるなら一個人の安否は蔑ろにされる。分かってはいるけど、命を無下にする戦場は惨いね。
でも、僕でもそうする)
ゼウスは、ローマ神界に向けて、密かに呟いた。
「そのままでいてくれよ、ずっと勝っていたいからさ」
「失礼致します」
統治神五柱専用観戦室に、カオス神の専属戦天使ヒヤルムスリムルが入室する。タナトス神とヒュプノス神が会釈する。ヒヤルムスリムルは膝をついて、カオス神に尊敬の念をこめた姿勢で臨む。
「次戦の野外フィールドはこちらになります」
『ああ、これでいこう』
「畏まりました。現在、最終調整に入っています。もう暫しお待ちください」
ヒヤルムスリムルが退出する。次戦はしっかりと目を通してもらわなければならない事案だ。タナトスが不安そうに尋ねた。
「いいんすか…共闘を伴わない試合があって…」
『まあ、彼らは特別だからね。メソポタミアの試合を見て分かったが、原初神の戦いに人間を巻き込むのはいけないよ。これは人類との親善試合でもあるんだしね…さっきの試合は人類の王から反感を得そうだった。
幸か不幸か、あちら側の魔法使いが治療を要求した』
「ガイア様不機嫌でしたけどね~」
『しょうがないさ。ガイアは愛する者以外に権能は使いたくないらしいからね』
タナトスは周りを見る。カオス神以外の統治神五柱の姿が見えない。ガイア神は治療に向かっている。他の三柱はどこに行ってしまったのか。
「待ってはいられないんすね」
『ふぅ』
ガイア神は深いため息をついて、席を立つ。かの神がいる場所はアステカが占領している闘技場内部の一角。治療室に改造された部屋のベッドに横たわるカトレアとゼーユングファー。彼女らの近くではシぺ・トテック群とフォルトゥナ神が心配そうに見つめていた。カトレアの師匠であるウェルテクスは、彼女の容態を魔力で診察する。
オーシャンは、オメテオトル神の付き添いとして面会している。
陰鬱な空気が充満する空間に、ガイア神は余計に苛立つ。
『ガイア、もう大丈夫なのですか?』
『ええ、そのうち目も見えるわよ。でも、私じゃなくて、その人間二人に感謝なさって。細胞を操る元祖と自然を制御する魔法使い。偶然にも二つが作用して、金の侵食は甘かった』
『治療ありがとうございます』
オメテオトル神が深々と頭を下げる。それは原初神の偉大さを踏みにじるような行為だ。ガイア神はむっとして、彼に言った。
『温いんじゃないかしら?』
『生憎、私の性分はこれですので。他人がどう思おうと、命がぞんざいに扱われるのは黙っていられません』
『その優しさがアステカに二度と太陽を昇らせないとしても?』
『一つ確実なのは、身内を監獄に入れないことですかね』
オメテオトル神の挑発に、ガイア神から冷たいオーラが放出される。原初神の睨み合いに挟まれる。側付きの戦天使も声をかけづらそうにしている。
『特権はこれで終わりね』
不機嫌になりながらも治療を続けたガイア神は、部屋から出ていく。一つの原初神のオーラが無くなった部屋の空気は僅かに軽くなる。カトレアとゼーユングファーの傷は完全に癒えて、呼吸も整っている。不安が残る彼らに、オメテオトル神はもう一度頭を下げる。
『此度の試合、不肖ながら協力していただいたこと感謝申し上げます』
「顔を上げてください!」
シぺ・トテック群が慌てるが、オメテオトル神は頑なに頭を下げ続ける。
『ローマに代わり、カトレア殿も私どもが責任もって完治させます。後遺症が残るようでしたら、相応の対応をさせていただきます』
オメテオトル神の宣言に、オーシャンとウェルテクスは頷いた。だが、オーシャンは少し不信感を抱いた。
「…ねえ、なんでローマは出てこないの?」
『出ないのではなく、いないのです』
「?」
『私を含めた原初神三十二柱は、二千年前、各々のエリアに分かれ、子孫を残しています。ギリシャ神界のルーツと、ローマ神界のルーツは同じ。神々の中でも同じ権能を持っていることも不思議でありません』
「相変異?」
『カオス神の見解では…体の構造が違うらしいのですが、それも微小。が、思考はかなり歪んでいます。ですので、長らく睨み合いが続いてるとか…』
「違うとしても責任は取るべきじゃないの?」
『ローマは勝ちにこだわっているのです…』
オメテオトル神が申し訳なさそうに言った。今にも頭を下げそうな勢いだ。そんななか、ずっと沈黙を貫いていたウェルテクスが口を開く。
「オメテオトル神、貴殿は神の王となることを諦めてはいないか?」
『できることなら、王になりたい。しかし、誰かが傷ついてまで薄汚れた椅子には座りたくありません。それに…もうアステカは終わりましたので』
「もう一度戦えるとしたら…今度は余を選べ」
『なにを…』
ウェルテクスの意味深な言動に、その場にいた者は理解できなかった。
ただ、ウェルテクスだけは未来を見つめている。
闘技場内部の回廊を一柱が歩く。殺伐とした空気の中を歩く。回廊には誰もいない。それもそのはず、神がいる場所は仙人大戦が開催されているコロッセオではなく、ウガリット神界の神域であるからだ。
ウガリットの神域には多くの天使が行き交っている。それはここが天使の育った故郷であるからだ。
「はぁ~~~、誰もいないやん。セアさんの頼みでも楽しくないことはしたくない主義だな~」
神農はぶつくさと文句を言いながら、回廊の先にある大扉へと辿り着いた。神農はセアから預かった許可証を、大扉の宝石に照らして、結界を解く。
”大罪物保管庫”とかかれた部屋。
扉の向こうは、広い空間が続いている。おそらく、空間操作で概念を歪めた亜空間なのだろう。神の間では、こういった技術はよく取り入れられている。
壁一面に棚が設置・保管され、呪物のように禍々しいオーラを放つ武器や装飾品。これら全てはエパノスィ・ミラ監獄に収容されている大罪者から押収した道具である。かの監獄は宇宙を揺るがす罪を犯した極悪犯を収容しているため、極悪犯の持っていた武器はすべて神器に匹敵するほどのレベルを示している。そのため、天使の力が十分に満たされたウガリット神界の中心部に保管されているのだ。
神農は広々とした空間の奥まで歩いて、目当ての代物を探す。
(なんだっけ? 剱と指輪だっけ? そんな小っちゃいもの見つかるわけないじゃん)
神農は不安を募らせながらも、探索を続ける。セアの権能の雰囲気を頼りに捜索を進めると、一つの代物に目を付けた。棚の少し高い位置に置かれている小さな宝石箱。宝石箱に彫られたイニシャルから、セアのものだと推測する。
神農は手を伸ばす。想像よりも高い場所にあることで、上背のある神農でも届かない。背伸びをして、ジャンプしてみても、やはり届かない。無駄に体力を消耗した彼は苛立ちを見せる。
「くそ」
暴言を吐いて、もう一度手を伸ばす。指先が宝石箱を掠めた。力強く握ろうとすると、体勢が崩れた拍子に、宝石箱が顔に落下しそうになる。反射的に目を瞑る神農の手に温度が伝わってくる。彼が恐る恐る目を開くと、背後には、三対の翼を持つ大柄な男神が立っていた。背は高いのに、線は細い。白の修道服。毛先まで整えられた短い白髪。若く見える。
『お望みのものはこれでしょうか?』
翼を持つ男神は、神農が苦戦していた宝石箱を軽々と手に取って、渡した。神農は宝石箱の中を確認する。指輪が溝に収まっていて、輝きを維持したまま、煌いている。
(指輪、これだよな?)
神農は疑いの目を持って、指輪を凝視する。それはセアから口頭で教えられた技法と同じものだった。
『指輪を御所望でしたら、熾天使の剱もお探しではありませんか?』
「え、いや、あってますけど」
『すぐ取りに行かせます。少し時間を必要としますので、出口まで送りましょう』
男神は天使に指示を出して、神農の相手をする。流れるような動作を当たり前に受け入れてしまう神農は、脳内で急いで情報を整理する。
(天使は仙人大戦の枠に出場してる。名持ちを除いて神の制御下から外されているはず。でも、この御仁は名持ちの天使を構わず動かした…統治神五柱よりも優先的に天使を動かせる実権を持つ神は、たったの一柱)
「無礼をお許しください。我らが偉大なる神々の始祖」
神農は手を合わせて、頭を下げる。目線を下にして、敬意を払う。
「道教序列九位神農と申します。ウガリット序列一位並びに、原初神の一翼イル神…拝謁の栄を賜り恐れ入ります」
『気にしないでください。セアの指示で来たのでしょう』
物腰柔らかな態度に、神農は拍子抜けする。イル神の誘いで隣を歩くが、二歩後ろに下がり、最低限の礼節を尽くす。
『三清はお元気ですか』
「…まあ、ぼちぼち」
『セアが迷惑をかけているそうですね』
イル神の言葉を否定できない。特権の授与と実行が統治神の名において行われても、支配権が余所者に渡ったことを道教の神々が黙っているわけもない。三清が一喝したが反感は残る。監視という名目で、神農が置かれているわけだが、やはりセアの存在を認める材料はない。
『神農、頼みごとを聞いていただけませんか?』
「なんなりと」
『次の試合で、バアルのお守りをしていただきたいのです』
バアルというのは、イル神の右腕とも称されるウガリット序列二位の男神だ。虎視眈々と一位の座を狙っている。仲は悪くないが、よさそうでもない。
『あの子、私が他の子どもたちと戦うの嫌がるんですよ。一緒に観戦でもしてください』
イル神は親のような慈愛に満ちた笑顔で言った。彼の中で、子孫というのは愛しい存在だということが分かる。だが、どこか悲し気な苦悩を滲ませている。
『おや、もう時間のようですね』
いつの間にか部屋の出口どころか、ウガリットの宮殿の出口まで歩いていた。一瞬のことに神農は驚きを隠せない。そんな彼に、天使が一振りの剱を手渡す。
『ヒトを困らせるなと…私の名でお伝えください』
イル神の言葉を預かった神農は足早に宮殿を離れる。一柱残されたイル神は悲哀の表情で、顔を曇らせた。心配するように、天使が翼をはためかせる。大量の翼は羽を落とす。
イル神は柔らかな声で天使たちを宥める。
『大丈夫ですよ…さあ、仕事の時間です』
「仕事の時間ねえ」
神農を媒介として、イル神の言葉を拾ったセアは小さく頷いた。彼女のいる場所は、闘技場の内部だが、それもとりわけ誰も通らないような薄汚れた庭園だ。モニターもない。闘志らの勇姿を見ることができない庭園が美しかろうと、熱狂が届かないなら誰も見ない。
セアは新しい煙草に火をつけて、ゆっくりと嗜む。
セアは一輪のグラジオラスを優しく包み込む。思い出してはいけない記憶を垣間見て、頭を抱える。光が円を描いて落ち、空洞の中にセアはいる。
「見に行った方がいいか……」
『それは余も同行していいのだろうな?』
「エジプトの原初神が揃い踏みで…」
突然の来訪者に、セアは砕けた口調で対応する。慣れ親しんだ気配。セアは煙草を吸い続ける。
(トートもいるのか…厄日だな)
『厄日という自覚をしているようだね』
セアの悪態心を見透かした神は、彼女の顔を両手で掴む。真っ向から見つめる琥珀の瞳は、穢れを知らない。褐色の幼さの残る顔。
―エジプト序列五位知恵の神トート
「いたい」
『我慢なさい』
トート神の診察を拒否するようにするが、神は強情に続ける。
その後ろに控えている三柱。
―エジプト序列一位太陽神ラー
―エジプト序列四位原初の水ヌン
―エジプト序列二位創造神アトゥム
セアは煙を吸って、トート神の顔に吹きかけた。神は不愉快そうに言った。
『立場が分かっているのか?』
全身が濃い茶色の肌である神が後ろから尋ねてきた。炎の揺らめく髪を持つ神々しい御方。
ラー神の問いに、セアは間髪入れずに答えた。
「嫌われ者なら演じられますよ」
返答が気に入らなかったのか、後ろで不機嫌な視線を送ってくる黒髪の男神。フェイスベールで顔半分が覆われているが、明らかに怒っている。バツが悪そうに、セアはヌン神から視線を逸らす。
『…』
「揃いも揃って、まあ…そこまでして従順にさせたいのですか? やめてくださいよ、今ここで戦うのは分が悪すぎる」
『いずれ負けるというのだろう…』
セアの脅しを受け流す一柱。短く下ろした白髪と、それと同じ肌。胸部に宝石のような物体が填め込まれている。異様な雰囲気を持つアトゥム神が両手に携えた二本の錫杖は、恍惚とした魅力を持っている。それがアトゥム神の戦闘武具であることを知っていたセアは笑ってしまう。
『貴様が戦いに踏み込むなどあってはならないことだ。人類の想いをくみ取るならば』
アトゥム神の発言に、セアは無言を貫く。
『名残がないわけではないのだな』
「私も一応、心はありますよ」
そうか、と呟くアトゥム神は言い放つ。
『統治神を討つ。次の玉座はエジプトのもの。
貴様をその座から引きずり下ろし、再び人間にする』
試合が始まる前に宣戦布告を掲げ、打倒という目標を明かす。セアは変わらず煙草を吸って、気持ちを安定させている。セアは憎たらしく、怨嗟を投げかけた。
「私が望んで、この立場にいると思っているの?」
『―!』
セアが鋭くにらんだ。奥底に孕んでいた悪意をやっと解放する。本来の姿に戻ったセアに、ここに集まった原初神は既視感を覚える。
「今の私の立場は人間以下。下ろすのではなく、上がらせてくださいね」
『ああ』
「お手本期待してますよ、起点神」




