四次元人の恋
男は恋をしていた.
作家という神がつくった,長編小説の中の世界に生きている一人の少女に恋をしていた.
それは,叶うことも届くこともない片思いであったが,彼はそれを知ってなお,冷めやらぬ愛情の炎に日々薪をくべていた.
毎日起きてから眠るまで,彼女の運命のすべてを知りながら,彼女の物語を幾度も繰り返し読み返していた.
男は無欲だった.排泄を除くと部屋から出ることはなく,窓を開けることもない.食事は男の世話人が必ず決まった時間に部屋に運んでくるのであった.その世話人は決して男と顔を合わせることはなかった.
男は小さな部屋と, 短い廊下と, その先にあるトイレとのとても小さな世界に生きていた.
そして男はその小さな部屋の中でひとり死ぬまで,その世界から出ることはなかった.
その状況をいいことに, 四次元人の女はその男をその小さな世界ごと誘拐した.男が本棚から一冊手に取り小説の中のヒロインを自分のもののように愛でるのと同じく,男の小さな世界を切り取り, 自らのの手元に持ってきたのであった.
四次元人の女もまた,男に恋をしていた.
三次元人の男が,自らの言葉に答えもせず認識することもできない文字にかたどられた二次元人の少女に思い寄せるように,四次元人の女も男が全く知らないうちにその人生のすべてを知り,強い関心を持ったのである.
四次元世界では, 様々な四次元人作家が作り出した数多くの三次元世界を多くの四次元人が楽しんでいる.
三次元人は自らの人生が一本道であると考えているが, 四次元人のみる三次元世界は一人の人生をとってもあらゆる並行世界を確認できる.
四次元人の女は, 四次元人のある富豪が特注し, 美術館へ寄贈した一点ものの三次元世界に見入ってる内に, 気に入ったその三次元人の男のもっとも注目されるに値しない人生をこっそりと切り取り, 盗み出したのだ.
そうして四次元人の女は日々男の人生を愛で, 四次元人の富豪と, 作品を作り出した四次元人の作家に感謝をしていた.
自らも, 富豪も作家もまた, 五次元人の我々に読まれている存在であるとは考えもせずに.