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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

意地悪な殿下

こんな意地悪な殿下でよろしければ熨斗を付けて差し上げますわ!

作者: mio

 目の前にはにニヤニヤという言葉が似合いそうな笑みを浮かべているアルクフレッド殿下。その手にはおいしそうな焼き菓子がある。


「ほら、食べないのかい? 

 君が好きなベシホアーズのマフィンだよ?」


「いいえ、結構ですわ」


 こういった時のアルクフレッド殿下はろくなことをしていない。前は何をされたかしら。辛い物を好むものでないと食べられないといわれている実が入っていたり、何かとっても苦いものが入っていたりと散々なものを食べさせられたわ。私はもうだまされないんだから。


「ふふ、本当においしいのに」


 そういうとぱくりと手に持っていたものを食べる。ううう、これは本当に何もしかけていなかったのね。ベシホアーズのマフィンといえばなかなか手に入らない逸品。これは惜しいことを、いえ、警戒は大切だわ。それに我が家の菓子職人が作るもののほうがおいしいもの。


「それはようございましたわ。

 アルクフレッド殿下はこの後も公務がおありでしょう?

 甘いもので休息をとるのも大切だわ」


「おや、私を気遣ってくれるのかい?」


 く、絶対に私の言葉が嫌味だとわかっていてこう返しているわ! 私とお茶なんてせずにさっさと公務に戻ればよろしいのに。この方はいつもこう。私のことをからかってばかりで、少しやり返そうとしてもするりするりとかわしてしまわれるのだわ。思わずむぅ、としてしまってもくすくすと面白そうに笑うだけ。

 こんな意地悪な人が我が国の第一王子であり、王太子だなんて。


「殿下、ご歓談中失礼いたします。

 そろそろお時間が……」


「ああ、もうそんな時間か。

 じゃあまたね、リーア」


 もう会いたくないんだけれど、言葉には出さずに心でだけそう思う。リーアなんてわざとらしく愛称で呼ばないでよ。心ではそんなことを考えていても十数年間かぶり続けた公爵令嬢としての仮面はきちんと働いてくれているらしい。


「ええ。

 頑張ってください、殿下」


 不毛な時間だわ、そんなことを思いながら私は王城を後にした。


***

 リンジベルア・チェックシラ、それが私の名前。チェックシア公爵家の長女であり、ダイアルド王国第一王子、アルクフレッド・ダイアルド殿下の婚約者。アルクフレッド殿下とは幼いころから一緒に過ごしてきた。確かに『アルクフレッド殿下にふさわしいのはリンジベルア様を除いていませんわ!』と仲良くしていただいているご令嬢には言われているけれど……。


 正直まっぴらごめんだったのよ! 何が楽しくて、あんな意地悪わがまま王子の相手をしなくてはいけないの。幼いころから、私が丁寧に作った花冠を奪って壊す、大好きなお菓子に細工をする、先を走る殿下に追いつこうと走って転ぶとこれでもかというほど笑う、とうとう……。確かに見目はいい。しかも身分もこの国で陛下に次いで高い。

私にとって殿下の短所はそういった長所を消して余りあるものなのだ! それなのに、あの方はほかの人には決して尻尾を見せない。だから完璧な貴公子と思っている人の多いこと!


 ……、ごほん。ついつい日ごろたまっているものを吐き出してしまいましたわ。はぁ、殿下も私が気に入らないならば婚約を破棄してくださればいいのに。確かに外聞は悪いでしょうけれど、あの殿下と婚姻するよりはいいのでは? と本気で思っているのよ。それにチェックシア公爵家は王家に次ぐ名門。きっとすぐにほかの婚約者は見つかるわ。


「カナ、屋敷についたらマイクにマフィンを用意するように言っておいて」


「かしこまりました。

 ふふふ、また殿下に何か仕込まれたのですか?」


「またって……。

 いいえ、でも私、もう殿下から食べ物を何も頂かないと決めていますの」


 あら、と笑うカナはいつも私を支えてくださる有能な侍女。でも、私が殿下のことを口にするとなぜか優しい目で見てくるの。見守っているかのような目で見てくることだけがカナへの不満ね。


「マイクが作る菓子は本当においしいわよね。

 最初は菓子職人? と思っていたのだけれど、焼き菓子も生菓子も、どれも逸品でお父様に感謝しなくては」


「あら、感謝なさるのは旦那様にだけですか?」


「いいのよ、お父様だけで」


 王城と公爵家のタウンハウスは近い。こんな話をしているといつの間にか馬車は屋敷についていた。よかったわ、これでカナの追求から逃れられるわね。


***

「ねえ、リンジベルア様!

 今度、王宮が主催される夜会ではカルシベラ殿下も参加されるのですよね?」


「ええ、参加されると聞いているわ」


「まあ、お珍しい。

 リンジベルア様もアルクフレッド殿下と参加されるとお聞きしたのですけれど」


「ええ、その予定よ」


「まあ、またお二人のダンスを見ることができるなんて幸運ですわね。

 本当にお二人はぴったりですわ」


 今日は私の取り巻き、気取りの令嬢とのお茶会。カルシベラ殿下、つまりカルラのこと、全然さりげなさを装えていないけれど、ここにいる皆さん気になっているようで誰も咎めない。むしろよく聞いた、と内心思っているのでしょうね。ばさりと扇を広げて顔半分を隠す。これは本当に便利品よね。今もひきつりそうになる顔を隠してくれている。


「まあ、ありがとう。 

 私、ダンスは不得手なのですけれど、殿下のリードは本当にお上手でいつも助けられていますの」


 まあ、と笑うご令嬢方。よし、これでうまく誘導できたわね。正直カルラのことを聞かれるのは面倒なのよね。私に聞かないでご自分でどうにかしていただきたい。カルラはアルクフレッド殿下の2歳年下の弟で、私と同い年の第二王子。幼いころはアルクフレッド殿下よりも一緒にいたわね。それこそ、お互いに愛称で呼び合うぐらいには仲が良かった。それでも数年前、私が正式にアルクフレッド殿下の婚約者になってからはめっきり会わなくなった。会ってもそっけない。意味が分からない。


 そして令嬢たちがそんなカルラを気にするのは、彼の婚約者に収まりたいからに他ならない。なぜだか彼は未だに婚約者がいないのだ。候補はいくつも上がっているのに、決まらない。正確には本人が拒む。こっちも意味が分からない。というわけで、今、若い令嬢たちの関心はどちらかと言えばアルクフレッド殿下よりもカルラに集まっているのが現状だった。


 令嬢たちはさすがにアルクフレッド殿下にカルラのことを聞きに行く勇気はない様で、こうして世間話を装って私から情報を集めようと必死なのだ。なんて迷惑な。これは今度会ったら文句の一つでも言ってやらないと気が済まない。次の夜会では出ると聞いたし、その時かしら。


 そんなことを考えながらもそつなく茶会をこなす。ごくごく一部。私がアルクフレッド殿下にふさわしくない、と言ったことを遠回しに伝えてくる人もいるけれど、そんな人にはぜひ! アルクフレッド殿下の婚約者になってみてもらいたいものだわ……。


***

「まあ、お嬢様! 

 とてもお似合いですわ」


 キラキラとした目をこちらに向けてそうほめてくれるのはカナ。鏡で見たときから自分自身で想像以上の出来に驚いていたくらい、今日の私は素晴らしかった。


「カナのおかげよ。

 それにしても、こういう気遣いだけは本当に立派だわ」


 今日のドレス含む装飾品はすべてアルクフレッド殿下から贈られてきたもの。サイズがぴったりなのはもちろん、殿下の髪色や目の色、それらの私自身の色と反発しないように丁寧に取り入れたドレスは、私だけのためにデザインされたものだろう。それに、今日の夜会の目的もきちんと意識して、いつもよりもレースは控えめ。ふんわりと甘さを押し出したデザインではなく、きっちりと着こむような背筋が伸びるようなデザインになっていた。


 装飾品もそのデザインの良さを最大限生かしていた。こちらも派手ではなく、小ぶりな宝石を使用している。けれど、地味でもない。ドレスと合わせることで、一種の芸術が完成したかのように美しい。


 これを贈ってきたのがあの殿下だってことはなんだか気に入らないけれど。そんなことを考えていると、わざわざ殿下のお迎えがやってきた。これから向かうのは王城なのだから、こちらまで来るのはただの手間なのに。こういうことをさらっとするから、私は……。


***

 パーティーでは国王陛下、王妃陛下に続いて私とアルクフレッド殿下がダンスをする。周りの視線を一身に集めるこの時間、本当に嫌い。失敗したらどうしよう、そんな思いがいつも頭をよぎる。


「ほら、私だけを見ていてよ」


 ぎゅっと、抱き寄せられる。こ、ここにはそんな動きないわよね⁉ きゃーと小さく声が上がる。恥ずかしさに顔に熱が集まっていく感覚がするけれど、何とか笑みを崩さずに最後まで踊り切った。


 またやられたわ……。恨みがまし気に殿下を見上げても全くダメージを受けていないし。全くもう。


 そこからはほかの参加者も入ってきてダンスをする。アルクフレッド殿下とは婚約者だから、そのまま3回連続で踊ると、ようやく解放された。ああ、本当に疲れたわ。


 少し休もうと、人目が少ないテラスへと足を踏み入れる。夜の風がひんやりとしていて、アルクフレッド殿下のせいでほてってしまった頬に心地よい。少しの間そうしてぼんやりしていると、後ろから足音が聞こえた。振り返るとそこには懐かしい顔があった。


「カルシベラ殿下……。

 お久しぶりですね」


「ああ、本当に。

 元気だったか、リーア」


「ええ、まあ。

 あなたのせいでいらない心労が増えておりますけれど」


 そう口にすると、少し驚いたように片眉を上げる。


「君の心労は俺のせいではなく、ほとんどは兄上のせいだろう」


 とのたまった。いやいやいや。十分カルラのせいで心労がたまっているのですが? そのうえ本人はあまり人前に出てこないし。こうして文句を言う機会を得たのも久しぶりのこと。


「まあ、まさか本気で言っているわけではないですよね?

 お茶会に出るたびに殿下のことを探られて……。

 私のお茶会への意欲は半分以上あなたのせいで削られたわ」


 周りに人がいないことを確認したうえで、声を潜めて問い詰める。一歩近づいた私に対して、カルシベラ殿下は驚いたように一歩下がる。何よ、そんな反応しなくても。


「り、リーア。

 そんな近づかなくても聞こえているから。

 ちょっと離れて……」


 あら? 少し耳が赤い……? でも、この人が今更私に対して照れるはずもないし。もしかして、熱⁉


 ぐいっと距離を縮めておでこに手を当ててみる。いつもと変わりないように思うけれど……。こういう夜会も久しぶりだろうし、疲れてしまったのだろうか。


「ちょっと、リーア⁉

 一体何をしているんだ」


 肩をつかまれて体を離される。目的はもう達成したし、別にいいのだけれど。どうしてカルラはそんなに慌てているのかしら。


「何って、熱がないか確かめただけよ。

 耳が赤かったから、もしかして慣れない夜会で体調を崩したのかと思ったの」


「体調は、崩してないから!

 こんなことで崩すくらい軟弱ではない」


「そう?

 ならいいけれど」


 お望み通り離れようとするけれど、なぜか肩をつかんだ手を離してくれない。そろそろ2人でここにいるのもまずいと思うのだけれど。一言言おうとカルラの顔を見上げようとして、失敗した。カルラに思い切り抱きしめられていたのだ。


「ちょっ、カルラ⁉ 

 さすがにこれはよくないわ」


「リーアが悪い……。

 俺が必死に我慢しているのに、そうやって……」


 まだ、カルラと呼んでくれるんだな。そう、ささやくような声で言われる。耳の近くで聞いてしまって、くすぐったい。それはまあ、ずっとそう呼んでいたもの。思わず出てしまうことくらいあるわ。離してもらおうともがくも、手は緩まらない。どうしよう、そう思っていると、不意に拘束が解かれた。それでも、手は繋がれたまま。


「リーア、一曲踊ってよ。

 一曲なら問題ないだろう?

 戦争へ行く俺への餞別として、これくらい叶えてくれよ」


 まるで幼い日に戻ったかのような笑顔。それに目を奪われていると、いつの間にか会場に戻っていた。ちょっと、これは悪目立ちする。手を離す間もなく、新しい曲が始まる。仕方なく、私はそのまま一曲カルラと踊ることになった。


「もう、なんなのよ……。

 本当に一曲だけですよ、カルシベラ殿下」


 カルラが口にした『戦争』という単語。気にしないようにしていたのに、一気に心を重くする。この夜会の目的とはいえ、あまり意識したくなかった。意識してしまったら、どうしても暗くなってしまうから。今日だけは、華やかな気持ちのまま送り出したかった。


「そんな暗い顔しないでください、リンジベルア嬢。

 きっと勝利をあなたに持ち帰りますから」


 その言葉に顔を見る。先ほどまでとは違って、自信に満ちた笑顔を見せるカルラがそこにはいた。


「はい、信じております」


 きっと、無事に。カルラも、そしてアルクフレッド殿下も。どうして、王の子が2人も戦場に向かわねばならぬのか。それは景気づけという面が強かった。負けるはずのない戦い。それでも王子自らが最前線に立ったという事実によって市民の支持を得、今後の治世を盤石にすることが目的だった。


 一曲が終わるのはあっという間だった。約束通りカルラは私を離してくれる。そのあとはいつも通り令嬢たちとの歓談を楽しんだ。話題はカルラのせいで尽きなかったけれど。そのカルラは今、別の令嬢と踊っている。その姿に少しだけ、胸の奥がもやっとしていた。


***

 盛大な見送りの後、殿下たちがそれぞれの戦場へと旅立っていった。その日から早くも数か月が経過している。王都は国が現在戦争していると思えないくらい平和で、穏やかで。だから、すぐに帰ってくると信じることができた。


 とはいえ、すでにもうかなりの時間が経過している。もう戻ってきてもいいころだと思うのだけれど……。


「殿下が心配か、リーア」


 庭に用意されたテーブルに座り、カップを持ったままぼーっとしていると、そんな声が聞こえてきた。振り返ると予想通りの人物、お兄様がいた。


「ええ、もちろん。

 こんなに長くなるなんて……」


「果たして、わが妹が心配しているのはどちらの殿下なのかね」


「どういうこと、ですか?

 私はアルクフレッド殿下もカルシベラ殿下も心配です」


「両方、ね」


 ふーん、と何か言いたげな視線を送ってくるお兄様。いっそはっきり言ってくださった方がすっきりするのに。むっとした顔を向けていると、不意にその表情を曇らせた。


「雲行きが怪しくなってきた。

 アルクフレッド殿下が出征なさった戦場に、リューフェリック王国の騎士が現れたらしい」


「え……?

 ですが、今回の敵はワルザー王国ではないのですか?」


「そのはず、だった。

 その2国が手を組んだのかもしれない」


 さっと血の気が引いていくのを感じる。今回の戦が勝ち戦だったのはワルザー王国のみが相手だったからだ。長年小競り合いを繰り返しているかの国に対して、決着をつけるための戦いだった。いつもなら小分けにしている戦力を一気に叩き込むことで終わらせようとしていた。それなのに。リューフェリック王国なんて……。一気に話が変わってくる。


「報告を受けてすぐに援軍を送った。

 あとは殿下がどれだけ持ってくださるか、だ」


 そう伝えた兄の表情で、いかに厳しい状況なのかがわかる。嫌、お願いだから、無事に帰ってきて。また、いつもみたいに意地悪な顔で笑ってみせて。


「本当は、リーアにこのことを伝えるか迷った。

 でも、お前は知る権利があると思ったから。

 すべてが終わった後ではなく、今知らせることにした」


「ありがとうございます、お兄様……」


 何とか礼を告げると、ふらふらと自室に戻る。何もできないけれど、せめて。手を固く握りしめ、ひたすら神に祈った。どうか、アルクフレッド殿下が無事に戻ってきますように、と。


***

 アルクフレッド殿下の報告を受けてから数日後、カルラが勝利して王都へ帰ってくるという知らせが王都中を沸かせた。カルラは多少の傷は負っているものの、いずれも軽症。そんな知らせを受けたとき、体中から力が抜けた。


「よかった、本当に」


 思わず涙をこぼした私を、カナが優しく抱き留めてくれる。アルクフレッド殿下の件もあり暗く沈んでいた王都は、久しぶりの朗報に顔を明るくして祝った。カルラの凱旋はそれはもう盛大なもので、いかに民がこういった祭りに飢えていたかがうかがえる。久しぶりに見たカルラはよりたくましくなったように感じた。


 カルラが呼んでいる、とお兄様を通して呼び出されたのは、その祭りもひと段落するくらいの時間が経った頃だった。その呼び出しに応じて、私は久しぶりに王城へと足を踏み入れていた。王妃教育も終了しており、アルクフレッド殿下とのお茶会もない今、私がここに来る用事はなかったものね。


 案内されたテラスには、笑顔を浮かべたカルラが待っていた。


「お帰りなさい、カルシベラ殿下。

 お元気なようで本当に安心いたしました」


「ああ、戻った。

 俺は約束を守っただろう?」


「約束……。

 勝利を、私に?」


「そう。

 そんな幼馴染にご褒美の一つでもくれていいと思わない?」


 今日のカルラはどうしたのだろう。なんだか浮かれている。夜会の前はあんなに私のことを避けていたというのに、やっぱりこの人は意味が分からない。まるで幼い時に戻ったかのように私に話しかけて。


「ご褒美って……。

 私にあげられるものは何もないわ」


「いいや、そんなことはないね。

 これはむしろ君にしかあげられないものだから」


 カルラの言葉に首をかしげる。私にしかあげられないもの? でも、そんなものはない。私が用意できるものはすべて、チェックシラ家が用意していることと同義。だから、実家に用意できて私に用意できないものは多くあっても、その逆はないのだ。


「君の時間を一日だけほしい」


「え……?

それはどういうこと……?」


 あまりにも予想外な言葉に思わず固まる。私の時間を欲しいって、いったいどういうことなのかしら。


「だからね、」


 そう、カルラが言葉を続けようとしたときだった。部屋の扉がノックもそこそこに開け放たれる。突然の出来事に肩が大きく揺れた。部屋に入ってきたのはとある騎士。私にも見覚えがある男性だった。騎士は見たことがないような真っ青な顔で、息を切らしていた。


「ほ、報告、いたします。

 アルクフレッド殿下が、勝利を、納めました」


 その顔色とは異なり、明らかにいい報告だった。それでも騎士の様子から明らかに何かが起こっている。純粋に喜ぶことができない、何かが。じっと言葉の続きを待っていると、騎士はようやく、しかし、と続けた。


「しかし、殿下は……、重傷を負っているとのことでした。

 緊急で会議が開かれます。

 カルシベラ殿下に至急、そちらに向かっていただきたいです」


 アルクフレッド殿下が、重傷。その言葉だけが頭の中をぐるぐると回った。血の気が引いて立っていられない。そんな私を、カルラが支えてくれた。


「リンジベルア嬢、今日はもう帰りましょう。

 また後日」


 何かを言うカルラにうなずきを返した気がする。それすらも意識の外で。気がついたら私は自室にいて、ベッドに入っていた。お兄さまにも会った気がするけれど、それすらもあいまいだった。


***

「リーア、よく聞いてほしい」


 お兄様が真剣な顔でそう切り出したのは、それから数日後のことだった。ひとまず、命に別状はない。戦場では見事な勝利を収めてきた。私が知ることができたのはこれだけ。ようやくお兄様から話を聞けるのだと思うと、むしろ安心したくらいだった。


「はい」


「アルクフレッド殿下が向かわれた戦場は……、かなり厳しい状態だった。

 それはお前もわかっていると思う」


「はい」


 リューフェリック王国が参戦したと聞いた時から、それは理解していた。もしかしたら、勝利を収めるのも難しいかも、と思うほど。だが、なぜか私は、その事実がアルクレッド殿下を傷つけるとは思っていなかったのだ。


「厳しい状況で、アルクレッド殿下は勇敢にも立ち向かい続けた。

 そして、見事に勝利を、我が国の平安をもたらしてくださった」


「はい」


 一向に本題に入らない。一体お兄様は私に何を告げたいのだろうか。


「だが、殿下が負われた傷はかなりひどいものでな……。

 すべての関係者の合意のもと、アルクフレッド殿下は廃嫡されることが決まった」


 ひゅっと、音が聞こえた気がした。それが自分が発した音だと気がついたのは、一拍遅れた後。こちらを気づかわしげに見ながら、お兄様の言葉は続いた。


「立太子されるのは、カルシベラ殿下だ。

 そして……、お前はアルクフレッド殿下との婚約を解消したのち、カルシベラ殿下と婚約することになる」


「は……?

 一体何を……?」

 

 私とアルクフレッド殿下の婚約を、解消? しかもカルラと婚約? 人を何だと思っているの。一気に怒りがわいてくる。それがどうしてかなんて、考える余裕はなかった。


「我が家がリーアとの婚約を許可したのは『王太子』と、だからだ。

 それに、現状王妃教育を終えているのがお前だけ、という理由もある」


「そんな、理由で……」


 そんな理由で私を翻弄することも許せないけれど、そんなに大切なことを私に相談なく決めるなんて。あまりのことに言葉が出ない。そんな私の様子に、お兄様が探るような眼を向けてきた。


「お前は……、カルシベラ殿下が好きなのではなかったのか?」


「何を、仰っているの?

 確かにカルラは、カルシベラ殿下は大切な人です。

 でもそれは、幼馴染として、友人としてです」


「なら、アルクフレッド殿下は?」


 その言葉に、どうしてか私は何も返せなかった。意地悪でわがままで、だから嫌いだとそういうだけでよかったのに。黙ってしまった私に何を思ったのかわからないけれど、お兄様は私の頭を優しくなでてくれた。


「もしも、お前が望むのなら……」


 そのあとに続く言葉に、私はよく考えた後うなずいた。


***

「なぜ、ここに君がいるんだ」


 本当にお久しぶりに見るアルクフレッド殿下。常に雄々しい姿だったあの方の姿とは似ても似つかない。不自然にひざ下からふくらみがない布団。悔しいけれど認めていた美しく整った顔には大きな傷がついている。ああ、つまり。戦場とはそういうところなのだ。私は何もわかっていなかった。


それに殿下から発せられるのは聞いたこともない冷たい声。恐れてはだめ。私は毅然と前を向いていなくては。


「なぜ?

 おかしいことをおっしゃるのですね。

 私はアルクフレッド殿下の婚約者。

 殿下が帰られたのならば、ご挨拶に伺うのが当然ではございません?」


「婚約は破棄したが」


「あら、了承した覚えはございませんわ」


「リンジベルア!

 もう、私は王太子ではない、君の婚約者ではいられないんだ!」


「私は王太子と婚約したのではありません。

 私は、アルクフレッド殿下と婚約をしたのです」


「だが!

 もう、こんな体だ。

 ……本当はカルシベラと結ばれたかったのだろう?

 お互いに思いあっていたのだろう?

 それを私が引き裂いた。

 これはきっと、運命を元に戻そうとする神の意思だ。

 だから……」


 アルクフレッド殿下との婚約が決まった当時、私は嫌がった。だって、アルクフレッド殿下とはあまりお会いしたことがなかったし、会うと意地悪ばかりしてくる。いっそ恐怖心すら抱いていた。カルラに対してはきっと、淡い恋心を抱いていたのだと、今は思う。きっとカルラも私に対してそうだったのだろう。でもそれは過去の話だ。


「私、アルクフレッド殿下のこと、好きではありません。

 私が丁寧に作った花冠を奪って壊すし、大好きなお菓子に細工をするし、先を走る殿下に追いつこうと走って転ぶとこれでもかというほど笑うし……」


 突然始まった愚痴に目を丸くする。なんだか長年の仕返しができたようで少しだけすっきりする。なら、と殿下が口を開く。それが音になりきる前に、私はでも、と言葉をかぶせた。


「でも。

 細やかに気を使ってドレスを送ってくださるところ、私が好きだからと腕のいい菓子職人を探してくれること、厳しい王妃教育に隠れて泣いていた私を見つけて傍にいてくれたこと、国民に対して心から大切に想っていること。 

 良いところも、たくさん知っているのです。

 何年、一緒にいたと思っているのですか。

 ……、本当は殿下のこと、好きでいるご令嬢にこの座をいつでも譲って差し上げたいと思っているのですよ。

 それこそ熨斗でもつけて」


 ああ、情けない。涙があふれてこぼれる。一番泣きたいのは私ではなくて、きっと目の前にいるこの人なのに。


「ですが、それは決して殿下を不幸にするためではありません。 

 私よりもふさわしい方がいるのなら、私よりも殿下のことを考え支えてくださる方がいるのなら、そう思っていました。

 もしも、あなたが私の手を離して一人になろうとしているなら、許しません。

 許せるはずがありません。

 誰よりも国のことを考えるあなたが、幸せにならなくてどうするのですか……」


「リーア……。

 だが、しかし……」


「殿下は!

 殿下ご自身はどう考えていらっしゃるのですか?

 先ほど申し上げた通り、私はただ、殿下に幸せになっていただきたいだけなのです。

 その時隣にいてほしい方が私ではないのなら、そう仰ってください」


「そんな人いるわけがない!

 私は、いつだって……。

 だが、そんなこと王家もチェックシラ家も許すはずがない」


「どうして私がここにいるとお思いですか。

 お兄様が手配してくださったのです。

 お兄様は、私の意思を、殿下の意思を尊重すると仰いました。

 お父様もこちらの味方です。

 あと覚悟を決めるべきなのはアルクフレッド殿下、あなただけです」


 まっすぐに殿下を見つめる。祈るような気持ちで過ごす時間は妙に長く感じる。涙はやっぱり止まってはくれない。うつむいていた殿下は、しばらくしてようやく顔を上げた。その目は揺れていた。


「私は、望んでもいいのか?

 だって、それは……」


「殿下がどうしたいのか、それだけを聞かせてください」


 辛抱強く、伝える。殿下に決めてほしかった。後悔なんてしてほしくなかった。だから、急かすことなく、ただ待った。


「……許されるのなら、リーアといたい。

 君は、私のすべてだから」


 ぽつりと、本当に小さな声でそう言う。瞬間、胸の中が言葉にできない感情で満たされる。あとからあとから涙がこぼれていく。きっと私は今ひどい顔をしているだろう。


 抑えられない衝動のまま、目の前の彼に抱き着く。ああ、温かい。ほっとする。戸惑っていた彼も、おもむろに私を抱きしめた。徐々にその力が強くなっていく。痛いけれど、嬉しい。


「ありがとう、リーア。

 きっと、幸せにするから。

 今の私にできる全力で」


「あら……、幸せにしていただかなくて結構ですわ。

 私は自分で幸せになりますもの」

 

 初めてではないかと思うほど、穏やかな時間が流れる。きっとこの先、想像もできない困難が待ち受けているのだろう。それでも、目の前の彼と。少し意地悪だけれど、まじめで優しい、そんなアルクフレッドと共に歩けるのなら。それだけできっと、力が湧いてくるから。


「頼もしいな」


 今だけは、この温かさだけを感じていよう。


***

「どうして、そうなるんだ。

 ああ……、またやり直さないと……」


 誰もいない廊下で、男のそんな言葉がこぼれた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] しみじみと胸があたたかくなるお話でした。素直になれないアルクフレッド、その気持ちに気づいているのだろうに向き合えないリーアが、いきなり降りかかった困難によって、自分の気持ちを認めて難しい道…
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