キャンプ日記 その4
異世界に来てニヶ月ほど経った。
「お金が…貯まらない……」
毎日薬草を取って、毎日納品しても、およそ銀貨一枚。その日の出費だけで、ほとんど消えてしまう。常に空腹を感じ、満腹になったのは遥か遠い昔のように感じる。
「木等級から上がれば、討伐依頼も受けられるけど……」
魔力が無いと、そもそも石等級にはなれない。というか、木等級が僕のような魔力の乏しい人専用の等級で、そのほとんどは身分証の代わりに持ち歩く程度らしい。
「ヴォルフさんのお父さんには申し訳ないけど…この手帳だけじゃ暮らしていけないな」
もっと情報がいる。行動範囲を広げたり、より上質な薬草を採らなければ。そのためには、手書きの説明書よりも、専門的な図鑑を読む必要がある。
「……よし」
今日の分の薬草を納品する時に、受付のお姉さんに尋ねてみた。
「薬草図鑑ですか?それなら、向こうの売店で買えますよ」
「…いくらですか?」
「大銀貨一枚です」
うっ…高い……しかし、その分今後の報酬額は上がる…けど、先立つものが足りない。
「あの…貸し出してもらう事は出来ますか?」
「持ち出しは出来ませんが、その場で読む分には無料で貸し出しています。書き写す場合には、事前にご連絡していただいた後、大銅貨三枚で受け付けております」
「ありがとうございます」
今日の稼ぎで銀貨一枚。銅貨に換算すると百枚。日本円計算だと銅貨一枚が一円の価値だ。
つまり日当が百円で模写が三十円。手痛い出費だけど、首が回らないほどじゃ無い。
「すみません、薬草図鑑の模写がしたいのですが」
「図鑑模写ですね。大銅貨三枚です……はい、確かに。ではこちらが薬草図鑑です。明日の朝までに返却してくださいね」
ゆうに二百ページはあるだろうか。かなり分厚い本を手渡された。表紙には大きく『薬草図鑑・貸出用』と書かれ、丸い…魔法陣だろうか。ファンタジー漫画でよく見る謎の方陣が刻印されている。
「盗難防止策かな…っと、今はそんな事どうでもいいんだ。とにかく写さなきゃ」
一口に薬草と言っても、色々とある。治癒、止血、鎮痛をはじめ、頭痛、腹痛、関節痛に効く薬草。煎じて飲むのか、塗布するのか。
毒草も、調合すれば解毒や気付薬など、その用途は多岐にわたる。
また、同じ薬草でも品質の良い物は高値で取引されるので、どういう状態の物が良質なのかは、きちんと知っておく必要がある。
「まずは採取する種類を増やそう。品質の見分け方は…まだちょっと難しいだろうから」
◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎
「これは治癒、こっちは麻痺毒。おっと、これは効果の無い薬草モドキ」
図鑑を書き写してから三日後。取れる種類が増えた事で、銀貨一枚は二枚の辺りで安定した。少し出来た余裕で採取カゴを新しくし、今まで手持ちカゴだったのが背負いカゴに変わった。取れる量も増えて、昨日は銀貨四枚になっている。
「ふぅ……ちょっとお昼にするか」
今日のお昼はウィンドの街名物「風のサンドイッチ」だ。冒険者協会の向かいに建っている「馬休み亭」で販売されている人気商品。
名前の知らない異世界の野菜に、たっぷりの塩ドレッシング。薄くスライスされたスモークベーコンにブラックペッパーを粗くふりかけ、自家製のパンで挟んだサンドイッチ。
「いただきます」
…くぅ〜っ美味い!!元の世界で例えるなら、使われている野菜は三種類。レタス、オニオン、ニンジン。サッパリとした味わいで、食べた後には全身を爽やかなそよ風で撫でられた気分になる。そしてスモークベーコンが食欲を刺激し、一つ…また一つと食べる手を休ませない。気づけば、四つあったサンドイッチは全て僕のお腹に収まってしまった。
「…これで銅貨五枚は安いよなぁ」
持ち帰り用のバスケット付きで大銅貨一枚。その後、バスケットを持って行けば銅貨五枚。美味しいから何度でも食べたくなるし、バスケットがあれば半額というのも魅力的だ。
「……なんだかちょっと騙されている気がしないでも無いけど。味は騙されてないから別に良いか。ごちそうさまでした」
食べ終わったら背負いカゴをかつぎ、別の群生地を目指す。採りすぎて全滅してしまうと、最悪の場合は生態系に影響が出る。とはいえ、一週間もすれば雑草並みの生命力でどんどん増えるんだけど。この群生地の様子を見に来るのは、五日後くらいかな。
◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎
「……迷った」
自分で見つけた群生地や、既存の採取ポイントを転々としているうちに、僕はどうやら道を間違えてしまったらしい。
とはいえ今は山の傾斜を降りているのは確かなので、そのうち知っている所に出るとは思うのだけど。
「問題は時間だな…もうすぐ日が完全に落ちるだろうし……」
まだ先は見えない。かと言って、真っ暗な山の中を歩くのは危険すぎる。したがって僕の取るべき行動は、日が暮れるまでに帰れる可能性に賭けるか、今から野宿の準備を進めるかだ。
「安全な日本なら、怪我もしていないし野宿っていうかキャンプ一択なんだけど」
異世界では魔物が出るというリスクが存在する。まだ見た事は無いけれど、出ないという保証も無い。
それに、冒険者協会では何度か魔物が納品される姿を見た事があるけれど、どれも凶暴そうな見た目をしていて、もしも遭遇したなら五秒であの世行きだろう。
「異世界転移したから、次は異世界転生……なんて、そんな都合の良い話は無いよなぁ…」
そんな人生何回分の幸運か不幸かわからない事が、一回しかない人生で何回もあったらたまらない。魔物に発見されたら全力で逃げるし、魔物を発見したら全力で逃げる。それが一番だ。
「……おや?」
少し遠いけれど、水の流れる音がする。無闇に歩いていたわけでは無いけれど、どうやら水場が近いらしい。異世界に来た時同様、川に沿って下れば知っている場所に出るはずだ。
「となれば川のそばで夜を明かすのが最善かな。適当な木の上で眠れば、多少は安全に……」
それは油断というか、焦りというか。現地確認のために水場を目指して行くと、川に出た所で最悪と遭遇した。
「……っ」
フォレストウルフ。ヴォルフさんにもらった手帳によると、初心者が注意すべき魔物第二位に位置する魔物。
討伐推奨度は石・鉄等級。凶暴で縄張り意識が高く、侵入者は自分より格上であろうと襲いかかる。単体での脅威はさほどでも無いが、恐るべきはその生態にある。
フォレストウルフは「集団で」狩りをする魔物の代表格だ。常に五匹から六匹で行動し、同じ縄張りの中に数十匹存在する。縄張りの範囲にもよるけれど、一定数を超えると若い世代の個体が縄張りを出て、どこか別の場所に新しい縄張りを作る。
…つまるところ、僕が遭遇したら絶対逃げ切れないし勝てないし秒殺されるという事で。しかもそんな存在と水場でバッチリ鉢合わせして目も合っている。
「…死んだ。第四話にて、完」
あー見えます。見えてしまいます。コレが噂に聞く走馬灯ですか。死期を悟ると人間は自分の人生をゆっくり思い出すというけれど、まさか二十代で見る事になるとは夢にも思いませんでした。さようなら、人生。我が生涯に一片の悔いなし。あいるびーのーばっく。
「…あら?」
水を飲み来たフォレストウルフさん。草葉を分ける音に気付いてこっちを見たにも関わらず。真正面に見据えた僕が視界に入っているはずなのに、動く気配が無い。それどころか水飲みを再開されましたよ?
「…これは逃げるチャンスなのでは?」
そうと分かれば話は簡単だ。少し戻って木の上に逃げれば、登れないフォレストウルフは諦めるしか無くなる。さぁ善は急げだすぐにでも行動しよう。こんな所にいられない僕は木の上で休むぜ。
「っ!?ひゅおぉっ!?」
逃げるために振り返った僕は、呼吸すると同時にすっとんきょうな悲鳴を上げた。その距離およそ三十センチ。水を飲んでいるフォレストウルフがドーベルマン級だとするならば、今僕の目の前にいるフォレストウルフはセントバーナード級の大きさになる。しかもその巨体がゆっくり僕に近づいてきているのだ。
「あ…あは、あはは、腰がぬけた…ははは……」
笑う事で僕の本能は精神のバランスを取ろうとしているけれど、そんな事したって意味なんて無い。
そして続くようにフォレストウルフが一匹二匹と出現し、今更ながら手帳の内容は正しかったと認識していた。
「さっきのフォレストウルフは僕を襲わなかったんじゃあ無い…襲う必要が無かっただけなんだ……」
あの巨体であるならば、別に全力を出さずとも僕を狩れる。大きな口を開けて頭を齧れば、僕の細い首なんて果実を摘み取るより簡単に引きちぎれる。今度こそ終わりだ。さっきみたいに頭の中で冗談を言う気にもならないのは、死の気配が目の前にあるからなのだろうな。
「……っ!」
せめて死ぬ瞬間を見たく無いと目を閉じる。けれど感じられたのは首に突き立てられる鋭い牙では無く、肌をかすめた柔らかい体毛の感覚だけだった。
「っ、え?」
巨体のフォレストウルフは、手下のフォレストウルフを連れて僕のすぐ隣を通り水場へ。まるで僕の事が見えていないかのようだった。
「………助かっ…た?」
そのまま木の上に登ってフォレストウルフを観察していたけれど。飲み終わると森の中に消えていった。
「…どうなってんの……?」
お読みいただきありがとうございますー
とりあえずまだ続きそうですねー
早くキャンプしたい…
あ、次の更新は17日ですー