男が女に告白する話のやつ
ある部屋があった。
中央には十人が使用してまだ余りがある程大きな木製の円卓が置かれており、それでいて狭さを全く感じさせないほど部屋は広かった。
部屋の入り口から一番遠い壁際には小さなローテーブルが置かれており、どちらも壁を背にしないように、ローテーブルを挟んで向かい合うように一つずつ椅子が置かれている。
二つの椅子には二人の人間が座っていた。
一人は男。Tシャツにジーンズとラフな格好。机を挟んで正面に座るもう一人に緊張の表情を向けている。
一人は女。ネイビーのジャケットとタイトスカート。眼鏡をかけて、長い黒髪は後ろで一つに纏めている。
「大丈夫ですね。書類に不備もありませんし、経験も特に問題ないでしょう」
女が男に向かって話しかけた。事務的になりすぎないよう意図的に声のトーンを上げた話し方。
「安心しました。今まで百回近く免許の申請をしてきましたけど、申請が受理されるまでの緊張感は何度やっても慣れないですね」
男はいくらか緊張が解けた様子で、まだ固いながらも笑顔を見せた。
女は男の表情の変化を見て話しかける。
「今世紀初めに高齢ドライバーが起こした交通事故をきっかけに、あらゆる事が免許制になりましたからね。当時は出産や育児、自転車の運転にも免許が存在しなかったそうです」
「2000年代前半なんて教科書で見た程度の知識しか知りませんけど、当時の人は免許制も無い状態でどうやって安全を確保していたんでしょうね?」
男は自分の目の前に置かれたコーヒーを一口飲み、それからあわてたように、
「すみません、飲み物もお出ししないままで。コーヒーでいいでしょうか」
立ち上がりながら言った。部屋を出てキッチンに向かおうとする男に向かって女は、
「お気になさらないでください。免許の申請は緊張される方も多いですし、仕事で来ていますのであまり物を頂いたりするわけには」
と言って角が立たないよう断った。それを聞いた男は、しかし気にする様子もなく、
「飲み物をお出しする位なら構わないでしょう?いいコーヒーが手に入ったんですよ。振舞う相手もいなかったんですが、丁度良かったです」
席を立ってキッチンへと向かった。女に背を向けた男からは、男を見送る女の目が少し細まったのは見えなかった。
男がコーヒーを持って戻って来てから、女は免許発行後の注意点を告げた。免許申請が正式に受理されるのに一時間程度かかること。免許が交付された旨の電子郵便の到着をもって、正式に効力を発揮すること。今後申請可能となる数種類の新たな免許など、今まで何度も同じ説明をこなしてきただろう事が見て取れる流暢な説明だった。
途中、男からテーブルに置かれたままのコーヒーを勧められ、
「猫舌ですので」
と断りながら、一息に説明を終わらせた。
「説明は以上になりますが、何かご質問はございますか?」
女からの問いかけに男は、
「今回許可された種類の一覧のようなものがあれば助かるんですが」
と遠慮がちに言った。
「今回申請された第一種飼育免許については、飼育できる動物の種類が多すぎる関係上、許可された全ての生き物が記載された資料はご用意できませんでした。飼育可能となった種別が大まかに記載された電子郵便が届くと思いますので、特殊な種類の生き物や個体は、その都度問い合わせをして確認していただく事になります」
「分かりました。なにぶん独り身なもので、ペットを飼育することだけが生きがいですから。これからは今まで許可が下りなかった種類のペットまでたくさん飼育するつもりなんです。」
男は本当に楽しそうに言った。ポケットから携帯端末を取り出して、
「今まで飼育したペットは全部記録してあるんです。いつでも見られるようにね。見ますか?」
女の返事を待たず、男は携帯端末の画面をめくりながら説明を始めた。楽しそうに動物たちとの思い出を語る男の横で、女は笑顔を崩さず相槌を打っていた。
一通り思い出を語り終えた男は、
「すみません、夢中になって話しちゃいました。普段話を聞いてくれる人もいなかったので、つい」
照れながらそう言ったあと、
「部屋ももう少し整頓したいんですが、飼育するペットに住み良い環境を整えようとすると、どうしても物が多くなってしまって」
部屋を見回しながら男はそう付け足した。女も男の目線を追い、部屋の壁際に置かれた大小様々な空っぽの檻や飼育槽を見た。檻や飼育槽の中は入る動物が快適に過ごせるよう相当工夫がされており、小動物用らしき檻から人が楽々入れそうな大きさのものまでかなりの数が用意されている。水棲生物や爬虫類、昆虫用まで多種多様に置かれているが、部屋が広いこともあり、男が言っているほど散らかった印象は受けない。
「飼育するペットにとってはこの箱が世界の全てですからね。できる限り幸せに過ごせるよう努めるのは飼い主の義務だと思っています」
「本当にペットがお好きなんですね。飼育されるペットも貴方のような飼い主と過ごせて幸せでしょう」
男は女の言葉を聞いて照れながら、
「ペットたちは愛情を注げば必ず応えてくれます。ほら、あの犬も笑っているように見えるでしょう?言葉が通じなくても気持ちはきちんと伝わるんです」
部屋の入口近くの壁にかかった、大きな額縁に入っている犬の写真を指さした。女は笑顔だけでそれに応えた。
「どうやら正式に免許が発行されたようです。手続きはこれで以上となります」
言いながら女は席を立った。その際にまだ口を付けていないコーヒーを勧められ、
「コーヒーは苦手なので」
と女は断った。
一礼して玄関に向かう女を男は呼び止め、
「あの、実はずっと言いたかったことがありまして」
耳まで真っ赤にしながら数秒言い淀んだ後、意を決したように男は、
「一目惚れしてしまったみたいなんです。結婚していただけませんか」
言葉尻が消えそうになりながらも女に告げた。
「申し訳ありませんが、お断り致します。」
考える間を置かず、はっきりと女は断った。
「どうしてですか。独身生活が長かったので料理もできます。掃除も洗濯だってします。生活の世話は全部します。自慢ではないですが家もそこそこ大きいですし蓄えもあります。好きなんです。傍にいてくれるだけでいいんです。」
「お気持ちはとても嬉しいのですが、でもやはりお断りさせていただきます。」
今にも泣き出しそうな男の表情越しに、壁際に置いてある一際大きな檻が女の目に映った。檻は人が楽々入れそうな大きさだった。
丁寧に一礼したあと、女は部屋の入口に向けて歩き出した。入り口近くの壁には大きな額縁がかけられており、犬の写真が飾られていた。女にはその犬が笑っているのか、それとも違うのかは分からなかった。
玄関で靴を履き終え、挨拶の為に女が振り返ると、そこに男が立っていた。
「コーヒーを、飲んでいかれませんか」
男の手には、すっかり冷めてしまったコーヒーが入ったカップが握られていた。男の表情からは笑顔も悲しみも消えていた。ただ無表情に、
「コーヒーを、飲んでいかれませんか」
と繰り返した。
「一人が性に合っていますので」
と女は断った。
「ところで、あれだけたくさんの檻や飼育槽をお持ちなのに、今は一匹も飼育されていないんですね。」
女の言葉に男は、
「彼らは今も僕と一緒に生きていますよ」
笑顔でそう答えた。
「僕が愛情をもって飼育した彼らは、もはや僕の一部です」
男の言葉は女に通じたが、気持ちは伝わらなかった。
玄関を出て扉を閉め、女は庭を真っ直ぐ歩いた。庭は広かったが、やはり彼らが埋められた痕跡は無かった。
門を通り過ぎた後、一度だけ女は振り返った。
男の世界の全てが詰まった大きな箱が見えた。
終わり