第6話。「お兄ちゃん」
「もしもし?」
「お兄ちゃん。美優だけど……」
「どうしたの?」
「昨日はごめんなさい」
「……ぼくも言い過ぎたよ。ゴメン」
「うん。じゃあそれだけ言いたかったから……」
「あっ、待って。美優今ヒマ?」
「ヒマだけど。何で?」
「もし良かったら買い物に付き合ってくれないか?」
「えっ?……うん!」
「ありがとう! 助かるよ」
「何時にする?」
「じゃあ1時に商店街の入り口で」
「わかった。遅刻しないでよね、お兄ちゃん!」
「了解。じゃあ後で」
「うん!」
……これってもしかしてデート?
私はそんな期待を膨らませながら商店街の入り口まで小走りで行った。
商店街に着くとそこにお兄ちゃんの姿は無かったけど、それもそのはず、時刻は現在12時30分。待ち合わせの30分前なのだから。
私はガラス越しに映る自分を見ながら少し乱れた髪を整える。
「よし! 完璧」
ガラス越しに1人そう呟く私。
自分でいうのも何だけど私は結構、可愛いと思う。
肩ほどまでのウェーブのかかった黒髪は綺麗だねとよく褒められるし、ラブレターだってたくさんもらった。半分は後輩の女子からだったけど……。
でも私は今までの15年間、誰とも付き合ったことはない。
それは何故かというと……。
私がお兄ちゃんのことを愛しているからだ。
それは家族愛でも兄弟愛でもなく異性に対する恋愛感情なのだからたちが悪い。
だから私はこの恋は実らないと思っていたし、実ってはいけないものだと思っていた。
だから私はお兄ちゃんが私を女として愛してくれなくても妹として愛してくれるのならそれでいいと思っていた。
だからいつかお兄ちゃんが愛した人と結婚するとき、心から祝福してあげれる妹でいようとそう思っていた……けどダメだった。
どこかで実ってほしいと思っている私がいる。
お兄ちゃんが私を妹としてしか見ていないと思うたび胸が苦しくなる。
結婚式でお兄ちゃんの横にいる花嫁を思うたび殺してしまいたくなる。
どんなに自分を偽っても、どんなに想いを抑えても、そのたびに私はこの強い恋心に気づいてしまう。
だから私は決心した。
もう逃げるのはやめよう……全速力で向かっていくんだと。
そして昨日、全速力で向かっていった私は強烈なカウンターを喰らってしまった。
でもそんな事でめげたりするもんか。
だって心に決めたのだから。
逃げないで向かっていくんだと。
そして30分後、私はまたもや強烈なカウンターを喰らうことになる。
「ごめん! 待たせちゃったかな?」
「大丈夫……」
お兄ちゃんは時間ぴったりにやってきた。
「どうしたの? 元気がないみたいだけど。体調でもわるいの?」
もちろん体調が悪いわけではない。元気がないのには違う理由があった。
それは……。
「おお! スバルあれは何だ? あっちの店もおもしろそうだ!」
なんて神様は残酷なのだろうか……。
さっきまで私の気持ちは天にも昇る勢いで上がっていたのに、たった今奈落の底に突き落とされた気分だ。
「何をしている! さあ早く行くぞ!」
私を奈落に突き落とした張本人は辺りに広がるお店の数々に目を輝かせている。
「本当に大丈夫? ダメそうだったら家まで送っていくけど?」
私の気持ちも知らないくせに……いや知らないからこそこんな事を言えるのだろう。
本当に帰っちゃおうかな。なんてちょっと考えもしたけどやめた。
私は逃げないで前に進むんだ。
「大丈夫! でもちょっと目眩がしたから手を繋いでもいい?」
するとお兄ちゃんは、いいよと即答した。
それがたとえ妹を心配する兄の思いやりだったとしても私は素直に嬉しかった。
だって差し伸べられる手のひらからは誰よりも近くでお兄ちゃんを……神坂昴を感じられた気がしたから。
「それでお兄ちゃん、今日は何を買いに来たの?」
「えっと色々。食料に日用品。後はイヴの服を買いに来たんだけど、ぼく女の子の洋服とか分からないからさ」
「それで私を呼んだの?」
「うん。そうだよ」
……大丈夫。今までの流れで大体予想は出来てたからへこんだりなんかしない。
それよりも今はこの手の温もりを少しでも長く感じて……。
「じゃあぼくはあっちのスーパーに行くから美優、イヴをよろしく」
温もりはするりと私の手から離れていってしまった。
「じゃあこれお金。あんまり高いの買わないようにね」
「えっ? ち、ちょっと……」
「じゃあイヴ。美優の言うことちゃんと聞いてね」
「子ども扱いするなと言っているだろ! 阿呆!」
「はいはい。じゃあまた後で。終わったら携帯に連絡して」
そしてお兄ちゃんの姿はどんどん遠くなり人ごみの中へと消えていった。
「ミユ。わたし達も行くぞ!」
「そうね。どこに行きたい……ってうわっ!」
まだ目的地も決めていないというのにイヴさんは私の手を取り走り出す。
私の手の中に残るお兄ちゃんの余韻は消えてしまいその代わりに小さな手の平が残った。
……本当に帰っちゃおっかな。
「いっぱい買ったな!」
「うん……。そうだね」
服屋に着くとイヴさんの瞳の輝きはさらに増し、気に入ったものを次から次へとかごに入れた。
気づけば予算を少しオーバーしてしまって仕方なくその分は私が出すハメになった。
「ミユ」
「何?」
「お前、スバルの事好きなのか?」
「い、いきなり何を?」
「さっき手を繋いで頬を赤らめていただろう」
まったく気づかなかった……。
「そ、それはちょっと体調が悪かったからで……」
「そうなのか? そんな風には見えなかったがな」
じゃあどんな風に見えたの? と聞こうとしたけどやめておいた。
どうせ意地の悪いことを言われるに決まっている。
「それよりイヴさんはお兄ちゃんの事、どう思っているの?」
「好いているぞ」
クリーンヒット。
話題を逸らそうと苦し紛れに放った私のパンチは外れ、代わりにすごいのをもらってしまった。
「す、好いているって……」
「うむ。それにスバルもわたしの事を好いているぞ」
続けて打ってくる強烈なパンチの嵐に私の心はKO寸前まで追い込まれた。
「で、でも、それは異性としてじゃなくて何というか妹に対する感情に似たものだと思う」
何だか自分に言ってるみたい……。
「しかしスバルは惚れたと言っていたぞ。妹に惚れるはずがあるまい?」
ノックアウト。
二重の意味で私の心はズタズタに引き裂かれた。
「そんな……」
「まあそうだな。これからわたしの事は姉さまとでも呼ぶがいい」
「絶対イヤです!」
愕然としていると携帯電話が鳴った。
「はい……。もしもし」
『もしもし。そっちはもう終わった?』
「ええ。お兄ちゃんの方はどうですか?」
『ぼくも今終わったよ』
「そうですか。では商店街の入り口で待ってます」
『う、うん。あの美優、何だか声が怖いんだけど』
「気のせいです」
『そうなの……かな?』
「ええ」
『なら良かった! じゃあすぐ行くからちょっと待ってて』
…………バカ。
10分後、お兄ちゃんは大量の荷物を抱えてやってきた。
「ゴメン! また待たせちゃったかな」
「ううん。そんな……」
「遅いぞスバル!」
「ゴメンね。でもほらお菓子とかいっぱい買ってきたから許してよ」
「だからガキ扱いするな!」
「じゃあいらない?」
「それは……食う!」
「じゃあ帰ろうか」
「うむ!」
帰り道、お兄ちゃん達はずっと話をしながら笑いあっていた。
その笑顔は私が今まで見てきたどの笑顔とも違うような気がしてならなかった。
でもめげたりなんかするもんか。……多分。
「今日はありがとう。美優」
私を自宅へと送る途中、お兄ちゃんは唐突にそう言った。
「別に感謝されるほどの事じゃありません」
こういう時、素直になれたらどんなにいいかと思う。
「やっぱり怒ってるよね……。ぼく何か気に障るようなことしたかな?」
「イヴさん……」
「えっ?」
「イヴさんの事、好きなの?」
するとお兄ちゃんは私の目から逸らさずにハッキリと答えた
「好きだよ」
じゃあ私の事は……。喉まで出ていたその言葉を私は無理やり飲み込んだ。
「そっか……」
「もちろん美優の事も好きだよ」
「えっ!?」
思いがけない不意打ちに動揺する私。
「だって大切な妹だからね」
……ひどい。ひどすぎるよお兄ちゃん。
しかし当のお兄ちゃんはというと、そんな私の気持ちも知らずにニコニコと笑っている。
そんな笑顔に腹を立てながらも、まあいっかと思ってしまうのは何故だろうか?
その答えを探しているうちに結局、私はこんなお兄ちゃんが好きなんだと改めて実感してしまう。
だから今は大切な妹でもいつかは大切な人になりたいとそう切に願う私なのでした。