ド派手にやろう!
女が三十路を超えても結婚以外の夢を見ているなんてのは、手も付けられないほどの大馬鹿である。これは、私の母の言葉だ。大いに頷ける。そして、失せろ。
そんな二十年引きずった反抗期の心情で、私は会社を辞めた。親にはまだ連絡していない。今はとりあえず、辞表を突きつけた会社近くの公園のベンチでタピオカミルクティーをもっきゅもっきゅと嗜んでいる。
“ついに会社を辞めた。これよりプロジェクトを実行に移す”
この一文をSNSグループに投下した。それだけで脳内にアドレナリンが大量放出された。グループのメンバーが一斉に返信を打ち始める。
“おお”
“ついにか”
“東京で石油なんて掘れんの?”
この東京で石油を掘る。そんなクレイジーなプロジェクトを立てたのは、会社を辞めて公園でタピオカミルクティーを啜っている婚期を逃したアラサー女子。あはは、笑える。人生至上、最高に今の私はイカれている。けれど、とち狂っているわけではない。なんとか平静は保っていると思う。東京に油田があるというのは出鱈目でも出まかせでもない。
“伝説が嘘だった時の賠償金は、死に物狂いで貯めた。一度しかない人生だし、ド派手にやろう!”
私がその伝説を知ったのは、十五年前、田舎で暮らす祖母が他界し、一人娘に当たる母が実家を片付けなければならなくなった時だ。母は祖父母と仲が悪く、丸一日かかるフェリーの中で当時高校生の私に延々と悪口を言っていた。そして、祖父が人知れず書き溜めていた小説の原稿を見つけたのだ。
“黒き川の伝説 掘田歳三 著”
それに込められた意思を孫娘である私、掘田由井が継ぐというわけだ。
***
プロジェクトの本格的な実行前に、私たちは秋葉原に結集した。
インターネットが普及したこの今、恐ろしいのは会社や近所というローカルコミュニティの中では孤立させられるイカれた野郎どもが、簡単にひと所に集まってしまうということだ。
まず誰よりも早く待ち合わせ場所にいたのが、もはや珍しいくらいにステレオタイプなオタクという出で立ちの男、佐久間だ。動画投稿による広告収入で生計を立てていて、ネタに貪欲。私を一目見るなり、深夜アニメに出てくるキャラの名前を出してきた。雰囲気が似ているらしい。かなりの人気キャラだそう。こんな目つきの悪いちんちくりんが男受けするのか、よく分からないな。
話しているうちに、改札をばたばたと走りながら通り抜けて来たスーツ姿の男が、久津川だ。元、某芸能雑誌のタレコミ記者で、山手線沿線で張り込みをしていた時のクセが抜けないらしい。
「すみません。遅れまして」
「大丈夫です。もとより、このメンバーに時間厳守は期待していません」
というのも、既にメンバーの一人からは遅刻の連絡が来ているからだ。そうすると、今この場で会えるのは、あと一人。メンバーには各々目立つ格好で来るようにと伝えてあるから、オタクとスーツ姿のくたびれたリーマンがいるわけだが、そいつは筋骨隆々としていてタンクトップなので、遠くからでも分かる。
「武川さん、こっちです」
武川はその身なりには似合わず腰が低く、自分が遅れたことをぺこぺこと謝った。本人曰く、極度の方向音痴ですぐに迷ってしまうのだと。それは非常に不安の種ではあるが、彼の逞しい筋肉には大いに期待している。石油を掘るのは、言うまでもなく力仕事だからだ。
「行きましょうか」
くたびれたOLとリーマンに、オタク。そしてマッチョの四人が歩き出した。なんともワケの分からない取り合わせではあるが、ガチムチの外国人が女装して歩いたりしている秋葉原では大人しく見えてしまうかもしれない。
四人でファストフード店に入った。
これから一獲千金を狙うわけだが、私たちの話を盗み聞きしていたとして、しめしめなんて思う奴はいないだろう。
まずは四人それぞれの身の上の話から。私は証券会社でディーラーとして雇われていたことを話し、資金源への皆の信頼を高めた。久津川はというと事実上休みなしの年中無休のネタ探しという過酷な仕事事情を愚痴り、武川は働いていた工事現場での悪辣極まりないパワハラを告白した。二人は、自分の労働環境に嫌気がさし、一山当てたいという動機だったが、佐久間はというと本当にネタとしか考えていないようだった。でも正直、一番気が合いそうなのは佐久間だ。私もこのプロジェクトは、老後の酒の肴くらいにしか考えていない。こんな無責任なプランニングでも、失敗した際の補償を設ければ、人が飛びついて来る。
話している限り、明らかに会話が出来ない人種や、こいつは危ないと感じる人種がいなかったのは幸いだ。SNSで通じ合っているだけで、顔も見たこともない人間なんて信用できない、と母なら言うだろうが、私は話したことはあるのに初対面というこの奇妙な繋がりに一種のユートピアを見出して来た。さっきみたいな愚痴を吐き合って、互いに相槌を打つ。コミュニケーションと称して私にセクハラをかましてきた輩がごまんといた会社よりもずっと健全だ。
頃合いを見計らって、私はビジネスバッグに隠し持っていた祖父の書いた『黒い川の伝説』の原稿を取り出した。母親の「捨ててしまいなさい」という小言を十五年間無視して、みっちりと読み込んだものだ。
「それは……?」
原稿用紙五百枚にも及ぶ長編作品。文字数にして二十万は堅い。
「祖父が遺した小説の原稿です。日本のとある離島に大量の原油が眠っているという作品です。もちろんフィクションですが、私はこれをただの作り話とは思っていません」
フィクションを作り話と思っていません。一文で矛盾が生じている発言を聞くや否や、三人は堪えきれず笑い始めた。私もそれに声を合わせて笑う。他の席からの視線が刺さるが、そんなものどうってことないくらいに気持ちがいい。酒場で悪だくみをしながら笑う大悪党にでもなった気分だ。
「これはケッサクですね」
私が言いたかった、ケッサクという言葉を佐久間に使われた。悔しいから、「でしょ! でしょ!」と食い気味に言ってやる。
「でも、さっき離島って言いましたよね。なんで東京で石油を掘るという話から、離島という言葉が出てくるんです?」
久津川に痛いところを突かれた。ここは今日のうちに正直に話しておかないといけないところだ。
「この小説の舞台になった私の祖父の実家ですが、東京にあります」
そう、嘘はついていない。でも『東京で』という表現は、ほとんど詐欺に近いと自分で思う。
「白状します。今回石油を掘るために向かう場所は、東京都小笠原村に属する離島です」