赤き廃墟
「グループ小説 第二十二弾」「リメイク企画」参加作品です。原作は、ひとり雨先生の「反抗者」です。
赤い夕日で染まる廃墟の街。
壊されたビルの数々、足元に広がる瓦礫の山。全ては愚かな人間がなした技。長く続いた戦いの末、人間が得たものは何一つない。残っているのは、がらくたの山とすさんだ人間の心。追い詰められた人間は、正気を失い、邪悪なものにも簡単に魂を売ってしまう。
前方に、真っ赤に染まった空が広がっている。その赤い陽を浴びながら、一人の少年がふらつきながら歩いていた。一日中歩き続け、足は棒のようになり感覚を失っている。時折、左手に鈍い痛みを感じるが、彼は疲れ果て痛みさえも忘れかけていた。彼は、薄汚れ破れかけた服を身にまとい、背には小さな少女を背負っていた。少女の息は荒く、額には汗がにじみ、顔は赤く火照っていた。彼女は苦しそうな表情をして、必死に少年にしがみついている。
「大丈夫か、エミリア?」
エミリアという名の少女を気遣い、少年は首を後ろに回す。少年の乱れた黒い髪が、ハラリと額にかかる。しかし、エミリアの返事はなく、ただ苦しげな呼吸を繰り返すばかりだった。
「後少し、もう少しの辛抱だからな」
少年は、前方に果てしなく広がる寂れた街に目を向ける。
「あの場所に行けば、きっとお前は助かる……必ずお前を助けてやる」
彼は虚ろな瞳で、赤い夕日の中にそびえ立つ、一番巨大なビルを見上げる。かつては美しい超高層ビルだったのであろうが、今や見る影もなく破戒されて崩れかけていた。
「あそこに、反抗者がいる……」
巨大な廃ビルにも、真っ赤な陽が照りつけていた。その崩れかけた屋上に、二つの影が揺れる。
「あ〜あ、この世は退屈ね、ジル。何にも退屈しのぎがないじゃない?」
夕日の色よりも赤い、燃えるような赤毛のツインテールをした少女が、欠伸混じりに言う。
「リル、迷い子が来ているのが分からない?」
ツインテールの赤毛と同じ、真っ赤なショートカットの少女が冷たく笑った。
「憎悪と欺瞞に溢れた世界に溺れ、そこから這い上がる術を求める迷い子が……」
「あっ、ほんとだ!」
リルと呼ばれたツインテールの少女が、紫色の目を見開き、面白そうにビルの下を覗き込む。
「バカねぇ。悪魔に魂を売った人間を大事そうに背負ったりして。自分がどうなろうとしてるのか分かってないみたいよ」
リルは甲高い声を上げて笑った。
「自分を見失い、為す術もなく救いを求めて来た愚かな迷い子。けど、私たちの退屈しのぎにはなりそうよ」
ジルはフンと鼻で笑う。
「そうね、面白くなりそう! それにあの子、人間にしては良い感じ!」
「行くよ、リル!」
「は〜い!」
同じ紫色の目をした少女達は、顔を見合わせ手を繋ぐと、赤い髪をなびかせながら、一気にビルから飛び降りて行った。
エミリアを背負った少年が、まさに巨大な廃ビルに入ろうとした瞬間、頭上から何かが猛スピードで落下してきた。まるで火の玉のような、燃えるような赤い影。少年が瞬きする間もない程素早く、地上に降りてきた二人の少女、ジルとリル。次の瞬間には、彼女達は少年の直ぐ目の前に立っていた。
真っ赤な髪、紫の瞳の神秘的な二人は、憐れむような、蔑むような眼差しで、少年を見つめる。
「あなた、生き餌でしょ? その女の子を助けようと、私たちに依頼しにきたんでしょ」
ジルは冷たく笑い、汚い物を見るような目で少年を見た。
「生き餌……?」
虚ろな瞳で少年が顔を上げる。彼は自分では気付いていないようだが、エミリアのように額から滝のような汗を流し、荒い息をしていた。
「お前達が反抗者か……? 俺の名はエクス。頼む、妹を、エミリアを助けてくれ」
「反抗者ねえ……立派な名前付けてくれるじゃない? 年だって格好だってあなた達と大して違わないのに。あなた達との違いは、悪魔との契約を受けてしまったものと、そうでないものというだけ」
リルが可笑しそうに少年に微笑みかけて言う。
「ま、そこが大きな違いね。あなた達は愚かで弱い人間。私たちはそれを救う戦士ってとこかな?」
リルは腰に下げていた剣を抜くと、エクスという名の少年の目の前にかざす。エクスは黙り込んだまま、その様子を見守っていた。彼にはもう言葉を発する気力さえなくなりかけていた。リルは弱り切った少年の様が可笑しくなり、彼をからかってみたくて、剣を彼目がけて振りかざそうとした。
「止めなさい、リル。……いいわ。エクスとやら、エミリアの為に、命を懸ける覚悟があるのなら……悪魔からその子を引き剥がしてあげるわ。私達は反抗者。抗う力を、与える者。悪魔に干渉する事も出来る」
「さ、早くこっちに来て!」
リルは、今にも倒れそうなエクスの腕を引っ張り、ジルと共に廃ビルの中に入って行った。
ビルの中は薄暗く、何処に何があるのかがぼんやりと分かるくらいだった。しかし、奥に行くとたった一つだけライトが灯り、手術台のような台を照らしているのが見えた。手術台の周りを囲む寂れたコンクリートの壁が、圧迫感を強める。エクスは、ジルとリルに促されるがまま、エミリアを背から下ろすと、台の上に横たえた。
それと同時に、エミリアの顔が、眩いライトの光りに照らされる。その顔を見た瞬間、エクスは思わず目を背けたくなった。
これが本当に、あの愛くるしい妹の顔なのだろうか? エクスは信じられないという表情で、エミリアの顔を恐る恐る見つめる。ついさっきまで火照った赤い顔をしていた彼女の顔が、蛆虫のように這い回るどす黒い紋様で埋め尽くされていた。両の目から鼻、頬にかけてそれが広がっており、まるでその黒い紋様に、顔を食い潰されているかのようだ。黒い紋様が動き回るたびに、顔の皮膚がぷくぷくと泡のように盛り上がる。
おぞましいその光景に、エクスは吐き気さえもよおした。
「これは……やはり『偽命』ね」
ジルはエミリアの顔を見ても、冷静そのものだった。彼女たちにとって、偽命の姿は見慣れたありふれたもの。
「お前達は……これが何なのか、知っているのか……?」
エクスは、必死で吐き気を我慢しながらジル達に聞いた。
「言ったでしょう? 私達は反抗者。抗う者に、手を差し伸べる者。目的を遂げるためには、何だってするのよ」
ジルがそう言うと、後ろに居たリルがエクスの腕をいきなり掴んだ。エクスは咄嗟の事に驚いてすぐにそれを振り払う。
「ジル、やっぱりよ。この子、生き餌になってる。馬鹿ね、喰われるつもりだったの?」
リルはエクスの腕を一瞥し、納得したように言った。
「生き餌? どういう、ことだ……」
「あらあなた、その傷に気がついてないの?」
「!!」
エクスは、リルに掴まれた左腕を見て驚く。腕には、自分では身に覚えの無い鎖状の傷が刻まれてた。痛みも、何も無い。だが、その恐怖にエクスは耐え切れず、大声を上げた。
「う、うわああああッ!!」
押し殺していた感情を爆発させ、叫び、狂い、恐怖に慄き、エクスはその場に座り込み、立つ事が出来なくなった。
初めて知ったのだ。自分の呪われた運命を。憎悪、と呼べる心の底の感情を。
乱れた呼吸で下を俯き、溢れ出して来るものを止められずに小さく呻き始めたエクスに向かって、ジルは慰めの言葉などかけず、冷たい視線を送って言った。
「……『偽命』は悪魔の玩具。そして悪魔の化身。どんなに命が惜しくても、手を出してはいけないものなの。その紋様は身体を売った証拠。やがて自身が悪魔になり、最も親しい者を生き餌とし、血肉を喰らう」
何の反応も示さないエクスに、リルは小型のナイフを彼に向かって投げつけた。
「……運命に抗うのなら、その覚悟を見せなさい。私達には、覚悟無き者は要らない。覚悟のある者に、世に反し抗う術を与える者だから」
ジルの言う事も、リルの言う事も、エクスには分かっていた。
全ては、自分達の心の弱さから生み出された結果。エミリアは、小さな頃から病弱だった。流行り病にかかり、生死の境を彷徨った。両親は必死の思いでエミリアを救おうとしたのだ。その時、道を間違えてしまった。手を取ってはいけない方の手を取ってしまったのだった。
両親はあの悪魔に殺された。娘を救おうとして、悪魔に自分たちの魂を売ってしまったのだ。その結末が、この有様だ。
その結果、苦しんでもそれは自業自得なのだ。
そして、歪んだ運命を変える為には、それ相応の対価が必要だという事だ。
エクスは、強く自分の左腕を握り、落ちていたナイフを震える右手で拾った。そして――自分の左腕に浮かぶ、鎖状の傷めがけ、一気にナイフを振り下ろした。
「ああああっ!!」
鋭いナイフが左腕に突き刺さり、それと同時に真っ赤な血潮が飛び散る。全身の感覚を無くすほどの鋭く激しい痛みが体中をを走る。血と痛みと恐れ。その全てが、左腕から溢れ出るような気さえする。
「ぐっ……があああぁあ!!」
苦痛と嘆きが複雑に入り混じりながらも、エクスはナイフを再度握りしめ、もう二、三度左腕を刺し続けた。ジルとリルは何も言わず、冷淡な眼差しでただそれを見つめていた。
渦巻く感情に押し潰され、壁に赤い血飛沫があがり、黒く見える血が床に溢れかえった時、エクスは急に目の前が真っ暗になり、その場に倒れこんだ。
「あーあ。倒れちゃったわよ、この子。死なないよね?」
リルはそう言うと、血だまりを避けながら、エクスに近付く。そして、エクスの横にちょこんと座り込むと、先程から腰に差していた剣でエクスの左腕を一息に切断した。躊躇いなど無く、一瞬で。既エクス自身によって傷つけられていた腕は、たやすく切り落とすことが出来た。エクスは僅かに苦痛で顔を歪ませるが、もう痛みなど感じないくらい弱り切っていた。ジルは、苦しそうに呼吸をしているエミリアの方を見つめている。
「彼の覚悟は受け取ったわ。エミリアを救う対価も……やるよ、リル」
「はあーい」
リルは明るく返事をすると、ジルの隣へと走った。エミリアの顔を埋め尽くす黒い文様を見下し、ジルとリルは言う。
「私達は、抗う者。対価を以って、お前に干渉する者」
「お前が奪われる事を拒むならば出てきなさい、悪魔……『偽命』」
彼女達の声に反応して、黒い紋様がエミリアの顔から剥がれ、一つの形を成していく。やがてそれは、宝石のように黒く尖った、石になった。
ジルは、エクスからの対価を悪魔に渡した。それは、エクスの左腕だ。
すると黒く尖った石、悪魔は不満そうに牙の生えた口へと変貌した。エクスの腕を生々しく噛潰し、喰らい尽くした後も、まるで、それでは物足りない、全部寄越せ、とでも言うように、ジルとリルに牙を向けた。
しかし、そんな様子に臆する気配すらも見せず、ジルとリルは、同時に口元を緩め、微笑した。
「流石悪魔、強欲ね……けれど、お前は消える。血肉を喰らった獣として、再び這い上がれる事の無い闇へ堕ちる」
「後悔しなさい、自身の罪を。そしてその血肉の味を噛み締めたまま、消えろ」
ジルとリルが両手を悪魔に翳すと、悪魔は猛るような獣の姿になり、暴れてもがいた後、やがて砂のようになって崩れ落ちた。その砂は、外から吹いてきた風によって吹き飛ばされ、塵となって見えなくなった。
エクスが目を覚ました時、廃ビルの壊れた窓から、朝日が漏れているのに気付いた。どうやら、このビルの中で一夜をあかしたらしい。
「!」
エクスは、すぐさまエミリアの下に駆け寄った。その顔にはもう、黒い紋様は影も形も無い。そこには、元通りの愛くるしい妹の顔があった。彼女は、安らかな表情で眠っている。それを確認して、エクスはようやくほっとした。
彼は、その時、自分の身体に両腕がちゃんとついていることに気付いた。あの時、確かに自分で左腕を刺し、あの反抗者の少女の一人に腕を切り落とされたはずだった。あの激しい痛み、恐ろしいほどの大量の血ふぶきは、朦朧とした意識の中でも覚えている。
だが、左腕はこうしてちゃんとある。傷も血も痛みも何も残っていない。不思議な気持ちで左腕を見つめていると、エミリアがうっすらと、目を開けた。
「……お兄ちゃん……?」
「エミリア!」
エクスは目に涙を浮かべ、起き上がったエミリアを力強く、しっかりと抱きしめた。
荒んだ街を先程とは別の廃ビルの屋上から眺めながら、リルは再び退屈そうに言った。
「もー……また退屈になっちゃった。また誰か来ないかな」
「リル。そう不謹慎な事を言っては駄目よ。でも……人は地に堕とされても這い上がる。私達はその抗いに手を貸す者だから」
そう言ってジルが笑う。リルも、その言葉にまた笑みを深めた。
「リル、あなた、あの子の左腕を元に戻したね。いつもならそんなことしないのに」
「だって、あの子の覚悟は感じ取ったから。それに、この先妹と二人で生きていくには、両腕が揃っていた方がいいわ」
「それだけじゃないでしょ」
ジルはフンと鼻で笑って、リルを横目で見る。
「エヘヘ、分かる? あの子が私の理想のタイプにピッタリだったからよ」
リルはチラッと舌を出して笑う。
「あ、見てジル。また一人迷える子羊が、救いを求めて彷徨い歩いているわ」
ジルは遥か前方を眺めて言う。
「ホント。どうやら、退屈している暇はなさそうよ」
ジルとリルは、顔を見合わせ悪戯っぽく微笑んだ。
「私達は、反抗者。それは、抗う者。抗う術を、与える者。運命を変えたいと望むのなら、覚悟と対価を以って、願いなさい。そうすれば……私達はそこに現れる」
二人揃ってそう言うと、赤い髪の少女達は、廃ビルの屋上から消えて行った。 完
原作を初めて読んだ時、自分では滅多に書かないし読まない分野の作品で…^^;、正直「無理…」と思いました。が、何度か読むうちに、ストーリーの世界観が広がってきて、色んなイメージが浮かんできました。
少女達の髪の赤、血の赤、夕日の赤、と全体的に「赤」のイメージがあったので、タイトルも「赤い廃墟」としました。
今回、初の「警告カテゴリ」付きです。そういう描写は苦手なので、その部分はほとんど原作そのまま書きました。でも、書いてるうちに、読者の方々をもっと怖がらせ気持ち悪がらせたい! という欲求も沸いてきたりして。原作のジャンルは「その他」ですが、私の基準では「ホラー」だと思ったので、「ホラー」としました。私なりの解釈で書いたところも多いので、原作とはちょっと意味合いが異なっている部分もあるかもしれません。^^;
エクスの腕は復活させました。エクス自身に罪はないし、ちょっと気の毒だと思ったもので。
今回のリメイクでは、色々な面でとても勉強になりました。
最後に、原作を執筆してくださった、ひとり雨さん、どうもありがとうございました!