第六話:不信
「…。」
女は大分落ち着いたようだった。
静かに気の根の上に座って遠くを見つめている。
端から見れば廃人のようにさえ見える。
不気味で静かな様子だった。
俺はというと、太郎を女から離れた木の陰に呼び出していた。
「なんなんだよ、あの女。」
「なんなの…って。魂ですよ。」と太郎。相変わらずの調子だ。
「なんで、あいつはあそこにいるわけ?」
「行く場所がないからでしょう?別にいいじゃないですか。害があるわけではないですし。
見た所、彼女の体のほうはもう長くないみたいですし。」と太郎。
「何、お前そういうのわかるわけ?」
「そりゃあ、わかりますよ。(なんてったって知的キャラで通ってますから)」太郎、ちょっと自慢げに笑う。
「あいつ、体が死んだらどうなるの?」俺の質問に太郎は少しだけきょとんとした。
「…。」太郎は一瞬黙ってから呟いた。「普通は体が死ねば、去るものです…。普通は。」
「去る?サル?は?」
太郎は驚いたように俺を見つめた。
「…そうか…、知られてないんでしたね。」と手をポンとたたく。
「はぁ?」
「いえいえ、僕もこのホシのヒトとこうやって顔を会わせて話すのは初めてなので、どこまで知られているか、とかついつい忘れがちになってしまうのです。すいません。
でも、こうやって知識の共有ができるなんて素晴らしいことですね、タハハー。
いや、ほんと、僕も渋皮泰人からこのホシについて教えてもらいたいことは沢山あるわけですし。
僕も、渋皮泰人に教えてあげられることがある、
本当に感動的です。はい。」
どうでもいーから早く教えろよ、くそ。
こいつのこういう面倒くさいもったいぶりがいらつくぜ…。
「はは、すいません。ついこの素晴らしい瞬間に感動してしまって…」と太郎、何が感動的なのか俺には全く理解できない。奴は続けた。「あのですね。
さっき僕は体はそのホシに生きるために与えられた資格のようなものだと言いましたよね?」
そういえば、言ってたっけ。
ほんとかどうかは知らねーけど。
「はい。では、体の死とは、どういうことだと思いますか?」と太郎。
どういうことって…。
「…もしも、お前が言うように体が資格だったとしたら…」と俺、あいつの話に従順につきあってるのに微妙な違和感を覚えながらも考えて答えていた。「お前がいう、資格がなくなったことになる…?」
「そうです。そのホシに生きるために与えられた体がなくなってしまえば、体を失った魂はそのホシにとどまる理由がありません。
いいえ、正確には…」太郎はそこまで言って上を見上げた。
俺もつられて上を見る。
背の高い木が空を少し隠している。
でも、空が見える。星が綺麗に光ってた。
こんなに綺麗だったっけか、空って。
「そのホシで生きるという使命を終えたんです。
だから去るんです。ホシを。」
そう言う太郎は穏やかな顔をして空を見上げていた。
使命とか、体がむず痒くなる言葉。俺はへどがでそうではあったが…、認めたくはないが、目の前で半ば恥ずかしいふざけた非科学的なことをほざいているのに、この男に俺は、不思議と、いらつきは感じなかった。
「…あっそ。」俺はとりあえずそれだけ呟いた。それから木の陰から女に目を移す。「じゃあ、あの女もあと数日で去るわけだ。」
太郎は俺の言葉にゆっくりと首をふった。
「彼女の場合、体が死んでも、恐らく去れません。」
去れない?例外もあるということか?
「じゃあどうなんの?」
太郎も木の陰から女に視線を移して呟いた。「自殺したヒトや、生きているときに感じた強い想いに駆られているヒトは、去れません。
正確にはこのホシにとどまることを、自分で選んでいると言った方が正しいのか…。」
…何、あいつ自殺なわけ?
生きているときに感じた強い想い?
生きているときに感じた想いって何だ?
太郎は続けた。「未練って言葉で言い表せばいいのですかねぇ。それとも悲しみとか、憎しみとか、そういった言葉で表せばいいんでしょうか…。僕には上手く言えないですけれど。」
「で、去れないと、どうなる?」
俺の質問に太郎は顔をしかめた。「強い悲しくどす黒い気持ちに魂が縛られていれば、徐々にそれは悪夢のように魂を蝕んでいきます。
…彼女の魂が今ちょうど、そういった状態です。
今の彼女は、もう既に生前の楽しい想いや、愛しい想いを忘れ始めているようです。
最終的には全て忘れて、理性も失って、ただただ醜い想いに駆られて狭間を彷徨い続ける魂になるでしょう。
去ることも出来ず、堂々と生きることも許されない、ただ彷徨うだけです。」
いってることがよくわからなかった。
ただ、俺はそれに悪寒を感じた。
俺は死んだら全てが終わると思ってた。
生きているときに感じる苦しみも、永遠のように感じる暗闇も。
でも、あの女を見たら何となくわかる。
あの女の中では何も終わってない。
何も解決されてない。
あのうつろな目を見ればなんとなくわかる。
むしろ、続いている。苦しみが。
俺にはわかる。
廃人のような瞳。気持ちが悪い。鳥肌がたつ。
「死は何の解決にもならなかった、と言った所でしょうかね。」太郎は遠い目をした。この男もこういう目をするのか、と思った。それはすごく冷たく感じた。「どうです?予想外とでも言った所ですか?」と奴は俺に視線を移して呟いた。
「俺はどうなる…?一週間後に体は死ぬんだろう?
それとも、俺ももうすぐあの女みたいに暗闇に支配されるのか…?
…そもそも俺はなんで魂だけになっちまったんだ…?
そうだ、なんでだ!?」
太郎は俺の言葉にしまったとでもいうように口を歪ませてひきつった。
怪しい。
そうだ。俺は確かに自殺をしようとしていたが、首をつった覚えもないし、手首を切った覚えもない。むろん薬も飲んでない。
魂が抜ける理由がない。
俺はまだ自殺をしてなかったんだから…。
俺がしたことと言えば、…そうだ。
あのふざけた都市伝説を思い出して、携帯に出たんだ…。
そこまで思い出して俺は太郎ににじみよる。
「…そ、そそ、それは」太郎は苦々しい顔をした。わざと俺と視線をあわせない。太郎を睨みつける俺、そして胸ぐらをつかんで上に引き上げた。「ぎゃー!すいません。それだけは勘弁してください…!苦しいのは嫌です!!!!」
「じゃあ話せ!!俺はなんで抜けたんだよ!?コラァ!」
「話します!!話します!!!!!!だから放してください!!!」俺は太郎の胸ぐらを放すと太郎は息を整えた。「はぁ、じ…実は僕がここに来たとき、僕、落ちてきたでしょう?」
そういえば、あいつ上から落ちてきてたっけか?
「あのとき、渋皮泰人は気づかなかったかもしれませんが、僕………渋皮泰人の上に落ちたんですよ。」
は…?
「お、怒らないでください…!
どちらにしろ、話の流れによっては魂と体を分離する予定だったんです!
僕はそのために来たんですから…!!
たまたま僕が渋皮泰人の上に落ちて、たまたまその衝撃で魂抜けちゃったんで、そのまま話を進ませてもらっただけの話ですから〜!」
たまたま抜けた?
たまたま衝撃で抜けちゃっただあ!?
ふざけんな、こいつ。
「でも、どっちにしろ渋皮泰人も分離することを望んだはずです!はい、
死を望んでいたのなら尚更です…、はい。」
太郎はたじろぎながら一生懸命に何か言ってるが、俺は怒りを感じるだけだった。
もともと分離する予定だっただあ!?
ってこいつはじゃあ、俺を殺しにきたのか?
魂を抜いて、こいつは俺の魂を食おうとでもしてるのか…!?
っていうかこいつ何者なんだ!?
本当にこいつなんで俺の前に今いるんだ…!?
なんの目的で俺に近づいてきやがったんだ…!?
そうだ、そもそもそこが意味わかんねえ!!!
あー!!!dsfひおsっfjrjfmvdkm39r3!!!!!
俺の中で情報が爆発した。
こいつに会ってからというもの、混乱されるは、わけわかんないもの見せつけられるは、で、神経がどうかしてたみたいだった。
そうだおかしいことが多すぎた。
それなのに、半ばそれを受け入れ始めてた俺がいた。
そうだ、落ち着け、俺。考えろ、常識的に。
そうだ。この目の前の男。おかしい。この男、奇術師か何かか?
俺は催眠術にでもかかってたのか…??
あー。わけわかんねぇ!!!
糞っ…!!!胸くそがわるいぜ…。
あああーー!!!!!
「糞野郎…!俺につきまとうんじゃねえぇ!!!!
早く俺を体に戻して、どっかに失せやがれ!!!!!」
キレた。
俺はキレた。
そんな俺に、雷にうたれたかのように衝撃的な顔をする太郎。
「えぇぇえ!?そんなあ!!
さっき、僕を居候にしてくれるっていったじゃないですかぁ!
いきなりそんなのひどいです!!!!」
「ふざけんな!!この…このペテン師がぁ…!
この糞がぁ!!」
「なっ…!!」
「ふざけんなよ、てめぇ!!!
どうでもいいから早く俺をもとにもどしやがれ!!!!!!」
「それはできませんってば!!!!!!」
ガス!!!俺はまた太郎の胸ぐらをつかんで上に引き上げる。太郎が苦しそうに俺の腕をつかんでもがいた。
「ううぅ…!!!」
「うぜえんだよ!!!てめぇ、殺されてぇのか!?あぁ!?
俺を戻さないとどうなるかわかってんだろうなぁあ!!!??」俺は太郎に力まかせにどなりちらした。
そう、冗談じゃない。
このままあの女みたいになるのも、彷徨うのも。
糞みたいに這いずり回って生きるのも
馬鹿にされて惨めな想いをするのも…………
(じゃあどうして欲しい…?)
ふとそんな疑問が頭の中をこだまする。
俺は思わず太郎を放した。
ドサ。太郎はそのまま地面に倒れた。
終わりにしたい…。
俺のこの糞みたいな人生を…。
どうしてだ…?
なぜ、終わってくれないんだ?
糞…死んでも終わらないなら尚更なんで俺は生まれてきた?
こんな糞みたいな想いをするためだけに生きてきたのか…?
だとしたら…、だとしたら…。
「…っ…。」太郎は座り込んでいる。
「早く失せろ、ゴミが。」俺は地面にへたり込んでいるあいつとは目をあわせずに吐き出した。
「…うぐっ………っつ……。」が、あいつの妙な奇声に俺はゆっくり視線を太郎へと向けた。
!?
俺は目を疑った。というより固まった。
泣いてやがる。
大の大人が肩を震わせながら号泣してやがる…。
太郎は俺の視線に気づくと、涙をぼとぼと流しながら呟いた。
「っすっ…っ…すい…っま…っせん…ずびっ…。ぼ…ボグのっ…ことはぁっ…気に…しなくっ…て…っひっく…結構……っ…ですっ…から……。ズビ…。」
…言葉になっちゃない…。
俺…、何か悪いことしたか…???
……したか…。
でも糞…、どうすりゃあいいんだってんだよぉ…。
こんなに泣かれちゃあ俺の良心も痛むもんだ。
「い…いいっ…ヒック…っんです…。気にっ…しな…っいで……。」もともとクールっていうタイプではなかったが、こうも異常な行動をされると、せっかくのイケメンも効果なしだ、世の中やはり外見だけではないのかもしれない、と俺は関係ない所に興味を引かれつつ、目の前の太郎を見つめた。
というより、初対面で大泣きする男…、初めてだ…。
引くを通り越して、なんだか情けなくなってくる。
糞…、ほんと、疲れる…。
「………お、おい…、その…何泣いてやがるんだよ…。」俺はしゃがみ込んで太郎に呟いた。
太郎は目も鼻も真っ赤にしながら小刻みに震えながら泣いていた。
泣いてるレベルで言うと「号泣」、いや「嗚咽」のレベルまでいくほどの泣きっぷりだ。
葬式以外で大の大人がこういう鳴き方をするのは見たことがない…。
…っていうかなぜ?はぁ。
「…うぐぅっ…。すい…っませ…っん…。ただ、…ただ…、かなっ…しく…っって…。」
太郎は俺の疑問を読んだように答えてくれた。
悲しい。らしい。
「…。」
俺は言葉を失ってため息が出た。
出る言葉がない。
そんな俺をよそに太郎は大分落ち着いてきたのかさっきまでの小刻みの震えが収まってきていた。
俺は黙って太郎が口を開くのを待つことにした。
「…はぁ…。すいませんでした…。大分落ち着きました…。ズビ。」と太郎。そういいつつも、まだ顔ではナイアガラが流れてる。「…つい悲しくて。ズビ。」
「何が?」
俺は冷たく泣いている男に問う。
太郎はナイアガラを流しながら俺を見つめた。
「いえ…、僕は…僕なりに…一生懸命がんばって…いた…つもりなんですが…。
こうも…心が届かないと…、ふがいなく感じます…。
それに…やはり…悲しい言葉は…心に…突き…刺さります…。
そんな…言葉を…言われては…、やはり…ひたすらに…悲しい…です…ズビズビ…。」
太郎はいいながら鼻をすすった。ナイアガラは勢いを止めない。むしろ、強まった。
「でも…、気に…しないで…ください…。悲しい…言葉を言わせてしまうほど…、渋皮泰人…を…混乱…させてしまった…ので…、だから…ごめん…なさい…。」
謝られた。
むしろ謝るのは俺の方だと思った。
「…。」
でも、俺は謝らない。
俺はそういう男じゃないし。
謝り方なんてしらない。
俺は太郎の前に座り込んだ。
照れくさいのは嫌いだ。
太郎と目をあわせないように俯いた。
「すいま…せんね…。時間をくだされば、収まり…ます。」
太郎はそういいながら深い息を吸った。
数分ぐらいの沈黙のあとだろうか…。
「渋皮泰人。」太郎の声で俺は俯いていた顔を上げた。
目と鼻の赤い太郎。幸いナイアガラは枯れていた。
「…。」
なんだかぎこちなさを感じた。
「すいませんでした…。でも、僕、うれしかったです。」
は?突然の太郎の言葉に気がぬける。
「だって、渋皮泰人、僕が泣いている間ずっと隣にいてくれました。
優しい人ですね。」
開いた口がふさがらない。
俺はますます何もいえなくなった。
「あの…。
さっき言っていた…、その僕はもう渋皮泰人の前からいなくなった方がいいなら…、僕はこのままいなくなります。」太郎はぎこちなさそうに呟く。「ただ、僕は体に戻す力なんてありません。このまま、渋皮泰人が体に戻らなければ、あの女性と同じように恐らく生前抱いていた想いに支配されて彷徨う魂となるでしょう…。」
「………………どうすれば体に戻れるようになる?」
「…希望を見つけることです。希望を見つけて強く生きたいと願えば…戻れます。」
…希望…?
希望って何だってんだよ…。
「ようは、一週間以内に生きたいと思えればいいんだろ?」
俺は平然を装った。希望なんてわからない。
俺がそれを見つけられる可能性なんてゼロに等しかった。
俺の質問に太郎はうなずいた。
「はい…。ただ…」
「もういい。」俺は太郎を遮った。
キレたとはいえ、自分で言ったことだ。
自分でおとしまえをつけようと思った。
「どこにでも行け。
俺は、一人でどうにかしてみせる。
早く行けよ。」
太郎は一瞬目を見開いて、悲しそうに立ち上がった。
「じゃあ…、僕は…行きます…。
…困ったら…、呼んでください…。
一応一週間は僕は渋皮泰人の側にいるのが任務なので…。」
そういって太郎は俺に背を向けて歩き始める。
「おい。」俺は思わず太郎を呼び止める。「俺はやっぱり一般人の目には見えないのか?」
太郎は振り返って呟いた。
「見えません…。
…。
…。
…どうか…、お元気で…。」
それだけ言うと、太郎はそのまま樹海の奥へと消えていった。
俺は暗闇の樹海に一人取り残された。
周りでは静かに木々がざわめいていた。