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65. 元の身体へ


 昼食をとり、自室の片付けを開始した俺の意識をノックの音が遮った。

 手を止めてドアへと向かうと、きまりが悪そうな表情のアスタロトがこっちを窺っていて、少し戸惑う。


「今、ちょっといっすか?」

「……うん? どうした?」

「いやぁ、オレの部屋なんすけどォ……」


 まさかアスタロトまで俺の秘密に気付いて――?

 なんて考えて肩に力が入ったけど、アスタロトが言葉を濁す先に続くのはどうやら違う内容のようだ。

 言い難いことを聞き出すより、隣にある彼の部屋に行った方が早い。

 一緒に隣の部屋まで行った俺は、アスタロトが何を言いたかったのか理解した。


 片付ける前程まではいかないが、床に散乱する物。

 ”汚部屋”とまではいかないが、当初のすっきり感はなくなり、雑然としている。


「オ、オレも片付け意識してたんすよっ!? けど気が付けばこんな状態で……」


 俺が黙っているのを呆れたからと勘違いしたアスタロトが弁明する。

 確かに、床には有機物系ゴミはなく、アスタロトの成長具合が窺える。一番最初を知る身としては、よくやっている方だと感じた。

 きっと、物が二人分になったことで頭がパンクしたんだろう。


「一気にやろうとするから大変なんだ。一つずつでも続けていけば、いつかは片付くんだから」

「一つずつっすか?」

「うん。例えば、トイレに行くたびに途中にある物を一つ片付ける。それを繰り返せば通り道には何もなくなるだろ? 常に手には何か持っていることを意識するんだ」


 後は前に片付けたときにそれぞれの置き場を決めたから、一時間以内に使わない物はそこに片付ける。

 パッと見綺麗に見えても、意外と汚れているもんだから、汚れが目に見える前に拭く。

 気合いを入れ過ぎず、一日一ヶ所綺麗になれば上出来だという意識を持つ。

 俺がいつも実践していることを、一つずつ説明していく。

 最初こそ落ち込んでいたアスタロトだったが、思ったより簡単だと思ったのか次第に元気を取り戻してきた。

 一度部屋を綺麗にしてしまえば、それを維持するのは思ったよりも簡単なんだ。


「お前は取り返しがつかなくなる前に、こうして助けを求めただろ? それって結構凄いことなんだぜ? そうやって、どうしたら部屋が綺麗に――住みやすくなるかを考えることが、一番大切なんだと俺は思う」


 ”自分”が心休まる家。

 誰かのためじゃなくて、自分が心地よいと感じるために家を綺麗にする。それが自分を大切にすることなんだと、俺は昔汚部屋を脱出したときに感じた。


「……凄ェな。今のアンタ、正直尊敬する」

「へへっ、アスタロトだってやれば出来るさ。今のお前の傍にはマーガレットがついてんだから」


 一念発起して腕捲りを始めたアスタロトを残し、俺も部屋の掃除を再開する。

 夕食の時間にラーナに呼ばれるまで、俺は無心で部屋を磨き続けた。



 夕食後、サラの部屋を訪れた。

 魔法陣が描かれた紙が部屋の中央にあり、その端々には魔物の血や臓器のようなものが付着している。

 禍々しい雰囲気に一瞬尻込みするが、一度大きく深呼吸して部屋へと足を踏み出した。


「――よろしいですか?」


 魔法陣の上に立った俺にサラが問いかけた。

 ベルゼにもらった石はサラに預けて、今は先に人間界に向かってもらっている。


「ああ。……頼む」


 魔法陣を発動させるため、サラが魔力を込めていく。

 かなり魔力を消費するらしく、サラの額には汗が浮かび苦しそうだ。

 充分な魔力が溜まったのか魔法陣が光り、転移のときと同じように俺の視界を白く包んでいく。


「本当に、ありがとな! 元気で……体に気を付けるんだぞ!?」


 サラのお陰で俺は元に戻れる。

 魔法陣に乗る前にも感謝を告げたが、最後にもう一度伝えたかった。

 サラは俺の言葉に瞠目すると、悲しげに微笑んだ。


「――本当は、私もそちらへ行きたかった」


 「え、」と口から放たれた瞬間、俺は見慣れた部屋に居た。

 俺のベッドに俺の箪笥――付けっぱなしのテレビから「明日の天気です」とアナウンサーの能天気な声が聞こえた。


「戻って、来た……っ!?」

「サタン様!」


 実感が湧くと同時に襲ってきた衝撃を受け止める。ラーナだ。


「お身体に異常はございませんか!?」

「あ、ああ……大丈夫。ちゃんと、戻って来たよ」


 安心させるように微笑むと、ラーナがほっと息を吐いた。

 「サタン様……」と俺のことを呼ぶラーナに、そういえばまだ自己紹介をしてなかったと思いつく。


「ラーナ、俺は透。佐田 透だよ」

「トール様ですね。分かりました」

「あと、俺はもう魔王じゃないんだし、様とかあんまり堅苦しくなくていいから」

「トール、さん?」


 顔を赤くしながら俺の名を呼ぶラーナに、なんだかむず痒い気持ちになる。

 そういえば、ラーナはサラが言っていたことの意味が分かるだろうか。


「ラーナ、サラがこっちに来かったって言ってたんだけど――」

「もうっ、戻って来て早々浮気ですか!?」

「えっ、浮気!?」


 思ってもみなかった言葉に唖然とする。

 サラが人間界に来たがって、それがどうして浮気になるんだ?


「えっと、それはどういう……?」

「……サラさんは、サタン様――いえ、トールさんのことを、その……お慕いしておりましたから」

「えっ、ええっ!?」


 予想外の話に、今度こそ俺の顎が外れそうになる。

 それをどうとったのか、ラーナはむっとした、だけどどこか不安げな表情で俺を見た。


「やっぱり、サラさんの方がよかったですか?」

「へっ!? いや、ちがっ! びっくりしただけで…………ちゃんと、ラーナのことが好きだよ」

「……っ、トールさんっ」


 恥ずかしくて声が段々小さくなってしまったけど、ちゃんと聞こえたらしいラーナが再び抱きついてきた。


 今まで心配かけた両親やばあちゃん、拓磨や仕事先等。

 いろいろすることがいっぱいでこれから忙しくなるな、なんて少しうんざりするけれど、彼女と一緒に乗り越えて行こうと、背中に回した腕にぎゅっと力を込めた。



    ◇◇◇◇◇



「――おかえりなさいませ、サタン様」


 サラの部屋を出たサタンは、自室の前で頭を下げるベルゼブブに苦い顔をした。


「ふん、テメェもいい性格してるよなァ。お陰でこんなに遅くなっちまった。オレが戻って残念に思ってんじゃねェのか?」


 ベルゼブブが協力していれば、もっと早くに元の身体に戻れたはず、と責めるサタンにベルゼブブが表情を濁らせる。


「滅相もございません」

「まァいい。今オレ様は気分がいいからな。行くぞ」

「は……どこへ?」

「あ? オレの武勇伝を教えてやるっつってんだよ。こっちの話も聞かなきゃなんねーしな。ま、酒でも飲みながらゆっくりすっか」

「えっ……?」

「んだよ、イヤなのかよ」

「いっ、いえ! 喜んで!」


 サタンからの誘いに、ベルゼブブが喜色を浮かべた。


「すぐにサタン様と出会った年のワインをお持ちします!」

「お、おい……」


 サタンが止めるのも聞かず部屋へと駆け込んで行ったベルゼブブ。

 「んな古ィもんホントに飲めんのかよ」と苦笑するサタンの声が、誰も居なくなった廊下に消えていった。


あと一話で終わります。

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